幼稚園時代「何組」でしたか?

 西田幾多郎先生の哲学作品やプロフィールや路線について教えてガリレオ!!!!!!!!!!!!!!!!!

A 回答 (2件)

◆ 善の研究 【明治44年1月】


◆ 思索と体験  【大正4年3月】
◆ 現代における理想主義の哲学  【大正6年5月】
◆ 自覚に於ける直観と反省   【大正6年10月】
◆ 意識の問題  【大正9年1月】
◆ 芸術と道徳  【大正12年7月】
◆ 働くものから見るもりへ  【昭和2年10月】
◆ 一般者の自覚的体系 【昭和5年1月】
◆ 無の自覚的限定 【昭和7年12月】
◆ 哲学の根本問題 【昭和8年12月】
◆ 哲学論文集(第1~第7) 【昭和10年11月~昭和21年】
◆ 続、思索と体験 【昭和12年2月】
◆ 日本文化の問題 【昭和15年3月】
◆ 続、思索と体験以降 【昭和23年3月】

1870年
(明治3年0歳) 石川県河北郡宇ノ気村字森レ85番地にて出生。
1883年
(明治16年13歳) 石川県師範学校入学。
1884年
(明治17年14歳) 病気のため中途退学。
1886年
(明治19年16歳) 石川県専門学校付属初等中学科第2級に補欠入学。
1887年
(明治20年17歳) 同校官立移管。第四高等中学校予科第1級に編入学。
1890年
(明治23年20歳) 第四高等中学校を中途退学。
1891年
(明治24年21歳) 帝国大学文科大学哲学科選科に入学。
1894年
(明治27年24歳) 同大学卒業。
1895年
(明治28年25歳) 尋常中学校七尾分校の教諭となる。
1896年
(明治29年26歳) 第四高等学校講師となる。
1897年
(明治30年27歳) 山口高等学校教務嘱託となる。
1898年
(明治31年28歳) 父得登逝去。
1899年
(明治32年29歳) 第四高等学校教授となる。
1901年
(明治34年31歳) 雪門老師より寸心居士の号を受ける。
1907年
(明治40年37歳) 肋膜炎発病。
1909年
(明治42年39歳) 学習院教授となる。
1910年
(明治43年40歳) 京都文科大学助教授となる。
1911年
(明治44年41歳) 「善の研究」出版
1913年
(大正2年43歳) 京都帝国大学教授となる。文学博士の学位を受ける。
1918年
(大正7年48歳) 母寅三逝去。
1919年
(大正8年49歳) 妻寿美、脳溢血にたおれ、病床の人となる。
1920年
(大正9年50歳) 長男謙死去。
1925年
(大正14年55歳) 妻寿美逝去。
1928年
(昭和3年58歳) 定年退職、翌年2月同京大名誉教授となる。
1931年
(昭和6年61歳) 山田 琴と再婚。
1933年
(昭和8年63歳) 居を鎌倉に移す。京都を往復しつつ続々と論文を出版する。
1940年
(昭和15年70歳) 文化勲章受賞。
1941年
(昭和16年71歳) 皇居にて、御講書始の儀にご進講。
1945年
(昭和20年75歳) 6月7日、病気のため急に逝去。
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学校の宿題かなんかですか。


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