プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

1. ▲ (ヰキぺ:我思う、ゆえに我あり) ~~~~~~~
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E6%80%9D …

△ § 1 解説

2. 全てについて疑うべし(De omnibus dubitandum)という方法的懐疑により、自分を含めた世界の全てが虚偽だとしても、まさにそのように疑っている意識作用が確実であるならば、そのように意識している我だけはその存在を疑い得ない。

3. 「自分は本当は存在しないのではないか?」と疑っている自分自身の存在は否定できない。

4. “自分はなぜここにあるのか”と考える事自体が自分が存在する証明である(我思う、ゆえに我あり)、とする命題である。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

5. ☆ 果たしてこの解説のようなことが ただしいと言えるのだろうか?



6. 質問者の批判は 次の批判およびその解説と見解を同じくしています。:

△ § 3  後世への影響その2 ~~~~~~~~~~~

7. アンブローズ・ビアスは『悪魔の辞典』の中で、デカルトの発言は不徹底である、

8. 厳密性を更に求めるなら cogito cogito, ergo cogito sum.(「我思うと我思う、ゆえに我ありと我思う」)というべきであろうと書いている。

9. 確かに、cogitoを論ずるときには、それが単なる「私」ではなく「考える私」もしくは「私は考える」の意味であることを忘れてはいけない。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


10. すなわち たしかに《うたがいを持ちつづけ考えつづける〈わたし〉は 実感されておりこれを意識することで確認されている》。けれども それだけである。そこまでである。

11. たとえば 《〈われあり〉と確実に言えるような――〈わたし〉の全体としての・〈わたし〉の人格としての――〈存在〉》が実感され確認され うたがいようがないと証明できたわけではない。

12. たとえば ボーッとしていても 存在はあると言えるはずである。ボーッとしてんぢゃないよ! と言えるのは 《その相手が その人としての〈わたし〉なる存在である〔とその叱責者がみとめている〕》からではないか?

13. 《もしおのおの〈わたし〉なる存在でないなら だれもその人をだますことは出来ない。バカにされ だまされるなら 〈われあり〉だ》。――ではないか? これなら 人格と存在の全体が理屈抜きで確認されているのでは? (アウグスティヌス)。

A 回答 (1件)

「我思う、故に我有り」は永遠に真実です。

自分に考える頭がないなら崩れるでしょうけど。

何かを考える、故に自分があるのですから。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。


★ 「我思う、故に我有り」は永遠に真実です。
☆ ですから 《われ思うなら 〈思うわれ〉あり》として成り立ちます。


★ 自分に考える頭がないなら崩れるでしょうけど。
☆ でも 《うたがっている・思っている・考えている》なら その限りでの《頭がある》と言えるのか。それとも その程度の《頭があるだけ》なのか? 《頭》のほかには 何もないのか?



★ 何かを考える、故に自分があるのですから。
☆ いいえ。

脳細胞をそなえるようになったヒトなる生物であり言葉を持って自己のことを《わたし》と呼ぶナラハシになった存在ゆえに: 
★ 何かを考える
☆ のです。ぎゃくではないですよ。こぶらさん。

お礼日時:2022/05/17 09:32

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!