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読解力など諸々の国語力は読書量によって養われると言われるのをよく耳にしますが、「読む」とは具体的にどういったことを指すのでしょうか

ただ文章として最後まで読み進めるのか
内容を理解して落とし込みながら読むのか など、読み方には色々とあるので、気になりました。

A 回答 (5件)

すべての人に共通する定義はないと思います。

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内容を理解して落とし込みながら読むしかありませんが?


何が疑問なのですか?
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文字は単なる記号です。



その記号を読み、理解するということは
それだけで、かなりの知的作業です。

映画なら、主人公の表情とか、周りの
景色がそのまま投影されますが
読書だと、それは自分で考え、想定
する必要があります。

つまり、読む、というだけで、頭脳の
訓練になり、前頭葉が発達する訳です。
だから、映画を観るDQNはいても、
読書するDQNはいないか、少ないわけ
です。

それが小説なら、他者の人生を疑似体験
出来るとか、
思想書なら、考える力を養ってくれるとか、
作者の思想を知り、諸々の知識を
与えてくれるとか。

かようにして、読書は国語力を鍛えて
くれるのです。



参考)

○2017年に文部科学省によって実施された全国学力・学習状況調査

蔵書数の多い家庭の子どもほど、学力が高い

小学6年生のデータをみると、
蔵書数が0~10冊の家庭の子どもよりも、
11~25冊の家庭の子どもの方が学力が高くなっています。
それよりも、26~100冊の家庭の子どもの方が学力が高くなっています。
当然、101~200冊の家庭の子どもの学力は、さらに高くなっています。
そして、201~500冊の家庭の子どもはそれ以上に学力が高く、
501冊以上の家庭の子どもの学力が最も高くなっていました。

学歴や収入の低い層でも、高い層でも、それぞれの層の中では
蔵書数が多い家庭の子どもほど学力が高いという傾向がみられたのです。
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下の読み方は、あらすじを追って読むのです


上の読み方は、作者の哲学を深く読むのです
すなわち
哲学の無い書物には価値がありません
頭の腐る本もあります。

人間にも善人・悪人があるのと同じように、本にも良書・悪書がある。良書を読むことは、自分自身の中の命を啓発することになるのです。古典の良書は、古くならない。いつまでも新しい。二十一世紀にも色あせないでしょう。一生の財産になります。

エマーソンも「出版されて一年もしていない本など読むな」と言っている。要するに、出版されて何年、何百年たっても読み継がれている本は名作、良書と思っていいでしょう。人生の時間には限りがある。ゆえに良書から読むことです。良書を読む時間をつくるには、悪書を読まないようにする以外にない。

確実に言えることは、「読書の喜び」を知っている人と知らない人とでは、人生の深さ、大きさが、まるっきり違ってしまうということです。

一冊の良書は、偉大な教師に巡り会ったのと同じです。読書は「人間だけができる特権」であり、いかなる動物も読書はできない。読書は、旅のようなものです。東へ西へ、南へ北へ、見知らぬ人たち、見知らぬ風景に出あえる。しかも、時間の制約もない。

長編を読みましょう、古書を読みましょう。今、読んでおかないと、
人格はできません。指導者にはなれません
 
古典というのは、つり鐘みたいなもので、小さく打てば小さな音しか出ない。大きく打てば大きく応えてくれる。こちらの力次第なのです。どうしてもむずかしいと思うところは二、三十ページくらい飛ばして読んでもいいと思う。

青年が、くだらない雑誌など読んで、面白がっているようでは、ダメですね

良書を読むのは良い人との交わりに似ているいる」
とはアメリカ・ルネサンスの旗手エマソンの言葉です

書を読めば、人の心を知っていける。
人間の本質が見えてくる。
読書は、わが心の明鏡を磨いてくれるのです
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普通の人は


なにかを知りたくて
内容を理解するために読むのでは。

市報とか回覧板なんかは
目を通すかな?
まぁ暇な人は目を通して時間つぶし目的の
人もいるだろうね。
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