
No.2ベストアンサー
- 回答日時:
日本の貴族とは明治の華族のことでしょうか。
明治に家族になったのは旧公家、旧大名で家柄でなっただけでその人たちが業績を上げたわけではなく、特に公家華族はもともとが最高の近衛家でさえ3000石足らずだったので美術品等はともかく領地とかはありませんでした。
旧大名の場合は領地は版籍奉還で朝廷に返しましたからなくなりましたが、それでも大大名であった家ではかなりの土地などをもっていました。また美術品等も持っていました。
しかし、これらの土地も戦後の農地改革で取り上げられ、また相続税対策もあって財団法人等を作ってそこに寄贈してしまったところが多くて個人的には財産はあまりなくなりました。
これに対してイギリス貴族は、古くは功績で広い領地をもらったり、広い土地をもっているからと貴族に叙任されたりしたのでむかしは多くの所領をもっていました。しかし近年になると貴族になっても広い所領はもらえず、相続税等で没落してしまった家もあります。ただ、そういうことをうまくやってきた家は、一律土地を取り上げられたりしたことはなかったのでまだ広い所領を持っている貴族もあります。
また一軍の将になっている貴族が多いのは、イギリスの場合は貴族の義務として「国のために尽くす」ことが当然であり、戦争でもあれば貴族は率先して軍人となって戦争に出て行きました。そのため一軍の将となった人も多いわけです。(というか、貴族でなければ将校になるのも難しい。)
それに対して日本は軍人は、士官学校・兵学校にはいらなければなれませんでしたし、特に華族に優遇があったわけではなく甘やかされて育った華族では軍人にもなりたがらなかったという点もあってなかなか一軍の将になるのは難しかったのかもしれません。
ただ、戦争で功績を挙げた軍人も華族に叙任されることが多く(例:東郷平八郎が侯爵に)華族に将になった人が少ないとはいえないかもしれません。
回答有り難うございます。
確かに公家貴族は明治以前迫害されていましたが、明治以降は皇室の藩ペイとして厚遇されました。
旧大名貴族は旧禄高に応じた格付けでしたから藩籍奉還といってもなにもかも返還したわけではなく、旧前田家や尾張徳川家など昔日の栄華は温存していました。
やはりここでも太平洋戦争の敗戦の影響はありますね。
皇室関係者など軍務についた人は高位についた人もかなりいましたが戦功で立身した訳ではありません。
英国貴族は確かにこのような試練に会わなかったのが相違の原因だったかも。・・・
No.5
- 回答日時:
最大の違いは、軍事力の有無です。
伝え聞く所によると外国人に武家が支配した日本の歴史を説明すると「では、貴族と武士の闘いは、いつどこで起きたのか」と聞くそうです。日本の武家が、権力を拡大させても貴族(=公家)には、対抗するための軍事力はありませんでした。そのことを外国人は不思議に思うわけです。
平安時代と鎌倉時代の公家は、武力をとにかく毛嫌いしました。対してイギリスでは、貴族が有事に戦うのは当然の事と考えられています。
日本の公家もイギリスの貴族も領地を持っていましたが、公家は武力を使う事を武家に押しつけました。
ですが、武力を持っていると言うことは、行政権を持っているのと同じことです。公家は、武家が実質的な支配者になってしまっても武力で対抗する事は、出来ませんでした。
以上のことによって、私は、日本の公家とイギリスの貴族の最大の違いは、武力を持っていたか、いなかったかだと考えます。
(詳しくは、井沢元彦氏の『逆説の日本史〈4〉中世鳴動編―ケガレ思想と差別の謎』をご覧下さい。)
参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4094020 …
回答有り難うございます。
公家に武力が無かったのは理解出来ますが、曲がりなりにも武士であった各大名が横滑りした貴族もいたのです。
徳川幕府の大名の財力消耗策の影響は大きかったのですね。
過去の残映に過ぎなかった貴族制度を引きずって日本の政治を行った事は色々な弊害の原因だったとシミジミ思います。
No.4
- 回答日時:
一時期の貴族は、おおいなる繁栄をしましたが、その後衰退し、今に至っています。
繁栄したのは、天皇が行政の中心で、そこで官僚としての役割があったからです。
行政が武士を中心に行われるようになって、貴族の必要性は、単に天皇の周囲のお世話程度になってしまいました。江戸時代は傘貼りをして生活する貴族もいたようです。
明治期は、明治天皇を中心に行政が行われましたが、華族は単なる明治維新の功労利権でしかありませんでした。
英国の貴族と、日本の貴族は、たまたま同じ文字で、似た意味をもっているだけで、別の存在と思っていいでしょう。
今は官僚がかつての貴族の役割を果たしています。
なにもしなくて年間5億円稼ぐ公務員OBもいますね。
回答有り難うございます。
日本の貴族は急ごしらえで伝統のあるものでは無かったことは理解できました。
それにしても徳川幕府の大名の財力費消策はおおきな影響をもたらしたと感服です。
官僚貴族は言い得て妙です。
No.3
- 回答日時:
ひと言でいえば、封建貴族と宮廷貴族の違いです。
英国に限らず、ヨーロッパの貴族は、もとの封建貴族です。
彼らは昔の荘園である広大な私有地を持っていますし
城や城館、代々の財産も多く所有しています。
対して、日本の貴族、多分、公家のことを言っているだと思いますが、
これの場合、京都の宮廷に根ざすもので
俸給をもらう、いわゆる”宮仕え”で、宮廷官僚としての役割しかありません。
日本における封建貴族は武家に相当しますが、明治維新の廃藩置県で大名家は土地を返還しましたし、戦後の土地改革で大土地所有者の土地も小作農に分割配分されたので、日本には大領主はもはや存在しません。
しかし財産の規模が日本のほうが小さいという考えはあやまりでしょう。
日本の公家も武家も日本の文化史を彩った貴重な財産をもってますし、逆にイギリス貴族はたいした財産はもってません。
油絵や金銀食器が豪華にみえるだけで、文化的・資産的価値は日本のほうが格段に上です。
回答有り難うございます。
封建貴族と宮廷貴族のご指摘は確かにありますね。
>日本には大領主はもはや存在しません。
おっしゃるとうりです。 もしあるとしたら唯一皇室ぐらいでしょう。
文化的資産の意義はわかりますがこれは貴族だけのものではないのでは?
文化的資産の蒐集という点でも英国貴族の貢献は無視できないように思えますが。
財産の規模の大小よりも気宇の問題もあるのでは・・・
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