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アベンジャーズ エンドゲームで、マインドストーンを入手するには愛する人を失う必要があるとのことで、ブラックウィドウを失ったホークアイがストーンを入手したわけですが、あれって何だか腑に落ちない設定じゃありませんか?

確かに、あの二人には壮絶な過去があり、愛情の一言では済まないほどの固い絆で結ばれているのだろうとは思います。
「大切な人と引き換えに」というなら分かりますが、「愛する人と引き換えに」というなら、ホークアイはブラックウィドウだけ失ったのではストーンは入手できないはずだと思います。
だって、ホークアイには愛する家族があるのに、ブラックウィドウも愛してるって、ただの二股じゃないですか。
愛するナターシャを失ってストーンを手に入れたけど、愛する家族が残ってるって、変だと思います。
(あの時点では、家族も失った状態であることは置いておいて。)

片やブラックウィドウは、つい最近までハルク狙いだったはずなのに、ホークアイが愛する人って何よ?って感じです。
まあ、ハルクに振られてまたクリント狙いに戻ったというなら、クリントが死んでマインドストーン入手!というならギリギリ分からないでもありませんが、死んだのはブラックウィドウです。
闘いが終わり、「愛する」家族のもとに戻っていくホークアイのシーンは、何だか興醒めでした。

いろいろレビューを見てみたのですが、あの設定を私のように批判的に見たという人がいないようなので、ここで質問してみました。
皆さんは、あの設定を好意的に受け入れられたのですか?

A 回答 (3件)

愛する仲間・共に闘って来た信頼出来る愛する戦友、家族愛という解釈が出来るのではないでしょうか。


互いに自分が犠牲になって相手を生かそうとしていました。広義において愛がなければ出来ない行動では?
エンドゲームは、仲間・友情・信頼・家族愛・自己犠牲・目的必達が含まれている映画だと思います。
ブラックウィドウ、ホークアイにとってアヴェンジャーズの仲間は、家族と同等の信頼の置ける愛する仲間だったと思いました。
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マインドストーンでなくソウルストーンですね。

惑星ヴォーミアで死ななければならない愛する人は広義の意味で、恋人じゃなくても良いという設定だと思います。サノスもインフィニティーウォーで養女であるガモーラを失ってソウルストーンを手に入れてますからね。質問者さんがおっしゃる通り二人は壮絶な過去があり固い絆で結ばれているので、ストーンが手に入ったのではないでしょうか。
参考→https://movie-best.com/avengers-endgame/
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英語のloveと、質問者さんが考える日本語の「愛する」が、だいぶ違うのかも。



また、ブラック・ウィドウの家族は俺達だ、とキャプテンが言う台詞がありました。最近のアメリカ映画では血は繋がってなくても仲間をfamilyだと呼ぶ物が多いです(更に異なる人種も入れて多様性を謳うのはトランプ政権など不寛容な社会への批判もあるのでしょう)。大事なfamilyの一員を失うことは、マインドストーンの条件に足ると私は思いました。
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