もうしばらくするとさくらが満開の季節になりますね。
もうずいぶん昔ですが、友人と一緒に何人かとさくら見物に行ったときのことです。
友人は、みごとに咲いている花を見ながら、ぽつんと、「なんだかさくらを見ていると泣けてくる」
と言って、周りのもの驚かせたことがありました。
あれからそうとう歳月がたった今、友人の言葉が
ようやく理解できそうな気がします。
そのことを、友人に伝えたいと思うのですが、彼は例のさくら見物の後、
不慮の事故で、もはや帰らぬ人となりました。
この季節、さくらを見るたびに、かって言った友人の言葉が、押し込めたはずの記憶から
まるで遺書のように甦ってきたりします。
きっと、さくらとは、人の心を乱す花なのかも知れませんね。
これが私のさくらにまつわる思い出のひとつです。
皆さまはさくらにまつわる色々な思い出がありますでしょうか?
もしよろしければ、お聞かせくださいませ。
No.1
- 回答日時:
もう16年も前のことになりますが・・・
中1のときに好きになった男の子と出会ったのが、桜の花咲く4月のころでした。
大抵最初は出席番号順で席が決まるものですが、そのときちょうど席が隣になってちょくちょく話したりして仲良くしてました。そのころは他に好きな人がいて、その男の子とは仲の良い友達にしか思えなかったのですが。
でもその男の子とはすごく仲良くて、学校中を追いかけっこしたり(このあたりが子供・・・)成績表見せ合ったり、一緒に帰ったりしてました。秋くらいになると本命の男の子から疎まれたこともあってその子のことを少しずつ意識するようになっていったのです。
それがしばらく続いてお互い意識しているような、すごく微妙な雰囲気になったとき、私の親の都合で転校することが決まりました。それを知ったとき私は号泣して転校を拒みましたが親に逆らうことはできず結局年越し前に転校するハメになりました。
それからしばらくして私はその子に年賀状で告白しましたが(やっぱりこの辺が子供)、振られてしまいました。その後もずっと思い続けて、再会することをずっと夢見てきました。2年経ってようやく前の学校に戻ると決まったとき、ようやく会えるんだと喜びましたが、戻ってからすでに転校していなくなっていたこと、そして戻ってこなかったら私が進学する予定だった高校に進学したことなどを知りました。今思うと、本当に私とその子は一期一会、再会することのかなわない運命だったんでしょうね。
20歳になるまで私は心の奥底で彼と再会出来るのを待っていましたが、そこまで待ってかなわなかったことで、私は彼のことを思い出として心に整理をつけることを決めました。
桜の花咲く季節にはいつもそのときのことを思い出します。もう15年以上経ったのに、その当時を思い出すと今でも甘酸っぱい気持ちになります。
文を書いてて当時を思い出し懐かしくなりました。
長文失礼致しました。
人は、いったい一生のうちで何人の人と出会い、何人の人との
別れが待っているのでしょうか。なにか運命の悪戯を、感じざるを
えないような気がします。
mimirin1110さんのお話を何回も読ませていただいて、ついこんなことを
考えてしまいました。
中一の時から二十歳になるまで、ずーと思い続けていらしたのですか。
若い頃の恋は思いが一途ですから、被る痛手も大きいですよね。
もう今ではすっかり傷は癒えてると想像いたしますが、
それでも桜を見るとその当時が思い浮かんでくるのは
季節のなせるわざなのでしょうか。
ほろ苦い思い出話、こころに沁みこみました。
返事が遅くなり不愉快な思いをさせたと思います。
お許しください。
回答有難うございました!
君にあうただそれだけのため桜 森須 蘭
No.2
- 回答日時:
私の母は「桜が嫌い」と言います。
理由は私の父が亡くなった季節だから桜を見るとやはり当時のことを思い出すからだそうです。当時私は中学2年になったばかり、妹は中学に上がる年でした。社会人になって「花見だ花見だ!」と喜んでいた私にそのときたまたま機嫌が悪かったのか、突然怒った母のことを良く覚えています。
自分が家庭を持ってあらためてこの季節になると、あの時怒った母の気持ちが少しわかるようになりました、大変苦労して私たちを育ててくれたんだなあと、満開の桜を見て過去の自分の親不孝ぶりを反省する私なのでした。
誰だって大人になって、初めて分かることって
あるのだと思ったりします。そんなことを繰り返して、
人間って成長していくのかなーと。
「親の気持ち子知らず」とはよく言ったものだと思います。
お母さんはお父さんのことを大変信頼されていたのでしょうね。
伴侶を亡くした喪失感は大きかったでしょうし、
残された自分と子供の将来のことを考えると、不安でいっぱいだったのだと思います。
毎年この季節になると、お母さんは、桜を見ることで、お父さんと
一緒に過ごした歳月、苦しかったこと、楽しかったことなどが
あふれるように思い出されてくるのかもしれませんね。
また来年もいつもの季節にいつもの場所で桜が見れるように
どうぞお母様とご家族を大切にされ、お過ごしください。
返事が遅れまして、申し訳ありませんでした。
回答有難うございました!
人入って門のこりたる暮春かな 芝 不器男
No.3
- 回答日時:
中学生のときですが、よく通っていた古本屋のご主人が教えてくれた言葉を桜が咲くたびに思い出します。
年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず です。
これは両者でついになっていて、簡単に言うと自然は変わらないけれど、人はたえず変わってゆくものだ、という意味です。
なんだか小難しい話だなーとそのときは思っていたのですが、大人になった今、そのとおりだな、としみじみ思います。
毎年桜が咲くと思い出し、呪文のように呟いている自分にいつも笑ってしまいます。
確かに樹齢何千年という木の下に立ち止ったり、
夜空の星をじっと眺めていると、自然の不変のまえで
思わず、おおーいと叫んでみたくなることがありますよね。
自然の花々は、約束してくれたように、毎年決まった季節に
咲き乱れますが、自分の身辺では、もうすでにいなくなってしまった人が
いたり、あたらしい生命が誕生したりします。
そんな時、人は自然のまえでなんと無力なんだろうと考えたりしますが、
太古の人から現代の人までそんな無力感を積み重ねながら、種を温存してきた
のかもしれませんね。
ほんとうに桜は色んなことを考えさせてくれますね。
返事が遅くなり、すみませんでした。
回答有難うございました!
生きかはり死にかはりして打つ田かな 村上 鬼城
No.4
- 回答日時:
去年の春、私にとって何より大切だった愛犬が死んでしまいました。
正確には、安楽死、させました。
とても穏やかで暖かな日、風そよぐ窓際のソファに横になった愛犬に
致死量の麻酔を投与しました。風と小鳥の声しか聞こえない、
とてもとても穏やかで気持ちの良い午後でした。
春のやさしい日差しと芽吹く匂いに包まれると
その時のことを思い出します。
7日の日、桜を見てきました。
愛犬を連れて毎年お花見に来ていた場所で、毎日の
散歩コースでもありましがた、愛犬が死んで以来
一度も訪れなかった所です。
春の風と満開の淡い桜は幸せを感じさせるのに、
同時に虚しさが心に押し寄せてきました。
たとえ一通の手紙であろうとも愛しているものをなくすのは
悲しいことですね。みじかにある生あるものの死はなおさらだと
思います。
回答を読ませていただいていて、谷川俊太郎の「ネロ」を思いだして
しまいました。
毎年夏がくると、死んだ愛犬ネロを思い出し、ネロの分まで、がんばって
生きていこうする少年の詩なのですが、ToxicBoyさんもきっとそんな気持ちに
なられたのではないでしょうか。
ToxicBoyさんが、桜の季節、愛犬に思いをはせるたびに、
愛犬は元気な姿で現れて永遠に生きつづけていくと思います。
返事が遅れましたこと、お許しください。
回答有難うございました!
別るるや夢ひとすぢの天の川 夏目漱石
No.5
- 回答日時:
私には桜に関する思い出はありませんが、祖母が言うには
「桜の下には死体が埋まっている(埋葬されている)から、お花見は無意識のお墓参りなんだよ」
だそうです。
thingさんのご友人はそのことを無意識のうちにご存知だったのかもしれませんね。
masterPiyoさんのお祖母さまは、きっと過去に苦労された方では
ないでしょうか。あるいはご先祖さまを大事にされている方かもしれませんね。
そう言われれば、小さい頃、親に連れられて墓参りに行くと、
そばに彼岸花がきれいに咲いていましたね。その両親も
今は高台に桜の木が一本ある墓地で眠っていますが。
梶井基次郎の小説じゃないですが、彼岸花にしても桜の花にしても
死者の成し遂げられなかった思いを代弁して咲いているのかもしれませんね。
わたしの友人は、masterPiyoさんのお祖母さまのように、そこまで考えて
いたかはわかりませんが、明るさのなかに暗さを、暗さの中に明るさを見る
ような人であったことは確かであるように思うのですが・・・
これからも、大切なことを教えていただけるお祖母さんを大事にされ、お過ごしください。
返事が遅れまして申し訳ありませんでした。
回答有難うございました!
満開のふれてつめたき桜の木 鈴木 六林男
No.6ベストアンサー
- 回答日時:
厳しい冬がようやく去った後の華やぎ
美しくしかも脆く滅びやすいものを愛おしむ心理
入学や入社などスタートラインに立ったときの自らの(希望と不安が混じった)記憶
そんなこんなが、ない交ぜになって人は『桜』に惹かれていくのでしょうね。
ご指摘の ~人の心を乱す花~ は、進学や異動など周囲の環境が変わることへの不安定感も少しあるのかもしれません。
で、私の思い出は『ひとめぼれの季節』です。
四月は多くの人の環境が変わるのですから、通学や通勤時にすれ違う人も自然と変わりますよね。
ただでさえ惚れっぽい私です。この季節、一日に数人は一目惚れしてました。(ぉぃ)
でも、生来のシャイで小心者の私は声をかけることなどもちろん出来ず、ただただ憧れの女・・でしかありませんでした。
ところが、○○年前の春のこと。
朝のバスでよく一緒に乗る、憧れのひとと、偶然街で出会い、なぜか目が合い、どういう訳か微笑み合い、こともあろうに(生来のシャイで小心者の私が)声をかけてしまったのです。
**********
この「バス男」物語の続編は長いです・・・・・・・・・。
結局は、その年のクリスマスの日に終焉を迎えるのですが、なぜか最も印象に残っているのは、そのひとに初めて会ったときの、坂道のバス停に咲いていた『桜』なんです。
でも、今も桜を見るとそのひとを思い出す・・ってことはあまりありません。
#1さんの甘酸っぱい思い出に触発されて、あぁそんなこともあったんだと全くいつもの私に似合わないお話を書き連ねてしまいました。
ほんとに桜は心を乱しますよね。
※も、もちろん惚れっぽかったのは若き日のこと。(今も若いのですが、今よりもっとと言う意味で ぉぃ)
今は、少しはちゃんとしています。(^_^;)
いやぁ、「鳥飼」って焼酎は、ホントに顔を紅くしますよね。(*^_^*)
この回答への補足
回答いただいた皆さまへ
にぎやかな質問でないに関わらず、回答を寄せていただき、有難うございました。
実は先月あたりから、退っ引きならない私事が相次いで、このサイトを訪れることが、なかなか出来ません。
お礼の返事を書きたいのですが、月末近くになれば、
いつも通りにこのサイトに訪問できるはずですので、そのときまで、お許しいただければと思います。
せっかく丁寧な回答をいただきましたが、申し訳ありません。
何卒よろしくお願い申し上げます。
四月十三日
ひとめぼれが桜の季節だったのは、
なんとも象徴的であり、ドラマチックでもありますね。
どなたにでもあるのでしょうか、通勤途上、毎日顔を見合わせ、
おたがい意識しているものの、なかなか声をかけるきっかけが
みつけられず、もじもじしているのですが、ある朝を境に、
あの人の姿が突然見えなくなる。急に不安がつのってきて、もう
あの人には会えないかもしれないと、諦めきったそんな朝、
ふと見るとあの人が、いつもの場所に立っていた!!
急に世界が元に戻ったようで、胸をなでおろすが、
同時に、かっての淡い緊張感がまた戻ってくる。
itabさんの回答を読ませていただいて、ついこんなことを
考えていました。
ひと夏の体験だったようですが、去っていく女性の後ろすがたに
男は惚れると言いますから、
彼女はきっと美しい人だったのでしょうね。
「バス男」の続きは、いつの日か機会がありましたら、教えてくださいませ。
返事が遅れまして、ほんとうに申し訳ありませんでした。
はにかみ屋でロマンチストのitabさん、
回答有難うございました!
どうぞ現在の奥様をお大事にネ(*^_^*)
初恋や燈篭によする顔と顔 炭 太祇
No.7
- 回答日時:
今年は桜がいつもの年のように感じ取れない、どうしてだろう、私事の煩瑣がボディーブローのように効いているためなのか、なけなしの感受性の衰微のためなのかと疑問に思っていたところ、さる女性から自分もそう感じると同意をいただきましたので納得できました。
例年決まった時節に咲いてくれる桜にも、年によって出来不出来があるのかもしれません。
桜はむつかしい花のようです。
桜の花自体の気むずかしさもあるでしょうし、あれがほんとにきれいだってようやくこの歳になって気がついた、っておっしゃるかたにも結構出くわします。
桜の花ひとつひとつは、さして美しいようには思われません。
けれども、あれ全体、あれがあそこに浮き出ている景色全体、そしてあれがこの世に現出したこの一瞬の季節そのものが異様な世界なのだとみずから認めるまでには、長い年月が必要なのかもしれません。
桜は花であることを超えてしまっているのでしょうか。
ちょうど人間が動物であることのノルムを超えてしまっているように。
それは死を予感させる悪疫のようにも思いなされるのですが、だからといって、その通底のみを強調しないほうが、より大きく楽しむことができそうです。
なにより、桜は咲き始めから散り終わるまで全部が美しいんですから。
こんなものは滅多にありません。
ご質問は、桜にまつわる思い出を述べよ、なのですが、ちっとも語り出そうとしていません。(^_^;)
思い出すことといったら、古今新古今で愛でられた情景や、「夜 桜は天へ向かって散ってゆく」というべらぼうな詩句、腐った屍体の漿液を吸って咲くボードレール的染井吉野、「細雪」のあのうきうきして花やかな観桜の章、坂口安吾の凄絶な桜鬼などと益体もないものばかり。強いて個人的な思い出が浮かばないのです。
これはどうしたことでしょう。
特定の季節の独特な雰囲気。そういう総体としてしか思い浮かばないのです。
質問者さんのような経験や含蓄が当方にないということの証左のようで忸怩たるものがあります。
第一、これで回答になるのでしょうか。
でも何か答えたくって。ご寛恕を乞うしだいです。失礼しました。
そうですね、今年の桜が例年のように感じられなかったと、そこまで
感じなかったのは、それこそ質問者の感受性の衰微と思いますが、
桜の咲いている風景を見ますと、その桜の咲いているそこだけか
奇妙に明るく感じることがありますね。
その明るさとはいったい何なんでしょうか。
桜には人を回帰的にさせる作用があるように思えてなりません。
ある人にとっては、死者との別れを、また初恋の苦さを、
ひとめぼれのこころ高まる思いと言うように。
最近吉田満の「戦艦大和の最後」を読んで、これから戦地に赴く乗組員が
つい故郷を思い出し、そこには他の花でない桜が満開であるのが、何とも
印象的でしたが、それが桜の妖しいまでに明るい理由なのかなと思ったりもします。
やはり仰るように桜は花であることを超えているのかもしれませんね。
特に主張することもなく、いさぎよく咲いて、いさぎよく散っていく、
これほど壮大な花もないような気がいたしますね。
あの美しさはやはり時間を越えているような気がいたします。
ところで、今回皆さまからいただいた回答を読ませていただいて
そのつど、思いついた俳句を最後に書かせていただいたのですが、
ここにきて、ついに暗礁にのりあげてしまいました(^^ゞ
そこで失礼ながら、好きな漱石の一句を書かせていただきました。
かならずやZephyrusさんの心情に会い通じるものがあるのではと
考えたのですが、もし不愉快な思いをされたようでしたら、
ご容赦いただければと思います。
回答有難うございました!
菫ほどな小さき人に生まれたし 夏目漱石
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