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タイトルの通りです。
お隣り中国では何千年も前から弓と並んで使われていたのですから、当然日本にも入ってくると思うのですが…
生産能力や地勢的な問題などで使用されずに廃れてしまったのでしょうか?
ご存知の方おりましたらお教え下さい。

A 回答 (4件)

弩が日本に入ってきたのは、弥生時代といわれています。


当時の日本では技術的に生産が難しく、一部の古墳で大陸製の弩が出土されているだけです。

技術力が向上してから生産されなかった理由についてはわかりかねます。
弩は特に射撃の技量がなくても、一様に強い弓勢となるため、
徴兵したての農民に持たせても有効ですが、
その農民たちの叛乱を危惧していたのかもしれません。

あるいは単に和弓の発達によって、不要になっただけかもしれません。
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 私は、「騎射しにくい」も使用されなかった理由の一つと考えます。


 弩が日本に入ってきたのは、弥生時代と回答されているように、古いものでしょう。しかしながら、戦国以前の戦いは、騎馬武者を中心として「やあやあ我こそは」の戦いでしたし、主役たる騎馬武者が使用しにくい弩が、従者の使用するものとならざるを得ない結果、主人以上の成果を挙げる弩が「不名誉」なものとして、だんだんとすたれていったものと思います。
 他の理由は、他の方と同様です。
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この回答へのお礼

回答してくださった皆様、多忙の為レスが遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。失礼ながら、一番上にあるこの書きこみの所で纏めてお礼を述べさせて頂きます。本当にありがとうございました。

お礼日時:2003/01/24 00:46

回答の追加です。



弩は弓勢が強い反面、矢の装填に時間がかかり、
たて続けに撃てないという欠点があります。

同様に装填に時間がかかる武器に火縄銃があります。
これが実用化されたのは、連射を可能にしたためです。
それは、織田信長が採用した「長篠の戦」の有名な三段構えの方法です。
これより以前では、次弾を装填している間に騎馬に突入されるため、
その威力にもかかわらず、あまり重要視されていませんでした。

つまり装填時間の不利を補う方法が確立るのは、長篠の戦以降のことです。
もっと早くにこの三段構えの方法が確立されていたら、
日本史で弩が活躍する余地があったのですが、
威力に勝る火縄銃が存在するため、
日本史に登場できなかったのではないかと思われます。
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クロスボウはまず使用するのに非常に強力な力が必要であり,


使える体格の人間をそろえるのが大変であった。

また力の弱い日本人が青銅など金属性の鎧を着なくなり,
軽い革や木などを使った鎧を着たため,
クロスボウなど強力な弓でなくても十分な殺傷力を得れた。

また連射速度が普通の弓(和弓)に比べて非常に遅い。
(熟練した兵士で,和弓で分速12発に対してクロスボウは分速1発。)

こんなところですかな?
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