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明治時代の尋常小学校は学年に色んな年齢の人が混じっていたと言うのは本当ですか?

A 回答 (4件)

今でも、過疎地では複式学級だよ。

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昔は、小学校から、義務教育ではなく、寺子屋に毛が生えた様な、もので、先生も少なく、教育機会の無かった、魚屋の親父とかも混じった、可能性も有ります。


又、履修学年の違う生徒も、同一教師が教えるのは、極く、一般的でしたよ。
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1947年の学制改革まで、開始年齢も就学期間も規定されていませんでしたから、年齢の違う生徒がいるのは普通のことでした。

家庭の事情や本人の身体的な事情を優先しても良かったのです。
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明治時代の教育は、4年間の義務教育期間が定められていましたが、


経済的理由などにより就学が困難だった子供もいました。
そのため、1年就学が遅れたり、途中で就学できなくなって、翌年から再就学する生徒が、
いなかったわけではありませんが、実際はごくわずかで、ほとんどは通うのをやめたままでした。
つまりは、制度上は通学可能であっても、実際は年齢の違う生徒が混じることは稀でした。
多くの生徒は、そのまま仕事に就いたのです。勿論、義務教育を受けさせなかったからと言って、
親が処罰されることもありませんでした。特に、女子は、その傾向が強かったようです。

大正デモクラシーの時代、地方でも教育熱が盛りあがり、
義務教育の就学率が80%を超えていたと言われています。
この時代には、学年の中には違う年齢の生徒は。ほとんどいませんでした。
質問者の方がどのようなイメージで明治時代の尋常小学校をとらえているのかは分かりませんが、
5歳も10歳も離れた子供が同じ教室で学ぶことは明治時代でもありませんでした。
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