1. いくつかありえたのでしょうが もっともふさわしい手段というのは:
○ 神が 人間となって 人間として(ということは人びとに決してその生前に
は 神であることを悟られずに 人間として)去っていくこと
だったのではないか。
2. この命題について問います。但し書きをしるして その次に趣旨を説明しま
す。
① タトへ(あるいは 仮説法)による議論です。
② この命題は 論理を問題にしていると言わざるを得ないかも知れません。
③ 神とは 超自然・超経験として人知を超えたところの場ないしチカラを言い
ます。
3. さて 《人間として》というのは たとえばイエスの弟子たちも 最後には
全員かれを裏切ったという事態に現われます。イエスが逮捕されたときかれを去っ
て逃げた。
3-1. あるいは はりつけになったイエスはその脇腹を槍で突くと 血が出た
ということ。そして実際に死を死んだということなどです。
4. 《人間として》でなければ――つまり 神として十字架上で奇蹟を起こした
なら 話は別だという意味ですが 人間としてでなければ―― わたしたち人間の
生活上の尽力が 到底 最終の目的に達することなど出来ないとわたしたちが思っ
てしまう。
4-1. 言いかえると キリストなる神として奇蹟を起こしたのなら 神だから
そう出来るのだ われわれ人間には関係ないことだと言っておしまいになる。
5. しかも 《神が肉となった人間として》でなければ――単なる人間としてだ
けではなく キリストなる神の子であり自身が神である存在が人間となった者とし
てでなければ―― 人に見させる光は ただの人間の能力としての理性や感性の光
にとどまってしまう。
5-1. 広い意味の芸術および科学の光――アマテラス普遍語(科学語および感
性をふくめた人格語)による認識――になってしまう。
5-2. 逆に言いかえると 神は 人間の《身体=精神》やその能力やそれを発
揮した成果なのではないと かさねて 知らせる必要があった。
5-3. 人間のかんがえる啓蒙の光は 闇を照らすことは出来るが この闇を晴
らすことは出来ない。
5-4. その闇は 人間が自分で――その自由意志で――つくったものなのだか
ら。
5-5. つまり 人間が この世界について自分たちの知性の光で考えに考えた
成果を手にして ほんのちょっとそのときヘソを曲げスケベ心を出してしまったと
きの仲間への――ダマシとしての――裏切りによって 陰という陰を自分のものと
して帯びてしまった結果出来たものだ。
5-6. やがて 悪貨が良貨を駆逐するの喩えのごとく芋づる式に人びとをその
陰(または 寄らば大樹の陰)へといざなって作ってしまったその大きな闇なのだ
から。
5-7. 《ブッダターの光にて一隅を照らす》こともいいが 闇を晴らすことが
できるかの問題なのだ。
☆ 以上の趣旨説明にて 初めの命題を問います。
念のために言えばこれは 哲学です。よろしくどうぞ。
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№4つづき
★ 神が神であることを悟られずに去って行っては、何のために人間とな
ってやってきたの?
☆ 《悟られた》かも知れませんが 光はまだ見えなかったはずです。
★ それとも、人間としての行動には神であるが故に、凡人ではない“何か”
があると云う事なのでしょうか。
☆ ここは 複雑です。経験合理性にもとづく哲学を超えています。
私見をのべます。イエスが出るまでは キリスト・イエスという《神が人
間となった存在》は 表現されなかったわけです。また 人間の言葉で表
現されたら それが 真理が実現した現実であるとは限りません。
十字架上に去って行ったら そのあと――光が人に見えるようになり――
その虚構つまり大嘘でもありうる表現は ひょっとして(霊性として)人
間と世界にとって おおいなる現実であると分かるようになる。
・・・というかたちが 採用されている。のだと見ます。
№4関連で イエスが生前に神の子だとは知られなかったという問題をめぐって
次の事情によると説明されます。
▼ (出エジプト記 33:21-23) ~~~~
21: 更に、主は言われた。
「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。
あなたはその岩のそばに立ちなさい。
22: わが栄光が通り過ぎるとき、
わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、
わたしが通り過ぎるまで、
わたしの手であなたを覆う。
23: わたしが手を離すとき、
あなたはわたしの後ろを見るが、
わたしの顔は見えない。」
~~~~
☆ モーセのときの記事ですが これによる説明です。:
生前のイエスについては 弟子たちの目は覆われており イエスの正体が分から
なかった。死後やっと キリストの背面を見ることが出来た。《顔――真理その
もの――》は 見えない。
№11つづき
つまり イエスないし聖書の考えでは:
★ 突き詰めると そこまで致死量を越えさせてまで縦のものを横にし
ないと気が済まない考え方
☆ は 出て来ない・・・のでは?
★ 平和の実現
☆ については
★ 闇から光を見るということ
☆ というかたち(内容)として捉えることは イエスの指し示すとこ
ろではないと思います。
《闇の中に光を見る・または闇を照らす光》という主題は イエスには
――それを否定するのではないけれど――ないはずです。そうではなく
《闇を晴らす光〔を人びとがあびる〕》というのが その心であるとわ
たしは 受け取っていますから。
趣旨説明をおぎないます。
補足説明の上から二番目に書き込みました《出エジプト記》の一節は 重要
であると思っています。
そこから次が 帰結されます。
○ 《闇を照らす光を見る または そのような思いやりに満ちた光に自分
が成る》という問題ではなく 《闇を晴らす光を人間が見ることができた》
というのは その真理の光をそのまま見たというのではなく その光のうし
ろ姿を見た》という意味である。
☆ キリスト・イエスなる人間の《神の子キリスト》の部分 これをそのま
ま見たのではなく その背面を見た・・・というかたちになる。ということ
です。
十字架上に去って行ったイエスのまさにその死のあと このキリスト・イエ
スなる存在のうしろ姿を見ることができた。こういう意味です。
それが めぐみであり 元気印の力強さがあります。
《神なる真理の光 - 人間の真実の光》といった二層構造です。