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先日葬儀の際に家系図見せてもらったんですが、江戸時代の先祖は平時農業やってたみたいで、でも戦時は刀を持って戦いに行ったらしいです。
これって農民ですか?それとも武士なのですか?

その方はお偉い薩摩藩の武士の養子として家督を継いだらしいのです。
養子縁組って昔は同じくらいの家柄でやった事ですよね。
そう考えると農民だったという話と辻褄が合わないんです。
どういう事か詳しい方、教えていただけませんでしょうか。

A 回答 (4件)

薩摩や東北の大名家で、中世から国替がなかった地域では兵農分離が不徹底でした。


中世の「地侍」という半農半士の存在がそのまま生きています。兵農分離が行われた地域だと、地侍は土地を守って農民身分になるか、土地を捨てて徒士の最下級武士になるか選択を迫られました。
おそらくそういう地侍だったのでしょう。
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戦の兵集めに農民でも武芸に心得あれば、刀を持たせて兵の数に入れたということでないですか。


普段は農民でしょう。
養子というのは子供に女子しかいない時、由緒ある家系なら
その女子に婿を取らせ、そこで生まれた男子に家を継がせ、
以後、男子が代々家をつなぐ。
そういう形の継続でしょう。
住んでいた地が江戸時代でいう薩摩藩ですか。
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江戸時代ですと


いくさには農民でも
駆り出されることはありました

ただし
当時は農民に刀を持つことは許されていませんでしたから
鉄砲隊が多かったのですね

しかし
刀を持たされて
手柄を立てることで
武士になることもありました

歴史的に考えて
初めから武士ということはありません

武士と言っても
元は侍ですね

侍と言うと
かっこいい姿を考えるでしょうが
くらいの高い人のまわりにつく警備役ですね
これを侍と言いました

これも
同じように
手柄を立てたり
剣術に優れていたりすることで
召し抱えられることもありました

警備員が正社員になるようなものですね

しかし
農民でありながら
のちに武士になった方が
いかにご先祖様が
優秀であったかと考えると
こちらの方が良いのではないですか
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>平時農業やってたみたいで、でも戦時は刀を持って戦いに…



「足軽」という武士の最下層です。
上位の武士ほど扶持米 (給金) をもらえないので、平時は働かないと食べていけないのです。

>お偉い薩摩藩の武士の養子として家督を継いだ…

どこかの戦いで武功を挙げたことで取り立てられたのかもしれませんね。
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