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ブミプトラ政策は冷戦みたいなものですか。

質問者からの補足コメント

  • ありがとうございます。
    イギリスはマレーシアに支援しているのに二国間で緊張が起きているのはなぜですか?
    マレーシアにいるインド系、中国系の方々とマレー系の方々の対立は大きくありませんか?

      補足日時:2021/01/15 16:56
  • すいません、見返したらわかりました。次から諦めず読むようにします。
    イギリスはマレーシアの子離れが嫌なのですね?

      補足日時:2021/01/15 16:59
  • 訂正します、親離れです。

      補足日時:2021/01/15 16:59

A 回答 (2件)

小野沢 純著 マレーシア研究 第1号(2012 年)2 【論 説】 ブミプトラ政策 多民族国家マレーシアの開発ジレンマ によれば、



 プラプトラ政策は、1950 年代初めにダト・オン(Dato’ Onn Ja’afar)統一マレー人国民組織(United Malays National Organization:UMNO)初代総裁が英政庁に農村・工業開発庁(Rural Industrial Development Authority:RIDA)を設置させたことから始まる。

 そしてその後、1971 年からは、新経済政策(NEP:New Economic Policy)として、本格的に動き出したもので、その狙いは民族別に経済機能が分化している構造を再編することによって、経済的な不均衡を是正するという「社会の再編成」(restructuring Malaysian society)にあり、植民地支配の遺産である各民族別に仕切られた社会構造(economic compartmentalization)を再編成することを目的として為されたものであった。

 さらにその後は、。1980 年代末から 10 年間連続した 9%台の高度成長によって、経済構造は新工業国へと変貌し、ブミプトラの経済的地位向上したにも拘わらず、。民営化政策がブミプトラ企業の育成という本来の意図とは違う方向に向かい、とくにブミプトラ株式資本の売却によるキャピタルゲインが主導した時代を迎え、2009年のリーマンショック以後は、ナジブ政権はブミプトラ政策の見直しを部分的に実行している政策のことを示している。

 従って、どの時代のプラプトラ政策かにより、イギリスの対マレーシアに対する冷戦とみなすことが適当であるか否かが変わる。

 特に本質問では恐らく、イギリスの対マレーシア開発援助政策のことを示していると思われるが、それすら、2国間の大きな変貌がみられる。

 すなわち、佐藤 滋著 ヨーロッパ文化史研究 冷戦下イギリスの対マレーシア経済・軍事援助政策の展開によれば

 元々は、ゴム・錫等の原材料供給基地として,また,重要な外貨獲得先として長期にわたって従属的な関係に置いていたイギリスが、戦後も,マレーシアに対して政治・経済両面にわたる影響力確保に務めるために始めたものだったが、イギリスから多額の援助を引き出しつつ自国の発展にそれを大いに利用した結果、1960 年代~70 年代をには、翻弄されたイギリスの影響力は顕著に失われていった事実がある。
 これは、これは一つには,経済開発計画の策定を通じてマレーシアが「財政資源動員」の重要性を認識し,イギリスの開発援助が数ある財政資源の一つに位置づけられた一方で、経済開発計画が経済構造の「多様化」を創出し,援助の使い道に幅が生じたことで,イギリスの影響力が弱められていったということにあるらしい。つまり、開発援助の入り口と出口の双方においての「多様化」が,開発援助を巡る政治過程において,レシピエント側であるマレーシアの自律性を強めていったからとの見方によるものとも考えられ、説明されている。
 その結果、この間になされたイギリスからの特別援助は、マレーシア,シンガポールに提供された巨額かつ無利子のプロジェクト・ローンという冷戦下に於けるイギリスの開発援助政策が、結果、レシピエントに自律的な経済力をつけたので、冷戦時代のイギリスからの支配的な力が功を奏さなくなり、縮小という形で現在、一つの区切りが付いたものと思われる。

 故に、「冷戦」とは,あくまで西欧列強を中心とした時代区分であって,それと引き換えに武力を買わされ、「熱い戦争」に巻き込まれ、「開発援助」という名の下に展開した経済援助と軍事との複雑な関係との静かな内部的な抗争の結果のある側面であることを忘れてはならない。
 さらに見方を変えれば、イギリスは5~6割の支援をした結果、影響力を失ったことを考えると、政策効果による冷戦は、イギリス事態にあったともいえるからだ。
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この回答へのお礼

ありがとう

ありがとうございます

お礼日時:2021/01/15 17:10

# コメントの補足



 イギリスはマレーシアの子離れが嫌 というより、結果、利用され、翻弄され、自立されたということみたいですね。
 尚、複雑な関係にありますが、今、コロナ禍では、イギリスも援助が大変で、そこにインド系や中国系の影響もあるので、そことの別の軋轢もあり、香港みたいなもので、子離れというより、援助効果も検討するのは、どこの国であっても同じ事だと思います。
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