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イギリスの香港返還って
今のロシア・中国みてると
表には出ないような巧妙な嫌がらせの連発とかだったんでしょうかね?
それとも友好的にだったんでしょうかね?

A 回答 (4件)

鄧小平が当時の英国首相サッチャーに対して、香港を返還しなければ香港への水の供給を止めるし、場合によっては戦争も辞さないと脅しをかけたから、サッチャーはしぶしぶ返還に同意したもの。

 有名な話だ。
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水が確保できないから、渋々返還したのだけど、イギリスは条件をつけた。


でも、中国は反故にした。遣り方はロシアと同じ。
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このQ&Aサイトには知ったかぶりの嘘回答が多いが、イギリスが中華民国からなんか香港を租借していない。

 大体中華民国が建国されたのは1912年1月1日。 香港がイギリスに領有された経緯は以下の通り。 

第1次アヘン戦争の講和条約である1842年の南京条約によって、香港島が清朝からイギリスに割譲され、イギリスの永久領土となった。 

さらに、第2次アヘン戦争(アロー戦争)の講和条約である1860年の北京条約によって、九龍半島の南端が割譲され、同じくイギリスの永久領土となった。

その後、イギリス領となった2地域の緩衝地帯として大陸側の新界が注目され、1898年の展拓香港界址専条によって、イギリスによる99年間の租借が決まった。 以後、3地域はイギリスの統治下に置かれることとなった。 

すなわち、香港島と九龍は清朝から英国に割譲されており、租借ではない。 租借されていたのは新界のみ。

それにもかかわらず、鄧小平はサッチャーを脅かして、租借地であった新界だけでなく、正式にイギリスの領土となっていた香港島と九龍まで返還させた。 鉄の女と呼ばれたサッチャーも、さすがに老獪な鄧小平には敵わなかった。
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1898年に、イギリスが中華民国から、99年間の租借と言う事で


イギリスの統治下となり、99年後の1997年にイギリスは
中華人民共和国へ返還しましたから、返還されたのは既定路線です

イギリスは約束を守ったのですが、守らなかったのは中国の方です
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