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第二次世界対戦が起きてた日本では

太平洋戦争勃発時、

観光業は成り立ってましたか?

A 回答 (2件)

1941年の太平洋勃発時までは、観光業は隆盛でした。

 1937年の日中戦争開始以後、旅客輸送量は激増しました。 昭和11 年(1936)の旅客人員数を 100 とした場合、13 年に 127、14 年に 152、15 年に 177、16 年には 205 へと増加しています。 日中戦争開戦により、相当な自粛ムードに陥ったかのように見えましたが、「支那事変を契機として、一時は全く閉塞状態に置かれ、将来も頗る憂慮されたのであるが、その後戦局の推移と、次々にもたらされた戦勝の快報によって漸次愁眉を見開くようになったのである」いうように、実はその後、国の思惑とは別に、一般国民の旅行意欲が再燃しています。 当時の鉄道の混雑ぶりは、旅行雑誌『旅』の記事からもよくわかります。 

 旅客の激増は事変前からの現象だった。しかし、この頃の雑踏は気の弱いものは憂鬱になる。予定通りの旅をするには、非常に勇気がいる。ある程度の厚かましさがなければ、とりのこされてしまふ。用のある旅行なら仕方がないが、楽しい旅を計画した人なら、幻滅を覚えるだろう。

この寄稿者は病院の院長で、診察や講演依頼を受けての遠距離旅行でした。翌朝の診察を控えていながらも、寝台はおろか座席の確保すら困難で、車内は他の乗客と座席を取り合わなければならない状況で、「旅は道連れ」ではなく、「旅は相敵」になってしまったことを嘆いていました。 また、超満員の電車の窓から首を出したところ、なだれこむ乗客に押されて、出した首を引込められず、新橋から横浜までそのままの状態であった青年の話や、身動きできない状態で、大宮から熊谷駅まで降車できなかった乗客の話など、列車の混雑ぶりに関する話は尽きません。 大陸との連絡船の混雑も凄まじいものでした。 大陸との交通が急激に膨張したため、遂に関釜連絡船に乗れない者がでるほどでした。
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成り立っていましたよ。


温泉産業なんかはものすごく人気でしたし。
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