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日本語の「助詞」の「は」と「が」の違いを日本語を勉強している外国の方に聞かれたら、どのように説明しますか。

質問者からの補足コメント

  • うーん・・・

    回答ありがとうございます。

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2022/07/18 14:26
  • 1.私はあなたが好きです。
    2.私はあなたは好きです。
    3.私があなたが好きです。
    4.私があなたは好きです。
    それぞれの意味を区別して説明できますか。
    これを外国の方が納得いくように説明してください。

      補足日時:2022/07/20 06:18
  • どう思う?

    二回目の補足質問は複雑すぎたので、初心に返って一番簡単な例を考えてみましょう。
    以下の区別がつかないので外国の方はその違いを知りたがっています。
    1.私はアメリカ人です。
    2.私がアメリカ人です。
    3.私は日本に行きます。
    4.私が日本に行きます。

      補足日時:2022/07/22 08:52
  • *或るグループの中で、つまりある人間の集合の中で「私」が発言しているとき場合、以下はどうなりますか。
    1.私はアメリカ人です。
    「アメリカ人が私です。」と同値になりますか。

    2.私がアメリカ人です。
    「アメリカ人は私です。」と同値になりますか。

    3.私は日本に行きます。
    「日本に行くのが私です。」と同値になりますか。

    4.私が日本に行きます。
    「日本に行くのは私です。」と同値になりますか。

      補足日時:2022/07/22 17:58
  • 最初に質問しましたように、「は」と「と」の違いを日本語を勉強している外国の方、例えばアメリカ人に分かるように簡単に説明できますかということです。
    これを皆様のように意味論的に細かく説明しても外国の方・アメリカ人は理解できません。彼らは論理的に両者の使い方の違いを知りたいのです。
    「私はアメリカ人です。」「私がアメリカ人です。」と使い分ける論理が分からなければ納得しないのです。だから形式論理で解明する必要があるのです。そうすれば「は」と「が」の論理構造が見えてきて違いが分かり、アメリカ人は理解できるのです。そういうことを日本語言語学者たちはこれまでやってこなかったように思います。
    「は」はその主語が後続の述語であらわされる集合に属すことを示し、「が」はその主語があらわす集合に、後続の述語であらわさるものが属すことを示します。この論理はすべてに当てはまるのです。だから外国の方は理解できるのす。

      補足日時:2022/07/23 10:30
  • このように理解すれば、「象は鼻が長い。」も「僕はラーメンだ。」も簡単に説明できます。
    もちろん、「1.私はあなたが好きです。
    2.私はあなたは好きです。
    3.私があなたが好きです。
    4.私があなたは好きです。」も外国の方に簡単に説明できます。
    簡単といっても「主語」の位置の「は」「が」と「目的語」の位置の「は」「が」は考察が必要なことは当然ですが。それは皆さまの楽しみとして取っておきましょう。

      補足日時:2022/07/23 10:39

A 回答 (48件中11~20件)

>「は」はその主語が後続の述語であらわされる集合に属すことを示し、「が」はその主語があらわす集合に、後続の述語であらわさるものが属すことを示します。

この論理はすべてに当てはまるのです。

これを丸暗記すれば、どうなる?。
この場合は「は」だから・・・・、今回は「が」だから・・・・で簡単に丸暗記の内容をそのままペースト可能ですね、これが理解ですか?。
理解した、といえるのは、それをもとに異なる状況に合わせて、自身の頭で考えて、自身の言葉で表現できることが必要です。
日本語での会話ペラペラのアメリカ人に、その説明してみれば一目瞭然かも。
多分一笑に付されておしまい。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
あなた様は、「僕はラーメンだ。」の論理構造が理解できているのですか。
説明してみてください。私の理論だと簡単に説明できますよ。

お礼日時:2022/07/23 18:13

>>だから形式論理で解明する必要があるのです。



これが言語に対する根本的な理解の誤りです。

形式論理的に捉えれば、言語は音や線描、ドットの集合という感性的な物理的存在に過ぎません。しかし、言語が表すのは超感性的な概念であり、形式に結び付いた意味です。

これらは、形式と内容という対立物の統一、つまり調和する矛盾としての存在で形式論理では解明できません。
 
日本語の動詞の活用一つとっても、形式の変化は内容の変化を意味しません。英語の動詞の屈折にしても"cut cut cut" のように時制にたいし不変化動詞が存在します。このように言語には矛盾がうようよ存在し、この屈折点を正しく捉え論理を展開する弁証法の論理によらなければなりません。

この点が全く理解できていない他の回答者の誤りに引きずられることなく言語本質に即しきちんと理解しましょう。■
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
残念ですが、あなた様はアメリカ人に「は」と「が」の違い、
例えば
「象は鼻が長い。」
「象が鼻は長い。」を説明できないと思います。

お礼日時:2022/07/23 15:58

#32です。



なるほど、すべて同値なのですね。
こうした論題は論点を絞ることが重要ですので、1と2に特化してお伺いします。

1.私はアメリカ人です。

●私はアメリカ人です。⇔「私」という人間は、ある人間の集合の中の「アメリカ人」の集合に属しています。つまり、私は「アメリカ人」の集合の要素です。
●「アメリカ人が私です。」⇔ある人間の集合の中の「アメリカ人」の集合の要素が「私」です。

とおっしゃっていますが、

『私は「アメリカ人」の集合の要素です』

『「アメリカ人」の集合の要素が「私」です』
は、同じことを言っている(同値)というご見解でしょうか?

2.私がアメリカ人です。

●私がアメリカ人です。⇔「私」という人間の集合の要素が「アメリカ人」です。
●「アメリカ人は私です。」⇔「アメリカ人」という人間は、「私」という人間の集合に属しています。つまり、アメリカ人は「私」という集合の要素です。

とおっしゃっていますが、

「私」というのは「集合」なんですか?

どうも腑に落ちないので
まず、イエスノーでお答えになった後にご見解をお示しいただくと有難いです。
色々申し上げたいことは他にもありますが、まず、以上の点を確認させていただきたいと思いますのでよろしくどうぞ。
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この回答へのお礼

はいそうです。
論理的に同値ということです。
回答ありがとうございます。

お礼日時:2022/07/23 09:57

No.17でコメントしたものです。



===========引用開始
(結論)
●「AはBである。」⇔「BがAである。」
●「AがBである。」⇔「BはAである。」
●「AはBする。」⇔「BするのがAです。」
●「A がBする。」⇔「BするのはAです。」
これで「は」と「が」違いは簡単に外国の方に説明できると思います。
===========引用終了

 それは当方がNo.17で書いたこととほぼ同様と思われます。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━引用開始
 初級者なら、下記がおすすめかもしれません。
②【「は」と「が」〈13〉相当】どこまでいっても例外が……
https://ameblo.jp/kuroracco/entry-12673740886.html
===========引用開始
”「は」は「は」の直後が主題で「が」は「が」の直前が主題である。”
くどいけど此れだけ覚えておけば問題ないという事が確認できました。 
===========引用終了
 元々は下記の話で、シンガポールでは有名な話なんだとか。
【日本語の助詞「は」と「が」の違いは小学生でも理解できるシンプルな一文で違いを説明できる。日本語教師を長年悩ませてきた問題に終止符を打つ。】
https://www.sinlog.asia/entry/2017-12-03-184837 

 一理あります。有力な考え方だと思いますが、それだけでは説明できない例もあるような。とても〈日本語教師を長年悩ませてきた問題に終止符を打つ〉ことはできません。あくまでも「そういうことが多い」ということで、例外も多々あります。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━引用終了
 有力な考え方だと思いますが、例外が多々あります。
 たとえば、

  昔々、あるところにおじいさんとおばあさんガ住んでいました。
  ある日、おじいさんハは山へ柴刈りに、おばあさんハ川へ洗濯に……。
 の「ガ」と「ハ」の使い分けは、説明できないでしょう。
 あるいは

  僕ガやりました。
  僕ハやっていません。
 の「ガ」と「ハ」の使い分けは、説明できないでしょう。
 ほかにも例外はいろいろあると思います。先に書いたように、そんなに簡単な問題ではないのです。
 詳しくは下記をご参照ください。
【チャレンジ日記──「は」と「が」 毒抜き編 〈1〉~〈9〉】
http://1311racco.blog75.fc2.com/blog-entry-592.h …
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>>*以上のようにすべての組は同値だと言えます。


つまり「は」と「が」は以上のやり方で言い換えることが出来るのです。

これは言語表現とは何か、意味とは何かが全く理解できていない誤断です。

そもそも、文の同値の定義が無い恣意的な論理でしかありません。

そんな区分で「は」と「が」が使い分けられるか否かは少し考えれば全く不可能であることが理解できる筈ですが?
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1、必要条件、と十分条件に関する理解皆無です、お話になりません。


2、なぜ、オンリーワンにも通じる「が」をつけるのか、これだけでの比較自体がお話になりません。
3もほぼ同様
4同値、っていったい何ですか言葉の表現にそんなものありません、文学作品なんかで評価が分かれるのは、内容としては同じことであっても表現のしかたで分かれます。
先に説明したように、「日本に行くのは私」複数の中での個を特定しただけ、個の特定だけなので、いずれの個でも一向に差し支えありません。
「私が日本に行きます」私というオンリーワンが・・・、したがっていずれの個であっても差し支えない、とは言い切れません。
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1.私はアメリカ人です。


「アメリカ人が私です。」と同値になりますか。
⇒いいえ。

2.私がアメリカ人です。
「アメリカ人は私です。」と同値になりますか。
⇒はい。

3.私は日本に行きます。
「日本に行くのが私です。」と同値になりますか。
⇒いいえ。

4.私が日本に行きます。
「日本に行くのは私です。」と同値になりますか。
⇒はい。


だんだん面白くなってきました。
#31では《どちらの場合も「私」は「私以外の人」を含めた集合の《要素》になってしまう》と述べましたが、ひょっとすると、以下のような式になるのですかね。

1.私はアメリカ人です。
私∈グループ内の人々

2.私がアメリカ人です。
私∈アメリカ人は誰かと問われた状況におけるグループ内の人々

3.私は日本に行きます。
私∈グループ内の人々

4.私が日本に行きます。
私∈日本に行くのは誰かと問われた状況におけるグループ内の人々
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この回答へのお礼

1.私はアメリカ人です。
「アメリカ人が私です。」と同値になりますか。
⇒いいえ。

●私はアメリカ人です。⇔「私」という人間は、ある人間の集合の中の「アメリカ人」の集合に属しています。つまり、私は「アメリカ人」の集合の要素です。
●「アメリカ人が私です。」⇔ある人間の集合の中の「アメリカ人」の集合の要素が「私」です。


2.私がアメリカ人です。
「アメリカ人は私です。」と同値になりますか。
⇒はい。

●私がアメリカ人です。⇔「私」という人間の集合の要素が「アメリカ人」です。
●「アメリカ人は私です。」⇔「アメリカ人」という人間は、「私」という人間の集合に属しています。つまり、アメリカ人は「私」という集合の要素です。


3.私は日本に行きます。
「日本に行くのが私です。」と同値になりますか。
⇒いいえ。

●私は日本に行きます。⇔「私」という人間は、ある人間の集合の中の「日本に行く人間」の集合に属しています。つまり、私は「日本に行く人間」の集合の要素です。
●「日本に行くのが私です。」⇔「日本に行く人間」の集合の要素が「私」です。


4.私が日本に行きます。
「日本に行くのは私です。」と同値になりますか。
⇒はい。

●私が日本に行きます。⇔「私」という人間の集合の要素が「日本に行く人間」です。
●「日本に行くのは私です。」⇔「日本に行く人間」は「私」という人間の集合に属しています。つまり、日本に行く人間は「私」という人間の集合の要素です。

*以上のようにすべての組は同値だと言えます。
つまり「は」と「が」は以上のやり方で言い換えることが出来るのです。

(結論)
●「AはBである。」⇔「BがAである。」
●「AがBである。」⇔「BはAである。」
●「AはBする。」⇔「BするのがAです。」
●「A がBする。」⇔「BするのはAです。」
これで「は」と「が」違いは簡単に外国の方に説明できると思います。

お礼日時:2022/07/22 20:43

1.私はアメリカ人です。


私について言うならば、アメリカ人(という人種)です。

2.私がアメリカ人です。
誰がアメリカ人かと言えば(他の人ではなく / 彼ではなく )私がアメリカ人です。

3.私は日本に行きます。
私について言うならば、日本に行きます。

4.私が日本に行きます。
誰が日本に行くかと言えば(他の人ではなく / 彼ではなく )私が日本に行きます。


簡潔に表現するなら、
・私について何かを伝えたい⇒「私は」
・何かをするのは私であること、あるいは何かをする主格は私であることを伝えたい⇒「私が」
となりますかね。
ただ、《包含関係》ということで言うと、どちらの場合も「私」は「私以外の人」を含めた集合の《要素》になってしまうように思います。

《「は」と「が」の違いは、その文章を形式論理記号で記述すれば一目瞭然で簡単に説明できます。》
とおっしゃっておられますが、非常に興味深いですね。
ぜひ開陳していただけませんか。

改めて当方の見解をまとめておきます。
【は】⇒主題(話題)を提示する。
a. 単純な主題提示
(私について言うならば)私は~
b. 対比
(彼は~だが)私は~
c. 限定(排他)
(他の人はどうか知りませんが)私は~

【が】⇒主格を提示する。
d. 用言の主格を単純に表わす☞中立叙述
e. 用言の主格を排他的(強調的)に表わす☞総記のガ
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1.私はアメリカ人です。


「アメリカ人が私です。」と同値になりますか。

言語は話者の認識の表現で、対象の在り方自体ではなく、話者がどのように対象を捉えているかの表現で、表現が異なれば意味が異なり、同値などにはなりません。以下も同じです。

言語表現の本質を取り違えた愚問です。

2.私がアメリカ人です。
「アメリカ人は私です。」と同値になりますか。

3.私は日本に行きます。
「日本に行くのが私です。」と同値になりますか。

4.私が日本に行きます。
「日本に行くのは私です。」と同値になりますか
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>>日本の言語学をやっている人たちは、「数学」が得意でない人が多いですね。



まあ、そうかもそれませんが英文法がどの程度かは下記を参照下さい。

英語:5文型説の誤り ― 形式主義文法論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9503 …

”be”<動詞>と<助動詞>混同の誤り ― 形式主義文法論の混迷
https://mixi.jp/view_bbs.pl?comm_id=2748&id=9866 …
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