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結局のところ、生物ってのは《喰われる為に》生きているのではないだろうか。

それを喰うやつらの為に!です。

そして、行き着く先(終局)は人間の為に!だと思うのですが。

質問者からの補足コメント

  • 類人猿には天敵という肉食動物はいるのだろうか?なんて、ふと思いました。

    だから、チョット調べてみます。

      補足日時:2023/07/24 12:07
  • 人間だから、楽しみを感じれば苦しみも感じる。

    その人間が、宇宙の物質の物理現象を見ても、楽や苦は感じません。
    ですが、生き物の活動を見るとそれを感じる訳です。

    なぜ、こんなことになったのでしょう。

    どうせなら、楽ばかりの世界を作り上げればよかったのに。
    万能の神、でも無理だったのか?
    それとも、分かっていて“わけ”あって、承知で作り上げたのだろうか?

    私は“訳アリ”と思うのですが。

      補足日時:2023/07/24 20:19
  • 今回は不十分ではありますが一応、納得できる答えが見つかりました。
    誘導してくださったムカリンさん、有り難うございます。

    そして、回答して下さった皆様、有り難うございました。

      補足日時:2023/07/25 09:13

A 回答 (29件中11~20件)

家畜や養殖についてはそのとおりだと思います。


逆にいえば食われない家畜は種の保存が不可能なので絶滅します
養殖の場合はそうでもないですが
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この回答へのお礼

ただ、家畜は人間によって生かされていて、外敵からは守られていると云うところが、自然とは違います。

お礼日時:2023/07/24 13:02

真理を追及するなら一つの見方捉え方考え方に囚われずに多面的多角的多層的多視的に捉えなければならないのです

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この回答へのお礼

なるほど。

でも私には難しいです。
多面的多角的多層的多視的、と云うのが。

この質問やお礼文?はこれのどれかに当て嵌まりますか?

お礼日時:2023/07/24 12:26

真理を追及するなら一つの見方捉え方考え方に囚われずに多面的多角的多層的多視的に捉えなければならないのです


それは基準についても同じ  
ですから人間以外のありとあらゆるものを基準にすべきなのです
と言う事で基準を人間ではなくて地球にしてみたのです
それを踏まえて言えば私が例示したその考え方において人間を例外とする合理性や必要性はないですね
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この回答へのお礼

例外と云ったのは、今は地球の為になっていない、と云う思いからです。

地球の意思が自然環境を作り出したというのに、今は破壊がすすんでいるので、このような考えを持ちました。

お礼日時:2023/07/24 12:17

>生物の頂点にいる人間に関しては、喰われるために生きている、とは思えません。


頂点かどうかは分かりませんが頂点としても生物には違いないので生物の世界の法則は人間にも当てはまります。例えば社畜なんかそうでしょう。
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この回答へのお礼

人間精神の世界なら当てはまるかも、です。

奴隷や兵隊などを思い付きます。

お礼日時:2023/07/24 12:01

追記


音色さんのその考え方は人間を基準とした考え方でまさに人間原理的な考え方
ですが真理を追及する上で人間を基準にしていいのか?となります
と言う事で人間を基準から外し地球全体で捉えた理論それがガイア理論 です
ガイア理論が示唆したことそれは地球は生命体であり地球環境は生命体である地球の意思によるもの  
そうであるならば地球で生み出されたものは全て地球の為に地球の意思によって生み出されたとなります
そうであるならばヒトを含め全ての生命体は地球の為に存在してると言えるでしょうね
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この回答へのお礼

人間は例外、ではないでしょうか。

お礼日時:2023/07/24 11:48

そんな言い方をすれば人間も同じでしょうね。

人間は人間を食う。せめて感謝しながら食ってほしいね。「いただきま~す、ご馳走様、ありがとう」
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この回答へのお礼

生物の頂点にいる人間に関しては、喰われるために生きている、とは思えません。

他の動物はお互いに“身”をささげあって生きていますが、人間は喰うばかりです。

お礼日時:2023/07/24 11:47

真理ですか?


断っておきますが全ての生命体は生存欲求に従って生きているのであって一部の生命体を除く殆どの生命体は食べられる為=死ぬために生きているわけではないですよ
カマキリやクモはまさにその象徴
カマキリやクモのメスは交尾中に交尾相手のオスを食べるという習性があります。またオスには交尾中に食べられ結果死んでも交尾ができる仕組みを備えているのです
それはつまりカマキリやクモのオスは質問者さんの言うとおりに遺伝子的には交尾中にメスに食べられる為に生きているのです。
ですがカマキリやクモのオスにも生存欲求がありその上交尾すればメスに食べられる事を本能的に知っているので交尾してもメスに食べられないようにするための工夫をするのです
以上から言えることは交尾中に食べられるように遺伝子にプログラムされているにも関わらず食べられたくないとの衝動にかられると言う事です 
つまり食べられる為に生きているわけではないと言う事です
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この回答へのお礼

なぜ、生き物は他の生き物を捕食しなければ、生きられないように出来ているのか?

ほかの方法は考えられなかったのでしょうかね。

人間の四苦八苦の原因の根本は“これ”に起因しているように思うのです。

お礼日時:2023/07/24 11:40

No.10へのコメントについて。



> 汎神論、とか云うやつ

アニミズムとごっちゃにされるようなヘタな呼び名で、ったくどこのドイツが言い出したんでしょうね。ま、(例の"神"ではないところの)「神」という表現を使っちゃったご当人のせいでもあるのだが、じゃあ代わる言葉はあるか。「原理」とか「法則」とか?いや、それはそれでまた余計な連想が付きまとってしまう。だったら、とりあえず(南方熊楠によれば”まぐれ当り”ではあるけど)ルクレチウスあたりから始めてみるのもいいかなと。

> 生物に“生きる楽しみ”がある

説明を後付けしてるんじゃないの?ってことです。顕微鏡で微生物を眺めてると、説明なしの衝動こそが存在の本性、という話が腑に落ちませんかね。
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この回答へのお礼

昔、このカテに訪問していた学者の猪突氏が尊敬する、南方熊楠ですね。「粘菌学者」の。

生命の神秘、という件についてはNHKの番組でいつも感動しています。

でも、賛美する一方で、喰われるものの身になってみろ、といつも思うのです。

お礼日時:2023/07/24 11:31

結果論ですね


生命体が他の生命体を食べあっているのは全ての個体数の増減を繰り返し一定の幅で推移する事で一定の状態を保とうとするためです
これは人にも当てはまることです
これを恒常性(ホメオスタシス)と言います
これは人に当てはまっていて人も本来個体数の増減を繰り返しながら一定の幅で推移する事で一定の状態を保とうとするのです
ですが文明国家においては科学技術の向上によって繁殖適齢期までの生存率が著しく向上かつ大規模な自然災害などでの死亡者数を激減させた事で短期間で急激にて人口が増加しました。しかしながらそのままのペースで人口増加していけないので本能的に自ら人口増加を抑制しているのです。これが少子化の真の原因です
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この回答へのお礼

この説明こそ結果論ではないでしょうか?

私の質問は、結果から真理を見つけ出そうという思惑(おもわく)があるのです。

お礼日時:2023/07/24 09:46

「食物連鎖」という<物語>について語っていらっしゃるようだけど、いや、目的アリキってのは偏狭な見方かと思います。

スピノザのエチカあたりをじっくり読んでみてはいかが。いやとりあえずルクレチウスでもいいか。
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この回答へのお礼

汎神論、とか云うやつですね。

生物に“生きる楽しみ”があるのは、馬の鼻先にニンジンをぶらさげて走らされているようなもの、とは思いませんか?

お礼日時:2023/07/24 09:37

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