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旧日本陸軍の万歳突撃ですが、この戦法の起源はどこになるのかご存知の方、ご教示ください。

以前、西南戦争に関する番組をNHKで放映しており、それ中で、賊軍(西郷軍)の抜刀隊に対抗して、官軍(政府軍=陸軍)が旧会津藩士を主体とした巡査抜刀隊を作ったというくだりがありました。
銃撃戦後の抜刀した白兵戦。使う兵器を日本刀から着剣した小銃に変えると、万歳突撃のイメージによく似ているなと思ったのです。この辺が起源なのでしょうか?

宜しくお願いいたします。

A 回答 (6件)

よく誤解されることが多いのですが


”万歳突撃”は、絶望的状況で敵に突進して戦死する
玉砕ための突撃で、
これは特攻の一種であって
旧日本軍の通常の攻撃パターンではありません。

突撃は一般に、白兵突撃とか肉弾突撃といわれ
軽機関銃に援護された小銃兵が暫時、前進と支援を
繰り返して、敵陣地に肉薄していくというものです。
旧日本軍は精神主義を重んじましたが、
突撃と肉薄戦闘は、弱い火力支援を補うための速攻戦術です。

中国戦線では大いに成功しましたが、
旧日本軍の特徴を研究したアメリカは
ガダルカナル以降、陣地に鉄条網と散兵壕、機関銃座、
見張り台にサーチライトを完備させたため
旧日本軍は敵の圧倒的火力を前に
全く前進も突破もできなくなり、根本的破綻をきたします。


”抜刀隊”とはもともと薩摩島津家が戦国時代から組織していた部隊で
島津軍はほぼすべてが火縄銃を持っていたのですが
銃撃後に太刀を抜いて戦う部隊のことでした。
西南戦争では、おっしゃるとおり、旧会津藩士を中心として士族の巡査から
突撃部隊を編成して西郷軍の防御線を突破させようとしたものですが
銃剣突撃というのは、幕末に西洋の戦術、
特にナポレオン時代の歩兵戦術が流入したことに起源があります。

前述のように万歳突撃は自暴自棄の突撃であるため関係ありませんが
銃剣突撃は、旧日本軍の歩兵戦術の基幹となりました。
これは明治時代当時でもかなり後進的な思想でしたが、
日清、日露戦争でも使用され、旅順攻略のように
死屍累々とした結果になったにもかかわず、
あまり反省されずにそのまま運用されていたのです。

その後、火力支援という要素を加えて、前述のように
時代に合わせてやや変化はありましたが、
旧日本軍は、自動小銃や突撃銃というアイデアを軽視し
なおかつ不利な肉薄戦闘を選択するという愚を犯しました。
太平洋戦争では、南部14年式のような自動拳銃が
歩兵の支援火器とみなされたいたぐらいですから
その兵器の後進性と不利はあきらかで、
旧日本軍が三流の軍隊だったという現実がここにあります。
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この回答へのお礼

ご指摘のとおりいわゆる白兵戦と万歳突撃を混同していました。他の方のご指摘にもあるように、死を覚悟の最後の突撃と、通常の突撃には雲泥の差があるんですね。変遷に渡ってもご丁寧に解説していただき助かりました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/09 01:44

 皆さんそれぞれお詳しいことですが、なかでも#2さんのご回答と#5さんのご回答を足したものが正解のように思います。



 つまり、万歳突撃の語源はやはりアッツ島など南方の激戦地での捨て身の突撃とその結果の玉砕に対して、その無謀さに震え上がった米軍側で誰からともなく言い出したのが「バンザイアタック」であったろうと思われるからです。

 それに、もともとわが国には「万歳突撃」という表現もありませんでしたし、日本軍側としては突撃の際に「万歳!」と叫びながら突進するということもなかったはずです。

 敵弾に当たって倒れる際に「天皇陛下万歳!」と雄々しく叫んで散って行った多くの日本軍兵士たちのその言葉を聞いて、米軍の兵士たちはさぞかし背筋が寒くなる思いをしたことでしょう。そんなところからバンザイアタックという言葉が生まれたのではないでしょうか。悲しいですね。
 
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この回答へのお礼

てっきり突撃の際、万歳を叫びながら攻撃したのかと思っていました。死の間際で叫ぶ「万歳」が米軍命名の由来なんですね。どうもありがとうございます。

お礼日時:2005/11/09 02:12

通常の突撃は戦闘の決着をつける為に行われる行為です。

 通常連射が出来ない武器を持った軍隊が行いました。 日清日ロ戦争では不十分ながら補給もあり戦闘に勝利の希望もありましたから突撃はあってもバンザイ突撃ではありません。

バンザイ突撃は戦闘継続の望みを失い絶望の後に自らの死により終止符を打つために行う集団自殺行為です。

弾薬食料の欠乏、戦力の懸絶により撃つべき手段がなくなり、早く戦闘を終わらせたいと思うようになった
時、最後の手段として決行されたものでした。

バンザイ突撃の最初は太平洋戦争時、アッツ島で始まったと思います。
アッツ島守備隊は米軍の上陸により、食料弾薬が尽き
銃剣の他武器もなく、歩行困難なツンドラ地帯を一歩一歩踏みしめながら突撃し全滅しましたが、これが戦史に残る記録の始めだったとおもいます。
これ以来南方島嶼で補給の途絶えた所でくりかえされました。

西南戦争は小銃も単発銃で次発まで時間がかかりその間に接近し刀を振るう余裕があったのと、刀剣術に自信があり行われた戦術で共に勝利を目指したものです。
城山で包囲された西郷軍の最後には同様であったかも知れませんが突撃はしていませんでした。
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この回答へのお礼

単に突撃という形だけみていて完全に誤解していました。最後の突撃と陣地占領を目的とした突撃は全く意味合いが違いますね。
西南戦争との対比もおおいに参考になりました。確かに西郷軍は死を決した集団突撃はしていませんね。素人丸出しの質問で恥ずかしい限りですが、どうもありがとうございました。

お礼日時:2005/11/09 02:04

日露戦争時の旅順要塞攻撃時の「白襷隊(しろだすきたい)」が最初ではないでしょうか?


第三次総攻撃の序盤、1904年11月26日~27日未明にかけて行われた作戦に投入した志願兵からなる約3000名の決死隊です。
銃剣突撃のみで敵要塞内に突入して敵を分断するという調子のよいものでした。
もちろん敵要塞前面でロシア軍に発見され、進む事も退く事もできずに全滅しました。
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この回答へのお礼

小生、陸軍関連の知識、特に太平洋戦争以前には疎く、(それは質問でも馬脚をあらわしていますが)、白襷隊のことも知りませんでした。検索してみるといろいろと出てきて、有名だったんですね。20年前、203高地という映画がありましたが、ビデオででも出ていれば腰をすえて観てみたいと思いました。ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/09 01:59

普通の突撃なら、時代や国を問わず何処でもやっていると思うけど…。



万歳突撃とは、神風特攻隊や桜花・菊花・回天・伏龍といった人間爆弾のことですか?

なら上海事変の「爆弾三勇士」の話が最初ではないかと思います。
本当は装備の不備による爆死だったのを、軍神・美談とするために「天皇陛下万歳」と叫んだ等の美化がされたと聞いています。

参考URL:http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-42.html
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この回答へのお礼

爆弾三勇士は歌の題名として知っていましたが、具体敵意にどのようなものかは知りませんでした。ご紹介のURLで「なるほど」と理解できました。ご紹介ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/09 01:50

バンザイアタックというネーミングは、米軍が名づけたもののようです。


URLの本は、私も興味深く読みましたが参考になるかもしれません。

参考URL:http://shinshomap.info/book/4062582031.html
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この回答へのお礼

本のご紹介ありがとうございます。さっそく探して読んでみようと思います。このジャンルの本は読んだことがなかったのでいい勉強になると思います。ありがとうございました。

お礼日時:2005/11/09 01:48

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