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豊かな生活とは???
豊かな社会とは???
このテーマをずっと考えているのですが・・・。
人によって豊かという定義が違う気がするので、できれば沢山の人の意見が聞きたいです。

A 回答 (14件中1~10件)

こんにちは。


実はこのテーマ、十数年考え続けています。

暮らしている人みんなが心身ともに健康で、長生きできる社会は豊かだと思います。
具体的にどことかはないですが、南の島とかで、「いっぱい食べ物があってストレスなくて、みんな仲良くのんびり長生き。」みたいなのって、豊かに感じます。
でも産業化され都市化されシステム化された近代社会の上での豊かさっていうことですよね。


物質的には随分恵まれ、数字の上では長寿にもなった日本社会で心の貧しさを感じるのは、
・出世や成功のために現在を犠牲にしている生き方
・老人や困っている人に冷たい。
・とにかく忙しいそう。急いでいる。
・無表情な目
・「淋しい」「友達がいない」という人が多い。
・死因の一番が自殺(癌より多く、毎日百人くらいの人が自殺している)
とかです。

優しさの欠如だったり、物事に対する生き生きとした興味関心の欠如だったり、素直な自己表現が出来なくなっている事だったり、人と心を通い合わせることが出来なくなっている人が増えていることだったり、夢が持てない、というのもかな。

一言で言うと、感受性の欠如。
だから、この物質的に豊かなこの社会に生きる私たちが、みずみずしい感受性を取り戻すことができれば、日本は世界が憧れるとても豊かな社会になるんじゃないかと思っています。
で、個人的には感受性を高めるには、体を大事にして、体の感覚を磨くことかな思います。だって、気持ちって、体を通して感じるから。胸がどきどきしたり、躍ったり、晴れたり、もやもやしたり、痛かったり、それは全部体を感情を認識している。切なかったり、寂しかったり、嬉しかったりとか、それもやはり体で感じているから。

人が自分の体にもっと目を向けて、自分の体を大事にして、健康になって、自分の体に起こっているサインによく気がついて、自分の気持ちにもよく気づけるようになって、自分の気持ちをありありと感じて生き生きと表現できるようになって、心身とものびのびと、健やかに生きていけるようになること。
その手助けをしていくことが私の夢です。そしていつの日か日本全体でそういう風(生き生きとした目の色の世の中になる)になってほしい、そうしたらそれがひとつのモデルになって、途上国の人たちの参考にもなると思うし。

ですが、そんなことを夢見ながら働いていますが、経済的現実は厳しいですよ。だから、今書いてて気づいたのですが、幸せかと聞かれれば結構そうですが、豊かかと聞かれると???です。ほんとうは世界のいろんなところをめぐっていろんな人にも触れ合いたい。お金と時間があれば登りたい山もあれば見てみたい空もあります。おいしいものもっぱい食べたい。短い人生の中でやりたいけどできていないことは一杯です。
ですから、夢だけで豊かな生活とはいかないと思いました。
書きながら考えていたので少々支離滅裂ですみません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私の中で豊かと思う事がたくさんあるのにうまくつながらずバラバラになってたものが読んでいて、少しくっついてきました(笑)
私がいっている「夢がもてる」というのは、言い換えると「夢がもてる状況にいる事」みたいな感じです。つまり、hir_o_miさんが言っていたように、第一に心身共に健康でいろいろな事に興味がもてる感受性みたいなのがないと夢って持てないんじゃないかなと思ったんです。

>その手助けをしていくことが私の夢です
人の手助けというのは例えばどんな事ですか??
自分自身より人を豊かにする方が難しいように感じます。

お礼日時:2005/09/24 14:38

「心身の健康」と「お金」の両方をマネージ出来る人が、豊かな人とおもいます。


両方を失うと、普通の人は自殺を考えるそうです。
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物質的に、精神的に、或いは、その双方に豊かさを求めるのかに依って千差万別です。

多くの方の意見を求める事の大切さも理解出来なくはありませんが、一番大切なのは、あなた自身が『どの様に考え、どの様に向き合うか』です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私個人の意見だと物資的、精神的の両方です。
しかし、豊かな社会というのは個人個人が集まってできた人間社会の事で、自分もその社会の一員に過ぎないと思ったので、できれば自分だけの意見ではなく、たくさんの人の意見を聞きたいと思ったんです。

お礼日時:2005/09/29 07:11

#8です。



>>世界が拡大していく予感こそが豊かさの指標ではないでしょうか
というのはどういう意味で(何が)拡大していくんでしょうか?
(3)が多くなるという意味なんでしょうか??

(3)が多くなるという意味ではありません。(3)は存在すればそれだけでいいのです。何が拡大するかというと、それは(1)です。

>そして、その拡大にはなぜ限界があって、今拡大する事が将来の妨げになるのでしょうか??

拡大に限界があるかどうかはわかりません。ただ、もし限界があるとすれば、例えば、限られた3個のお菓子しかなかったら、今2個食べてしまったら、残りは1個しか残らないように、そして、今3個食べてしまったら、何もなくなってしまうように、今食べる個数が将来食べられる個数と関連をもってくるということです。

ただ(1)の拡大によって(3)の領域が増えていくことは当然考えられます。例えば、無限の段のあるはしごをのぼっていくとき、そして一段ずつしかのぼれないときです。二段目に行くことはゼロ段目にいるときはできませんが、ゼロ段目から一段目に到達すれば二段目に行くことができます。これを順次くりかえしていけば、1万段目に到達することも可能です。そして、それは決して1万一段目に到達することを不可能にするものではありません。
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この回答へのお礼

再度の回答ありがとうございます。
(3)の存在が豊かだとしたら、なぜ(1)が拡大していく事が豊かなのでしょう?(3)の領域が増えるからという事でしょうか?
私には少したとえが難しかったみたいです(´-`;)

お礼日時:2005/09/29 07:20

再度の#9です。



心にも「理性」と「獣性」という二つの面があります。
ですから、どちらが動くか?が大切になってきます。

「損失の法則(?)」というのがあって、たとえば、椅子に座ってばかりいる人は、走る能力が衰えていきます。
走ってばかりいる人は、座る時間が少なくなっていきます。
これと同じように、怒ってばかりいて獣性ばかり使っている人は、理性面が衰えていきます。

で、この世には偶然というものがありません。
この世で起きることには、すべてに原因があります。
偶然とは、その原因が判らないときに便宜的に使われる概念であって、実際には、この世のすべてには原因があるんです。

と、いうことは、この世は秩序で成り立っているんです。
無法地帯、混沌では無いんです。
ちゃんと原因があって結果があるという正しい秩序で成り立っているんです。

獣性には、この秩序が理解できません。
ただ気分次第で泣いたり、笑ったり、落ち込んだり、舞い上がったり・・・するだけです。
雨が降っても降らなくても、神に祈るようになります。

ですから、単に「心を使う、「動かす」といっても、獣性ではなくて、理性の部分を使うことが大切になってきます。
ものごとを正しく見聞する能力を養うことが大切になってきます。

逆に獣性ばかり育ってしまうと、ものごとを正しく見聞できなくなってしまうんです。これを「煩悩」といいます。

理性を育てれば、一時の感情で自殺をしたり、破滅的な行動に走ったりせずに、自然の摂理に従って生きていくことが出来るんです。




さらに、人間には「理解すると機能する」という特性があります。

パンの焼き方を理解した人はパン屋さんとして機能します。
自動車の構造を理解すれば、運転手として機能します。
ジャンボ機を理解すればパイロットとして機能します。

「理解」という字は「ことわり(理)」です。
つまり秩序なんです。
人間はものごとの秩序を解することで、機能するという特性があるんです。
つまりは道具を扱える生き物なんです。

逆にいえば一人、一人が道具として機能することで社会参加して社会全体を活性化させるという役割を担っているんです。

水が高いところから低いところに流れていれば腐らないように、人間社会も、一人、一人の理解と機能により、活性化して、動き続けるんです。


ですから心が動いている状態とは、理性的に理解して、機能して、その役割を果たしている状態を指すと想います。

そうして、みんなが自分なりの機能を果たしていれば、それがつまりは動き続けることになり、豊かな生活、豊かな社会の実現ということになると想います。


で、理性的な面を育てる方法というは仏教の瞑想(ヴィパッサナー瞑想)というのがあります。
「原因と結果の法則」ジェームズ・アレンも読んでみてください。
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満ち足りた生活のことだと思います。


物質的に豊かという意味ではなくむしろ欲から開放された状態かと思います。
当方一般人より収入は低めですが貧乏暮らしなりに心がけは豊かではないかと満足しています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
欲から開放された状態というのはその状況がもうすでに満ち足りているからという意味でとらえてしまって良いのでしょうか??

>心がけは豊かではないかと満足しています。
具体的にprimeapeさんはどのような心がけをしてますか??

お礼日時:2005/09/24 23:54

腕力の強い人だったら、軽々とダンボールを持ち上げられますが、腕力の無い人には、それが出来ません。



腕力の強い人というのは、筋肉が豊かなんです。
腕力の無い人というのは、筋肉が貧困なんです。

筋肉の豊かな人というのは、普段から、それだけ使っているということです。
筋肉が貧困な人というのは、普段から、まったく使っていないということです。

「筋肉が衰弱しているか? 腑活しているか?」の差が、
「ダンボールを持ち上げられるか? られないか?」の結果に出るんです。

その差を決めるのは、
「使っているか? 使っていないか?」
「動いているか? 動いていないか?」・・・・です。


「動くモノ」は腑活して、鍛え上げられます。
「動かないモノ」は衰弱して、衰えます。
これは、真理ですよね。

水だって、流れが止まってしまえば、腐ってしまうんです。
これは、自然の法則なんです。

「動かない」「停止する」「衰弱する」・・・ということは「死」を意味するんです。

経済だってそうです。
箪笥預金ばかり増えてしまって、経済が動かなくなってしまって、不景気になるんです。

つまり、動かない、停止、停滞するものは、決して豊かにはなれないんです。

動き続けること、活性化し続けること、変化し続けること・・・が豊かさの条件だと想います。





自然は、一瞬たりとも、停止しないんです。
「無常」なんです。
常に変化し続けるのが自然の摂理なんです。



たとえ、それが不遇の時代であれ、喜びの時代であれ、何の時代であろうとも、それで「貧困だ、豊かだ」ということは無く、そうではなくて、それらの変化する状態に執着せずに、変化を嫌わずに、生きていくのが、豊かな社会、豊かな生活ということになると想います。
自然の摂理に逆らわない生き方です。

ですから、一番、大切なのは、それらを実現するための「心」ということになります。

「心」が豊かであれば、無常の世の中に適応して生きられますが、貧困な心ならば、執着が生まれてしまい、停滞が生まれ、衰弱してしまいます。


いつまでもバブル経済期に執着している人が多いと、その「心」が原因で、経済も停滞してしまうんです。


「心」を豊かにする法則も同じことで、「使うか、使わないか」です。
心も「動くか、動かないか?」で豊かにもなるし、貧困にもなるんです。


「執着するか?、しないか?」が
「心が動くか? 停滞するか?」を決め、
「豊かになるか? 衰弱するか?」の結果となって現れるんです。
これは、すべてのことに共通した真理だと想います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
例えの文がわかりやすく、新しい考えのひとつになりました。

>動き続けること、活性化し続けること、変化し続けること・・・が豊かさの条件だと想います。
すごく共感できました。

>心も「動くか、動かないか?」で豊かにもなるし、貧困にもなるんです
心も動き続ける事で豊かさが保てるという事ですよね、では心が動いてる状態ってどのようなものをさすと思いますか??

お礼日時:2005/09/25 00:18

(1)手にしてしまったものはその瞬間はうれしいですが、時がたつと飽きてきます。

そして、それが無意味なものになります。なぜこんなものが欲しかったのかと。

(2)あまりにも遠すぎて手の届かないものは手に入れることができないという絶望感をもたらします。結局、何もできないのだと。

(3)この両極のあいだにあるのが、手に入れようと思えば多少の努力で手に入るというものです。豊かな生活とはこの存在があるということではないでしょうか?

(1)が多いから、豊かであると考えられることが多いと思いますが、(例えば、お金をたくさん持っている、など)世界が拡大していく予感こそが豊かさの指標ではないでしょうか?(1)と(2)だけになってしまった世界は死の世界ではないでしょうか?

問題は世界の拡大に限界があるかどうかです。今拡大することが将来の拡大を妨げることになるかもしれないということです。しかし、さらに、この疑念が原因で今の拡大がなくなってしまっては今が豊かでなくなってしまいます。そこで必要なのが忘却です。すべての歴史を忘却すること。ゼロからはじめて進むということです。もし、限界があるとすれば、歩んできた道を忘れることなのです。これを繰り返せば、一応、豊かさが保たれるでしょう。いかがでしょうか?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>世界が拡大していく予感こそが豊かさの指標ではないでしょうか
というのはどういう意味で(何が)拡大していくんでしょうか?
(3)が多くなるという意味なんでしょうか??
そして、その拡大にはなぜ限界があって、今拡大する事が将来の妨げになるのでしょうか??
少し文章がむずかしめだったので質問が多くしまいました。。
私自身考えがまだしっかりしていないので、できたらもう少し具体的な言葉で説明していただけるとありがたいです。

お礼日時:2005/09/25 00:09

私たち動物の体は100兆個の細胞で出来ていますが、DNAに記録された遺伝情報や、複雑微妙な働きを持つたくさんの酵素など、その情報量はどれほどになるのか私には想像もできません。

糖を消化する酵素の一種を人間が真似ると、臨海コンビナートになってしまうそうです。さっき叩いた蚊1匹、水溜りのミジンコにもそれがある。平凡に。

自分は毎日どのくらいの命を犠牲にして生きているかを計算したことがあります。米1粒は独立した1つの命。夕食のサンマは動物なので食物連鎖の底辺まで数えて1千万、酢の物のタコ0.2匹分は同様に200万、豆腐は・・・といった感じです。とても粗っぽいのですが、結果は、1日あたり5億でした。一人一日生きて5億です。春の桜の花やススキ野原など見ると、ここは命の洪水、生命の浪費だらけに見えます。 

こういう場所で生きているわけですが、ここから一歩外へ出ると何もない漠とした空間があるだけです。この考えを持つようになってから、「今自分がここに生きているという事、それだけで卒倒しそうになるほど豊かな事なのではないか」と思うようになりました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
すごく勉強になります。
確かに生きている事も豊かな事だと思います。
でもそうすると豊かな社会とは何なのか考えさせられます。

お礼日時:2005/09/24 14:16

#2です。

補足させてください。
>「豊かな生活」=近代資本主義社会下ではお金のある生活。
と、かなりストレートに書きましたが、日々の生活における「豊かさ」はもちろん「心の豊かさ」です。「心の余裕」と言い換えることもできると思います。
現在の資本制システムの社会では「心の余裕」は「経済的余裕」の必要条件ではありませんが、十分条件であると思います。

「貧すれば鈍す」ということわざがありますが、経済的な余裕の無さは心の余裕の無さに繋がることが往々にしてあります。精神的にテンパって、ストレスが溜まったり、とげとげしい気持ちから、周囲の人を傷つける言動をしてしまいます。

理想は金持ちだろうが貧乏だろうが、常に「心の余裕」を持ち続けることであり、それが真の「豊かさ」であろうと思います。

「豊かな社会」の構築についてはまだ勉強中です。すいません。
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この回答へのお礼

>「心の余裕」は「経済的余裕」の必要条件ではありませんが、十分条件であると思います。
わかります、その2つは分けて考えなくてはいけないけど、人間が社会で生きていくためにどうしても切り離せない関係にあると思います。
それからことわざ、興味があるので調べてみます!

私が今考えているのは「夢がもてる」生活=豊かな生活につながるんじゃないかと思っているのですが、3yzuさんはどう思いますか??

お礼日時:2005/09/24 12:48

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