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ドクター中松氏は、戦時中は海軍将校で、ゼロ戦のエンジンや、戦艦大和のタービン開発にたずさわっていたのだと、ご本人が出演したラジオ番組のなかで今日仰っていました。
氏は、今年で77歳になられるそうですが、件の旧日本兵の方々から見ると、年齢的にいささか若すぎるような気もします。
しかも、北朝鮮のミサイルを迎撃するのではなく、Uターンさせる技術まで開発済みなんだとか!?
果たしてこれら、彼の言うことは本当なのでしょうか?

A 回答 (7件)

ANo.#4の方の回答を補足する意味で、



『零戦』の開発時の名称は『十二試艦戦』(『昭和12年試作艦上戦闘機』の意味)で、戦艦『大和』の起工と同じ昭和12年に開発が始まりました。

『零戦』のエンジン『栄』は、中島飛行機製ですが、昭和8年(1933年)に開発が開始されています。中松氏は当時、6歳位ですョ。6歳のガキにエンジンの開発をさせるほど、中島飛行機に人材が不足していたとは、とても思えません。
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かなりというかほとんど怪しいと思います。

5、6年前に講演会に行ったことがありますが、その時は、北朝鮮のミサイルを迎撃するのではなく、Uターンさせる技術を開発中だと言っていましたが、完成したんですね!?

参考URL:http://page.freett.com/turumaki/shojiten.html
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この回答へのお礼

みなさん、回答ありがとうございます。
逆算するとやはり無理がありますよね。
そういうキャラクターだと思ってあまり真に受けないようにします。

お礼日時:2005/05/29 06:14

中松氏の言ってることは十中八九デタラメです。

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戦艦大和は昭和12年11月起工、17年12月竣工です。


中松氏は昭和3年生まれですので、9歳から14歳で
「戦艦大和のタービン開発にたずさわっていた」とは考えにくいですねぇ。
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こんばんは。



中松さんは確かに有名な発明家ですが、
発言内容はかなりいい加減で、言ってる事が2転3転するのは当たり前、実在しない団体名や実現しない発明品などもう無茶苦茶です。
実績が無かったらただのアレな人。

簡単に信用してはいけません。実際に形になったものだけを見て判断して下さい。

また、申し訳ないけど中松さんの技術力は発明家レベルを出ていません。
(そんな技術を持った人は携帯にベルトを貼付けてウデンワなんて言いません 笑)
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彼の話は半分くらいに思っていたほうがいいよ


フロッピーディスクもうそだしね
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ウソです。

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