プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

稲泉連が、宇宙飛行士の生態について、次のように書いています。

<同じチームのアメリカ人飛行士の一人が、ノートに挟んで持ってきた聖書の一節を取り出し、それを読みながら祈りを捧げていた。
特定の信仰を持たない彼女は交通安全のお守りを持参していたが、>

彼女とは、山崎直子のことです。
このアメリカ人は、おそらく神・キリストに祈っていたもの、と私は思います。
山崎直子の持参したお守りには、おそらく神社と神の名がのっていた、と思います。
しかし、ふつうの日本人は、神を意識して祈りはしませんよね。(私の認識が間違っているかもしれませんが)

質問は、ふつうの日本人はお守りをとおして、誰に/何に祈っているのでしょか?

A 回答 (12件中1~10件)

神社で注意深く眺めてみてください。


「お父さんお母さんを大切にしなさい」などという標語と併せて、「自分がこの世界の一部である事に感謝してしっかり生きなさい」などの標語もありますよ。
だから、神を信じると言うより、自分は大きな世界、大きな宇宙の一部なんだ。守ったり守られたり、助けたり助けられたりして、その世界の中で他の存在と共存するんだと信じて、一生懸命に人生を全うしようとする。お守りはそれを信じるためのアイテム。
と、考えていたりしませんか。日本人の音楽や小説など様々な作品の中に、そんな意識が自然に息づいてるのかもしれませんよ。
次のメロディや歌詞から、そんな雰囲気も感じ取れませんか
黒石ひとみ「プラネテス」
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<ふつうの日本人は>ご回答のようなことを思っているのでしょうか。たんに身に付ける・たんに飾っておく、だけではないでしょうか?

お礼日時:2024/01/16 18:28

誰の祈りも、祈る対象物が無いように思います、処が強く思って強く願う場合では自分の心の奥に届くようです。



心の奥の『自身の潜在意識と云っても、本当の自分と云っても良い者にです。』

或いは無意識の自分と云った方が当たっていると思います。

無意識の自分は、本当の意味では、自分を働かせている意識とも云っても可能です。その証拠ですが別の言葉に置き換えるなら。在りて在るものという意味です。

釈迦が言っていた者です。仏性の事です。脳科学で云うなら右脳の意識です。  

次の動画で語られています。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。


日本で最初の宇宙飛行をした秋山豊寛も、TBS社長と重役が貰ってきた金刀比羅宮のお守りを宇宙に持っていたそうです。

お礼日時:2024/01/09 18:27

>ふつうの日本人は、神を意識して祈りはしませんよね



なぜ?
日本人は神を信仰する最もたるものと思うよ。
だって神道は日本の宗教そのものでしょう。
まあキリシタンなら、教会で拝むでしょう。

>ふつうの日本人はお守りをとおして、誰に/何に祈っているのでしょか?

誰にというのは「お守り」に宿る神様に対して、
何にというなら、お守りに込められたものに対して
祈るのは「どうかお守りください。よろしくお願いいたします」とですよ。
さしずめ、交通・航海・旅行・道中安全のお守りに対して無事祈願だったことでしょうね。

>祈りはしませんよね

それは神を信じない、いうなれば、どうせ神など当てにならないと
信仰心の薄い、神様など興味がないという若い愚か者なら祈らない
ということでしょうな。

でも、神社には結構、若者が集い、神様を拝んでいる。これを見ていると
今の若者も結構捨てた物ではないと思う。
初もうでには神社拝礼を目指して行列できるからね。

宇宙旅行も簡単に出来るようになればいいですね。でもまだ訓練が必要ですからね。

まだまだ、NHKの星野満天さんの時代が本当に来るには
時間が必要でしょうな。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<誰にというのは「お守り」に宿る神様に対して、
何にというなら、お守りに込められたものに対して>なのですね。

お礼日時:2024/01/08 11:24

宇宙に行くのも交通のひとつです。

だから彼女は交通安全の神のお守りを持って旅立ったのでしょう。

お守りは持っていれば祈り必要はない便利なものです。

みなさん、そんな感じではないでしょうか。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<お守りは持っていれば祈り必要はない>ものなのですね。

お礼日時:2024/01/07 17:07

適当(文献的、論理的に)な御守りだから、


適当な神に適当に祈っているのでしょう。
この時点では、聖書の方がマシだ、

御守りについてはAIに聞く程の事でもなく
何の裏付けもない、ただの紙っぺら
宗教に無知無学無能の輩を騙す、道具に過ぎない
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<適当な神に適当に祈っている>のですね。

お礼日時:2024/01/07 17:04

同じチームのアメリカ人飛行士の一人が、


ノートに挟んで持ってきた聖書の一節を取り出し、
それを読みながら祈りを捧げていた。
 ↑
キリスト教は、教祖が作った人工的
宗教なので、しっかりとした教義が
あります。



特定の信仰を持たない彼女は交通安全のお守りを持参していたが、
 ↑
神道ですね。
神道は、自然発生した宗教なので
教義らしい教義がありません。
だから、聖書みたいのも無いわけです。



しかし、ふつうの日本人は、神を意識して祈りはしませんよね。
(私の認識が間違っているかもしれませんが)
 ↑
日本独自の宗教は神道です。
神道は多神教で、八百万の神々が
おります。
日本人は、漠然と、なんとなく、八百万
の神々を信じているのです。



質問は、ふつうの日本人はお守りをとおして、
誰に/何に祈っているのでしょか?
 ↑
勿論、神々です。

神道の神々は万物に憑依します。
山川草木、ことごとくに神が存在
します。

お守り、というただの物質にも
神が宿っていると考えるのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<お守り、というただの物質にも>
<八百万の神々>が宿っている、のですね。

お礼日時:2024/01/07 12:08

神のご加護を願っている・・とか。


お守りは、厄避けとか、ご加護なんかだと思います。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
人から発信する願いではなく、受け身の<厄避けとか、ご加護>なのですね。

お礼日時:2024/01/07 12:04

>質問は、ふつうの日本人はお守りをとおして、誰に/何に祈っているのでしょか?



《神》です。ただし、その《神》の概念は、キリスト教の「神=GOD」とは違う概念です。

同じ「祈り」をささげていても、そもそも「GOD」と《神》は概念自体が全く違います。同じなのは「人間が作り上げた架空の概念」というところだけです。

アメリカ人というか、キリスト教やイスラム教は聖書やコーランという「GODの言葉」とする物体があります。

彼らの言い分だと「ほら、こういうものが残っているのだから、見えないけどDOGは現実に存在するんだ」といい、それは「私が宇宙に居れば、両親には会えないけど、両親が存在していることは間違いない事実」だと考えるわけです(日本人には全く考えられない概念なので、言葉通りに理解してください)

 だから「みえないけど現実に存在する両親とみえないけどそこにいるGODは同じように確かな存在」だと考えるのです。

しかし日本人は《神》を実存的な存在として考えていません。そもそも非常に抽象的なものなのです。

だからたとえば質問者様が悪いことをする人を見て「神様から罰があたる」と思った時、その《神》がどんな姿でどんな言葉でどんな罰を与えるか、想像してみてください。
 現実にはできないと思います。でも日本人は「悪いことをすると、天の神様が罰を与える」と考えるのです。

神社にお参りに行く時も同じです。その御神体が「商売に効く」とか「恋愛を助けてくれる」という御利益は知っていても《どんな神様がそこにおられるのか?》は全く考えません。
 賽銭を投げ、祈りを捧げたり、ご利益を願ったりするときに、キリスト教の神のように「十字架に磔にされたイエス様」とか「天の光に包まれたGOD」のようなイメージは全くしないはずです。

要するに日本人が感じる《神》とは、実態などの物理的なものを考えない《概念そのもの》なのです。

だからお守りを通して「私を守ってください」とか「子供を守ってください。お願いします」という時、祈る対象は《神》だといえますが、キリスト教のような具体的なGODとは全く違うものなのです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答りがとうございます。
日本人もお守りをとおして神に祈っている(はず)なのですが、
その神は、キリスト教における具体的な神と違い、<抽象的なもの>なのですね。

お礼日時:2024/01/06 18:15

普通の日本人は特定の神や仏を意識せず、「とりあえず祈りを聞き届けてくれそうな存在すべて」に漠然と祈っている事が多いと思います。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
<祈りを聞き届けてくれそうな存在すべて」>に祈っているのですね。

お礼日時:2024/01/06 18:04

AIに聞いてみました。

AIと議論を深めようと思っておりましたが、AIの回答が素晴らしすぎました。これ以上私が付け加えることが無いと思います。

以下はAIの回答を要約したものです。

お守りの起源についてですが日本では縄文時代から存在したと言われており、勾玉や耳飾りを魔除けや厄除けとして身に付けていたそうです。この時代は神の霊力を授かれると信じていたと考えられています。これが6世紀頃の仏教伝来以降に文字や図形に置き換わり、平安時代にはお経を書いた紙を銀の布で包んだ「懸守」が貴族の間で流行したそうです。現代のお守りは1735年に京都の清水寺から始まったという説があるそうです。隋求菩薩の護符を授ける事で「霊験あらたかな利益」を得られると論じられたとか。これが広まったのが今のお守りと考えられています。

次に現代人がお守りを持つ理由は「こうした起源と意味合いが違うのではないか」という質問者さんの意見についてですが、仰る通り、この点についてもAIが「一般的に考えられていそうな内容」を纏めてくれました。

・心の支え。自分に勇気を与え不安や恐怖を和らげる効果を反芻している。
・伝統に対する敬意。言語化できない尊敬と愛着を表現する行為。
・個性の表現。上記二つの要素に自らの遊び心を加えて生活の中で楽しむ。

AIは科学的な根拠や信仰心というガチの話とは離れて「伝統文化を個人が生活の中に取り入れて嗜む物へ変化しているのではないか」と回答しています。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
現代のお守りは、<科学的な根拠や信仰心>から離れ、<嗜む物へ変化>しているのですね、神社名や神名がのっていたにしろ。

お礼日時:2024/01/06 18:03

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人はこんなQ&Aも見ています

関連するカテゴリからQ&Aを探す


このQ&Aを見た人がよく見るQ&A