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こんにちは。

タイトル通りですが、三国志の竹林七賢人についてです。
この七人の名前とどんな人なのかをご存じの方、教えてください。

当方、三国志はさっぱりなのですが、ちょっと七賢人に興味あります。
よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

下記サイトで簡単な解説がされています。



参考URL:http://www.tabiken.com/history/doc/L/L253L100.HTM
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました。
お調べくださってありがとうございます。
参考にさせていただきますね!

お礼日時:2005/05/02 00:09

竹林七賢人は三国志とは関係なかったような気がしますが・・・。



中国の3世紀半頃に清談(せいだん)を論じた7人の賢者を指すようです。

阮籍、ショウ国、ケイ康、山濤、劉伶、阮咸、向秀の7人と言われています。

ちなみに、清談というのは、中国の魏晋時代に流行った哲学論のことです。

※この7人が竹林に集まって、討論をしたとされていますが、実際の証拠は無いようです。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりまして申し訳ありません。
参考にさせていただきます。
ありがとうございました!

お礼日時:2005/05/02 00:12

竹林七賢者とは、三国末期から西晋初期頃 清談をした七人のこと。



さて、清談とは、もともとは、人物を評する清議から始まってる。
その後、政治的言論に発達していったが、魏王朝が政治的発言に弾圧を加えていったことから、
哲学的言論に変わっていた。
主に老荘思想がテーマとなり、お互いに論理を発言しあい、勝負をしていた。

以下、人物については「正史・三国志」等により調べたこと。

山濤(さんとう) 字:巨源(きょげん)
生没年:205~283
晋の名士。選曹郎になったとき、自分のかわりに?康を推挙したが、?康は返書を出して拒絶している。


阮籍(げんせき) 字:嗣宗(しそう) 
生没年:210~263
礼儀作法や風習風俗にこだわらない人物。
酒好きで、歩兵校尉の麾下に、酒造りの名人がいると聞くと、
酒を飲みたいだけに歩兵校尉の官になることを望んだ。
念願の校尉になると、思いのままに酒を飲んだ。
阮籍は、人の欠点を言うことがなかったので、自然と人々には慕われたらしい。
だが、礼儀作法のうるさい者たちには、目の敵にされた。
そのたび、司馬昭が彼をかばい続けたたという。


?康(けいこう) 字:叔夜(しゅくや)
生没年:223~262
魏末期の詩人であり、思想家。
優れた才能をもち、自由闊達で高尚で性情の赴くままに行動し、評判を気にしなかったという。
特に呂安と親交を結び、鍛冶仕事を趣味とし、神仙に憧憬を抱いた。
その呂安が無実の罪をきせられて投獄されたとき、弁護を買って出たが、
?康を恨む者の進言によって、呂安とともに司馬昭に殺された。


王戎(おうじゅう) 字:濬沖(しゅんちゅう)
生没年:234~305
幼い頃から、大人顔負けの聡明さを示し、恵帝の時代には司徒となった。
しかし、政務には関心がなくひたすら利殖に邁進し、そのケチぶりは有名であった。


劉伶(りゅうれい) 字:伯倫(はくりん)
生没年?~?
詳細不明


向秀(しょうゆう) 字:子期(しき)
生没年:227?~272
晋の名士。
?康・呂安と特に親交を結んだ。老荘研究に力を注ぎ、「荘子」に注を施した。
?康・呂安が処刑された後、二人の感懐を「思旧賦」という賦に詠んだ。


阮咸(げんかん) 字:仲容(ちゅうよう) 
生没年:?~?
阮籍の兄の子。阮籍とふたりで「大小阮」と呼ばれた。
魏末、司馬氏の専権をふるっている間、自分の身を守るためか放縦な生活を送った。
音楽に精通し、琵琶を好んだ。
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この回答へのお礼

大変細かく調べていただき、恐縮です。
とっても参考になりました。
何で調べてもここまで出てこなかったです。
本当にありがとうございました!

お礼日時:2005/05/02 00:23

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