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現在、各地で起こる内戦・戦争で、流れてはいけない血が流れ、そして貧困などの理由で、病気、餓えなで産まれながらも、死んでしまう子ども達。
なぜ、この様な事が起きていも神と呼ばれる存在は助けてくれないのでしょうか?
人間の行く末を見守っているだけなのでしょうか?
仮に神と呼ばれる存在が居たとするのなら、何様のつもりなのでしょう?
という訳で私は、神は、いないと言う結論に出たのですが、皆さんはどう思いますか?

A 回答 (28件中11~20件)

「戦争があり、貧困があり、病死がある」という事実と、「この世界があり、そこに人間が生きている」という事実のどちらがより本質的なことなのでしょうか? 私は、後者の方がより本質的なことのように思います。

何故なら、「この世界があり、そこに人間が生きている」という事実がなければ、戦争も、貧困も、病死も問題にすらならないからです。

「何故、この世界が存在しているのでしょうか? また、何故、人間が生まれてきたのでしょうか?」
科学は、言います。宇宙はビッグバンにより、無から生じたと。また、古代の海で、原子や分子を掻き混ぜていたら、生物ができて、さらに掻き混ぜていたら人間ができたと。神はいなくても、地球はできるし、人間もできると。その通りだと私も思います。

今、ここに、バケツに5000個のサイコロが入っていたとします。それを床にばら撒いたら、全てのサイコロが1の目になっていたとしたら、それは、おどろくべきことでしょうか? 確かに驚くに値すると思います。しかし、それは、あり得ないことではないのです。次に、バケツに、石ころとピーナツを5000個入れます。これを、床にばら撒きます。1の目は出るでしょうか? これは、出ないと思います。「可能性」のないことは、起きないからです。ビックバンも生物進化も同じだと思います。「可能性」があるから、どんなに確率が小さくても、起こり得るのです。しかし、「可能性がない」ことは、どんなに長い間待っても、絶対に起こらないのです。この違いは、非常に大きいと思います。

「何故、この世界には、地球や人類が生まれる可能性があったのでしょうか? 可能性がない可能性もあったはずです。」

今、我々が住んでいる地球の自然は、大変きれいだと思います。青い空や、木や森の緑や花、山河や海をみると心が休まります。何故、そうなのでしょうか? 空が青いからでしょうか? 木の葉が緑だからでしょうか? 空はある波長の電磁波を反射し、木の葉は、別の電磁波を反射しているだけです。決して、空自体が青いわけでも、木の葉が緑色なわけでもありません。では、目が色を付けているのでしょうか? 科学によるとそうではないようです。目に入った電磁波は、視神経を刺激し、その刺激が脳に伝わり、それが、色の原因になるようです。しかし、脳細胞の刺激は電気信号に過ぎません。電気信号に色は付いていません。では、どこで色が付いているのでしょうか? 心しかないように思います。

心のキャンバスに色が描かれるのは何故でしょうか? 原理はよくわかりませんが、色が付く「可能性」があるから、色が付くのだと思います。しかも、きれいな色に見える「可能性」があるから、きれいな色に見えるのだと思います。もし、「可能性がない」のであれば、色は全く見えないか、見えたとしても、不快な色しか見えなかった「可能性」も十分あったはずです。理由は全くわからないけど、きれいない色に見えているという事実があります。

今、日本に戦争があるでしょうか? 幸いなことに、60年間戦争がありません。今、日本に、貧困があるでしょうか? ないとは言えませんが、この半世紀で大幅に減ったのではないでしょうか? 今、日本に、病死はあるでしょうか? 確かに、ありますが、この半世紀で大幅に減って、世界一の長寿国になったのではないでしょうか? 何故でしょうか? 日本人ががんばったのも大きな原因と思われます。しかし、どんなにがんばっても、もし、可能性がなければ、達成できなかったのではないでしょうか? そこには、「可能性があった」という事実があります。

今、世界には、戦争があり、貧困があり、病死があります。でも、それは、なくなる「可能性」があるのではないでしょうか? 「可能性がない」ことは、どんなにがんばっても達成できませんが、「可能性がある」ことは、がんばれば、達成できることは、日本の例から想像できるのではないでしょうか?

この世界は、「可能性」に向かって開かれていると思います。

私が、とても、不思議に思うのは、何故、そんな「可能性」が開かれているのかということです。「可能性がなかった可能性もある」ことを考えると、「可能性がある」という事実は、ある種の奇跡です。それは、とても恵まれたことだと思います。「可能性」が開かれている以上、我々が、我々の手で、その「可能性」を切り開くように、この世が出来ているのではないでしょうか? 戦争、貧困、病死も、我々人類の手で解決するように、この世が可能性を提供しているのではないでしょうか?
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神様は人を救わないでしょ。

救うのは、子供向けストーリー作家の物語に登場する神様でしょ。そんな神様しかイメージできないんだとすれば、お勉強が足りません。
また、新興宗教の神様はよく人を救ってくれますが、救うのは信者限定です。本人は救われたと思っても、周りの人は、だまされたって感じる場合もあるようですが。
オーソドックスな神様が救うとしたら、魂です。死んだら魂を浄土に連れて行ってあげますが、これも信者限定です。
キリスト教やイスラム教では信じない人を殺すことを時に聖戦といって、褒め称えたりします。その場合は殺された異教徒は、魂は救われます。いい事したことになります。
また、日本では両方とも「おかみ」ですが、神様はお殿様じゃないので、福祉行政やボランティアはしないでしょうね。
神様を信じて協会や寺院にいったのに、そこで餓死した人はいないんじゃないですか?
ある人が苦しいときに、超越的な力である人だけを助けるのが神様じゃないですよ。そんなことは、ある人が神様より偉い場合のみ実現します。「何様のつもりなんでしょう」
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 神様、仏様、天国、地獄等と云うものは、人間自身の創造物でしかありません。


 愛だの慈悲だとかが、表面を覆っているようですが
その実、非常に残酷な面が隠されております。
 常に、弱い者を犠牲にしなければ為政者は世の中の維持が出来ない事を知っています。
 従って、宗教と云う眼に見えないコントローラーを心という目に見えない臓器に植え付ける必要があるのです。人間が誕生し、人間が死に絶えるまで争いは無くなりません。そして和平という無駄な努力をし続けるでしょう。
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質問に、どのような立場で答えるかで、回答がおおきく変わってしまいます。



ここでは、各宗教の立場にたっての回答をしてみようと思います。


仏教、ヒンズー教などの、輪廻転生を唱える立場

現世は、過去の行いによって決められます。
現世自体が、苦しみの世界ですが、今回生まれた前の諸行が悪かった場合、今回の生は、苦痛に満ちたものになります。
それは、定めで、逃れる事はできません。
今回の生きている期間に、功徳を積めば、来世で幸福な生活を送る事ができます。


イスラム教、キリスト教など死者復活の立場の宗教

現世の諸行は、神が見ております。
現世での悪い諸行が無い場合、天国に召され、神の世代となった場合には、必ず復活し、至福の時をすごせるようになります。


といった事になるでしょう。
神が救済するのは、基本的に死後であり、現世での救済はありません。
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現在、各地にある食肉市場でと畜が行われ、流れてはいけない血が流れ、


そして食用などの理由で、産まれながらも、殺されてしまう牛達。
なぜ、この様な事が起きていても神と呼ばれる存在は助けてくれないのでしょうか?
牛の行く末を見守っているだけなのでしょうか?
仮に神と呼ばれる存在が居たとするのなら、何様のつもりなのでしょう?
という訳で私は、神は、いないと言う結論に出たのですが、質問者さまはどう思いますか?

神が、人間にだけえこひいきをするという話は聞いたことがありません。
神は生きとし生けるもののすべての御親であるはずです。

現在、各地の病院で行われる細胞検査で、多くの癌が発見され手術で血が流れ、そして
それ以上の治療法がないなどの理由で、生きながら、死を待つしかない患者達。
なぜ、この様な事が起きていも神と呼ばれる存在は助けてくれないのでしょうか?
人間の行く末を見守っているだけなのでしょうか?
仮に神と呼ばれる存在が居たとするのなら、何様のつもりなのでしょう?
という訳で私は、神は、いないと言う結論に出たのですが、質問者さまはどう思いますか?

私の幼い弟は10歳で病気でこの世を去りました。そのとき神を信じることをやめていようが
いまいが、私は自分以外の何かの力を得て、50歳過ぎた現在まで生きてこれたと感じます。
母は、自分の息子の命を救って欲しいと真剣に祈りました。でも弟は小児癌の病床から生
きてもどることはなかったです。母はその後自分の信仰心のなさを責めて泣き暮らしていま
した。42歳の母に3番目の子供が授かって、母は神様が自分を許してくださったのだと
安堵しました。

現在、各地で起こる大災害で、流れてはいけない血が流れ、そして救援困難などの理由で、
瓦礫の下で生きたえ、炎に焼かれ、水に流され死んでしまう被災者達。
なぜ、この様な事が起きていも神と呼ばれる存在は助けてくれないのでしょうか?
人間の行く末を見守っているだけなのでしょうか?
仮に神と呼ばれる存在が居たとするのなら、何様のつもりなのでしょう?
という訳で私は、神は、いないと言う結論に出たのですが、質問者さまはどう思いますか?

神様は、それぞれの心の内側にお住まいなのだと思います。私の神は私を導き
私をより崇高な道へと導いてくれるでしょう。
それでは、みんなの心が一つになっていたら、そのとき神様はひとつのものになって
力を発揮され私たちをお導きくださるでしょうか。
多分そうでしょうね。

現在、各支店営業所で起こる無駄な損失や在庫の山、失われてはいけない利益が失われ、
そして予算がないなどの理由で、みすみす競合他社に顧客を奪われる営業マンたち。
なぜ、この様な事が起きていも社長と呼ばれる存在は何も助けてくれないのでしょうか?
会社の行く末を見守っているだけなのでしょうか?
仮に経営者と呼ばれる存在が居たとするのなら、何様のつもりなのでしょう?
という訳で私は、我が社には、経営者はいないと言う結論に出たのですが、質問者さまは
どう思いますか?

戦争の悲惨さを思ったら神様が助けてくれる前に自ら立ち上がる必要があります。
質問者さまがおっしゃっているのは
「自責」の意識のない単なる批判です。
夕焼けがあんなに真っ赤じゃないか。けしかん。

自分がかかわりを持たないことには、神もかかわりを持ちません。
起こっている出来事にいいも悪いもないのです。
殺戮も煎じ詰めれば「理由」があって、それぞれに「正義」はあるのです。
あと、やむをえない事情も。
世の中が完全でなければ、神がいない・・・そういう発想はおかしいです。
会社が完全でないから経営者が必要なように、人の住む世のなかが不完全で
歪んでいるからこそ神が必要なのです。

神とは「自ら助ける心」です。
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あなたが神になったらわかることです。


試しにアクアリウムでも眺めてみたらどうでしょうか?
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私は神とは宇宙をも含めた「自然」であると思えるようになりました。


戦争で人がたくさん死んでゆく、或いは飛行機事故で一度に何百人もとか、地震で何千人もとか、これらは神様が起こす「自然の摂理」なのです。
いわば、増えすぎた人間の駆除を行っているとも考えられます。
それらがなくて、人間が不老不死ならこの地球はどうなってしまうでしょうね?それも恐ろしい話しです。
この世で人間が一番強い生き物なのは確実であり、またその人間も自然には勝てない。人間だけが富や名誉だ、お金だと言ってるだけであり。その辺の幸福と感じる要素を、どうにかするなんてことは神(自然)にとっては関係ない事です。
誰もがどの生き物も幸福に生きさせようなんて八方美人な事をしていたら自然の摂理は成り立たず、とんでもない事になりますよね。
生きも死ぬも大切な事であり、そのサイクルを造られたことは大きな宝だと思えます。
だから生き物は生まれた限りは生きようとする本能があるのです。
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宗教の違いが原因で様々な戦争が起きていることも忘れてはいけません。

だから本当に戦争をなくそうと思ったら、世界中の人は宗教をやめなくてはいけない。

さらに貧困の原因も探らなければいけませんね。
世の中には、金持ちもいれば、貧乏もいる。ではなくて、金持ちがいるから貧乏人がいるのですよ。

つまり、先進国という豊かな国が、経済戦争において利益を独占しているから、貧しい国の経済が伸びないのですね。もし、発展途上国の製品が売れ、貧困が解消できるようになれば、日本を含め先進国の商品が売れずに、先進国が貧しくなるということを忘れてはいけませんね。

日本人は、自分だけ安全なところにいて、自分達のせいで招いているかもしれない貧困を憂い、怒りを感じているのかもしれない。だが、本当に世界から貧困をなくそうと思うなら、世界中の人は自分の富を諦めなくてはいけない。

簡単に言えば、戦争も貧困も人間の「我」が引き起こすことなんですね。それが悪いことであるとは僕はいいません。誰だって自分は可愛いですから。努力すれば成功する。そんな世界でありたいから。

もし神がいても、人間が自分の我で引き起こしていることに対して、天罰を与えることはあっても、フォローなんてしないと思いますよ。

多くの血が流れ、子供達が死んでいくのは、人間よ早く過ちに気付けという、神からのメッセージ?なのかもしれませんね。
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神の御意思は広大無辺にして、およそ人智の及ぶところにあらず。



と、思っておくことが第一でしょう。

凡俗な人間には、隣人が何を思っているのかすら正確にはわからないのです。
神がいるとすれば、それは人間を明白に超越した存在であることはどなたでも認めていただけることと思いますから、であればなおさら神が何を考えているかなど人間にわかるはずがありません。

もし、御説のとおり「神がいるなら罪もない人間を救わないはずがない、だが現実はそうではないから神がいない」とすると、「神は人間を救わねばならない」→「神は人間に奉仕しなければならない」ということになり、「神は人間が使役すべき存在である」ということになります。こうなると、「神」は魔術師や呪術師が使役する精霊だのジンだの式神だの、といったオカルトな存在と全く変わりません。
これは「神は人間を超越した存在である」という先の定義(に、合意していただけない場合は無意味な議論になりますが)に矛盾し、神の不在証明の方法としてはいささか問題があります。
(この辺はたぶん、各種神学の初歩で扱うと思いますが……)

いずれにせよ、お布施の多寡や何かで人間のいうことを聞いてくれるような存在や、人間の決めた基準に唯々諾々と従うような存在が真の意味での神であるはずもなく、そういう意味では「神はいない」といってよいでしょう。
ですが、神はどこにも、どのような意味においても存在しないのか?という質問は、いかなる意味においても人間の答えられる問題ではない、と私は考えます。
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「何様だ!」「神様だ」


ワタシは「神は人がつくりしもの」であり、神はいないと思っています。

仮にいたとしても、この世界全部を作ったのは神ですね。
人間はその中の一要素にすぎません。
「人は特別なんだ!」と思っているのは人の勝手です。
神がそう思っている理由はありません。

神が望んでいるのは、この世界のバランスであり、そのバランスを崩している人が減るのは歓迎しているんじゃないでしょうかね。
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