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こんばんわ

質問なんですが、いじめは楽しい事なんですか?
私が見ている限りでは、
・優越感に浸れる
・最初はいじめられる対象の事全然知らないのに、友達に言われると(友達がやっていると)だんだん自分もやり始める(その対象を憎くむようになる)
・いじめをやっている人は、スッゴク楽しそうに見える
それで、友達とより仲良くなっている
・自分の知らない所で、いじめの打ち合わせみたいな事をする、その打ち合わせみたいなものを聞いた人はなぜか笑う。
以上私が見た感じです。
よく、「可愛そうな人たち」って言われますが、そうでしょうか?
そういわれている意味がどうも分かりません。
周りはなんか「カッコいい、いじめている方に付きたい」(やっているほうに賛同している)ように見えます。やられている方に、味方があまり付かない・・。やられている方は「みっともない、この人と友達になりたくない」って周りはどんどん離れていき、それでやられている方が一人でいると笑う。

こういう人たちはもう直らないのでしょうか?
心無い人が大勢いるって事でしょうか?
それともただ教養がないのでしょうか?
乱文すいません。
皆さんの意見が聞きたいです。よろしくおねがいします。

A 回答 (11件中1~10件)

いじめはいじめらる方にも問題はあります。

大事なことはその問題をみんなが同じ基準で考えてあげることです。考える基準が違うと、ご指摘のような状況が生まれます。
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super6starさんは学生さんですか?


「いじめ」に対して私が若い頃??はsuper6starさんと同じ様な感情でした。
ある日学校の教師が「いじめなんてつまらない事だぞ!!」と意見を述べていましたが、私には先生の言っている事が理解できませんでした。
私の場合は年齢を重ねないと理解できなかったのですが、少なくとも、大人になると世界も広くなり、考え方も変わってきます。
いじめっ子は、教養がなくて、子どもで、わがままで、さびしい人。やはり心が貧しい可愛そうな人たち
です。
自分を不快にした人物なら、ケンカをしてもいいし、話し合いをしてもいいし、遠ざける様に相手にしなくてもいいのに、仲間を作って皆で・・となると卑怯じゃない?
ただ、学生の頃は残念な事にいじめる方は「楽しい事」でした。優越感、ストレス発散もあったと思います。士農工商の身分差別と似てたりしてるかもね。
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直る、直らない、という表現は不適切ではないでしょうか。

何を基準にしておっしゃっているのか分かりかねます・・・。

#1の方がおっしゃるように、いじめられるほうにも原因があります。もちろん、その原因が不条理極まりないものもありますが、私の周りでは大体いじめられる側にも問題がありますね。自己中とか、空気読めないとか。当然、だからといっていじめていいわけでは決してありません。しかしあなたの「直る」という言葉を使うのであれば、いじめるほうといじめられるほう、どちらが「直る」べきだと思いますか?一概には言えないと思います。また、いじめは、道徳心や倫理観の問題だと思うので、教養とは違うように感じます。
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いじめというのは年齢が上がるにつれてその件数が減少しますね。

大学生くらいになるとかなり少ないです。ところが0にはなりません。心無いというか幼いという印象です。「精神的子供」という感じ。
いじめは楽しいか、楽しくないか。いじめている方にとって、それは楽しいのだと思います。誰しも自分を一番に考えますからまず自分はいじめの対象になりたくない。だからいじめられる方に味方するようになると思われます。ターゲットを一人決めることによっていじめ集団の団結力は強固になり、そのグループを維持し、そこから外れないためにいじめに加わるのでしょう。
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#1ioaaaoaさんの意見に賛成です。


自分もAくんをいじめたことがあります(ここではAくんとして話します)
Aくんは学生時代しゃべらなくて自分が「しゃべろよ」といい、そんな感じから手を出す(大げさに聞こえますが)ようになりました。
自分がしゃべるように特訓しました(?)(相手からはこれがいじめととらえるのですね)
まとめると一緒にしゃべりたいけど相手が無視するそこからからかい始めるのがいじめの一番の原因ではないのでしょうかね。いじめはいじめる対象者がいなければ始まりませんから何かのきっかけがあるわけですからいじめられる原因はいじめられるほうに原因があるのではとも思います。
ほんの小さなきっかけがいじめられるのではと思います。よく見かけるのが(聞くのが)
「遊ぼうよ」「私勉強するから」などほんの小さなきっかけなんですよね。人と違うからといって「何?あいつ?」から始まるのですよね。
>やっているほうに賛同している
いじめが広がる大きな原因ではと思いますね。いじめられてる方にいっちゃうと私が今度いじめられるからとなってしまうし、だからといってどちらのほうかつかないとまたそれでいじめの対象になってぢまうかもしれませんし。。。だから強いほうに言ってしまうのもあるかも知れませんよね。
長文・乱文失礼しました。
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小学生のときにいじめに参加したことがあります。


しかし決して楽しいとは思いませんでした。
なんというか「長いものに巻かれろ」って言ったほうが適切でしょうか?
自分が標的にならないようにと、今はそのときのことをすごく反省しています。

No4の方はまだ大学生なのでしょうか?
確かに大学ではいじめはありませんでした。
しかし会社に入ってからのいじめの方が悪質です。
仕事の遅延行為、無視、悪評。。。
幸い対象になってないので私は傍観しているだけですが、
気持ちいいものではありません。
さすがに大概の人は辞めて行きますね。

そういう人はやはり子供のころも率先していじめをしてきたのでしょう。
結果としてはやっぱり直らないのでは?と思っています。
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人間はさびしがりやだからね。

たとえ質が悪くても優越感に浸りたいのですよ。
あと、簡単に仲良くなるには共通の敵を持てばいいのですよ。
さらにいじめられたくないからいじめる側に回るんですよ。もしくは見てみないフリをして関わろうとしないんですよ。

学校とかはテストの成績、数字が全てですからね。いじめられてても勉強して良い点はとれるけど、会社は辛いだろうな。グループで連携とって仕事せないかんし、陰口や嘘の悪評とかで自分の成績を他人によって下げられる可能性もあるだろうしね。

いじめる人は自分の物差しでしか人を判断できないのですよ。My物差しで測れれない人がいると「なるほど、こういう人もいるのか」と感心し、自分の物差しを大きくするのではなく「こいつ自分とは違う、だからムカつく」としか思えないんですよ。心が小っさいんですよ。

いじめに付く人は、それに便乗して優越感に浸りたいのと、その人に自分もいじめられたくないからとりあえず仲間に入っとけー、みたいな人です。ある意味この辺の方が性根腐ってます。

いじめられる側にも問題はありますよ。だからただ単に「私いじめられてる、私かわいそう、いじめる人最低」とだけ思うのではなく「なぜいじめられるのか、何がいけなかったのか」を考え、悪い部分があるのなら直していかなければいけませんよ。じゃないと、自分の物差しもショボくなっていつか自分もいじめる側にまわってしまうかも。極度のMは時として極度のSになりますからね。なんか違うか(笑)

ちなみに僕は中学校では不良1~2人にいじめられてました。たまに。あと、大学ではいじめの傍観をしていました。関わりたくないのではなくて、僕もその人嫌いだったから。
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そのイジメてる人がイジメられる体験をすれば直るかもしれませんね。



可愛そうな人たちというのはそういうことをしてるとまともな人が寄り付かない、弱い者イジメをすることでしか自分を誇示できない可愛そうな人たちということでしょう。
NO.6さんのいう大人社会のイジメは目もあてられません。
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私の年代では、学生のころ、今で言う「いじめ」というようなことはありませんでした。

何人かで一人を標的に「からかい」というのはありましたが、正義感を持ったリーダー格の者が「だめじゃないか!」と言うと、すぐ治まっていました。
そういうことから、今の「いじめ」は余り分かりませんので、このご質問に回答する気はなかったのですが・・・あなたがつらい日々を過ごしているのかも、と思い(私の取り越し苦労なら良いのですが)『自信なし』ですが、ちょっとでも参考になればと思い、レスを思い立ちました。

>こういう人たちはもう直らないのでしょうか?
学生のころ、いじめ側だった子が、今は結婚して一戸建ての家に住み、子供の親として幸せな家庭を築いている人がいます。いじめっこの面影などありません。まぁ、ほとんどの者は「普通の親」になっていくのかもしれません。

>よく、「可愛そうな人たち。っていわれますが、そうでしょうか?
多分、ことを荒げないようにするための、逃げの言い方ではないでしょうか?

>それともただ教養がないのでしょうか?
教養はあまり関係ないと思います。多分、自分より劣っている人間を見ると、優位性を感じる。すぐれている人間を見ると気に食わない。ようするに、自分本位のため、人の弱さを助け、良い所は認める、ということをまるで考えない人間でしょう。
それと、「いじめられる側にも原因がある」という言葉こそ、詭弁、こじつけです。上に例を出しました、今は子供の親、といった者も、当時は「いじめたくなるような子なんだよ」と言って、その理由を2~3言っていました。でも、例え悪いところがあってもいじめても良いという理由にはなりませんし、じゃあ、自分は完璧な人間なの?と言えば、完璧なはずがありませんよね?

理想を言えば、いじめに勝つには、相手に立ち向かっていくのが良いのかもしれません。しかし、相手がどんな相手なのかにもよるでしょうし、方法もどんな方法でも良いわけでもありませんし。思考が必要でしょうね。
ただ、人を憎んで過ごす生活には悲しい物があります。何か自分の得意なものや好きなことに取り組んでいく。というのも理想論かもしれませんが、負けないでください。
(勘違いならお許しください。)
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いじめは楽しい事なんですか>


私は戦前派です。
私はいじめられたことも、いじめたこともありませんが、もしも人をいじめたらきっと惨めな思いをすると思います。
何故なら昔は「国家の品格」を書いた藤原先生の言うように、いじめは卑怯者のすることだと教えられて来たらかです。
こういう人たちはもう直らないのでしょうか>
もしいじめをするのは人間として恥ずかしい卑怯者のすることだと、皆が判れば、私の想像するように、いじめをした自分自身が嫌になって来ると思います。
それには私が学校で経験したように、いじめがあったとき、[学校の生徒全員]を集めて、([いじめ側、いじめられ側を特定せずに])いじめがいかに人として恥ずかしいものか、皆に教え込むことです。
関係する生徒を特定しないので、徹底的に教えても誰も傷つかずに済みます。
それをいじめのある度に、何度も繰り返し[生徒全員]に身に染みこむまで教えこめばいじめは自然になくなると思います。
(希望的観測ですが。)
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