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苦しいときや悲しいとき、私は神に祈ります。詣でにも行きます。
でも、神は、助けてくれるわけではないと、知っています。
というか、私は、半世紀の人生で、そう理解しています。

戦争、ホロコースト、原爆、テロ、天災、虐殺、凶悪犯罪被害、、、。
筆舌に尽くしがたい目にあった人たちを、神様も誰も、救ってくれませんでした。

神様は、いるんだろうと思います。
大昔から、政治家が頼ったり、人民の心の支え手になっていたから。
でも、救ってくれなかったと思います。
神は、読んでいないですが、聖書?では、人民に怒り、破壊し滅ぼしたようなことをしたとか。(間違っていたら申し訳ありません)
だから、神は人民を助ける存在ではない。

だけど、人々は神に助けを求める。
なぜ、神に助けを求めるのか、不思議でしょうがないのです。

分かりやすく、教えてくださる方、お願いいたします。

(仏教のブッダは、自分の内側で悟ることで煩悩からの解放を説き(小乗仏教)、「仏様、助けてください。」というのは大乗仏教であって、本来のブッダの教えではない、と聞きかじりました。そして、ブッダは人間なので今回は無関係です。)

質問者からの補足コメント

  • うれしい

    お礼を読み直し、もしかして誤解を招いたかもと心配になりました。
    信じてお参りされる方々を、全く否定していません。
    ご回答、本当にありがとうございました。

    No.3の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2015/06/14 21:55
  • うれしい

    私の質問に、こんなに沢山の方々が、心を込めて、答えてくださった事に、心から感謝申し上げます。
    当初は、「祈る人間の気持ち」だけが知りたいと思っていましたが、神について・神と人間の関係について、を学ぶことも大切なのかなあ、と、皆様のお答を、何度も読み返しております。
    ベストアンサーは、みなさんスゴかったので迷いに迷いましたが、自分の感受性で一番しっくりきた方に、させていただきます。
    本当にありがとうございました。 皆様に幸多かれと。

      補足日時:2015/06/16 15:00

A 回答 (18件中1~10件)

精神世界ですか。

そもそも精神に理論を求めてはいけません。簡単に言えば、そうしたいからそうする、という事以外ないと思います。
神はいないとわかっている(もしくはいると思うけど助けてくれる存在ではないとわかっている)、でも祈る、理由はそうしたいから、という事に対して理論付けできませんよね。精神論に「何故」は通用しません。

しかし、科学的な視点からみるとそうはいいきれない可能性があります。科学というものは何事も「根拠」を必要とします。精神に「何故」は通用しないけど科学に「何故」は通用するのです。
神がいないという根拠はありませんし神が助けてくれないという根拠もありません。まだこれらの存在は科学的に実証されていないのです。
つまり、実証されていないからこそその可能性を信じて祈る、という行為はある意味理論的といえます。これは精神論ではありません。

>だから、神は人民を助ける存在ではない。

だけど、人々は神に助けを求める。
なぜ、神に助けを求めるのか、不思議でしょうがないのです。

精神の視点からみると、そうしたいからそうする。
科学の視点からみると、その可能性を信じてそうする。

というのが回答になりますが参考までに。
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この回答へのお礼

そうしたいからそうする。
まあ、そうですよね。
私も、行きたいから行くわけではないですが、誘ってくれた人とせっかくだから行こうかなという自分の意思ですし。
根拠、実証、理論、のお話は大変興味深いです。
どうもありがとうございます。

お礼日時:2015/06/14 21:18

"神は人民を助ける存在ではない。


だけど、人々は神に助けを求める。
なぜ、神に助けを求めるのか、不思議でしょうがないのです。"
   ↑
それは心底、神は助けない、とは思っていない
からです。
心のどこかで、もしかしたら、俺だけは、
という気持ちが残っているから、
いわゆる「藁をも掴む」心境で
神に祈るのでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

なるほど。
確かにどこかで願っているから、お金を差し上げてでもお祈りなさるんですね。
そうかそうか。
なかなか納得いたしました。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/06/14 21:24

私は神棚を祀って毎日お神酒を水をお茶をあげて、ロウソクを立てて朝夕に祝詞をあげています。



神様に力を与えるのは祀ってくれる人で、人が神様に力を与えているのです。

貴方は神様に力を与えていますか、古びた神社や壊れかけた神社・誰も祀ってくれない神社には、神様がいないのです。
そんな神社には動物霊などの悪いものが住み着いていますから、気を付けてください、ぜったいに手などを合わせないでください。

各地には同じ名前の神社がいっぱい有ります、八幡宮・出羽三山・不動神社など、何々八幡宮神社といった同じ名前の付いた神社は神様は一人なのです、だからお参りの際に鈴や太鼓・手をたたくのは、神様を本山から呼ぶためです、神様も夜8:00以降は本山で帰ります。
だから、いつも祀ってもらって力を貰っているところはすぐに行けますが、力を貰っていないところは神様も行けないのです。
困っている時だけ苦しいときだけ、お願いされても力をもらていないところには行けないのです。
そのために神社の宮司さんがいらっしゃいます、宮司さんの力を付けるためにも、貴方がお参りする神社には普段からお参りをして、神様に力をつけてもらうようにすれば、神社が神様に力を与えてくれます。
それでも神様は人を助けるのではなく、個人を良くするために個人の行動を助けてあげるのであって、動かない個人を助けることはできないのです。

それとお参りの際には、貴方の住所氏名を名乗って、お賽銭をあげていますか、神様だって住所氏名が判らないところには行けないものです。

私は毎日神棚にロウソクを灯します、ロウソクは毎日同じには燃えないものです。
ロウソクの燃え方を見て、今日は気を付けなけばならないとか、今日は良いことがありそうだとか、祝詞をあげている時に良い考えが浮かんだりします。
そして帰ってきて、神棚に「今日も一日何事無く無事に過ごさせていただきましたありがとうございます」とお礼を言って手を合わせます。
毎日それを遣って私も助けて貰っていることを実感しますが、神様も災いを避けることはできないのです、災いを小さくできるだけです。
この回答への補足あり
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この回答へのお礼

私はもうすっかり助けを求めなくなってしまったので、
住所氏名もお賽銭もなしです。
確かに、そういう気持ちの者には間違っても来ていただけないと思います。
あなた様のように毎日心を込めてお参りされている方のところには
神様は目と心を配られているのでしょう。
神様のこと、お参りのこと、とても興味深く、勉強させていただきました。
そういえば、なぜ神様にはお金(お賽銭)が必要なのでしょう…
住所と氏名は分かりましたが…

本来の質問から逸れ、失礼いたしました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2015/06/14 21:48

質問のタイトル、助けてくれない神になぜ、祈るのか?・・・


その答は、神と人の心が繋がっているから。
親と子の関係です。

例えれば、溺れている子を助けたくても助けられない状況、の様なものです。

質問、有りますか。
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この回答へのお礼

助けたくても助けられないのが神で、助けてほしいけど助けてもらえないのが子ども。
子どもが親に助けを求めるのは当たり前、自然なこと、ということでしょうか。

小さな子どもは親に虐待されてもなお親を求める、頼れるのは親しかいないから、ということでしょうか。
だから祈る。そういう考え方もあるのですね。私にとってはとても新鮮で勉強になりました。
ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2015/06/15 10:09

神はすぐに祈りにこたえてくださらないこともあります。


その願いがきまぐれだったり、まだ早すぎたり、最善の益と
ならないことがあるからです。
神が悪を許しておられるのには、理由があります。
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この回答へのお礼

そういう神様に、なぜ人はお祈りするのでしょう、という疑問です。
神がどういうものか、ではなく。
なぜお祈りするのでしょう。
神様のことを教えてくださりありがとうございます。

お礼日時:2015/06/15 10:13

私は無宗教ですが「人智を超越した大いなる何か」は存在すると思っています。


それを手っ取り早く言い表すと神様仏様になると思いますので、苦しい時にその存在に祈る人の気持ちはわかります。
もしかしてあなたも、そのような感じでしょうか?
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この回答へのお礼

神に祈る気持ち、は何ゆえ?というのが質問です。
祈る人の気持ちはお分かりになる、という、その具体的な何かが、もしおありでしたら、お聞きしたいのです。なぜ祈るのか。
ありがとうございました。

お礼日時:2015/06/15 10:16

宝くじを買うのと同じ。


買ってもまず当たらない。買って損をする確率の方がはるかに高いのに、多くの人が買う。
ひょっとしたら一等前後賞合わせて数億円もらえるかもしれない。
そして、買わなければ、絶対にこの幸運を手にすることはできない。

奇跡という言葉が指し示すように、神様が人を助けてくれる確率は非常に低い。
神さまに祈ったって(宝くじを買ったって)、奇跡が起きる(宝くじの一等前後賞が当たる)とは限らないけれど、
神さまに祈らないならば、奇跡が起きないのだとしたら、
神さまを祈る人がいたって不思議ではないんじゃない。

それに、神様に何かを祈るときというのは、自力ではこの窮地を抜け出せないときが多いんじゃないかな。
孤立無援で神さましか自分を助けてくれる存在が無いとしたら、人は祈るんじゃない、神様に。

私は神様がいるかどうかわからないけれど。

神様はいるか、いないかのいずれである。
神様がいないならば、信じても無駄である。
しかし、神様がいるとしたら、信じないと損をする。(何故ならば、死後、地獄へ落とされるから、などなど)
だから、私は神を信じる。

誰が言ったのか知らないけれど、これは、結構、有名な哲学者か自然科学者の言葉だったと思う。

宗教者からお布施や献金を取られ、しかも、神様がいなければ、経済的に損をすることになるけれど、
神様を信じて損がない上に、信じるとひょっとしたら得するかもしれないのだったら、
神様を信じないのは損だよね。
だったら、信じたほうがいいんじゃない?
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この回答へのお礼

興味深いご意見です。

祈っていない人でも奇跡を起こしたかもしれませんよ??と言いつつ、でもきっと、多分、
その方たちも祈っていたような気はします(推測)

損得のお話も面白かったです。
私はあまり損得で考えないのですが、自分の大切な物事にとっていいか悪いか、という子は、損得と必ずしもかけ離れてはいないのですよね。
明るいご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/06/15 12:36

まずですが、神様はいるはずがありませんよね。


仮にですが、いたとしても、別に人間を助けるためにいるわけでないのは明らかですから、いないも同然でしょう。
人間を助ける役割を付与されていればこそ神様という大層な名前がついているわけですから、その意味で、神様はいるはずがないことは、このように論理的に否定できます。

信じている人が祈るのは、今度こそ・今度だけは・わたしだけは、といったように、少ない確率であっても、その確率が、今この瞬間にこそ実現されるかもしれない、という期待を強く持つことが可能だからだと思います。
なにしろ、一旦、存在を信じてしまえば、いるのは間違いないことになってしまうわけですから、その心境は理解できます。
これが(何度裏切られても)神様を信じている人が神様に祈る理由。

信じてない人が祈るのは、単に奇跡を祈る心境と同様でしょう。
自らの膂力を超えた願望実現のために、自分以外の力に縋りたくなるのは極めて自然な心境。
人事を尽くして天命を待つ、というのが真理のはずですが、
人事を尽くして天命を恃む、という焦りに変化してしまうのもご愛嬌、理解できます。
そんな便利なものが存在するわけがないのですが、それでも頼りたくなるのは心理的には、むしろ筋が通っている。
それが漠然としたものではなく、何か具体的な形を持ったものであればさらに便利で縋ったり頼ったりし易くなる。
かくして、人は神を(瞬間的に)捏造する。
無意識的行為であり、また、それゆえに、極めて自然な行為と言うことができると思います。
神という語を、奇跡の単なる代名詞として、一時的に[借用]しているだけ。
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この回答へのお礼

最初の2文は、私は別の考えなのですが、神というの名を持つからには人間をたすくるべきもの、との説はとても新鮮でした。
神を、長く長く、奉り、崇めてきたと思うのですが、瞬間的な捏造、というのも、
きわめて新鮮なお話で、勉強になります。

結局のところ、人は神に期待しているから、祈る、ということでよろしいでしょうか。
そうですよね、期待しているんですよね。祈る≒頼る??
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/06/15 12:48

う~ん、なんだろう?


上手く説明出来なそうだけど、自分が思ってる事で参加~

サムシンググレートだっけ? なにか大いなるもの
な~んとなくだけど、なんか、いるんだろうな とは思ってる
んでもって、いっちゃん上? 一番大きな? なものは、きっと特別に何かを助けてくれるような存在ではないんだろうな とは思ってる
だからここまでは似た感じなのかな~?

人と神は違うもので、その生きる摂理も違うんだろうと思う

全体を見てるものは全体の事を考えてそう

こー考えると特別には助けてくれなそうだよねー

でも人は祈る なんで?
そこは拠り所にして、自分の中で心を奮い立たせたり、平常心を取り戻したり、何かを諦めたり、心に重くのしかかったものを一時あずけて取り除いたり、新たな一歩を進む原動力にしたり…活用してるんだと思う
行って厳粛な気持ちになったり、気持ちが楽になったり、心地よかったりするのも含んで~
もちろん真面目に感謝をしてるだけの人もいるだろうけど。感謝だけなら何かを求めてるわけじゃないから見返りはなくていいのです 感謝できることに感謝?
心の深いところで繋がってると思う事でいろいろ受け入れられることもありそう 心の平穏を保つのに役立ってるよね
ああ、真面目な方々ご勘弁を


それと、もっと下の方?もっと近し良いものは…なんかちまちまと本当は助けてくれたりしてるんじゃないかなぁ…なんて期待もしています
ああ、私も下心アリアリ~
ちょっぴり期待している
祈る事で何かが変わるのを


あ、追加
自分はスペシャルな存在だと信じ込んでいて、スペシャルだから特別扱いをしてくれるに違いない!!!と思ってる人もいるんじゃないかなぁ
自分にとって自分は常にスペシャルな存在ですから…心の奥底ではそういう部分もありそうなことに気付いちゃった…ああ、イタイ…
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この回答へのお礼

> こー考えると特別には助けてくれなそうだよねー

ここまでは、はい、同じ感覚です。

とてもまじめな回答です。
中盤も、難しすぎない深すぎない分かりやすい、「きっとそうなんだろうなー」と思えるご意見。
感謝の気持ちが神に向かっている人々は、祈る気持ちも神に向かうのですね。

あと、どうもやはり「期待」しているんですね。そりゃそうか。だから祈る、のか。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2015/06/15 13:01

#8です


ちょっと追加を。

神を信じてない人も、神を信じたくなる心境は無意識的に理解していると思います。
であればこそ、奇跡の一時的代用品として瞬間的に利用できる。
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。
はい、分からないでもない、のであります。
ただ「なぜ」です。
奇跡の代用品~外国の船が攻め込んで来ようとしたときに、台風が起こって攻め込まれずに済んだ~神の国だから、というようなことですね。
人民が神を利用しているのでもありますね。利用というキーワードも新たに入ってきました。
ありがとうございます。

お礼日時:2015/06/15 13:08

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