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仏教についての質問です。

原子仏教(お釈迦様の教えに最も近い経典)の教えでは、一体なにがありがたくて、広める意義があったのでしょうか?

日本に広く伝わっている大乗仏教では、死後の世界での安泰や願いを叶えてくれるなど、人々が信じたくなる理由がありますが、
原子仏教においては、極限の禁欲生活を送り、執着を無くすことを目指していると思います。
つまりは、全ての娯楽、美味しいものを食べたい、好きな人と付き合いたい、楽しいことをしたい、こういった感情全てを否定することのように思えます。
この認識は正しいのでしょうか?

質問者からの補足コメント

  • みなさん大変わかりやすいご回答ありがとうございます。
    原子仏教についてわかりやすく解説された本などありましたらぜひ教えて頂きたいです。
    よろしくお願いします!!

      補足日時:2018/10/30 13:50
  • 返答ありがとうございます!
    中村元という方の著書が良いようですね。
    さっそく買わせていただきます!

    あの、大きな疑問なのですが、
    なぜお釈迦様が説かれた原子仏教の教えと、現代の日本における大乗仏教の教えが正反対とも言えるほど変わってしまったのでしょうか...
    そこら辺の詳しい解説が書かれた本はご存じありませんか?

      補足日時:2018/10/30 17:24
  • 実に興味深い回答ありがとうございます。

    大乗仏教に対する謎が少し腑に落ちました。
    当時の日本のお坊さんたちが、経典を読み、それぞれの解釈をもって広めて言ったということですね。
    それ故に、いわば魔法の呪文のような念仏が生まれたということなのでしょうか?

    その念仏やお経を唱えることによる実際の効果に関しては、何か証拠のようなものは何一つないのでしょうか?

    そういえば、あの美輪明宏さん言わく、南無妙法蓮華経を唱えている老人の周りに神の使いの霊が何度も立ち止まるので、神の使いの霊は仕事がはかどらず、神様がその老人にちょっとした腹痛か何かを起こさせて、その神社かお寺に来ないようにした。と言われていました。
    こういう類の話は信じるか信じないかということになってきますが、みなさんはどうお考えでしょうか?

      補足日時:2018/11/01 01:11
  • なるほど。お話を聞くたびに腑に落ちていき心地が良いです。ありがとうございます。

    そういえば、よくネットで「釈迦はお墓や念仏は無意味だと言っているから、日本仏教はおかしい」といった話を目にしますが、
    そのような記述は原始仏教の経典に書かれているのでしょうか?

      補足日時:2018/11/06 01:24

A 回答 (18件中1~10件)

>当時の日本のお坊さんたちが、経典を読み、それぞれの解釈をもって広めて言ったということですね。


それ故に、いわば魔法の呪文のような念仏が生まれたということなのでしょうか?

念仏というのは、『南無阿弥陀仏』を唱える事で、平安時代後期から鎌倉時代初期に浄土宗を開いた法然が
始まりです。しかしながら法然の解釈には誤りがあり、『南無阿弥陀仏』を唱えて極楽浄土に往生する事は
残念ながらありません。それは、法然の浄土思想のもとになっている書物には、基本的に『法華経』を根幹に
した時に成仏が可能である事が書かれていますが、法然は自身の解釈で『法華経』を捨て『南無阿弥陀仏』を
立ててしまったのですから、いくら熱心に『南無阿弥陀仏』を唱えても成仏する事はありません。


>その念仏やお経を唱えることによる実際の効果に関しては、何か証拠のようなものは何一つないのでしょうか?

念仏やお経を唱えても、効果はありません。
質問者様はまだご理解が薄いようですが、根本的には本尊というものがどの宗派にも存在いたします。
その本尊に対して、念仏やお経を唱えるのですが、その本尊が正しくなければいくら一生懸命念仏やお経を唱え
ても無意味な事なのです。ましてや、『法華経』を否定してして唱えれば、悪業を増長させる事にしかなりません。

時代的に言えば、釈尊滅後のアショカ王の時代や、日本でいえば聖徳太子の時代には法華経を根幹として平和な
時代があったと言われています。

また、現代においては世界192ヶ国地域で『南無妙法蓮華経』を本尊として奉り、御題目を唱え自身の宿命を転換
して生活している事例は数多くございます。


>そういえば、あの美輪明宏さん言わく、南無妙法蓮華経を唱えている老人の周りに神の使いの霊が何度も立ち止まるので、神の使いの霊は仕事がはかどらず、神様がその老人にちょっとした腹痛か何かを起こさせて、その神社かお寺に来ないようにした。と言われていました。
こういう類の話は信じるか信じないかということになってきますが、みなさんはどうお考えでしょうか?

三輪明宏さんは、日蓮宗の信者です。全てが正しいかと言えばそうではありません。僧日蓮の系列としては大きく
分けて『日蓮宗(身延派)』と『日蓮正宗(大石寺派)』に分けられます。どちらが正しいかと言えば、『日蓮正宗(大
石寺派)』です。細かい説明は致しませんが、『日蓮宗(身延派)』は日蓮の教義も理解せずに創られ現在に至ってい
ます。まあ、教義の内容は滅茶苦茶です。三輪明宏さん自身も、かなり仏教とスピリチュアルを混同されていて、
言っている事が滅茶苦茶になっている事が多々あります。メディアや雑誌の記事などで垂れ流された情報が鵜呑み
にされてしまう事は、公害としか言いようがありません。


>そういえば、よくネットで「釈迦はお墓や念仏は無意味だと言っているから、日本仏教はおかしい」といった話を目にしますが、
そのような記述は原始仏教の経典に書かれているのでしょうか?

もともと、僧侶が葬儀を執り行う事は室町時代まではありませんでした。
現代葬儀に大変深く関わりのある【檀家制度】も、実は江戸時代にできたものなのです。それが引き継がれて現在
の様な葬儀になっています。ですから、死者の前で僧侶が念仏やお経を唱えても、何の効果もなく死者が成仏や安
らかにあの世に行くなんて事は御座いません。本当に何の意味もないのです。ただ宗教に無知な日本人は言い伝えの
なかでそう信じてしまっているのです。
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あの…



ムーとかアトランティスとかって話

それ
幸福の科学の教えでしょうか?
違ったらごめんなさいだけど
たしかそんな感じなんですよね幸福の科学
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最初の質問に答えてませんでした。



釈迦は王家に生まれ、いずれは王となる教育を受け、贅沢な生活を与えられましたが、何かその生活を虚しく感じ、城を出てその頃流行ってたヨガのような肉体行を6年します。

しかし悟りは得られず、骨と皮の様相になります。川で身体を洗っている時に有名なスジャータにミルクがゆをお布施されます。

その時に人間は極端な心、生活のなかに悟りの道はない、右にも左にも偏らない中道の道こそ悟りへの階段であると悟ったのです。

本能のままの自分を甘やかす生活も、肉体を極端に痛めつける苦行も間違いと気ずいたのです。

原因があるから結果がある、良い事をすれば、天国、悪い事をすれば地獄に行く。それゆえ戒律があります。
それだけでなく、その心の状態も見られる、その心に応じた世界が待っているというわけです。

この世ではごまかせますが、あの世では全てを見せられます。嘘は通じないのです。その本性を暴かれるのですね。
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ところで



阿弥陀如来がイエスというのは
かなりぶっとんだ話で…
面白いけど(苦笑)
いいなあ


阿弥陀如来というのは
そもそも、地球の方ではなくて
別の宇宙での仏さま

お釈迦さまよりずっと昔に仏になった方

ということになってます
お釈迦さまが仏になった時
阿弥陀如来の存在がわかったらしい
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うーん?



お墓や念仏は無意味…
念仏そのものが、お釈迦様の生きていた時代には、なかったと思いますよ

お墓についても、言ってそうだけど
言ってるかどうかはわかりません

初期の経典からしたら
日本の仏教はだいぶ違いますよ
でもミャンマーやタイの上座部仏教(小乗仏教というのは蔑称なので使っちゃだめ)が
初期の仏教に忠実か?というと
そうでもないみたいで
土着の信仰や慣習と結びついて変化してはいるみたい

そもそも、初期の経典と言っても
お釈迦様本人が書いたわけではないし
お釈迦様の思想そのものだという保証はないですし

「日本の仏教はおかしい」
という意見があるのは
当然だとも思うけど
それだと、なにか「おかしくない正しい仏教」があるみたいですよね

キリスト教でもそういうことはあります
もともと
カトリックに対して
「おかしい!」と抗議して生まれたのが
プロテスタントですし
さらにさまざまな新興宗教も生まれてます

みんな
「ほんとの釈迦の(あるいはイエスの)教えはこれだ!」
と思ってるんですよね、それぞれが

それはそれでいいんだけど

「うちだけが正しくて
他はみんな間違いだから!」

というのには
ほんとうんざりしますし
「〇〇は間違い」って
相当深く勉強しないと言えないと思うんだけどな…
そういうことを言う人は
知識が浅いように思いますよ
(自分とこの勉強だけしててもだめだと思うし)
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小乗とは小さな乗り物、大乗とは大きな乗り物でという意味で、戒律とか厳しいのが小乗仏教で、大乗はチベットから、中国、日本ときました。



お経は、釈迦と弟子の質疑応答です。それが分かれて、今の宗派があります。
ですからどれが正しいとかで喧嘩するのはばかなことです。

名の知れた仏教学者でも、無とか空について、何もないのだ、だからあの世は無いのだとかいうような人は間違いです。中村という人物、かれは思想犯として暗い世界にいるのでは?

釈迦は転生輪廻を説きました、相手に解るように対機説法をしました。南無妙法蓮華経も、南無阿弥陀仏も同じことです。

だだ、帰依する相手がちがいます、 南無阿弥陀仏は釈迦のことではないです。阿弥陀如来とは
イエスのことです。
イエスは2000年前にユダヤに生まれていますが、その前には、エジプトでクラリオという名で、その前は、インドでクリシュナという名で生まれ法を説きました。

一万二千年前に、アトランティス大陸にアガシャーという名で、政治と宗教の祭政一致で国を治めました。 しかしクーデターが起こり、彼ら一族はアガシャーの広場に生き埋めにされ、息子のアメン・ラーは飛行船でエジプトに逃れました。

アトランティス大陸は暗い想念につつまれて、沈みました。アメン・ラーは太陽信仰をしましたからピラミツドはその頃につくられました。

釈迦も一万七千年まえに、ムー大陸で法を説きました、 ラ、ムーといいます。
イエスが説いたのは愛でしたが、ラ、ムーは反省とか瞑想で、後にギリシャに生まれ繁栄、発展の思想を生み出しました。

イエスの最後はすべて悲惨でしたが、釈迦の場合、みな成功しています。
ヨーロッパの文化は、アトランティスから来て、日本の文化はムー大陸から来ています。
稲作もその頃からありましたし、科学も今が一番進んでいるというのは、ちがいます。
飛行船もありました。
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ちょっと違います



ブッダの死後
数百年後に
大乗仏教が生まれていきます

そして
原始仏教と
様々な大乗仏教が中国に入っていくのですが
中国では大乗仏教のほうが人気だったようです

理由としては
原始仏教は出家して修行しなければならないという厳しいものだったことと
大乗仏教が原始仏教を下に見て
「うちが本当の仏教」だというような主張をしたから、のよう

それで中国で大乗仏教が盛んになり
それを輸入したのが日本、ということみたいです

念仏というのは浄土系の呪文?お経ですよね

これは浄土宗の話です
日蓮宗さんからは「邪教」と言われているのですが…(苦笑)

浄土宗の開祖は法然
法然さんは、ものすごく頭のよいひとだったんですけど
貧しい人や苦しんでいる人を見て
「こういう人たちが救われなければ意味がない!」

体力がなかったり貧しい人でも救われる方法を探して
阿弥陀様についての経典に行き着きます
ブッダが解脱した時に
ブッダより先に解脱した、違う宇宙?の仏様

阿弥陀さまを信じ念仏を唱えれば
どんな人でも極楽浄土にいける

それが法然の浄土宗です

法然は天台宗の僧侶と
公開討論をすることになるのですが

「私は天台宗を否定しているわけではないのです
ただ、強い人は修行ができるが
体力のない者や貧しい者
弱い人間は修行が出来ない
そんな人間でも、救われる方法はないか、と
念仏に行き着いたのです」
と言います

ただ「南無阿弥陀仏」と言えばいい
そうすれば、極楽浄土に行ける

で、まあ
「実際の効果」ということですけども

仏教に関わらず
「祈る」というのは
まあ、やってみたら解るかもしれないんですけど
精神は安定します
イスラム教では1日に何度も祈るようですが
あれは神に祈ることで気持ちを落ち着かせ、自分を見つめる効果をねらってるんじゃないかと思ったりもします

まあ、浄土系の僧侶や信者は
念仏を唱え阿弥陀様を信じることで
必ず極楽浄土にいける
と「信じて」います
信じることが宗教だと思います
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私も誤字が…



ブッダの仕事→ブッダの死後

でした

「仏教思想のゼロポイント」には
大乗仏教を作った人たちが
なぜ「法華教」とか「阿弥陀教」とかっていう「新しい宗教」ではなく
仏教として成立させようとしたのか?
ってことも書いてあるみたいですよ
(まだそこまで読んでない)

大乗仏教って
「お釈迦様はこういうことが言いたかった『はずだ』」
なんですよね…
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>一体なにがありがたくて、広める意義があったのでしょうか?



釈尊在世の時代、求めるものはただ一つで、『成道(成仏)』にありました。
成仏というと『死んだ後に仏様になる。死んだ後に極楽浄土に行ける(浄土宗的概念)。』というものが
一般的ですが、釈尊の悟り・説法というものはそうではありません。
『法華経(妙法蓮華経)』の中で釈尊は、菩薩を仏に導くための教えとして『法』の存在を明かしているのです。
要するに、死んで仏になるのではなく、この世に生きてる時に『仏に成る(成仏)』ということです。
これは、釈尊自らが仏になった原因を説き明かし、多くの弟子を仏に導くために説かれたのです。そして、法華経の
中において、それらの弟子に授記(仏になる確証)を与えられます。

しかしながら『法華経(妙法蓮華経)』には、『法』の存在が説かれていても、その『法』が何なのかは残念ながら説かれては
おりません。

鎌倉時代の僧・日蓮は、当時日本に伝来している仏教書を学び、釈尊の説いている『法』が『南無妙法蓮華経』である事を
見出し、自分自身だけではなく他の人に対しても。この法を流布しました。

では何故『仏に成る(成仏)』事が大事なのでしょうか?

仏といっても、遠くにあるものではなくて『自分自身の生命(心)』の中に存在するのです。

仏教には、【十界】というものがあります。これは『生命(心)』の中にある十種の境涯の事で、地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・
人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界という十種の境涯が全て欠けることなく具わっていて【十界互倶】、何かの縁に触れる
ことで顔や言葉や行動となって現れるのです【色心不二】。それが要因で、他人と仲良くなったり、喧嘩をしたり、好かれたり、嫌
われたりもします。また、家庭環境や地域社会・環境まで影響をしてくるのです。

もう少しスケールを多きくすれば、戦争や民族同士の紛争、災害や悪天候、作物の不作や飢饉・疫病まで個々の生命状態というもの
が影響してくるのです。

ですから、多くの人が仏になれば、そうした不幸な状態を転換して、穏やかな生活や社会環境を得る事が出来るのです。
さらに、現世での『仏に成る(成仏)』は、未来世をもたらしてくれる重要な要因となるのです。

そうして意味で、『仏に成る(成仏)』事が最も大切なのです。


>なぜお釈迦様が説かれた原子仏教の教えと、現代の日本における大乗仏教の教えが正反対とも言えるほど変わってしまったのでしょうか...
そこら辺の詳しい解説が書かれた本はご存じありませんか?

・一番詳しく書かれているのは、『日蓮大聖人御書全集』というものがあります。
中でも『立正安国論』は、一度読まれると良いと思います。

・『ほんとうの法華経』著者:橋爪大三郎/植木昌俊(ちくま新書)も良いと思います。
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非常に恥ずかしい


3回も誤変換
Atom Buddhismにはw。
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