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国文法の助動詞「です」は、日本語文法では名詞文の場合は接辞(コピュラ)とされています。
ナ形容詞(国文法の形容動詞)の場合はいずれにしても語尾(スフィックス)ですが、
イ形容詞(国文法の形容詞)の丁寧体(敬体)に付ける「です」は接辞でしょうか、語尾でしょうか。

質問者からの補足コメント

  • いろいろな少数意見があるのは分かりますが、そうではなくて多くの辞書に共通して書かれている考え方では、名詞と形容動詞は両者をかねる言葉もありますが、形容動詞のみの言葉もあります。例えば、「静か」は形容動詞と書かれている辞書が多いと思います。
    この考え方によれば(学校で習ったことでもありますが)、「静かだ」や「静かです」の「だ」や「です」は助動詞ではなく形容動詞の活用語尾とされていると思います。
    形容詞+「です」の「高いです」は昔は誤用とされてきました。使用する人が増えたので、昭和27年の国語審議会で使用が認められましたが、変化はしないものとしてされています。つまり、「高いでした」などの使用は以前通り誤用とされています。
    丁寧体を表現するだけなので、接辞ではなく語尾だと思うのですが、日本語文法では何に位置付けられているのかを知りたいのです。

      補足日時:2019/03/13 09:59
  • 申し訳ありませんが、私は「日本語教育文法」のことを「日本語文法」として使わさせていただきました。だから、助動詞や形容動詞という概念や用語を使うのが国文法や学校文法、助動詞のほとんどを語尾とし、名詞文に使われるものを接辞としている日本語教育文法を日本語文法とさせていただきました。(日本語教育文法:非母語話者のための日本語文法)

    国文法や学校文法における助動詞の大部分は日本語教育文法では語尾とされていますが、名詞文の「だ」や「です」は日本語教育文法では接辞とされています。また、ナ形容詞で使われる「だ」や「です」は語尾とされています。そこで、日本語教育文法では、イ形容詞で使われる「です」は語尾なのか接辞なのかをお聞きしています。この場合、「だ」や「でした」を使うのは誤用とされています。

    ※ なお、日本語教育文法のことをご存じない方は回答を遠慮してくださるようお願いします。

      補足日時:2019/03/13 14:02
  • 日本語文法(日本語教育文法)では助動詞を認めていません。それらは語尾とされています。
    「た」は国文法では「過去・完了の助動詞」とされていますが、日本語文法では助動詞を認めず、語尾としての「た」をともなう動詞や形容詞の形を「タ形」としています。
    日本語の名詞は変化しないので、名詞に付ける「だ」や「です」は語尾ではなく、接辞(コピュラ、свзязка)とされています。
    国文法では形容動詞の「だ」や「です」は助動詞ではなく活用語尾とされていると思います。形容詞の活用には「です」はありません。昭和27年から丁寧体の場合に付ける言葉として認められましたが、変化しないものとされています。(例えば、「白いでした」は誤用。)したがって、この形容詞(イ形容詞)に付ける丁寧体のための「です」を日本語文法では、語尾としているのか接辞としているのかを知りたいのです。

    No.6の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/14 14:11
  • 大変失礼しました。「接辞」というのは私の間違いです。私はルーマニア、モルドヴァ、ウクライナなどで日本語を教えていますが、ルーマニア語の ”copulă”やロシア語の”связка”のことを日本語で”接辞”というと思い込んでいました。正しくは、「連辞」または「繋辞」だと思います。具体的には、ルーマニア語で a fi (三人称単数で現在: este、過去:a fost、未来:va fi)、ロシア語で есть (現在時制では変化しないし、省略される。男性・中性単数の過去:был、三人称単数の未来:будет)のことです。

      補足日時:2019/03/15 07:12
  • 「みんなの日本語初級I」文法解説ロシア語版には、次のように書いてあります。
    ”Существительное, оформленное связкой「です」, является именным сказуемым. です указывает на суждение или утверждение. ・・・私は会社員です。”
    訳:繋辞「です』が付いた名詞は名詞述語を表します。「です』は、判断や言明を示します。

    なお、当地での日本語教育では助動詞というものを教えませんし、形容動詞はナ形容詞、「連辞」または「繋辞」を除いた助動詞はルーマニア語でsufix、ロシア語でсуффиксと言っています。
    なお、各国のいくつかの国立大学では日本語専攻者だけに、助動詞というものを教えています。

      補足日時:2019/03/15 07:18
  • 国文法や学校文法では、形容動詞(ナ形容詞)の「だ」や「な」などは活用語尾(sufix, суффикс)だと思います。この場合の「だ」の丁寧形「です」は活用語尾という意見と助動詞という意見があると思います。

    形容詞(イ形容詞)の丁寧形に使われる「です」には活用がなく、丁寧表現を表すだけに用いられます。活用がないので、タ形(過去形)もありません。「赤いでした。」は間違いで、「赤かったです。」としなければなりません。(方言を除く)
    この形容詞(イ形容詞)に用いられる「です」は形容詞(イ形容詞)の語尾(sufix, суффикс)なのか、繋辞(copulă, связка)なのかという質問です。

      補足日時:2019/03/15 10:18
  • 今、一時帰国中なので手元に参考文献がないのですが、たまたま持っている「日本語教師トレーニングマニュアル2 日本語文法整理読本」(井口厚夫、井口裕子:バベル・プレス)のpp-30~31に、”実は「助動詞」という言葉はあまり日本語教育では使われません。” ”「本です」「元気です」「高いです」―このうちコピュラの「です」は? 答えはもちろん「本です」。「元気です」の「です」はナ形容詞の活用語尾で、「元気な」などに形を変えます。問題は「高いです」で、イ形容詞についた「です」は活用しません。「高いだ」「高いでした」「高いではありません」なんてありませんね。これは単に丁寧さのためにつけられている「です」です。”と書いてあります。
    単に丁寧さのためにつけられている「高いです」の「です」はコピュラではないとしていますが、それでは活用語尾なのでしょうか。

      補足日時:2019/03/15 14:14
  • 外国人に教える場合は多くの辞書や文法書に書いてあることと整合性がないと学習者が混乱します。形容動詞の「だ」や「な」は活用語尾としている辞書や文法書が多いと思います。
    (大辞林)【形容動詞】終止形語尾が、口語では「だ」、文語では「なり」「たり」であるもの。
    (デジタル大辞泉)口語の形容動詞は活用のしかたが基本的には一つで、「だろ・だっ(で・に)・だ・な・なら・〇」と活用する
    助動詞は”verbul auxiliar、вспомогательный глагол”(英語ではAuxiliary verb)となってしまい、補助動詞と区別ができなくなります。
    いろいろな考え方のご紹介は結構ですので、「赤いです。」の「です」を助動詞という用語を使わずに外国人にどう教えるのかについてだけご存知の方のご説明をお願いします。

      補足日時:2019/03/16 08:20
  • nwsaburoo 様、残念ながら今手元には井口さんの本しかありません。来月戻りましたら、「日本語(教育)文法」が何を指しているのか、について書きたいと思います。

    ロシアで出版された多くの本には、名詞文の場合でも、ナ形容詞、イ形容詞の場合でも「だ」「です」は”связка” と書かれており、このことについてロシアの日本語教師から質問され、その時にはナ形容詞の「だ」「な」はсвязка ではなく суффикс だけれど、「です」については調べておきますと答えたので、形容詞に付く「です」について、調べています。
    「『日本語文法』での定説・通説などないし、例外的な用法なので例外として扱うのがいいでしょう。」とのご意見、参考にさせていただきたいと思います。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2019/03/17 08:04
  • 「その花は白い。」と「その花は白いです。」の違いは、普通体か丁寧体かの違い以外に意味の違いはほとんどないと思います。したがって、形容詞の丁寧体に使われる「です」は活用のない付加語と解釈して問題はないと思います。

    多くの印欧語では、すべてが動詞文ですが、日本語の名詞文や形容詞文では動詞が要りません。日本語の名詞文で使われる「です」は動詞ではなく、助動詞ですが、多くの印欧語では存在などを示す動詞が繋辞として使われます。だから、日本語の繋辞を動詞の一種と考え、形容詞文にも同様に使われると考えるのだと思います。だから、形容詞に使われる「です」も彼らはコプラだと考えるのだと思います。
    形容詞に使われる「です」は動詞の一種のコプラではなく、丁寧体のための付加語だと思いますが、いかがでしょうか。

      補足日時:2019/03/18 12:24

A 回答 (17件中1~10件)

「です」は常に、人に話す際の標準的表現として節を締めくくる助動詞です。



名詞につける際について考えると、「です」がなくても体言止めと呼ばれて日本語ではこれもひとつの文となります。

ナ形容詞というのは、仰る通り、形容動詞のことですが、これを認めない考え方もあって、結局、ナ形容詞というのも名詞で、ただ、意味が性状を言うので、助詞「な」をつけることで形容詞として使えるのです。ですから、これに「です」がついても、その他のふつうの名詞と同じことなのが分かると思います。

イ形容詞というのは元から形容詞なわけですが、例えば「~は高い」で終わる文は、名詞で終わらせる体言止めの形容詞版に過ぎないわけで、これも、人に話す際の標準的な表現にするために「です」をつけるのです。
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>日本語文法では何に位置付けられているのかを知りたいのです。



goo辞書によるところ、「です」は助動詞としか扱っていません。https://dictionary.goo.ne.jp/jn/151501/meaning/m …

コピュラというのは英語の copula のことだと思いますが、
英文法では、動詞が主語の次にきて、主語と述部の連結の役目をすることから呼ばれる名前で、”繋ぐ”意味ですから、日本語の文法には当てはまりません。

サフィックスというのも英語の suffix のことと思われますが、これは1つの単語の末尾につく接尾語のことですから、日本語の文法には当てはまりません。

日本語で「語尾」というと「言葉尻」くらいの意味にしかなりません。
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学校(橋本)文法では、「静かだ」「綺麗だ」を一語とし、「だ」を活用語尾としています。


「高いです。」の「です」は肯定判断の助動詞です。一部の方言では「高いだ」と判断辞を表現します。通常は、零記号として表現しないのが規範になっています。

「静か」「平和」「自由」「困難」などは名詞としても使用され、これは属性表現とは異なり実体認識を表すもので、これらの語が多義に使用されているということです。

国文法で云う語尾は、本来「動詞」の活用における語幹と語尾のように活用により変化する部分を語尾と呼んでおり、単なる形式の変化で、それ自身が意味を持つものではありません。しかし、形容動詞の場合は「だ」「な」「に」はそれぞれ、意味を持った助動詞、助詞であり、これを一纏めにして一語とし、語幹と語尾とするのは根本的な誤りです。

日本語文法論、いわゆる新記述文法は屈折語である英語などの形式主義/機能主義的な文法論を模倣したものに過ぎず、形態素、接辞などの品詞を説き、名詞文の場合は判断の助動詞「だ」「です」を接辞(コピュラ)としていますが、形式主義/機能主義的な誤りです。■
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「人は動物だ」における「だ」は言うまでもなく「断定」の助動詞です。

対して、「彼は穏やかだ」の場合は「穏やかだ」がナ形容動詞であり、「だ」は単なる活用語尾で、「だろ・だっ・で・に・だ・なら・〇」活用します。すなわち「彼は穏やかな性質」を持つという形容詞本来の働きをしている。
 一方の「人は動物だ」は。もちろんナ形容詞ではありません。(形容詞文でもない)では、「人は動物だ」は「人も動物の中の一種類だ」(名詞文)という内容になり、この「だ」は英語における繋辞「be動詞」の働きをしているのだとしました。このことは「だ」だけではなく、「人は動物です」の「です」と、「彼は穏やかです」の「です」にも言えることです。国文法の中でも「形容動詞」を認める「橋本文法(=学校文法)の「形容動詞」を「ナ形容詞」として取り込むための理由づけになったのが、「繋辞説」です。
 日本語文法においても、学校文法においても、「だ」・「です」は単独で助動詞として使われるケース(「美しいだ」はなくても「美しいです」はあるという特殊なケース
はありますが、これは「美しい+です」を使い出した時点から始まりました)と、「ナ形容詞」「形容動詞」の語尾として使われる場合の二通りがあるということですね。
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今回の質問によって、「国文法」と「日本語文法」の差が歴然としました。

その中心は(国文法における)「助動詞」の扱いです。このサイトにはしばしば「日本語文法」の学習者からの質問が寄せられてきました。私自身この差は埋まるのではないかと思い、二つの融合を意図してきましたが、やはり決定的に違うのだと言うことがはっきりしました。
私は「日本語教育文法のことをご存じない方」に入ると考えるより外ないと言わざるをえません。
 そして、日本語のほとんどの辞書も「日本語教育文法」には向かないとも思います。少なくとも助動詞の存在を信じている限りは。
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No.3, 4さんが仰っているように、形容動詞を提唱してきたのが国文法で、



「です」を助動詞とするのは、国文法でもなく、
英文法を日本語の構造を顧みずに無理やりこじつけたものでもなく、
日本語の構造をきちんと捉えています。
日本語の主語と述部を繋ぐものは動詞ではなく、助詞だということは明白です。

日本語を外国語として学ぶ学習者向けの文法については、2000年代ごろから「日本語教育文法」と呼ぶようになったそうですが、古い国文法へ逆戻りするような方針ではないはずです。

長らく英語の優秀性が妄信され、今もなお多くの場合、日本語は軽んじられていますが、英文法ですらまだまだ不備だらけなところ、日本語の言語構造はろくに世界に知られていません。研究・整備の行き届いていない箇所はまだあちこちにあります。

No.2で書きました接尾語というのは、接尾辞にすべきだったかなと思います。

質問者さんがどういう立場の方なのかよく分からないのですが、私もこれまであちこちで、日本語を外国語として学ぶ人たちに、これを母国語とする人間として自然に感じることをできる限り誠心誠意伝えてきました。

「~は高い」については、「~は高いのです」「~は高いのだ」「~は高かったのです」「~は高かったのだ」と形式名詞「の」を入れれば流れはきれいになります。が、訴えかけるような響きを帯びてしまいますから、話者がそう意図しなければほかの表現を探します。

日本人としての個人的な感覚は、「た」は〔完結〕を表す助詞(particle)のようにも感じますけど、「です」は動詞という感覚が強く、助動詞で異議ありません。
この回答への補足あり
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質問者のおっしゃる「日本語文法(日本語教育文法)」というのが何を指すのか、私にはどうもわかりません。



「日本語教育文法」というと、思い浮かぶのは、

  野田尚史・白川博之(2005) https://www.amazon.co.jp/%E3%82%B3%E3%83%9F%E3%8 …

  庵功雄他(2000) https://www.amazon.co.jp/%E5%88%9D%E7%B4%9A%E3%8 …

辺りですが、野田と庵(後述)ではまた指すものは違うようですし、質問者のおっしゃる「日本語教育文法」とは何なのでしょうか。

私の理解では、「日本語教育文法」というものが、それ以外の文法と違った形ではっきりとあるわけではなく、それ以前の(寺村秀夫に代表されるような)「日本語教育のための記述文法」を、ある場合には肯定的に、またある場合には多少否定的に言うものだと思います。

そしてまた、それは具体的な記述内容の違いではなく、教え方・とらえ方の違いに過ぎないものです。

次の庵の本の、24章に「日本語教育文法」という6ページ分の解説があります。ここでは、「考え方」だと言っています。

  庵功雄 https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E3%81%97%E3%8 …

さて、「だ・です」の件ですが、

   名詞文の「だ」や「です」は日本語教育文法では接辞とされています

と言う時の「日本語教育文法」は、誰の説によるのでしょうか。

名詞文の「だ」は、寺村(1982)、益岡・田窪(1992)では「判定詞」です。
庵他(2000、p.347)では「日本語教育では品詞を問いません」と書いています。(「その他の品詞」の中で議論しています。42章の「接辞」ではありません。)
また、全7巻の記述文法『現代日本語文法1』(2010)では「助動詞」です。

つまり、どれも「接辞」とはしていません。

形容詞につく「です」について、はっきり書いているものはあまりないんじゃないでしょうか。
私が見たところでは、益岡・田窪(1992)が「判定詞」とした「だ・です」とは別に、形容詞につく「です」を「助動詞」としています。変な助動詞ですが。

また、

   語尾としているのか接辞としているのかを知りたいのです

と書かれていますが、「語尾」というと「語幹」に対応するものでしょうから、「高いです・高かったです」の「です」をそう言うのは変な感じがしますね。

以上、最後(一番大事なところ)ははっきりしませんでしたが。

saburoo
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No.6 へいただいた補足が、不具合があるようで表示されず読めていないのですが、



No.7さんが仰るように、日本語を外国語として学ぶ学習者用に、日本人用の文法と全く別のものが確立されているとは考えにくいです。

日本語の文法を英語で教える際に「です」は英語の copula "に当たる"というように説明することはよくあるだろうと思います。be動詞は確かに基本的に「です」になります。

でも、質問者さんが求めておられるような、ナ形容詞+「です」や、イ形容詞+「です」の場合の「です」が接辞とか語尾とか、そのような細かい定義はないはずで、どなたかの私説でしょうから、あまり気にしなくてよいと思います。
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>>「元気です」の「です」はナ形容詞の活用語尾で、「元気な」などに形を変えます。



ナ形容詞というのは形容動詞と同じで、「です」「な」を活用語尾とする見方で誤りです。「な」は判断辞「なり」の連体形です。

>>「高いです」で、イ形容詞についた「です」は活用しません。「高いだ」「高いでした」「高いではありません」なんてありませんね。これは単に丁寧さのためにつけられている「です」です。”と書いてあります。

「高いです」の「です」は肯定判断辞「だ」の丁寧形で、当然活用を持ちます。「高いでしょう。」は「です」の未然形「でしょ」+推量の助動詞「う」です。
否定の場合は、「高くない」「高くないです」「高くありません」「高くはないでしょう」のように使用します。■
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「です」が be動詞に当たる、というような説明なら構わないと思います。


でも、copula としてしまうのは問題がありますし、語尾ではなおさらです。

日本語で主語と述部をつなぐのは動詞ではなく、「は」「も」などの助詞です。

日本語の動詞は文末に来ます。
文末に来る動詞に主語と述部をつなぐ役目は、物理的にあり得ません。
そこまで念入りに嘘を教えることが良いこととは思えませんし、ワールドワイドのネット上に誤報をまき散らされてはたまりません。「です」は copula ではありません。

そして、このような構造のために体言止めが可能となるのです。
日本語の文法がおかしいわけではないことを、世界に知っていただきたいです。
動詞が文末に来るおかげで、文構造が英語などよりはるかに分かりやすい単純なものになっています。その分、動詞表現がそれはそれは表情豊かに発達しました。それで動詞表現だけで動作主が分かる場合が多く、動作主を言う必要がないのです。

英語教育においても、学界の研究不足と安易に簡単に教えようとしたために、私たちは嘘を教えられて混乱してきました。同じ間違いを繰り返すことを見て見ぬふりしようとは思いません。正しいことを知っている人間が誤りに屈するなら、それこそ誤りというものでしょう。

日本語の言語構造が世界の諸言語の研究にこれから多大な貢献をするはずです。日本語の価値をおとしめておくのは世界にとって得策ではありません。
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