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ちょんまげの髪型ってそもそも、誰が考えたんでしょうか?それでなぜみんながやるようになったのですか?あとちょんまげをやめようという事になったのはいつごろなんでしょうか?よろしくおねがいします。

A 回答 (5件)

 いわるる丁髷(ちょんまげ)の起源は、平安末までさかのぼる。

丁髷は月代(さかやき)をして結う。月代は頭の中央まで丸く剃るか、または抜いて落とす。元々、兜(かぶと)をかぶった時、頭が蒸れてのぼせ上がるのを防ぐために起こったという。始めは合戦の時だけ剃った。しかし、室町時代になると、烏帽子(えぼし)が捨てられ、これまでのたぶき(俗にいう茶筅(ちゃせん)髪)に代わって、武士はもちろん、庶民の間でも行われ始めた。応仁の乱後は月代も次第に大きくなった。また、髪にも変化をつけ、年齢に応じても、形に差があらわれた。装飾としての意味が大きくなったのである。

 江戸時代には青年になると、それまでの前髪をやめて、武士も庶民も丁髷を結った。髪の大きさや形は、身分によって差があった。髪の薄い人は入れ髪をし、禿げた人はカツラをかぶって体裁をととのえた。のりではりつけるだけの簡単なカツラもあったようである。

 1871(明治4)年9月23日、『散髪勝手たるべし』の布告が出てから、ちょんまげを結う人は次第に無くなった。
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江戸時代には髪型、服装、履き物で身分を判断しました。


それぞれに定めがあって逸脱をゆるされませんでした。  いわゆるヤクザとか渡世人はマゲを中央から外して法の外を表したと言います。
女性でも髪型で未婚既婚の区別、職業、身分を表現しました。  封建制度はこんな事まで規制したのです。
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発祥に関しては下記のURLをご覧ください。

日本の男子の髪型の変遷をまとめたものです。

ちなみにこの資料によると、江戸時代の「ちょんまげ」という言葉と現代の「ちょんまげ」とでは、言葉の意味が違って使われていることが分かります。

ちなみにちょんまげを結うのを止めたのは江戸末期から明治維新のことです。日本を近代化する為一環として、明治政府がまげ結いを法律で禁止したことにより、それは決定的となりました。

参考URL:http://www.cosmo.ne.jp/~barber/kamigata.html
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ちょんまげは、兜と頭に隙間を作る(暑いので、熱くもあるかもしれない。

)ためというのを聞いたことがあります。出典は忘れました。

ちょんまげをやめることになったのは、明治で、文明人扱いを受けるためという理由だったようです。
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髷自体は相当古いみたいですよね。


古代の左右に髷を結うのは理由はよくわかりませんが、武士の髷の形状は兜を固定するためだった様です。<情報源が不明で申し訳ないですが・・(--;

髷を禁止したのは明治初頭(5年?)の髷の禁止令からの様です。
その後廃刀令(9年)に出ており、明治維新の一環ということだと思います。
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