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転職情報について

よく転職して家族との時間が増えて、仕事も充実しています。年収1000万円40代です。などの広告を見ます。

そんな仕事あります?

私は50代中間管理職で朝の7時から20時プラス通勤1時間が毎日で900万です。

毎日眠たくて仕方ありません。
プレッシャーで脳の血管切れるんじゃ無いかなと思って毎日仕事してたら脳梗塞になりました。

ベッドで今有意義に過ごしています。

こんなにも日中眠たくならない事などありませんし、上司部下、得意先から難しいこと言われて乗り越えて、1億円以上する案件プロジェクトを受注しても給料は変わらず。

ただし、失注しても変わらないので仕方ないのかとも思います。

今は色々な事を考える時間があり、入院してるのに充実してます。

家族との時間大切にしないとと思えます。

皆そんなものですか?18時や19時に家に帰った事ありません。9時に出社した事ありません。
昼ごはん1時間休んだことありません。

転職は別として楽に沢山給料もらえる仕事なんてこの世に存在するのですか?

A 回答 (7件)

>まずこれ以上に長い勤務時間とは土日で出られたのですか?


20時以前の退社は皆無で当然土日もピークには結構ありました。
>役職定年後転職など時々聞きますが、それはどうやって見つけられた
一つ上の同僚が、担当顧客の人材募集(部長の昇格に伴うポスト空き)情報を伝えて紹介してくれました。超ラッキー。
>私は100万円ダウンになったら生活厳しいと思うのですが
早期退職割増と単身赴任解消による経費減でトントンと判断しました。60歳での転職でこんな好条件はあり得ないと思い決断です。
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この回答へのお礼

土日も仕事ですか、わたしの友人もリストラに会いかけて退職した先輩に仕事紹介してもらってト同じ様な事を言ってました。
52歳で転職して今は楽になったと言ってました。
ただし給料は400万後半らしいです。
それも辛いなと思いますけど、100万ダウンで経費減ればトントンとは超ラッキーですね。
やはり先輩からの紹介大事ですね。商社勤務なのでスキルありません。
頑張ります。ありがとうございました。

お礼日時:2023/10/20 17:07

まずスキルです。



世の中には資格とか単なる知識レベルのものをスキルと呼ぶ人が居ます。
でも使ったことのない資格や知識なんかはスキルじゃありません。

カネに直結するスキルとは、期待する成果を出せることを証明する実績が示せる知識・ワザ・ウデのことです。

資格や知識でカネになる成果を出すには、その使い方を知り、それで成果を出すために必要なノウハウを持ち、それを使いこなして慣れていなければならないもんです。
それを持つ人のことをプロと言うんでしょう。
プロのスキルとはこれでしょう。

  他の人がやらない有益なことができる
  他の人ができない有益なことができる
  有益なことで他の人より優れた結果がだせる

その『有益』『優れた』のレベルでプロの価値が左右され、手に入るカネが変わります。

会社で上司と呼ばれる人たちがスキルを正当に評価でき、それに見合った報酬を与えればプロは力を発揮するでしょうが、適切に評価しなければプロは逃げます。
だからその道のプロは成果が正当に評価されない所には居ません。
本物のプロがいる場所がめったにないのはそのためです。



私はプロファイルに記した通りの在米の隠居爺です。
現役時代は心の中でプロを自称していました。
私の場合の実態を紹介しましょう。



私は子どもの頃から多趣味でした。
その中でも電気工作が好きで、それが高じて本業にしました。

父親が家のブリキものの修理でやってたはんだ付けに興味を持ったのがきっかけで、捨てられてたテレビやラジオを拾って来ては分解し、はんだ付けを外しては電子部品や電線を集めてました。
そして買ってもらった雑誌を頼りにラジオやオーディオアンプを自作してました。
小学生の頃でした。
中学生になるとアマチュア無線の免許を取り、これも雑誌を頼りに通信機を自作しては遠方の人との交信を楽しんだものです。

私は東北のド田舎で生まれ育ちで近所に同じような趣味の人は居なかったため、全ては独学のひとり遊びでした。
何冊もない雑誌だけを頼りに、全ては自分で考え、自分で手を動かして試行錯誤で覚えました。
そうしているうちに、高校に進むころには、作りたいと思うものはおよそ何でも自分で回路図を描き、回路定数の計算をし、シャーシの板金設計や加工も自分でできるようになってました。

そんな具合なので、大学はお決まりのように工学部に進みました。
首都圏のそこそこ良いところに入れましたが、大学はつまらなかった。
授業や実験・実習でやることはもう知っていることばかりでしたから。
だから私は多くの時間を今で言うインターンシップに費やしました。

知ってはいたけど使ったことのない理論などを実際に使っている企業に行き、そこで設計者や研究者の手伝いをさせてもらって使い方などをおぼえるのでした。

大学で唯一楽しいと感じたのは、先端的な話題を紹介してくれる先生の授業でした。
ただ、当時の大学の先生は欧米の話題を聞きかじって薄っぺらい上辺だけを話してくれてるだけでした。
なので、その文献を教えてもらい、論文が言ってることを自分でも試作して試してみたりしてました。
そんな活動では、インターンで出入りさせてもらった企業や、アルバイトで出入りさせてもらった秋葉原の部品店やシステムハウスなんかには助けられました。
部品を手に入れたり計測器を使わせてもらえましたから。

そう言うことでしたから、私の場合は新卒で就職したら即戦力で仕事をさせてもらえました。
しかし、年功序列と終身雇用でガチガチの日本社会では、私の実績は適切には評価されませんでした。

なので、まだ転職が社会で珍しかった時代でしたが、ヘッドハント会社の仲介で転職をしたりもしました。
次の会社でもすぐに実績を出して見せ、そこそこの評価はもらえましたが、満足のいくものではありませんでした。

そこで私はアメリカに行くことを考えました。
しかし、今のように海外旅行を簡単にできる時代でもなかったことから、自社の中でアメリカに事業展開するような機会を探し、それに乗じて派遣してもらおうと考えました。
そこではすでに出せていた実績が奏功し、アメリカへの派遣要員に混ぜてもらえることになりました。

アメリカに派遣される役目は私の本分を発揮できるものではありませんでしたが、その後の私のスキルの幅を広げることになる要素を多分に含んでいたことは幸いでした。
現地での仕事は粛々と進める一方で、私は自分の時間を使い、現地で知り合った仲間との交流を通じて私のスキルを使うチャンスを探しました。

そこで出会ったのが、仲間のひとりが壁にぶち当たっていたという案件でした。
その仲間に詳しく聞くと、ある技術が必要だが、それを使ったことがないのでどうしたらいいかわからないのだと。

そこで必要としていた技術は、偶然にも私が大学時代に出会い、実際に使うにはどうすればいいかを興味本位で考え、実際に自作して試したりもしていたものでした。
なので、私はそれを手伝ってやることを申し出、対応してあげました。

こう言うと簡単に聞こえるかもしれませんが、開発案件をひとつ完成させるというのは夏休みの自由研究とは違います。
この案件は、計測・情報処理・通信を行うシステムを開発し、それを小さな一つの半導体の中に押し込むというものでした。
責任を全うする上では、解析や検証、文書・図面の作成などにも手を抜くべきではありませんから、やることがとても多く、時間も手間もかかるものなのです。

当然、お金も結構かかりました。
お金は仲間の仕事先がだすので私の問題ではありませんでしたが、プロの世界では『しくじってゴメンナサイ』は通用しません。
だから、請け負ってお金をもらうなどとは言わず、全ては無報酬のボランティア仕事でコツコツやりました。
当初私が予想していた以上に時間がかかってしまいましたが、何とか求められるものを渡してあげることができました。

私がしてあげることができるのはそこまでで、そこから先は仲間が進めて結果を出したのでしょう。
プロジェクトは成功裏に終えることができたようだと誰からともなく聞いた気がします。

普通ならそんな話はそれでおしまいでしょうが、これには後日談が付きました。

そんなことがあったことなどすっかり忘れた頃のある日、私はその時の仲間に呼ばれ、彼のずっと上の偉い方のところに連れて行かれました。
聞けば、彼の仕事は期待を遥かに超えるいい結果を生んだのだそうで、その礼を言われました。
そして、そこでは思いがけない言葉を戴いたのです。
『好きなだけアメリカに居られるようにしてあげる』というご褒美でした。
それからの、そして今の私はそれであります。

長々と私の生い立ちを書きましたが、言いたかったのはこの最後に起きたことです。

世の中には実績を適正に評価してくれる人は居るのです。
そういう所で働けば、それなりの見返りは付いてくるのです。
そういう所を見つけるのは容易ではありません。
そのためには、例えばこの時の私のように、それが使える時が来るかもわからないけど勉強しておかないといけないとか、報酬が得られなくても助けてやろう、などという活動をしていなければならないのです。
何をしたらそうなるかなんてわかりません。
ただ、言えるのは、やれることはやっておく、ぐらいです。



私の実績やそれに対する評価の話は、誰がどんな経路でどんな内容で話したかは知りませんが、私が勤めていた日本の会社にも伝わり、その後の待遇はとんでもなく変わりました。

プロも若くて経験の幅もそう広くないうちは自分で自身を訓練して自力でスキルアップは出来るものです。
しかし、経験を積んでスキルの幅が広がってくると、その全てを最新の状態に研ぎ澄ましておくのは難しくなるものです。
なので、ある時から私は専門分野の中核に据えていたいくつかの分野については、専門の教育訓練機関の力を借りるようにしました。
いわゆるプロ向けのコンサルタント・ファームを使うのです。

2~4週間缶詰になり、最新の情報や技術を教えてもらい、ウデ・ワザ・ノウハウを磨く訓練をしてもらうのです。
普通なら中堅社員の研修などと称した社内のもので勉強したりするのでしょうが、そんなもので『他の人より優れたもの』なんて手には入りません。
プロにはプロのものが必要なんです。

そんなものは会社は面倒を見てくれません。
だから旅費・滞在費も含めて全て自費で行きますし、せいぜい一週間しか取れない有休には、訳を話して休職を足してして行きました。
休職すれば賞与に響きますが、結果が伴えば、自腹の費用と休職のマイナス分なんて超えるものが手に入ります。

私は4分野のそんな教育訓練を毎年変えて4年周期でリタイヤまで続けました。

プロがプロであり続けるとはそれなりにやることはあるということです。
でも、それさえやれば、ついてくるべきものはついてきてました。



しかし、そんな話も今となっては昔語りです。
私の背中を見て育った子どもたちは、今当地のそこそこの大学の大学院に居ますが、彼らは既に彼らを適切に評価してくれるスポンサーを見つけているようです。
当地の大学ではやる気のある子たちは勉強の傍らでインターンシップに励んで自分を鍛えますから、大学院に進んだり就職すると即戦力です。

大学院で良い研究をすれば、目ざとい企業はすぐにスポンサーになってくれます。
学費も研究費も出してくれたうえに日本の大手企業の中堅以上の報酬さえ出してくれます。
羨ましい限りです。
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この回答へのお礼

スキルないですね。仕方ないですね、ありがとうございました

お礼日時:2023/10/20 17:04

厚遇の転職も稀ではありますが存在します。

外資系が比較的多いと思いますが、結果が出ないと早々に厚遇も無くなります。
私は永くIT企業に勤めており収入はもう少し多かったですが、勤務時間はそれ以上に長かったです。
55歳の役職定年を機に、7年間続いた単身赴任の解消もあって、誘いを受けた中小企業に転職しました。役定後の更に年収100万円ダウンですが残業や休日出勤は皆無で、この年齢になってようやく家族と夕食を共にする生活に入れました。転職前は過労働やストレスから軽いうつ病も発症しましたが、転職後はストレス無く風邪もひかなくなりました。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。理想的な回答いただきました。
まずこれ以上に長い勤務時間とは土日で出られたのですか?
役職定年後転職など時々聞きますが、それはどうやって見つけられたのですか。
私は100万円ダウンになったら生活厳しいと思うのですがなんとかなりますか?元々私よりも多く貰ってらっしゃるのでしようか?
過労働や家族とゆっくり生活がしたいです。ありがとうございました。

お礼日時:2023/10/20 11:35

上場大手と中小零細では給与差が大きいです。


日本では少子高齢化が進み、限られた市場から収益を上げることは大変厳しく、また市場原理主義のレッドオーシャンです。
一方で海外マーケットを主戦場にする企業は収益が上がる傾向にあり、社員への還元も株主への還元も活発です。
毎年、企業の収益の成長が見られる企業で働かれていると給与も右肩上がりですが、収益の鈍化となる企業では給与は上げられません。
40代で1000万円以上の給与水準の方はそれなりの高いキャリアを持たれており、経験値と実績も伴うものです。
私の友人に日本の代表的な総合商社で働く40代が居ますが、大卒でIT企業で働いていて、引き抜かれて総合商社に入り、現在12年目の管理職ですが年収は2000万円強です。
エネルギー関連の開発事業を担い、1年の3分の1を海外出張でとてつもない収益を担うようで、移動時間の仮眠が最大のおかずであるようで、仕事の出来高に対して給与割合が低く、一方で課税割合が高いと言っておられ、会社にとって私の採用はお得であるとも言っておられます。
楽な仕事はないのですよね。

上には上がいますが、下には下もおり、あなたは平均よりも良い方です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2023/10/20 17:03

夫の話ですが。



外資系企業、30代、役職なし、
年収900万くらい、土日祝休み、福利厚生充実、
フレックス、在宅勤務

毎日1時間〜2時間くらい残業していますが
通院などの際は有給使わずに業務時間調整したりできます
もちろん有給もとりやすいです
休憩はお昼休憩の他に適宜取っています

しかし、傍から見ていても夫の仕事は決して楽ではありません

業界によって差が大きいと思いますが
企業の方針も大きいです
夫の勤め先はワークライフバランスを大切にしているので残業時間が多いと(絶対ダメとかではなく)一先ず上司と短時間のミーティングが入りますし、男性育休も取ったほうが良いよと上司が言ってくれます
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この回答へのお礼

そうですよね。ありがとうございました。

お礼日時:2023/10/20 17:03

職種や業種、企業によってはあるかな、とは思います。



私自身、量的にはたいした仕事をしていませんでしたが、30代で1000万円以上もらっていました。

業界はマスコミです。

ちょっと特殊な業界なので、これが普通ですよとはいいませんが、ないわけじゃないといえます。

もちろん、広告の事例についていえば、普通じゃあり得ない設定だから広告になるわけです。

広告には美男美女しか出てこないのと同じです。

「いくら採用しても橋本環奈みたいな社員はどこにもいねーじゃねーか」って疑問に思うようなものです。
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この回答へのお礼

マスコミ大変でしょうね。色々あるのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2023/10/20 17:02

楽とは何ぞや?


貴方は今ルーチンワーク
マンネリ化した仕事してるんじゃないの
それは有る意味楽な仕事です

それを越えて歩合制、出来高払い
大手企業の管理職に即戦力として働けて
定時で帰れる仕事量こなせるなら楽って言えるでしょう
貴方と同じ仕事量で定時に帰れるレベルの
頭の回転の速さと才能が有ればそういう生き方もある、、、
というか出来る

命と体の値段が年収900万
それで体壊してるなら本来貴方はそれ以下の
才能と力量なんですよ
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この回答へのお礼

私の才能量ですね。ありがとうございました。

お礼日時:2023/10/20 17:02

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