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日本の映画における俳優たちの演技・・・というかセリフの言い方が不自然なため、見る気がしません。不自然だと感じるポイントは例えば下記です。

・我々が日常生活では使わないような言い回し、表現、語尾などが多用されている。
・(複数人が出ている場面などで)セリフが一切ぶつかることがなく、テンポよく、順番に喋っていく。
・喋り方、言い回し、間の取り方などが画一的で、どの作品でも誰が演じても大体同じ。

要するに、劇団の舞台の「声が小さくなったバージョン」というか、「お芝居をしてます」感がプンプン漂ってきて、それが不自然に感じられて、見る気がなくなるのです。

まあ、それに関しては「嫌なら見なけりゃいい」で済む話ですが、ふと海外の映画はどうなんだろう?と思ったわけです。私は海外の映画は(韓国映画なども含めて)普通に楽しめますが、それは単に私がその言語のネイティブじゃないから演技やセリフの不自然さに気づいていないだけなのでしょうか? それとも、欧米や韓国の映画は、日本よりはマシ(より自然な演技やセリフ)になっているのでしょうか?

そのあたりご存知の方がいらっしゃれば教えていただければ幸いです。

なお、質問の回答ではない批判や説教の類はご遠慮ください。

A 回答 (10件)

具体的な作品名を挙げていただいたほうが、より的確にご説明できるとは思いますが、古今東西、芝居っけを好む製作者/ファンと、リアリズムを好む製作者/ファンとがいます。



例えば日本の映画監督の中でも、犬童一心や是枝裕和は、比較的、自然な表現を好む監督だという印象が私にはあります。そして、そんな犬童監督作品を例にとっても、例えば『メゾン・ド・ヒミコ』の中で、大勢が食卓を囲むシーンがあります。DVDのコメンタリーによると、その食卓を囲んでいる役者の中に一人だけ素人がいるのです(とても面白い役どころです)。リアリティを出すためにこの素人を起用したそうです。しかし素人なので、本気で食事をしていて、よく見ると、カメラの邪魔になっているのです。素人がたった一人なので、それでも成り立つのですが、これを全員がやったら、ただの見づらい映画になってしまいます。

そんなわけで、リアリティを追求したくても、追求しすぎるとつまらないものになってしまうリスクもあるわけです。特に、会話中心の、いわゆる“会話劇”ともなると、輸出した際に、国外の人たちが字幕を読むのに苦労したり、話し声が重なると、字幕に落としきれなくなったりします。そんなわけで、たとえ日本語ではない映画にそういうものがあったとしても、あまり日本などの“国外”には入ってきません。

それでも、ロバート・アルトマンなどは、リアリティを追求した作品をいくつか出しています。『ショート・カッツ』などはその典型です。

また、セリフがぶつかるシーンで、私がたまたま思い出したのは、やはり海外作品の『ゆりかごを揺らす手』です。4人で外食している席で、4人ともがワチャワチャしゃべっていて、その間にジュリアン・ムーア演じる役柄がずっと何かを思い出そうとしていて、最終的に「あ、思い出した。ゆりかごを揺らす手こそが・・・」と諺を思い出すところで、その台詞だけに焦点が当たって、効果的に物語の伏線を描いています。

英語圏の映画で会話自体がリアルな現代劇は例えば『フランシス・ハ』や『レディ・バード』。ホラー映画でもよろしければ『ブレア・ウィッチ』はあまりにも台詞が自然で、あの恐怖体験がドキュメンタリーなのかと思われて物議を醸しました。

日本映画に話を戻しますと、『桐島、部活やめるってよ』もわりと会話が自然です。それから、ネタバレになるので詳しいことは控えますが、実は『カメラを止めるな!』は、このご質問のテーマに沿っているからこそ面白いのです。

繰り返しになりますが、具体的に、どの作品のどのシーンに違和感を覚えたのか教えていただけますと、より的確なご案内ができるかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

確かに、字幕のことを考えると、国内・海外問わずセリフ割りをしっかりする必要はありますね。ただ、すべてのセリフをそうしなくても・・・とは思います。

「カメラを止めるな!」は見ました。作品として楽しめたかどうかはさておき、ああいったコメディ・タッチの作品だけはわざとらしい演技やセリフがあまり気にならない唯一のジャンルかもしれません。そういうジャンルの作品にはあまり自然さやリアルさを求めていないせいでしょうか。

個人的な印象では、日本の映画はテレビドラマの延長線上みたいな感じで、キャスティングはテレビドラマやCMやバラエティ番組などで見飽きた顔ばかり、脚本(物語)は安っぽくて調子のいい展開、演技やセリフはわざとらしい、特殊効果などの制作費はかかってなさそう、という感じで見る気がなくなるんじゃないかと思います。

もちろん、それは私が一部の作品しか見てないからそう感じるのでしょうし、海外作品でそういう映画があっても気づかずに見てるだけかもしれませんが・・・。

お礼日時:2022/01/20 08:40

#9にいただいたレスポンスを拝見しました。



ちなみに、「カメラを止めるな!」に関しては(以下、ネタバレ)・・・

冒頭で演技が不自然だったのには実は理由があった、というのが、やがて自然な演技(家庭やスタジオの場面)に移ることでわかる、という点が面白いと思った次第です。

>個人的な印象では、日本の映画はテレビドラマの延長線上みたいな感じで、キャスティングはテレビドラマやCMやバラエティ番組などで見飽きた顔ばかり

それは私に言わせれば、完全にごく一部の作品しかご覧になっていないという印象があります。そういう映画は国を問わず存在します。

ちなみに、テレビドラマの中でも例えば「架空OL日記」などはリアリティを追求していると感じるのですがいかがでしょうね。
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この回答へのお礼

おっしゃるとおりかもしれません。私の好みのジャンルがアクション、サスペンス、ホラーといった系統なので、邦画でその手の映画となると、テレビ局と癒着した金儲けメインの作品が多いのかも(笑)。

「架空OL日記」というのは機会があればチェックしてみようと思います。

と言いつつ、洋画や韓国映画でWOWOWで録画したまま見れていないのが数百本溜まってしまっているので、なかなか日本の映画やテレビドラマを見る気になれないんですよね~。何度も裏切られた経験から・・・。

音楽なら、とりあえず「ながら聴き」して、良さそうな感じだったら、ちゃんと作品と向き合って聴く、ということができますが、映像作品の場合は「ながら」が(私にとっては)不可能で、作品が大丈夫そうかダメそうかを判断するのに30分~45分ぐらいはじっくり見ないといけないわけで(そこで判断してしまうのも早すぎるのかもしれませんが)、邦画の場合はダメだった経験の方が圧倒的に多いため、あらかじめその危険を回避するため「見るのはやめておこう」になってしまうんだと思います。

WOWOWでは海外の単発テレビドラマも「映画」として放送していますが、30分ぐらい見て「なんか物語の展開が安っぽいから見るのやめよう」と思うのは大抵テレビドラマだと思います。そのあたり、海外の場合はテレビドラマと映画本編のクオリティの差がはっきりあるように感じるのですが、日本の場合は映画を見ても「テレビドラマみたいに安っぽいな」と感じることが多かったです。もちろん、おっしゃるとおり、それは私が一部の邦画しか見てないせいだとは思いますが・・・。

お礼日時:2022/01/20 22:50

No.2-7 です。


回答確認時のエラーが頻発したため、重複回答になってしまいました。
大変失礼しました。
不要な分は削除ください。
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私の意見は「『一般論』と『個別評価』を分けたほうが良いかな」です。



一般論としては、日本のドラマ・映画の多くにただの『怒鳴りあい』がおおいなぁ、と感じていることを上げたいです。
アクション映画でもない、ただの日常生活を描くような作品でも、葛藤のシーンは決まって怒鳴りあい。
我々の日ごろの生活で怒鳴るなんてそうあるものじゃないと思います。

話が脱線しますが、わたしは寄席が好きです。
私はプロファイルの様な在米の年寄りで、年に一度日本に行くと、必ず行くぐらいのことをもう40年以上続けています。
コロナ禍になっても日本には2度行きましたが、それぞれ行きました。

たとえば落語や講談。
ひとりで演じてますから言葉が重なることはありません。
ではそれが不自然かと言うと、それがそうでない。
特にうまい噺家さんの場合は会話のテンポがとても自然なものに感じられます。
たぶん、人間は頭の中で場面を再構成してるからじゃないかと思います。

画像が伴うテレビや映画のドラマの場合、映像があるのがむしろそれを阻害してしまうかもしれない。
でもそれは、役者・脚本家・監督なんかの表現力の問題かもしれませんね。

話題では激しい内容も、噺家さんによっては決して怒鳴るような口調にはなってないことがよくあります。
しかし、チョットした口調や言い回し、間の取り方などから激しさは伝わってきたりするものです。

役作り・脚本の工夫・監督の采配が一般論で論じられる必要があるということでしょうか。
そして、私的には、日本の作品で『これは』と感じるものには出会ってないところです。

ただ、見終わって安心できた作品はいくつもあります。
だから、完璧じゃないだけでしょうか。

では外国のはどうか。
これも私の場合はまだ『完璧』なのには出会ってません。
でも、安心できるのにはたくさん出会ってます。

どちらも『個別評価』で『いいところもある』ということでしょうか。
それで十分楽しんではいます。
なんか、お答えにはなってませんね、失礼しました。
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この回答へのお礼

ご意見ありがとうございます。邦画だけが特にダメということでもないのかもしれませんね。やはり自分が日本人だから細部まで「気づいてしまう」だけなのかも。

お礼日時:2022/01/16 11:09

結論を先に言えば、海外映画も似たりよったりです。



というか、貴方が指摘している箇所を排除した映像作品を短くてもいいので作ってみたらわかりますが、見られたものじゃありません。

> ・(複数人が出ている場面などで)セリフが一切ぶつかることがなく、テンポよく、順番に喋っていく。

現実世界では多くの人が同時に喋っている喧騒の中でも会話の相手の言葉が聞き取れます。しかし、これが映像となると聞き取りづらくなってしまいます。徳に映像作品はカットを割ったり、インサートを入れたりと映像演出が入るので、そうするとより一層聞き取るのが困難になってしまいます。相手の口元や表情といった視覚が使えなくなるからでしょうかね。

> ・我々が日常生活では使わないような言い回し、表現、語尾などが多用されている。

私達が日常生活で話している言葉は、特に日本語の場合は文章として成立してないことが多いです。普段の会話を録音して文字起こししてみればわかりますが、文章としてはかなり無茶苦茶です。
セリフは文章として書かれた言葉をしゃべるので、そういう意味では理路整然としすぎているかも知れません。
じゃあ日常会話に近づけたらどうかと言えば、おそらく不自然に聞こえると思いますし、表現を工夫しなければキャラも立ってない平坦な登場人物ばかりになってしまいます。これは意図的とも言えるし仕方がないとも言えるかもしれません。

> ・喋り方、言い回し、間の取り方などが画一的で、どの作品でも誰が演じても大体同じ。

喋り方や言い回しは上記にも通じるところですね。
間のとり方なんかは編集の問題だったりするので一概に演者の責任とはいいきれないかも。北野映画なんかだと敢えて会話のテンポを崩してきますね。

上記は邦画をベースに書きましたが、外国映画でも多くの点では共通しています。
映画は歌舞伎や舞台と同様に一種の様式美があります。無意識に観客はそれを前提に観るので、則らないと逆に映画として不自然に見えてしまうものです。逆に、新しい演出や演技というのはそれをベースにどこまではみ出るか勝負みたいな所があります。

もちろん「これは舞台じゃないんだからさぁ…」と言いたくなるような映像作品もありますけど。

これは個人的な経験に基づいてますし、念頭にどういう映画・映像作品を置いて論じるかで話が替わってきますので、あくまで一意見として参考程度に。
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この回答へのお礼

とても参考になるご意見ありがとうございます。もちろん、これまでどんな作品を見てきたか、によりますよね。私が触れてきた邦画はほとんど有名人気作品ばかりで、それらが「お芝居風演出」のため嫌気がさして、邦画を避けるようになってしまいました。

お礼日時:2022/01/16 11:05

映画には「長回し」というのがあります



古くは溝口健ニ、近年亡くなった相米慎二など
一つのシーンをカットしないで
長く撮るのを「長回し」と言います

この方法ですと
演者も感情移入しなければなりませんし
相手もその相手に反応して
演技をしなければなりませんから
当然
画面の雰囲気が違ってきます

わたしも違和感があるのは
長いセリフなどは
よく覚えたなあではなく
普通、もっとこま切れで
考えながら話すのに
理路整然と言い間違えもなく
最後まで話すのに
こんな会話はないだろうと思います

ただ
俳優を使うと
俳優のカラーがあるので
なるべく素人がいいという監督もいます

しかし
さすがに、素人を使った映画ですと
セリフがもっと台本ぽい
棒読みです

監督によっては
勝手にセリフを変えるなという人もいますし
勝手に動くなという人もいます

子役など
日本ですと
セリフがうまいのか下手なのかわかりやすいのですが
海外の映画ですと
わかりませんね

これは映画であって
フィクションである
作り事であるという前提で見なければ
なかなかむずかしい問題だと思います

ギリギリ
そう思われないように
ここまで作られていると思わなければ
映画は見られません

海外の英語ですと
この辺の判断はむずかしいですね

ジョン・ウエインでも
初期の頃は大根だったと言われていましたが
これも当時の映画を見ても
日本人でしかも素人には
むずかしいですね
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この回答へのお礼

まるっきり我々の日常会話みたいだと、たぶん作品として成り立たないでしょうから、そこまでは求めませんが、もうちょっと何とかならないものかと。

テレビドラマならまだしも、映画本編でもああいうわざとらしいお芝居風セリフ回しっていうのは・・・。

お礼日時:2022/01/14 00:03

確かに日本の俳優は、根本的にみんな同じような言い回しで、個人的なクセというものはあまり感じませんね。


普通なら、思ったことは最後まで息を継がずに言うのが本当なのに、文章と同じように、「、」で切って言うところなんて、いつも不自然だな~って思います。
滑舌も良すぎる人もいるし、滑舌がよくてそしてそれに輪をかけて早口な人もいます。セリフを全く噛んだりしないしね。

特に思うのは子役の演技です。全くアレじゃ大人が言っているような感じで、不自然だなっていつも思ってます。
「普通の子供がそんなこと言わないよ」なんてセリフはよくあるし、周囲の空気を読むような子供がよく出てきますが、周囲の空気を読む子供など実際は、いないのになぁってよく思いますね。どんな大人の会話にも割り込む事なんてまずないし、ふざけてたり、落ち着きがないのが普通なのに、ドラマに出ている子役が演じる子供って、大人び過ぎてて気持ちが悪いとさえ感じますね。勿論指導しているのは、大人の役者経験のある人なんでしょうけれど、なんで大人の演技させるんだって思います。

日本の俳優の演技には、おそらく日本人気質が影響しているんでしょう。
生真面目過ぎるから、台本どおりに話すということがまず根本にあって、噛んだらNG、朗読を棒読みじゃいけないから、話すように朗読してる的な感覚があるんでしょうね。台本に忠実過ぎるのが、かえって不自然なのかも知れませんね。ロボットみたいですね。
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この回答へのお礼

やっぱり監督のセンスなんでしょうかね。中には自然なセリフ回しを指示する監督もいそうですが、そういうのは大衆にウケないから、みんな劇団風のお芝居路線のセリフ回しになっちゃうんですかね?

お礼日時:2022/01/13 23:57

たとえば、松田聖子の歌を誰かがマネをしていたら


違和感を持つけど、知らない歌手のマネをされても
違和感の持ちようがない

知ってる花の造花は不自然に感じても、知らない花の
造花は不自然に感じられない。ということかな

小説はどうですか、楽しめないですか?
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この回答へのお礼

やっぱり日本以外の国々での日常会話のムードを肌感覚で理解してないと、ですよね。

お礼日時:2022/01/13 23:54

脚本どうりに演技しているからその様に為ると思うし監督の采配で言葉が被さらない様にしているのでは?。

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この回答へのお礼

もちろん監督の指示があるんでしょうけど、ということは監督がお決まりのパターンしか求めない=自然さやリアルさに無頓着、ということなんでしょうか。

お礼日時:2022/01/13 23:54

海外だともっと画一化しているしパターン化しているよ。


字幕とか吹替とかでしか聞けないから、直接それを感じることはないけどね。
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この回答へのお礼

海外の作品はもっとわざとらしいんですか!

お礼日時:2022/01/13 23:51

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