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藤尾慎一郎著「弥生人はどこから来たのか」に篠田謙一が作成した
「SNPデータを用いた集団の主成分分析」という図が載っています。

この図では、左下から右斜めに向かって、現代のモンゴル・中国・ベトナム・中国少数民族の集団があります。
左上には、現代日本・9か所の弥生人遺跡・3か所の縄文人遺跡集団があります。
縄文人は、左上のほぼはずれにあり、船泊(北海道)・伊津川(愛知)・三貫地(福島)の遺跡が肩を触れ合うように集っています。

質問は、縄文人集団の身体特性は、地域差が少なく(弥生人集団と違い、現代人集団並みに)ほぼ均一だったのでしょうか?

A 回答 (3件)

篠田 謙一 : 国立科学博物館長の説明として、2024年4月に


https://toyokeizai.net/articles/-/741996?page=3
二重構造モデルでは、彼らが均一な形質の縄文人となって列島内に広がったと仮定されていますが、ゲノム解析によって、縄文人はさまざまな地域から入ってきた集団であり、地域によって遺伝的特徴が異なる集団が居住していたことがわかってきました。
下の図は、日本列島における3つの異なる文化系統です。地域が違えば、歴史も文化も異なり、集団の成立過程にも大きな違いがあるのは自然なことといえるでしょう。

https://tanokura.net/japan/jomon-gene/
「縄文人集団の身体特性は、地域差が少なく(」の回答画像3
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
1.最初の引用から
<形態的には比較的均一だったと考えられている縄文人ですが、ミトコンドリアDNAの系統では、明瞭な東西の地域差が認められています。>ですね。
2.次の引用から
まさしく、この図が質問内容です。

お礼日時:2024/04/23 09:39

縄文人集団の身体特性は、地域差が少なく


(弥生人集団と違い、現代人集団並みに)
ほぼ均一だったのでしょうか?
 ↑
だと思います。

日本はアジアの端っこに位置していますので
あちこちから人が流れてきて
混血化しました。

これが縄文人です。

その後、中国大陸や朝鮮半島から
大挙、移民が押し寄せ、混血がさらに
進みます。

これが弥生人ですが、渡来人ですから
どうしても、日本の都市部、中央部に
移民が集中します。

だから、日本列島の端は、混血化が
進まなかった、ということが考えられます。

だから、沖縄人やアイヌ人は、縄文人の
特徴を色濃く残している訳です。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
縄文人は、列島のなかで、外からの侵入がなく生存していたのですね。

お礼日時:2024/04/22 10:48

そうですね。

なにせ縄文時代は3~4万年もあったのです。
親を1000年も逆上れば、延べで今の日本の人口以上になると言われています。その30倍以上の年月があるわけですからね。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
<3~4万年>もの間に交流があり均一化した、ということですね。

お礼日時:2024/04/21 14:48

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