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世紀の阿呆は なぜ起きるのか?


1. 対象のないおそれという不安から。または 自由ゆえ。

2. 理念に取り憑いてしまっていて その規範・基準から離れられない。

3. AI の出来損ないであることを演じている。

4. ・・・

質問者からの補足コメント

  • 寄せられた回答が ずいぶん削除されましたね。

    〔じつは この昼日中に風呂に入っていたので 削除された回答は
    どういうものだったか 忘れているかも知れません。〕

      補足日時:2019/05/06 14:19

A 回答 (9件)

私は直感で思ったことをそのまま言っているので、後から見て自分が何言ってるのかわからない事はよくあります。


ちなみに思ったことと言ってることは違います。
あなたはどうですか?

---
昨夜は3時間もウォーキング、Kindle読みながら。なので今レスしてます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 私は直感で思ったことをそのまま言っているので、後から見て
自分が何言ってるのかわからない事はよくあります。
☆ そういう場合には こちらにも分かりにくいことになります。



★ ちなみに思ったことと言ってることは違います。
あなたはどうですか?
☆ 《思ったこと》というのは 中身がじつは広く深いと思います。

たとえば このように《ほとばしる痴性》などという表現をえらび
ましたが そのとき 心の奥のほうで 《こらっ! おまえは 自
分のことを棚に上げて なんちゅうことを言うのか?》という思い
と叱責の声が ただちに出て来ます。

つまり このように《奥のほうで思ったこと》は 取りあえず無理
にでも鎮めまして それは言わないわけです。

その意味で 《思ったことと言ってることは違います。》。

ひとつの結論として 《ほとばしる痴性》のことは いま問題とし
て挙げてもよいと判断したわけです。

あるいはまたわたしは 子どもの頃から直情径行でしたし そう言
われもしました。

いまもおそらくそのままだと思うのですが ただし 出来るだけ自
分の言い分をみんなに分かってもらおうと思って 一心発起して意
味が誰にも理解されるようなアマテラス普遍語としての学問語を使
うようにしました。

アマテラス普遍人格語のほうは お留守になっていますし それで
よいとも思っています。常識に挑戦する立ち場にあると思ったから
には 哲学は けんかだというかたちに成らざるを得ないとも思う
からです。

アマテラス普遍科学語を用いると 取っ掛かりとして読み取りにく
いのですが しかしながら 時間が経ってもじっくり読むならば
その意味は 読む人によって異なることも少なく きちんと伝えら
れるものと堅く信じています。

---
★ 昨夜は3時間もウォーキング、Kindle読みながら。なので今
レスしてます。
☆ ん? 読書しつつ 歩く? あぶなかないですか?

じつは わたしも歩きは よくやったものです。よく郊外へ行き
目的地を定めず ただ歩く 歩く。二時間を最低限として そのあ
と 最寄りのバス停か電車の駅を探して そこまで行って帰って来
ました。

いまは ニ・三十分の自転車の散歩です。スピードも出ませんが
自転車は昔から好きで たのしみです。

お礼日時:2019/05/06 08:38

No.14の私の回答はNo.12,d-y-nさんの回答への感想でした。



心は使うほどに育つ。成長するのです。
好ましくない方の心について云えば、成長し、そして強くなってしまう、のです。
好ましい方の心は後ろへと追いやられてしまうのです。

これが《世紀の阿保》の出現の原因です。

流れのチカラ(惰性)のような働き・性質が、心にはあるのでしょう。
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この回答へのお礼

無理が通れば道理が引っ込む・・・ですか? ――ご回答をあり
がとうございます。


引っ込んでも 道理の心は:
★ 心は使うほどに育つ。成長するのです。
☆ ほんとですか? と返してみるのも またたのし。




けっきょく d-y-nさんは どうするのですか?

一たん退会するのでしょうか? 


カツを入れてやる必要はないですか?

お礼日時:2019/05/06 15:27

どうやら、見当違いも甚だしいと思われてしまったようです。


ない頭をフル回転させたのですが、柔軟体操にしかならなかったかも知れません。
残念。

でも、“複眼語”は気に入ったので使っていきたいと思います。
ただ、思った事と違う事を言うなんて、そんな芸当は私には無理ですね。

それだと、サーカス語と言ってみたくなります。
または、アクロバット言語とか。

どちらにしても、感覚で勝負!ですね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ どうやら、見当違いも甚だしいと思われてしまったようです。
☆ 結果としてそうなるのかも分かりませんが わたしには なおまだ
ナゾなんです。《依存》などと言われても。

ですから 疑問点をしっかりと伝えようとしています。まだ それだけ
ですが 《見当違いだよ》とわたしが言っていると聞こえたわけですね。

疑問点が きびしい言い方または内容でしたかね?


★ ない頭をフル回転させたのですが、柔軟体操にしかならなかったか
も知れません。
残念。
☆ 内部でいろんな思いや何やかやが起こっているらしいとは分かった
わけです。


★ でも、“複眼語”は気に入ったので使っていきたいと思います。
☆ げんみつに言うと 言葉が複眼になるというよりは やはり認識の
視点がなります。
 
ただふたつあるだけの双眼ではなく 両方からの視野をかさねつつ複雑
系で全体観をかたちづくるといったところでしょうか 複眼の思考は。



★ ただ、思った事と違う事を言うなんて、そんな芸当は私には無理で
すね。
☆ まあ それはただしい言い分でしょう。つまり 思ったことに比べ
るなら 口に出して言ったことは 単なる一部分でしかない――という
場合があるという意味でわたしは言いました。



上級編としては 《レティサンス》という概念をしらべてみてください。

〔いま 自分でも検索してみましたが: 

・ 頓絶法(とんぜつほう、または黙説法、Aposiopesis)

というのは ちょっと違うと思います。ただし レティサンスは 黙説
法と呼ばれることはあると思います。要するに わざと言わないでおく
ことです。それでも 相手に対しては何かを言ったことになるであろう
と予測している場合です)。



思いとは違ったことを言う場合:
★ それだと、サーカス語と言ってみたくなります。
または、アクロバット言語とか。

★ どちらにしても、感覚で勝負!ですね。

☆ いや まあ もろに心(腹)と言葉とが違う場合というのは ふつ
うに ウソ・イツハリですよ。へそ曲がり語です。腹黒語。

お礼日時:2019/05/06 14:15

依存。


ここで使われた“依存”という言葉には、いろんな思いが入っているのではないでしょうか。

《そのもの、そのことが気になって、無視できず、矯めつ眇めつし、思索しながら、言葉をえらび、疑問が出れば質問し、答えが出れば回答したくなる》

こんなに沢山の意味が込められているのかも知れません。
そこで、こうした表現方法に名称?を付けてみました。

「複眼語」と。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 依存。
ここで使われた“依存”という言葉には、いろんな思いが入っている
のではないでしょうか。
☆ でも 《依存》ですよ? と言いたい気持ちが現われますが
そこは 抑えまして。


★ 《そのもの、そのことが気になって、無視できず、矯めつ眇め
つし、思索しながら、言葉をえらび、疑問が出れば質問し、答えが
出れば回答したくなる》
☆ ふむ。

★ ~~~~
こんなに沢山の意味が込められているのかも知れません。
そこで、こうした表現方法に名称?を付けてみました。

「複眼語」と。
~~~~
☆ 気持ちあるいはそれを少し広げてこころづもり としては 分
かるような気がします。

ただ――ただ ですね―― それは まだ言葉の表現としては 表
わされていないのではないですか?

つまり 心の内部で起きているいくつかの要素については 分かり
ました。

《とにもかくにも気になる対象があって 時間をかけて いろんな
角度から眺めているし それを捉えようとしている。分かったと思
えるところと しかもその部分と密接に絡み合っていながら なお
分からないなぁと思う部分がある。これを そのつど必要と思えば
問いかけてみる。》

でしょ? 
《複眼》で捉えようとしていることも分かりました。

ただし 《依存》という言葉ですよ? なぜ?
自由に気になり 自由に思索をしているんぢゃないのですか?

――とは思うんですけどねぇ。

お礼日時:2019/05/06 08:13

お三方のやり取りを見て、思いつくことがありました。



表現方法に、図・音・形、あるいは動、とある思います。
図は絵のこと。音はミュージック。形は踊り。

加えて言葉、が。
言葉には、小説・詩があり、また随筆や論文と云ったスタイルも。

さて、ここではどんな“方法”と云えるでしょう。
私は今は、模索中と云ったところです。

また、ここで使われた依存とは、キャラウェイさんが使った“気になる”という事だと思いました。
私も、気になる人の質問や回答は見てしまいますし、こうして回答?もしてしまいます。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ~~~~~~
表現方法に、図・音・形、あるいは動、とある思います。
・・・
加えて言葉、が。
言葉には、小説・詩があり、また随筆や論文と云ったスタイルも。

さて、ここではどんな“方法”と云えるでしょう。
私は今は、模索中と云ったところです。
~~~~~~~~
☆ その際に ひとつの見取り図として・言葉にかんして:

・ 《わたくし》のあやまち得る自由な普段の生活に用いている
 スサノヲ人間語と
・ 《おほやけ》のあやまち得ない余所行きのアマテラス普遍語
 (非倫理としての科学語および倫理を交える人格語)

があると捉えます。という問題をいまも質問に掲げて問うていま
す。




★ また、ここで使われた依存とは、キャラウェイさんが使った
“気になる”という事だと思いました。
★ 私も、気になる人の質問や回答は見てしまいますし、こうし
て回答?もしてしまいます。

☆ ううーん。いつも反対のことばかり返してくると思われるで
しょうが 《依存》とはまるで無縁な――能天気な――ぶらじゅ
ろーぬであっても 《気になる》ことはありますよ。

このカテで気にならない質問は スルーしますし 気になっても
回答を持ち合わせていないと思えばやはりパスしますが 気にな
れば 動き出します。回答しようとします。

お礼日時:2019/05/06 08:00

#6のお礼に



ブラジュさんは言葉をもとにして考え思考を組み立てておられます。d_y_nさんは言葉を介さずにダイレクトに思考しておられます。そこの違いかと思いますが、私もよくわかりません。私自身、普段は、言葉の力を信じるほうなので、ブラジュさん寄りです。
ただ私の場合、少し不思議な思考回路もありまして。自分でも説明つかないのですが、自然に何かが私の中で思考していると感じる場合があります。それがd_y_nさんの言われることもわかるかもしれない理由です。
人間はお互いわかりあえない生き物です。だから孤独です。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます

★ ブラジュさんは言葉をもとにして考え思考を組み立てておられます。
d_y_nさんは言葉を介さずにダイレクトに思考しておられます。そこ
の違いかと思いますが、私もよくわかりません。
☆ ?????



★ 言葉を介さずにダイレクトに思考して
☆ というのは つまり 少なくともこのQ&Aの場でのように対面では
ない場合のやり取りにおいては 相手の表現した言葉を受け取って そ
のあと《その言葉にこだわらずに 自分の中で思考をおこなう》といっ
た意味ではないですか?

つまり そのおこなった思考は やはり言葉で表現されて来るのが ふ
つうです。

それが ただし d_y_nさんの場合は 紡ぎ出された言葉が わたし
には 読み取れないというわけです。そういう問題だと思います。



★ 私自身、普段は、言葉の力を信じるほうなので、ブラジュさん寄り
です。

★ ただ私の場合、少し不思議な思考回路もありまして。自分でも説明
つかないのですが、自然に何かが私の中で思考していると感じる場合が
あります。それがd_y_nさんの言われることもわかるかもしれない理由
です。

☆ それは いいんぢゃないですか。台所(または楽屋)事情のような
ものではないですか。

ですから 出て来た料理や演技のほうを見て こたえを返せばよい。

ところが 出て来た料理も演技も その中身が――実際には 言葉のこ
とですが――読み取りづらい。――ただ そういう問題だと思います。


★ 人間はお互いわかりあえない生き物です。だから孤独です。
☆ 孤独は 孤立とは違います。孤独ゆえに意志疎通をおこない その
コミュニケーションについては 互いに分かり合えるように努力します。

お礼日時:2019/05/05 22:13

この質問は主語が抜けています。

「私のほとばしる痴性は どこから湧き出るのか?」ではないでしょうか。

そういう質問なら私はこう答えます「それはあなたの痴性からですw」
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この回答へのお礼

また 意味不明です。――ご回答をありがとうございます。

★ 「私のほとばしる痴性は どこから湧き出るのか?」
☆ という表現にしても その《私》は 一般的に人のことを指して
言っているんです。

だから その人を特定しないで:
☆☆ ほとばしる痴性は どこから湧き出るのか?
☆ と表現した場合と 何も変わりません。



○ 「私のほとばしる痴性は どこから湧き出るのか?」
★ 「それはあなたの痴性からですw」
☆ 何のこっちゃ!?

お礼日時:2019/05/05 22:00

ほとばしる痴性とは、自分を無意識に絶対的に正しいとして、他者の意見を受け入れない魂から発信される感情をともなう声、発言、であると思います。



私はつい最近、そういう人と話をしましたが、一生懸命考えて答えようとしたのに、聞く耳をもたない。スローガン的に自分の主張を繰り返すだけで埒があかない。
自分がこういう発言をしたらどう受け取られるか、想像すらできない。人の気持ちがわからない。会話にならない。
そんなことだったと思います。

口をさしはさむようで、すみませんが、
d_y_nさんの依存、わかりますよ。やっぱりなって感じです。
正直、素直ですよ。気になるんだと思います。ブラジュさんのことが。
ブラジュさんはご自分で能天気だと言われてますよね。
ブラジュさんのそんなとこ、イライラしながら、いつも見てるんですよ、彼は。
期待してないけど依存している。私もそういうとこ、ありますから。ちなみに。
d_y_nさんは今後、気にしないように。
依存!いいじゃないですか!
人間は誰しも依存して、依存されて生きていくものです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ ほとばしる痴性とは、自分を無意識に絶対的に正しいとして、他者の
意見を受け入れない魂から発信される感情をともなう声、発言、であると
思います。
☆ なるほど。分かりやすいですね。

それでももし いぢわるになるとすれば:
★ 自分を無意識に絶対的に正しいとして、他者の意見を受け入れない魂
☆ これが どうして出来てくるのか? は どうでしょう?

わたしもよく分からないのですが 趣旨説明として三つの事柄を挙げてみ
ています。


★ 私はつい最近、そういう人と話をしましたが、一生懸命考えて答えよ
うとしたのに、聞く耳をもたない。スローガン的に自分の主張を繰り返す
だけで埒があかない。
自分がこういう発言をしたらどう受け取られるか、想像すらできない。人
の気持ちがわからない。会話にならない。
そんなことだったと思います。
☆ 多くはないと思いますが ときどきいますね。はっきりといると言っ
てよいようです。

そこで では どういうことからそういう魂が生まれてしまうのか?


★ d_y_nさんの依存、わかりますよ。やっぱりなって感じです。
正直、素直ですよ。気になるんだと思います。ブラジュさんのことが。
☆ ううーん。わたしの心のどこかを掠(かす)めて行っているようなん
ですが それが 何であるか? は まだはっきりしません。


★ ブラジュさんはご自分で能天気だと言われてますよね。
☆ はい。

★ ブラジュさんのそんなとこ、イライラしながら、いつも見てるんです
よ、彼は。
☆ まだ その中身はわたしに明らかではありませんが もしそうだとし
て わたしにどうしろと言っていますか? よかったら おしえてくださ
い。


★ 期待してないけど依存している。私もそういうとこ、ありますから。
☆ そうなんですか。

ずいぶんの歳になりますが そういうふうに言われたことはないですね。
だから なお分からないでいます。

★ ちなみに。
d_y_nさんは今後、気にしないように。
依存!いいじゃないですか!
人間は誰しも依存して、依存されて生きていくものです。
☆ なるほど。ここは なるほどです。つまり 対象がわたしであっても
この場合わたしには何かをすることはないようだとは 分かります。どう
することも出来ないような問題なのであろうと。

お礼日時:2019/05/05 20:33

人間には、善と悪が潜んでいます。


その悪によって、心が支配されそうになった
時に打ち勝つことできず、負けて心がポキっと
折れてしまった時に痴性が湧きおこります。
まぁ人間は自分の内なら部分にある弱き心には
打ち勝つことはなかなかできないものですよね。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 人間には、善と悪が潜んでいます。
☆ そうでしょうか?

道徳論は好みませんが 善悪観というならば 生きるということの善があって 
あとは――悪というものが あたかも対等な対立物としてのように存在するの
ではなく そうではなく―― ただこの善をふと逸れる・そのウソ・イツハリ
があるだけだと考えています。

善の損傷つまりその行為と結果状態とが 負の善としてあり これがわづかに
ひと言で悪とよばれる。に過ぎないと。

そう言ったうえで:
★ 人間には、善と悪が潜んでいます。
☆ というお話にしたがってまいります。


★ その悪によって、心が支配されそうになった
☆ のではなく そうではなく 善が――ふつうに自然の心が――ふと曲がる
のです。ふと道草を喰って行こうというゆとりのような余分なる《道から逸れ
ること》が起きるのだと。



★ 時に打ち勝つことできず、負けて心がポキっと折れてしまった
☆ ここまではまだ 道草を喰う程度の逸れ(外れ)でしょう。

ところが その変なゆとり感に味を占めたからなのか 《再犯行為》にいどみ
ます。そうした結果の積み重ねの中に 積極的に心の曲げを敢行するところの:
★ 時に痴性が湧きおこります。
☆ とわたしも思います。



問題は ふつう人は そういう自分から進んでするウソ・イツハリとしての心
の逸れ(曲げ)について 反省しますし たとえやめられないでいるとしても
それを指摘されたら――哲学の対話では 指摘されないほうがおかしい――容
易にこれをみとめ つつしむものです。

ですから この質問の趣旨は そこでなお 尽きせぬ痴性のごとくなお心の・
へその曲がった状態がどうして湧き出て来るのか? これです。



★ まぁ人間は自分の内なる部分にある弱き心には
打ち勝つことはなかなかできないものですよね。
☆ ただし 恥ぢがあります。恥ぢを打ち破って なお心を逸れ・へそを曲げ
続けるという心は いったいなにゆえか?

これが 不思議でなりません。

お礼日時:2019/05/05 11:29

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