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詳しい方お教えくださいませ。

A 回答 (7件)

物価はものによって相当違います。



たとえば昭和33年頃でしたら
玉子は10~15円
きつねうどんが30円
でした。

ただ
玉子1個 11~15円
バナナは1本50円
14インチ白黒テレビ 6万3千円

単純には比較はできません。

ただ大卒の給与が1万円の時代ですから、給与ということでいえば20倍ぐらいでしょうね。

ですので
4000円は80,000円
5000円は100,000円
ぐらいです。
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この回答へのお礼

有り難う御座います。
インターネットだけで、調べても本当のことは、
分かりません。
Goo教えてで、お答え頂きましたことは、大切に保管しています。
私の質問、質問の仕方も悪かったと。反省しています。
後発白内障の為見にくくて、誤字が、多くてご迷惑をお掛け申し上げました。
昭和33年の頃のお菓子を買いに行った以外物の値段は、私も小さい子供で良く覚えていません。
亡き母の長男の女の子が、肺炎で亡くな和歌山市の再婚した嫁さんのお母さんの実家に預けられていました。
家から離れた中学校に通学為るために自転車が、必要と言って来ましたので母が、亡き父に頼んでその当時のお金で4000円贈りました。
所が、私より、年上のこのいとこが、大阪に来て結婚した時に私に亡き母の贈ったお金では、新品の自転車が、買って貰えなかった言いました。亡き母は、亡き父は、きっちりした性格お金を誤魔化さない和歌山のおばあさんが、ピンハネして中古の自転車を買い与えた言いました。
私は、昭和33年の商品価格が、分からないので質問させて、貰いました。

お礼日時:2023/05/23 08:29

当時のタクシーの初乗りが、大体60-70円でした。


今なら660円ぐらいでしょ。
そう考えると、10倍の価値があるんじゃないですか?
4万~5万でしょう。
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この回答へのお礼

有り難う御座います。

お礼日時:2023/06/06 11:04

昭和33年ですか…昭和33年といえば、ご存じ最後のギザ10が鋳造された年ですね。


額面で5,6万円は現在します。
じゃぁギザ10で4千円持っていれば、4,000X5,000で20,000,000円というロマンがありますが、実際はされもきにしないかもしれません。
コレクター内での価値ですから、銀行にいけば10円は10円ですものね。

その頃の駄菓子ですが、翌年の昭和34年に発売を開始した10円で買えたみんな知っている駄菓子は、

ベビースターラーメン
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この回答へのお礼

有り難う御座います。

お礼日時:2023/06/02 09:42

日銀が消費者物価指数というものを出してます。


それによると、2020年(令和2年)を100とすると昭和33年が17.1です。
直近の令和4年が102.7ですから、現在は昭和33年に対して約6倍程度ということです。
つまり4000円は今の24000円、5000円だと今の3万円ほどです。
公のデータだとこんな感じになります。
https://www.boj.or.jp/about/education/oshiete/hi …

ただ、過去と比較しようと思うと、何を基準にするかで大きく考え方が変わります。

上記の物価指数で比較する方法は、同じようなものを買う時のお金の金額の比較になります。当時5千円で買えたものを今買おうとすると3万円払わなくてはならないという意味です。
昭和33年と同じ生活レベルを維持するためには当時の6倍の収入があればいいんですが、当時の生活レベルというのは現代で見るとかなりな貧困層の生活だと思います。単身だと風呂もトイレも共同の狭いアパートで家電もほとんどなく、電話なども無いという生活です。

かといって、収入で比較する場合、大多数が中卒だった時代のエリートである大卒と、多くの人が大学を出る時代の大卒初任給を比較しても仕方がないように思います。(高給取りと普通の人の比較?)

ただ言えることは、収入が20倍になり、物価が6倍ということは日本の社会がいかに豊かになったかということを示しているように思います。

ご質問とはズレた回答になりますが、イメージがつかめましたら幸いです。
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この回答へのお礼

有り難う御座います。

お礼日時:2023/06/02 09:42

昭和34年で2万なにがしと書いてあったウチの爺さんの給与(報酬)


明細がふるーい金庫から出てきたのを数年前に見たことがあります。

そんなもんだったんだ。。。と思いましたね。

当時、この爺さん従業員6人ほどの小さい会社を経営しており
ましたので今でいう零細企業の社長だったらしいです。

今この程度の小さい会社の社長というとだいたい50万くらいもらっていると
思われます。
従って、2万が50万ですから約25倍。逆を言うと
25分の1ですね。
つまり、当時の5千円は25倍すると今の12万5千円になるんでしょうね。

んー、ちょうどそんなもんだと思いますよ。

今この会社はオヤジ、私と継承してきており
今は70人程度の会社になって私もたっぷりいただいております。
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この回答へのお礼

有り難う御座います。

お礼日時:2023/06/02 07:28

No3です。


お礼拝見しました。
関西ゆかりの方でしょうか。

追記をします。
国鉄大阪駅から天王寺まで10円でした。
地下鉄はどこまでのっても15円でした。

万年筆は800円でした。
腕時計は6000円でした。

子供のお小遣いは5円か10円
キャラメルは普通は10円
チューインガムも10円
お菓子で「雀の卵」というのがあってこれは2個1円でした。

銭湯は
小学生未満は8円
小学生は12円
女性が髪を洗う場合は10円の洗髪料が別に必要でした。

私は
二宮尊徳の1円札
国会議事堂の10円札
板垣退助の100円札
使用した記憶がありますよ。
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この回答へのお礼

有り難う御座います。
大阪市生まれです。

お礼日時:2023/05/26 09:05

この手の話題だと、大卒初任給に比較が取り上げられますが、


大学進学率は10%台、高校進学率は50%強
中卒が30%程度の時代なので、
当時のエリートの大卒初任給を比較してもあまり意味は無いです。
高卒の国家公務員の初任給は6,300円
30%程度いた中卒の初任給が4~5千円

家の手伝い(農業など)の為に、中学校すら
まともに行っていない人もいたし、農業の盛んな地域では、
農繁期には、小中学校は休みになりました。
子供が家の農業を手伝うため、学校が休みになるのです。

原付(125cc以下)は、免許ではなく許可制で、
14歳以上で、申請して認められれば貰える制度でした。
14歳は中学生ですが、家業の手伝いや、
出前で仕事するための理由なら認められた。

こんな時代なので、外食はブルジョアがするもので、
庶民の多くは、外食をしたことが無かった。
だから、ラーメンなどの外食の価格の比較もあまり意味が無い。
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