プロが教えるわが家の防犯対策術!

40男、独身、民間会社に勤めています。

自分の人生に余裕がなくなってきたからか、昔は楽しみだった、小説を読むことや映画を見ることを楽しむことが出来ません。

皆さんは小説を読むことや映画を見ることにどのような意義を見いだしていますか?

ミステリー小説を読んで純粋に楽しむ、純文学を読んで人生を深める、そういったことが出来なくなった自分は心が病んでいるのでしょうか。。。

ノンフィクションの映画や本などは社会勉強になるはずなのに、、、
どうせ自分の人生をかえてくれるわけではないよな、”時間の消費”だよな、と思ってしまう自分が残念です。。。。

教養というものと実務に役に立つ知識は全く別の物として関わっていかないといけないのに
実務にやくにたたないもの(私の場合では会社で評価されること)は無駄だと切り捨ててしまうと、会社辞めた後は何も残らないつまらない人間になってしまいそうです。

皆さんは小説や映画とどのようにかかわっていますか。ご意見いただければと思います。

A 回答 (7件)

確かに、ノンフィクションの方が手っ取り早く為になりますね、ビジネスマンの父より息子への30通の手紙にも、そのようなことが書かれていたと思います、確か、私は洋書で読んだので日本語訳と多少違ってたらすみません。



興味有る物は人それぞれなので、興味無い映画やフィクション本を無理に見る必要も無いと思います。

昔、私の上司が言ってたんですが、

「遊びはビジネスに繋がる」

という言葉を思い出しました。その言葉の解説はしてもらってないですが、私なりの解釈は、趣味や義務じゃないことこそ、新しい発想を産み、人間関係が広がり、やがてビジネスチャンスに結び付くと。

義務的なことをするというのは、言われたことをするだけの、それ以上でもそれ以下でもないことだけ。

発明や発見には遊び心が有った方がいい! って、思ったりします。偉そうなことを言ってしまったかもですが、尊敬できた昔の上司の言葉を借りました(^^)

私は映画を見る時は、子供心を思い出して、というか精神年齢が低いので、自然とフィクションも楽しめます。

洋画は英語学習や英語圏の人の考え方が分かるので為になります。「最高の人生の見つけ方」は、洋画の中でも特にお気に入りです。

邦画は、中井貴一さんの「記憶にございません!」が面白かったです。

本はフィクションも含め、洋書を中心に読んでいるので、英語学習につながってますね、それから、読書記録手帳を記入しているので、それもモチベーションになっています。

私は、今質問者さんが無理に興味ないことをするより、興味が出た時になんとなく映画見ようとか、本屋でたまたま見かけたから読んでみよう!というふんわりしたキッカケで読まれるのも有りだと思います。

きっと質問者さんは頭良い人なんだろうなあと思います、だから僭越ながらコメントさせてもらいました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
趣味などから人間関係が広がり、ビジネスにもつながる、というのは理解出来る気がします。会社の人間関係でも、やはり趣味が広くて話のネタが多い人の方が魅力的ですよね。

知人で会社を経営している方が、本業とは全く違う、傍から見れば遊びとしか思えないことに数十万使っていて、何でそのようなことをしているのか、聞いたところ、”話のネタになるからやっている”と仰っていました。。。

偉い人ほど周りとのコミュニケーションをとるためにどのようなことをするのか、心を遣っているんだな、と思いました。。。

自分は実務の本を読むのに精一杯なのでとてもまねできないのですが。。。

英語による海外ドラマ、などなら英語の勉強になるし、いいですよね。。。

ありがとうございました。

お礼日時:2022/07/02 21:18

純粋に、ただの趣味、娯楽、ですねぇ。


フィクションであれ、ノンフィクションであれ、社会勉強をしようと思って読むことはほぼありません。結果としてそうなった、ということはありますけど。
「時間の消費・浪費」というのは、結構感じます。
休日、家で本を読んでると、どうしても頭の隅で「そんな時間があるなら、あれをするべきでは?」「前からやろうやろうと思って延ばし延ばしにしているあれはどうなったのさ?」と思ってしまうんですよね。
主に家事ですけど、仕事が忙しい時期は、「そんな本読んでないで、休日出勤して少しでも進めた方がいいんじゃない?」とか。
なので、昔ほどは読まなくなりました。
一番集中して読めるのは、出張中ですね。移動の新幹線とか飛行機の中や、夜にホテルの部屋で。
他にできることが無いので、「娯楽」に集中できます。
でも、コロナ以降は出張も無いし・・・。

質問者さんは、今は「そういう時期」なんでしょう。
気が乗らないのに無理に読んでも、嫌になるだけじゃないでしょうか。
そのうちまた気分が変わる時もくるでしょうし、無理に「読まなきゃ!」と思う必要は無いですよ。
ただ、読みたい本があるにもかかわらず、「定年後にゆっくり読もう」と思って積読してると、目が悪くなって読むのにも疲れてしまって、なかなか読めなくなるらしいです。
もし今後読みたい本が見つかった時は、「時間の消費」だなんて考えず、「読みたいから読むんだ!」「趣味なんだから、時間の浪費上等!」と、すぐに読んだ方が良いかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

出張中に集中して読めるというのはよくわかります。

読みたいから読む、それはとても大切ですよね。

お礼日時:2022/07/07 22:05

小説を読んだりや映画を見る意味はなんですか?


  ↑
・娯楽。

・他者の人生を疑似体験する。

・前頭葉を発達させる。


仕事の役には立たないでしょうが
人生の役には立ちます。


ワタシの知人が言っていました。

停年後、何をして良いか判らない
なんて奴は、本を読んで来なかったやつだ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

知人が仰っていたことは理解出来ます。
私はそうなってしまいそうで怖いです。

意識的に本を読み、教養を身につけ、人生の役に立つ知識を身につけたいと思っています。

お礼日時:2022/07/03 16:36

基本的に娯楽ですから、読んで楽しくなければ途中でも捨てます。


ハウツー本など、バカらしいと思っていますから、そもそも手に取りません。webに載ってるのをちょっと読むぐらいの事はしますが。
歴史書などは教養になりますので、すご~く暇で仕方ない時だけ、ちょっとだけ斜めに読みます。
聖書も、読んでみるべきだとは思いながら、この年までまともに読んだ事はありません。よく、小説などの中で引用されたりするので、断片的には読んでますが・・

ミステリーで楽しめないというのはかわいそうですね。
もっとも、くだらないミステリー小説もごまんとありますから、単にそういうのに当たってしまっただけでしょう。
私自身は、時刻表をいじくるミステリーには全く興味を持ちません。あんなものは机上の空論だと思っています。小説じゃなく、算数のドリルをやっているに等しい。

楽しい小説は沢山ありますよ。もっと広い範囲を探して下さい。寝不足になってもしらんけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/07/07 22:05

小説は年に1冊も読まなくなって20年近くなります。


映画は1~2年に1本観る程度でしょうか。

コンテンツでは、深い物を得られると思いますが、そもそもの興味が薄れてる事と、効率の悪さから敬遠しがちなメディアになってしまった感は否めないですね。

あと、映像コンテンツについては、古いものでも良いものは良いので、新作を見るために行く、映画館の敷居は高いかもしれませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/07/02 21:12

私も、同じようなことを思っていたところなので、つい。


若い頃は、自分と重ね合わせたり、今後の参考にしたりしてたのかな…
高齢の親がドラマ好きで、何が楽しいのかと思ってましたが、今その年になってみて、過去の反省や、色んな人の心のありようなどを理解するのに役立つのかな、と思ってます。
小説なんて時間の無駄だと言っていた作家さんがいて、それもそうかな、とも思いますが、迷いつつその時その時に自然に任せればよいのかな、と思います。
なんなら、自分で書くとかね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
その時その時の流れ、そうですね。

試験問題の文章で偶然読んだ作家さんの本を好きになったり
当時付き合っていた人から勧められた作家さんの本を好きになったり、、、

自分の蓄えとなっている本は考えてみれば自然の流れで出会ったものかと思いました・・・

あまり悩まずにいたいと思うものです。

お礼日時:2022/07/02 20:49

現実逃避、時間の無駄、おおいに結構だと思います。

現実の生活だけでは、つまらない。森羅万象、宇宙に思いを馳せる楽しみがあります。「2001年 宇宙の旅」「BEN-HUR(1959)」など。
 地球の隅々まで広がり尽くした人類は、無限のキャパシティを持つ最後のフロンティア「宇宙」に拡散しつつあります。
 宇宙の加速膨張が観測され、ダークエネルギー/ダークマター/超弦理論/11次元のM理論などが議論され、物理学の一大飛躍の切っ掛けとなる?
 1900年にプランクが量子論を1905年にアインシュタインが相対論を創始して現代物理学が誕生し、それまでの物理学が古典物理学と呼ばれた様に、2022-2030年に掛けて生み出される物理学は、今の現代物理学を過去のものとする、全く新しい「真新物理学」を創始し、1900-1905年頃の人に量子コンピューターや相対論的GPSの時間補正と言っても理解できないのと同様に、2022年の我々が「局所空間の通常空間における波乗り効果」と聞いても理解できない全く新しい物理理論と技術を生み出し、任意の範囲の時空を通常空間の時空の中を波乗りをする様に滑らせ、何百万光年も離れた遥か彼方の銀河に極めて短時間で人や貨物を行き来させる?
 移民宇宙船が大挙して押し寄せ、ネオ日本/ネオアメリカ/ネオ中国/ネオEU/ネオロシアなどが建国される?

 人類は、宇宙のあらゆる向きに居住可能な惑星や衛星を発見するかテラフォーミングして地球上の全生物種と共に移住/移植して行くだろう。ガンマ線バーストで、どこか植民星が全滅/壊滅しても、他の植民星は生き残る事が出来る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%85%E4%BD%8F …

https://wired.jp/2018/08/10/co2-terraforming-mars/

https://sorae.info/astronomy/20200530-carina-neb …

 宇宙では、何に遮られる事も吸収される事も無く、太陽の光が100%、365日24時間、太陽電池パネルに降り注ぎます。地球-月のラグランジュ点L₄,L₅や地球周回軌道上に宇宙太陽光発電所を建設し、太陽電池で作ったクリーンで無尽蔵で安価な電力をマイクロ波に変換して地球に送信し、地球でこのマイクロ波を受信し電力に戻して利用します。
 この電力で地球の水を電気分解し、水素と酸素を作り、この水素で水素自動車(燃料電池自動車)を走らせます。宇宙に降り注ぐ太陽の光で全ての自動車が走る「水素社会」が到来します。
 宇宙太陽光発電所を建設する為の人と資材の輸送は、下記のブログで説明している「宇宙塔マスドライバー」が最適です。
http://blog.livedoor.jp/satou_hiroshi_4649/archi …

 月や火星には豊富な水があります。
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO44158040U …
https://www.cnn.co.jp/fringe/35146771.html
https://astropics.bookbright.co.jp/korolev-crater
 この水とこれを太陽電池の電力で電気分解して得られる酸素と我々や家畜などが吐き出すCO₂で食料生産プラントで月や火星やラグランジュ点のスペースコロニーで365日24時間体制で米/小麦/大麦/大豆/コーン/野菜/果物/海藻などを栽培し、牛/豚/鶏/魚介類などを飼育/養殖すれば、地球と同様の豊かな食生活が可能です。

 2045年にコンピューターの知能が全人類の知能の総力を超える/世界中の人間が束になつて挑んでも敵わなくなる「シンギュラリティ/技術的特異点」を迎え、超知能/超知性の人工知能AIが誕生するとの予測がある。

 超知能AIに政治/経済/教育/医療/福祉など森羅万象について最適の施策を考えてもらい、人間は素直にその施策を実行して行くしか戦争を回避し平和を実現する手段は無いのかも知れない。

 全ての人の頭脳に電子チップが埋め込まれ、そのチップが脳の神経電流を読み取り、人間は考えるだけでワイヤレスで繋がった全世界の超知能AIとネットワークしてコンピューターを操作し、出力は、視神経にコンピューターの16K程度の映像信号が送り込まれ、前後左右上下の全周囲の超リアル画像と音響が脳の中に浮かび上がる?
https://courrier.jp/news/archives/254484/

 人間は、ワイヤレスで常時、世界中の超知能/超知性の人工知能AIとコンピューターを全てフルに使って情報の検索や情報処理を行う事が出来る様になり、脳が覚醒し、誰もがアインシュタインやミケランジェロの様な天才になる?
https://beyondai.jp/contents/projects/ikegaya/

 超知能AIと連動した人型ロボットが、一般家庭で炊事/洗濯/掃除/育児/介護/買い出し/ゴミ出しなどを熟し、医療/法曹/建築/土木/生産/流通など全業種の全職場で働き、人間には、研究開発や芸術などの限られた仕事しか残らない?
 我々は、仕事を超知能/超知性の人工知能AIとこれと連動して動く人型ロボット達に奪われ、彼らに養われて生きて行く様になる?
 地球の隅々に広がり地球から溢れた人類は、無限のキャパシティを持つ最後のフロンティア「宇宙」に進出して行く。好奇心と拡散性が人類の「性(さが)」だからだ。

 時間が無かったら,つまり,時刻も無い,瞬間も無い,時間的な幅が無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

 空間が無かったら,つまり,点も線も面も体積も無い,空間的な大きさ広がりが無い/ゼロなら「何」も「存在」できない。すなわち,「無(む)」です。

 真空を「無(む)」だと言う人がいるが、超弦理論の弦/紐/膜やクォーク、素粒子、原子、物質、エルネギーの全てが無くても、真空には時間と空間はある。従って、真空は、「無(む)」ではない。

 時間だけでも、空間だけでも、「存在」は、成立しない。この一方だけでは「存在」は成立しない。時間と空間の双方があって、初めて「存在」は、成立する。
 宇宙は、なぜ存在している事が出来るのか? それは、「時間」が存在し、「空間」が存在しているからです。

 時間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  時間が無い状態から時間が始まった/初めた/流れを開始した状態をイメージ出来ますか?
 空間の無い宇宙をイメージ出来ますか?  空間が無い状態から空間が始まった/初めた/大きさ広がりを開始した状態をイメージ出来ますか?
 出来ませんよね。と言う事は、時間の無い宇宙、空間の無い宇宙は、存在しない、ありえないと理解すべきと言う事でしょう。
 ビッグバンで宇宙が誕生して、時間も空間も誕生したのなら、ビッグバンの「前」は、時間は? 空間は? どうなっていたのか?との疑問が湧きます。

「無限大の大きさ広がりを持つ空間的に無限大の空間と無限大の過去から存在し無限大の未来まで流れ続ける時間的に無限大の時間が無限大の過去から共に既に存在している」。この時空/宇宙を「母宇宙」と定義します。

 この母宇宙Aの時空の量子論的な揺らぎが、我々が存在しているこの宇宙Bのビッグバンを138億年前に引き起こし、Bは、Aの「子宇宙」として、Aの時空の中で誕生し、今もAの時空の中で加速膨張し続けていると解釈/理解すると、Bが誕生する「前」の「時間」は? 「空間」は? と言う問いに、Bが誕生する「前」は、Aの時間が流れ、Aの空間が広がっていたと答える事が出来ます。
 それぞれが無限大の大きさと広がりを持つ「子宇宙」を無数に無限大個、その時空の中に持っているのが「母宇宙」で、母宇宙の中では、常に無数の無限大個の子宇宙が誕生して、それぞれが母宇宙の時空の中で収縮/安定/定速膨張/加速膨張などの成長を続けているのかも? こうした多数の宇宙が存在するとの考えを「マルチバース」と呼びます。

 母宇宙は、どのように始まった/誕生したのかは、母宇宙の「定義」から、
「母宇宙は無限大の過去から時間と空間と共に既に存在している」と回答する事になります。なので、母宇宙に始まり/初め/起源/誕生は無いのです。

 創世記では、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。」とある。「はじめに」とは、時間を指す言葉だ。「やみが淵のおもてにあり」とは、「やみ」や「淵」が存在し、これらが存在できる「空間」がある事を意味している。神が天地創造を開始した時には、既に時間も空間も存在していたのだ。
 では、これらを創ったのは何なのか? これらは何故、存在していたのか?
聖書は答えていない。

宇宙は、なぜ存在し、宇宙は、どうしてどのようにして始まったのか?

神が創ったのなら、

_神は、なぜ存在し、_神は、どうしてどのようにして始まったのか?

こう記述すると宇宙と神は、同じです。
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