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最近は学校の先生の価値や評価が下がっています。大学生に聞くと殆どの学生が教授に対して、あのようにはなりたくないそうです。あなたもそうですか?

A 回答 (9件)

元大学教員です。

学生が僕らみたいになりたくないというのは昔からです。あの程度の給料で(国立大で定年までに俸給表のトップに達する教授はそんなにいません。それでも一千数百万円の年収です。多分企業の課長さん並み)あんなに苦労して研究してもなかなかいい結果が出ない。お金も集めてこないといけない。でも研究がちょっと面白いと感じた学生は修士までは進学してくれて,その研究を手伝ってくれる。僕らは尊敬されたいとも思ってないし,社会がどう捉えようとどぉでもいいこと。研究している成果が世界的にちょっとでも注目されることだけが幸せなわけ。
 そのくせに,民間企業や役所は,中立な学識経験者という立場を使ってなにかしら委員会の委員にさせて,雑用を押しつけてくる。一般社会でも,もう何十年も前だが高層マンションの建設前に日照権などで住民の反対組織の委員長に,近所にいる大学教授をかつぎあげたりする。専門でも何でもないのに。結局は,一般社会ではその程度の評価なわけ。尊敬されているわけでもないし,尊敬して欲しいとも思ってない。学問の世界で,何か新しい成果をあげたいという人間です。そんな人,滅多にいないから,学生のほとんどが大学教員になりたくないのは,非常に健全な社会だということです。
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この回答へのお礼

いろいろ参考になりました。確かに学生が大学教授にだけはなりたくないと思うことは健全な社会の証拠ではありますね。
会社の技術系役員(専務や副社長)は大学教授は扱いにくいし付き合いたくないと嫌っていました。視野が狭く、やたらと威張りたがって、頭を下げない、プライドも高いからだと思います。会社では頭を下げないと出世はできません。少しでも油断するとすぐに業績に跳ね返って会社はつぶれてしまいます。そのような戦場で必死で働いている社会とは学者の世界は無縁で異質な世界に思えます。儲からないことでも必死で学生をこきつかってのうのうと何年も研究してますから、まさしく別世界です。大学教員になりたい学生は会社では所詮使い物にならない、学問研究しか能がない連中が行く場所だと思います。まさしくそれが正常なことで本来あるべき社会の姿なのです。

お礼日時:2023/02/05 10:03

>大学生に聞くと殆どの学生が教授に対して、あのようにはなりたくないそうです。

あなたもそうですか?

それをいいだしたら、「サラリーマンになりたくない」だの「youtuberはオワコン」だの「フリーランスはオワコン」だの好き勝手みんなマウンティングしてるだけだと思うけどね。

ちなみに、教授ってのは大学教員のなかの肩書きなので、会社でいうところの「社長」とか「部長」であって、「医者」や「警察官」といった職業を意味する言葉ではない。

つまり「xx教授!」というのは会社で「xx部長!」って呼んでるのと同じだから敬意をもって呼ぶなら「xx先生!」とすべき、って大学院時代の教授は言ってたね。

話は逸れたけど、教授になるかどうかはともかく「大学教員として研究がしたい」って人は需給を考えたら高倍率な競争の激しい世界だよ。ちなみに海外だと「教授か否か」よりも「PI:研究室主催者か否か」が重要。すなわち、教授でなくても研究室のトップでその研究室の研究の最終責任者であれば、教授だろうが准教授だろうがはたまたテニュアートラックの独立助教であろうが、同じように「研究主催者」として評価されます。
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ここは質問コーナーですから自己主張は別でやるべきでしょう。


>会社の技術系役員(専務や副社長)は大学教授は扱いにくいし付き合いたく
>ないと嫌っていました。
それならそれでよいでしょう。
>視野が狭く、やたらと威張りたがって、頭を下げない、プライドも高いから
>だと思います。会社では頭を下げないと出世はできません。
そういうところなんでしょう。
>少しでも油断するとすぐに業績に跳ね返って会社はつぶれてしまいます。
>そのような戦場で必死で働いている社会とは学者の世界は無縁で異質な世界>に思えます。
学者には学者の競争があります。
>儲からないことでも必死で学生をこきつかってのうのうと何年も研究してま
>すから、まさしく別世界です。
>大学教員になりたい学生は会社では所詮使い物にならない、学問研究しか
>能がない連中が行く場所だと思います。まさしくそれが正常なことで本来
>あるべき社会の姿なのです。
一方的な主張をしてもせいぜいここで自己満足に浸れるだけですよ。

我々は日常は基礎研究をやっていますが、それが応用できれば企業にもメリ
ットがあります。
私の場合は、卒業生が行っている会社から依頼されて、常時企業と共同研究をやっていますし、大学では大学で基礎研究も続けていますから、winーwinの関係だし、企業からも喜ばれていると自負しています。
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>日本では低いですね。

なぜか。理由は企業は目先の利益しか考えないからです。
質問は大学教授になりたいですかだったのに、なぜか企業視点になっている。
>よって基礎研究は後回し。20年も30年も待ってられないというのが本音ですね。
>せいぜい3年から5年。長くて10年。入社した時に言われました。「研究は
>3年は待てるが10年は待てない」と。部長クラスの人に言われました。
だから私は3年で企業に見切りをつけました。
>数年で転勤させられますからのんびり研究なんかしていると白い目でみられ
>て評価は下がります。
>目先の売り上げに貢献する人だけがどんどん出世していきます。
>特に研究職より営業職が出世が早いです。
>会社というところはそういう所です。いやなところですね。
なぜか、質問と趣旨が変わっています。
私は、企業が嫌になったので、3年で見切りをつけ、その時点で応募可能な地方
の公立研、国権に勤務し、結果的に大学教授になりました。
別に大学教授になりたくてなったわけではありませんが、研究を続けていたら
大学教授がベストと思うようになったわけです。公設研や国研にしても目標が
あって、自分のやりたい研究ができるところではなかったためです。ほかの研
究をしながら、自分のできる研究ができる時点まで待つ姿勢も必要でした。

ちなみにここは愚痴を主張するために質問をするサイトではありません。
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自己満足が何より大切な人というのは、一定数います。


したい研究ができて餓死しなければ人生最高という人は
確かに存在するでしょう。
しかし、家族を持つと責任というものも生じるし、
責任以前に、家族にある程度の経済基盤を提供したい
という気持ちも生じます。
子供は、ストリートミュージシャンとか大学教授とか
そういうものに疑問なく憧れるけど、まともな大人は
稼がなきゃならない事情を抱えているものです。
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この回答へのお礼

一般論は分かりました。ところで、貴方はどうですか。なりたくないということですね。

お礼日時:2023/02/05 18:20

欧米諸国に比べると 大学教授に対する評価が低い気がします 欧米諸国より日本の大学生のが遊べる 世間の印象が あるからかもしれません

 実際には大学教授になるのは 難しいことですし それぞれの研究が 社会に貢献していることもあるわけですから もっと評価されるべきことだと思います
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この回答へのお礼

日本では低いですね。なぜか。理由は企業は目先の利益しか考えないからです。よって基礎研究は後回し。20年も30年も待ってられないというのが本音ですね。せいぜい3年から5年。長くて10年。入社した時に言われました。「研究は3年は待てるが10年は待てない」と。部長クラスの人に言われました。まさしくその通りです。数年で転勤させられますからのんびり研究なんかしていると白い目でみられて評価は下がります。目先の売り上げに貢献する人だけがどんどん出世していきます。特に研究職より営業職が出世が早いです。会社というところはそういう所です。いやなところですね。
私は会社のサラリーマンは嫌です。自営業で好きなように仕事をして勤め人の10倍以上収益があります。自営業が一番だといつも思っています。

お礼日時:2023/02/05 10:14

そもそも、大学の教授は「学校の先生」とはちょっと違うのですが…。



>大学生に聞くと殆どの学生が教授に対して、あのようにはなりたくないそうです。

「殆どの学生」というのは、どのようなデータに基づくものでしょうか。それが子供が親に主張する「みんな言ってる」の「みんな」と同レベルのもの、ということはないでしょうか。
生意気な学生が、教員(特に学生に厳しい教員)に対して悪態をつくのは、昔からよくあることです。
また、「あのようにはなりたくない」というのは、「大学教授という職業になりたくない」という意味ではなく、「あんな性格の人間にはなりたくない」という意味です。一般企業で言うなら、生意気な新入社員が、自分に厳しい上司を思い浮かべて「ああはなりたくない」と言ったとしても、上司のポストそのもののポストに対する評価が低い=自分は昇進したくない、と思っているわけではない、というようなものでしょう。
大学教員になるためには、大学院を出て、論文を書いて研究業績を積んで、少ないポストを勝ち抜いて採用されなければなりません。大学院修了者の中でも誰もがなれるものではなく、さらにその中で教授という職位に就ける人は一握りです。学生が「自分には到底できっこない」という意味で「なりたくない」と言うのなら、まだわかりますが。
学生は「大学教授」という職業や職位そのものの価値を低く見ているのではなく、ある特定の「自分が知っている先生」を思い浮かべて、「あんな人にはなりたくない」と悪態をついているだけです。
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大学生の中で教授になれるのはごく一部です。


ほとんどはなれない人で、そういう人がなりたくないといっても問題ありません。
高校球児のほとんどがプロ野球選手になれないのと同じです。
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私の頃は、尊敬できました。



面白い名物教授がいました。

闇雲に尊敬すべきとは思っていませんが。

ただ賢いだけでは大学教授になれませんし。

大学院へ進学して、論文を書いて、認められる。

私にはとても真似できそうにありません。

だから、なりたいと思ったことはないけど、尊敬はしています。
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この回答へのお礼

普通はそうですね。「尊敬するがなりたくない職業」です。金と無縁の世界で貧乏学者とい昔からいわれてますね。プライドばかり高くて人に頭を下げられない人種です。小中高の校長先生もそんな感じですね。

お礼日時:2023/02/05 10:18

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