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「帝国陸軍の将校に軍制式の拳銃は支給されなかった」
「拳銃を私物として購入・携行することは許されていた。戦前の日本では今のように銃刀法の規制が厳しくなく、拳銃が街で販売されていた」
「将校の中で希望する者は、自分で拳銃を購入して戦地に持参した」
「将校の装備は、軍服、軍刀、軍靴など、全て私費購入であった。これは他国の軍隊でも19世紀以来同じ」

と聞いています。上記が事実とすると、

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品の補充はどうしたのか?各人の拳銃がバラバラでは統一的な補給は不可能である」
「例えばドイツ軍では、将校には軍から制式の拳銃が与えられていたようだ(支給か私費購入かは不明)。イギリスやアメリカでも同様であろうか。日本がそうならなかったのは、『将校は軍刀で護身せよ』という発想か。将校全員にいきわたるほど信頼性のある拳銃を作る能力がなかったからか」
「現実には、帝国陸軍の将校の多くは、所持を義務付けられた軍刀だけで護身していたのか?」
といった疑問が湧きます。よろしくお願いいたします。

A 回答 (9件)

こんにちは


旧日本軍の制式拳銃に関しては、小銃に比べるとかなり資料が限られており、いくつかの専門誌や文献に点在した形であるのはあるのですが、
体系的に研究された文献もほとんど存在しませんので、多少記憶に頼った回答になることをお許しいただきたいと思ます。

「制式拳銃がなく、各将校が私物として拳銃を持っていたとすると、出征時における弾薬や消耗部品の補充はどうしたのか?各人の拳銃がバラバラでは統一的な補給は不可能である」

 これまでに他の回答者さんが回答なさっているように、将校の拳銃は原則自己調達でした。ということは予備弾薬もそれに準じて自己調達していたということになります。都合よく旧日本軍の制式拳銃の弾薬と同じ物を使う拳銃を購入すれば流用も考えられます。ただ8ミリボルトネック弾は世界的に見ても稀な実包だけに、流用できるものは当時の軍の将校の間で最も好まれていたモーゼル社にもなく、いったん戦場に出れば補給は不可能でした。
 さて旧日本軍の制式拳銃は明治以降3種類が存在します。つまり制式第1号の二十六年式、第2号の十四年式、そして最後の制式拳銃となった九四式です。明治26年制式化された二十六年式は別にしても、太平洋戦争を戦った十四年式と九四式の弾薬や消耗部品の補充は?ということですが、基本的に旧日本軍は拳銃に対して兵器という概念はかなり希薄なところがありました。つまり拳銃は兵器といった存在よりは、将校や准士官と呼ばれることもあった下士官(特務曹長)たちの象徴的な存在であり、かつ他の回答者さんが言われたようにいざというときの自決用といった存在であったと考えても良かったのです。
 そういうこともあり、弾薬や消耗部品の補充もめったに使うこともないのですから、必要性も少ないということでかなりおざなりにされていたと考えても決して間違いではありません。
 めったに使うこともないということのひとつの証明的なエピソードとしては、部隊が玉砕するほかないといった場合、指揮官のほとんどが自決をした例がありますが、その際十四年式や九四式を携えた多くの指揮官が、必ず試射を行ってちゃんと弾が発射されるかどうかを確かめたという事例が多く残っています。いかに普段使っていないかという良い例ですが、それだけ自軍の拳銃に信頼を置いていなかったということなんですね(^_^;)

「例えばドイツ軍では、将校には軍から制式の拳銃が与えられていたようだ(支給か私費購入かは不明)。イギリスやアメリカでも同様であろうか。日本がそうならなかったのは、『将校は軍刀で護身せよ』という発想か。将校全員にいきわたるほど信頼性のある拳銃を作る能力がなかったからか」

 これも前の回答に重複したお答えになるのですが、ただ日本軍が将校に拳銃を支給しなかったということは正確ではありません。制式拳銃の主流であった十四年式に限って言えば、その生産数は269000挺という記録があるので、他の拳銃もあわせて考えれば数的には不足はなかったといえます。
 日本軍が最初の制式拳銃二十六年式拳銃を明治27年に支給した兵科の最初は実は憲兵隊でした。これは当時の憲兵隊が将校だけだったという事情もあります。その後騎兵部隊(騎兵は乗馬した状態で片手で撃つためという事情から)、砲兵部隊、そして輜重部隊の兵たちに順次装備されていきました。
 旧日本軍の制式拳銃の信頼性に関しては安全性やセーフティ機構という概念が薄かったためか、その性能や威力と同じくらい悲惨な状態だったというしかありません。それでもきちんと作っていたならまだましなんですが、戦争末期になるにしたがってその作りも粗雑乱雑になるしかありませんでした。アメリカ兵から下手に使えば撃つ方が死亡したり大怪我を負うといった意味から、スーサイドガンと呼んで馬鹿にされていたことからもわかります。九四式がその最たるもので、世界的に見ても例がないほどの稚拙な構造をしており、安全面に関しては致命的な欠陥を持っていました。ここで詳しく書くことは避けますが、簡単に言えば引き金を引かなくとも銃本体の左側面の露出しているある部分を叩くだけで発射できるといった具合です。
 ただ初期のきちんと作られた時代のものは命中率がなかなか良く(威力は最低評価ですが…)、アメリカのコレクターの間ではそれなりの評価を得ているのが救いといえば救いですが。

「現実には、帝国陸軍の将校の多くは、所持を義務付けられた軍刀だけで護身していたのか?」

 これも軍刀を護身用と考えるのは無理があると思います。
 拳銃は第1次大戦の西部戦線での塹壕戦の教訓を得て、拳銃の存在意義が高められたのですが、旧日本軍では軍刀は拳銃と同じように象徴的な飾り物であり片手に軍刀、もう片手に拳銃を持って最後の玉砕突撃を行うといった光景が、太平洋の島々で繰り広げられていました。一般的に日本軍の将校は自身の身を守るという考えは薄く、常に部隊の先頭に立って指揮をすべきものとされていましたので(どの国の軍隊の将校もそう教育されていますが)、自己護身という概念はありえなかったと思います。ただそうは言っても例外的に臆病で卑怯な高級将校はたくさんいましたが、それはまた別の話ですので(-_-;)
 また他の回答者さんへの補足質問にお答えするのはルール違反かもしれませんが、8ミリJAPはアメリカの旧日本軍拳銃コレクターへの実弾の販売を行っていた弾薬メーカーが、その名称に戦争当時の日本人への蔑称であるジャップをそのままつけたものです。
 最も今ではその名称はあんまりだろう(笑)という意見がアメリカのコレクターの間に出てきて、その後は「8ミリNambu」に統一されています。旧日本軍の拳銃は当たり前のことですが日本では所有や撃つことも出来ませんが、アメリカでは結構な数のマニアが存在します。しかし8ミリのボルトネック弾は非常にレアな実包で、アメリカではオリジナルはかなりの高価で取引されているので、弾薬メーカーが他の実包を流用して生産していました。しかしそれも最近では生産もされなくなっていますので、マニアはリロードといって、自分で弾薬をしこしこ作っているのが現状です。
 長くなりましたがご参考になれば幸いです。
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この回答へのお礼

詳細なご回答ありがとうございます!勉強になることばかりです。
帝国陸軍将校はたいてい私物の(輸入)拳銃を持って出征したのかと思っていましたが、自決の状況が記録されている(高級)指揮官で、軍制式の十四年式拳銃、九四式拳銃で自決する前に試射を余儀なくされた人が珍しくなかったとは貴重なご教示です。弾が中途半端に出て、死に切れずに敵の捕虜になってしまっては大変ですからね。

九四式拳銃が「お手本になる先行拳銃がなく、世界に例のない構造を多数持っている」珍品拳銃とは聞いておりましたが、引き金を引かないのに暴発する危険のある拳銃とは知りませんでした。拳銃は常に装填していないと護身の役に立たず、かつ常時携帯していなければ無意味ですから、「安全性やセーフティ機構という概念」が他の兵器以上に重要なものですよね。

帝国陸海軍の兵器の多くに、さらには高度成長以前の日本の工業製品に顕著だった「欧米の製品と比べての桁違いの加工精度の低さ」が拳銃と言う精密さを要求される銃には特に大きく現れたのでしょうか。

三八式歩兵銃は今でも欧米でスポーツライフルとして人気があるそうで、欧米並みの拳銃を作れなかった日本が何故世界レベルのボルトアクション銃を作れたのか?造兵当局のコストの入れ方の違いなのでしょうか。

お礼日時:2007/07/18 21:32

すみません、KITAIKKIです。

またまたお邪魔させてもらいます(^_^;)
 米軍が戦利品(正しくは戦場捕獲品ですが)を持ち帰るという習慣ですが、これはアメリカに限ったことではなく、どの国も戦利品を持ち帰ることはいつの時代にでもあったことだということはご承知のことだと思います。ただ米軍と他の国々と決定的に違うのは、その戦利品の内容です。ほとんどの国の兵士たちの戦利品といえば、敵の軍服やヘルメット、国旗、部隊旗、勲章、雑多な装備品などなどが挙げられます。
 しかし銃の規制が世界的にももっとも緩やかな(杜撰ともいえますが)アメリカならではの戦利品としてライフルや拳銃はもちろん、装甲車、軍用車両、果ては対戦車砲、対空機関砲などもあったことが記録として残っています。本当はこれらを持って帰るのは違法なんですが、戦地の軍の法務官と本国の関税局やATFの法的解釈の食い違いがあっため、結局は見て見ぬふり状態が長く続いているということです。
 その運搬法は大は輸送艦や輸送機の艦長やパイロットなどに鼻薬を聞かせて頼み込む方法から(この手は上級将校に限った手だったようですが)、小にいたるライフルや拳銃はハマー(兵員輸送車)のドアパネルの間にもぐりこませたり、スペアタイヤの中に入れたりという、密輸まがいの方法で運び込んでいたということです。
 ただ軍当局も戦利品の持ち帰りには敢えて目をつぶったと思われる節もあります。つまり戦利品の制限を行って兵士たちの士気の低下を招くよりは、好きにやらせてやろうということなんでしょうね。戦利品を前に故郷で家族や友人たちの前で武勇伝を語るのも、国民の愛国心や政府および軍への支持を得られるなんていうメリットも考えていたということです。
 ちなみに現在アフガンで戦っている米軍兵士たちは、AKより100年以上も経ったフリントロック式の古式銃を好んで持ち帰っているそうです。アフガンではちょっと田舎に行けば、まだこんな銃が現役で頑張っているそうです。国際法では1989年以前のものはアンティック銃として扱われているため、これなら大手を振って持ち帰られるということです。ただ地元の鍛冶屋で最近作られたフリントロック銃はだめだということで、年代を鑑定する方法をめぐってひと悶着もふた悶着も起こっているらしいです(笑)
 buchi-dogさんのおかげで昔から読み漁っていた専門誌や資料を再び引っ張り出せまし、新たな発見もすることが出来ました。かみさんには邪魔物扱いされていた自分のコレクションや資料なんですが、自分の道は間違っていなかったと胸を張って言える…、かもしれません(^_^;) とはいえ、楽しく回答できる機会を与えてくださり、本当にありがとうございました。
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この回答へのお礼

KITAIKKIさま、再三のご教示に深く感謝いたします。私の質問が呼び水となり、KITAIKKIさまご自身もお楽しみになられながら知識をお頒け頂けた由、誠に喜ばしいことです。この質疑の場を提供して下さっているOKWAVEさんに感謝しないといけませんね。

さて、第二次大戦時のソ連軍はドイツ、満洲、北朝鮮などで軍を挙げての略奪行為に励み、避難民から貞操も食料も現金も衣服も全て略奪して丸裸にして後は餓死するに任せ、工業設備や鉄道は分解して本国に持ち去ると言う信じがたいことをやってのけました。女は見つけ次第輪姦して気が向けば殺し、満鉄の鉄道レールの撤去には日本人難民(女性がほとんど)を使役して夜は性の玩具にすると言うオマケつきです。

それと比べれば、「史上もっとも寛大な勝者」として日本本土を占領した米軍は実に立派な軍隊と言えます。米軍による民間人への組織的略奪行為は一件もなかったようですし、十分ではないとしても日本人のために逆に食料や物資を持ち込んでいます。「被占領国民のためにモノを持ち込んだ占領軍」というのは米軍が史上最初でしょう。日本が米軍に単独占領されたのは誠に幸運なことでした。

ところが、その規律厳正な米軍が鹵獲兵器については
「ライフルや拳銃はもちろん、装甲車、軍用車両、果ては対戦車砲、対空機関砲までお土産に持ち帰る」
「大は輸送艦や輸送機の艦長やパイロットなどに鼻薬を聞かせて頼み込む」
など、さすがは米軍でやることのスケールが大きいですね。輸送力に余裕があり、常に勝者の立場にある米軍ならではの話でしょうが。すると、米軍のレベルを上回るものも少なくなかったドイツ軍の兵器等も相当数がアメリカに持ち帰られたのでしょうね。さすがに、パンターやタイガーは個人のお土産にするのは無理だったでしょうが、米軍を悩ませたタイガーを一両持ち帰って庭に飾ろうと試みた米軍高級将校はきっと存在したことでしょう(笑)

当初の質問にも、KITAIKKIさまをはじめとする諸賢のご教示で納得の行く回答を得ることができました。これにて質問を締め切らせていただきます。皆様ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/19 19:19

こんばんは、KITAIKKIです。

まずはご丁寧なお礼を早々に頂きこちらこそお礼申し上げます。さて調子に乗りついでにもう一度だけ回答させていただきますね(^_^;)

>三八式歩兵銃は今でも欧米でスポーツライフルとして人気があるそうで、欧米並みの拳銃を作れなかった日本が何故世界レベルのボルトアクション銃を作れたのか?造兵当局のコストの入れ方の違いなのでしょうか。

 ということですが、正直に言えばこのご質問にはいくつかの誤解があります。まず旧日本軍の小銃が欧米で人気があるということについてですが、これはほとんどがアメリカに限ったことだと考えてよいと思います。もちろんヨーロッパにも旧日本軍の小火器のコレクターや研究家は数多くいるのですが、それはあくまでも学術的な枠を超えない範囲のものであり、実際にシューティングやハンティングに活用しているのは、やはりアメリカだけだと考えてよいと思います。
 その一番の大きな理由として、アメリカ軍の日本占領があります。戦後順次アメリカ本国に帰国したGIたちが日本土産として大量の日本軍の小火器を持ち帰ったからです。もちろん中国戦線や南方戦線にも放棄されたり徴収された武器は大量にありましたが、それらのほとんどはその後に続く各地の内乱や独立戦争にフルに活用された結果、ほとんどが消耗されています。
 つまりまともな形で残っていて、かつ量的に満たされた日本軍の拳銃や小銃はすべてアメリカにあるといってもよいという状況だったのです。これは最近の湾岸戦争やイラク戦争でも同じようなことが起こっています。出征した兵士たちが任期満了後帰国の際に旧ソビエトの制式突撃銃AK-47や制式拳銃であるマカロフを大量に持ち帰り、アメリカ当局の悩みの種になったという笑えない話です。ただでさえ全米には膨大なライフルや拳銃が蔓延しているのに、これ以上増えてどうしてくれるんだ!とATFやFBIのお偉方が嘆いていたそうです(笑)
 いつの時代でも兵士の心理って変わらないんでしょうね。ちなみに現在アメリカでは38式や99式の値段はそれこそピンキリでして、程度の悪い100ドル程度からスタートして、ほとんど未使用の高いものでは2000ドルから3000ドルほどしています。特に菊の御紋章が残っているものはプレミアがつくそうです。
 閑話休題。
 つぎに世界レベルのボルトアクション銃ということなんですが、たしかに初期の38式や99式は工作レベルも良く、精度も優れた物が送り出されていたようです。その証拠にどこの国でも制式小銃の中でも特に精度の良い、つまりは当たりの小銃を用いて狙撃銃にすることが常態化されていましたが、初期の38(この場合97式狙撃銃と呼ばれていました)や99はかなりその候補数が多かったということです。つまり歩留まりが良かったということなんでしょうね。惜しむらくは、肝心のスコープ(望遠鏡式照準器なんていう名前でした)が世界レベル的なものではなかったのが残念といえば残念ですが。今のNIKONも日本光学時代はまだまだだったんでしょうね。
 ただこれはあくまでも戦争突入前の、まだどの工廠や民間工場も腕の良い職人を赤紙で持って行かれなかった時代のことでして、戦争に突入してからはそれも跡形もないほどひどい状況になり、末期にはとにかく弾が前に出さえすればいいといった銃を、平気で前線に送るようになってしまいました(-_-;)
 とはいえ確かにアメリカではいまだに旧日本軍のライフル、特に38と99(あくまでも初期生産のものですが…)は結構人気があり、射撃大会やハンティングに使われているのは事実です。オリジナルのままで使ったり、ストックを既成のハンティングライフルのストックと置き換えたりと色々工夫しているようです。
 ただ射撃大会は現用の高性能ライフルとはとても太刀打ちできないので(当たり前といえば当たり前ですが)、アリサカライフルオンリー(アメリカ人は旧日本軍の小銃は、何でもかんでも一緒くたにしてこう呼んでます(^_^;))の射撃大会でしか使われてはいません。またハンティングにしても弾薬の威力の問題もあり、ほとんどが小動物を獲物にするようなハンティングにしか使用していないようです。
 長くなりましたがついでにもう少し書かせてもらえれば、たしかに38は良い小銃でした。ただくどいようですがちゃんと製造していたときに限ってですが…。その性能のよさはどこから来るかといえば、銃身長の長さと6.5ミリ弾にあったといえます。当時の列強の制式ボルトアクションライフルと比べても、38はドイツのKar98K、イギリスのNo1MK3、アメリカのM1903A3より15cmから20cm以上も長かったんですね。
 これがどう影響するかといえば、基本的に銃身が長いものほど弾道は安定するということです。もちろん程度問題もありますが、これに加えて6.5ミリという世界的に見ても弱装弾とも言うべき貧弱な弾薬が命中率に良い影響を与えたということです。当時の世界の趨勢は7.5ミリから8ミリでしたので、弱装弾は威力の低さという致命的な欠陥を持っています。しかし反面反動が少ないという利点?も持ち合わせていたことも事実です。反動が少ないということは狙って撃てば良く当たる確立が高いということで、アメリカ人の体格からすればその反動は無視できるレベルのものでしょうから、だからこそ小さい小動物のハンティングに向いているんでしょうね。
 この利点を捨てて38式の改良版とも言うべき99式では、7.7ミリという思い切った大口径化をやらかした上に、携帯性の良さを考え短縮化も欲張ったんですが、これまで38を撃ち慣れていた兵士たち、特にロートルの兵たちからはその反動の強さに悪評が噴出しまくったそうです。
 すみません、またまた長くなってしまいました。こんなつもりじゃなかったんですが、どうかお許しくださいm(__)m
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この回答へのお礼

重ねての詳細なご教示、誠にありがとうございます!
38式歩兵銃については、私は「何でそんなにたくさん海外に残っているのだろう?」と疑問を感じていました。38式歩兵銃は、戦前の日本の「効率よく外貨を稼げる輸出品」の一つであり、ロシア軍やイギリス軍等も日本から買って装備していた例があると聞きますが、それにしても多すぎるのでは?という疑問です。

今回のご教示で、
「米軍が接収し、米兵が個人の土産物として本国に持ち帰った38式銃や99式銃が多数に上る」
と言う事実を知り、目からウロコが落ちた思いです。同じようにして、戦後に軍人から没収し、民間から「刀狩り」で没収した日本刀が多数アメリカへ持ち去られたようですが、湾岸戦争やイラク戦争でも「米軍が鹵獲した敵軍の携帯火器が、復員する米兵個人の土産物としてアメリカに大量流入」しているとは驚きです。何で、軍が鹵獲した「敵軍兵器」がいつのまにか米兵個人の所有物に変わってしまうのでしょう?これは米軍の「悪しき伝統」でしょうか。

さて、38銃について詳しいご解説を頂きました。少なくとも設計上は、国産の拳銃に見られるような「非常識な要素」はなく、他国の小銃より小さい6.5ミリ口径の長所を十分活かし、短所をカバーした小銃であったと結論できるでしょう。実際の製品も、平時に作られたものは海外の小銃に負けない精度を持ち、日本経済史上で特筆すべき「最初に登場した、海外市場で通用する日本の高度工業製品」と言えるのではないでしょうか。メイドインジャパンが安物と看做されなくなったのは1970年代のことです。38式銃がその半世紀前に欧米の兵器市場で一定の評価を獲得していたと言うのは凄いことですよね。

お礼日時:2007/07/19 11:13

No3です。


追加のご質問がありましたのでおこたえします。

弾薬の補充は南部14年式については制式な軍用銃として採用支給されていましたから現地でも入手可能であったと思われます。
拳銃弾は特殊な弾薬(マグナム弾など)を除き大体同仕様で口径が同じならば流用はある程度可能でした。

また日本軍では将校の場合普段使用のケースがないので弾薬の補給の必要性も少なかったと思います。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。
拳銃弾というのは「口径が同じならある程度流用可能」なのですか?
私は、火縄銃の丸い玉、あるいは軍鑑の主砲弾のように弾丸と火薬が別々になっている構造ならともかく、金属薬莢の拳銃の実包は各メーカー専用品でないとダメと考えておりました。例えば同じ32口径なら、「ある程度は」融通が利いたのでしょうか?素人考えですが、弾詰まりを起こして危険なようにも思えますが。

「また日本軍では将校の場合普段使用のケースがないので弾薬の補給の必要性も少なかったと思います」
これは、既に諸賢がご回答頂いたとおりですね。

お礼日時:2007/07/18 21:12

#4です


補足質問について。
>「歩兵以外の下士官兵の武装」について、この機会にお教え頂ければ幸甚です。

下士官の兵装(兵器)では、官給品の14年式、94式自動拳銃のほかに、
下士官(曹長)刀があります。
代表的な物として、32年式(サーベル)95式(日本刀)がありますが、
将校の所持するものとは根本的に異なる造兵廠の大量生産品で、
柄も鋳造品、シリアルNo.付き。(現在は美術品にもあたらず、銃刀法により所持不可)
曹長刀と言うように本来は曹長にのみ与えられるものですが、場合により軍曹にも認められたようです。

その他の兵装
軽機関銃射手も必要によって拳銃支給。
オートバイ兵には軽機関銃支給。
戦車兵全員に拳銃支給。  この場合、南部14年式を積極投入。
戦車鋼鈑に設けられた拳銃口よりの射撃の必要性で、(2センチ位の穴、横に観察用のスリットがあり、開閉出来る。)細長い銃身の14年式が有効でした。
航空兵14年式、94年式支給。
かさばる14年式よりコンパクトな94年式が好まれました。

94年式自動拳銃は、一時期スーサイドピストル等と、構造的欠陥(デマ)で悪評たかい迷銃ですが、当時の最新技術とデザインの優良兵器です。
使用する者にとっては、スリム(薄い)ボディーが評判でした。
しかし、拳銃嚢(ホルスター)のデザイン=予備弾倉が、ルガーP08の様にホルスタ側面に付かず、ホルスタ表面に付く設計のため=全体としてかさばる物になってしまいました。

将校の拳銃に話を戻して、、。
当時の国産であった14年式や94年式は、あくまで武骨な軍用拳銃であり、巨大でおおげさな兵器であり、カッコよさ、粋を求める職業軍人には似合わない物と思われていたのでしょう。(ルパン3世がP38?スーツの下に隠せます?普通PPK選びます)
それと、将校の拳銃は、自決用の目的が主だった感じがあります。

9mm32ACPの表記について。
本来32口径は8.1ミリ程度ですが、浜田式の公式データでは、9mmとなっている事、おことわりします。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
各兵科の下士官は一般に拳銃と軍刀(いずれも支給品)で武装していたわけですね。歩兵科以外の兵卒は丸腰だったのでしょうか。考えてみれば、例えば砲兵の兵卒が装填や発射の動作をするのに武器はジャマなだけですからそれが自然ですね。下士官は現場の指揮者ですから、軍刀や拳銃を装備していてもジャマにはなりません。
14年式拳銃や94式拳銃はいかにも無骨な拳銃ですが、下士官や戦車兵の「武器」(護身具に非ず)としてそれなりに活用されていたわけですね。ありがとうございました。帝国陸軍の拳銃事情がだいぶ分かってきました。

お礼日時:2007/07/17 21:50

将校は、任官時に300円程度の支度金を支給され、装備、被服等購入します。


陸軍は階校社、海軍は水校社でほとんどの物が揃えることができたようです。
拳銃については、最寄の銃砲店で購入する場合が多いほか、知人からの祝いとして贈呈される事も在ったようです。
また、士官学校の成績優良者には、恩賜の拳銃といって、南部式小型自動拳銃(7mm南部弾)を下賜されました。

 国内の造兵廠では、拳銃用実包として、
26年式、7mm南部、8mm南部、9mm自動(32ACP)、等を生産していましたが、戦時体制の激化により、32ACPの生産は打ち切りになりました。
その当時、国産では市販用として、浜田銃器研究所が9mm自動(32ACP)使用の1式自動拳銃を製造していましたが、これに伴い8mm南部使用の2式を設計、少量生産しています。

戦場での将校が携行する実弾の量は少なく、力量のある衛兵を付随させている事を考えれば、実戦での拳銃使用を想定してはいなかったのでは無いでしょうか。
であれば、統一性を求めなかったことも当然かもしれません。
逆に、統一性が無かったために取り扱いの教育が徹底できず、直属将校の当番兵による手入れ中の暴発事故が絶えなかったようです。

市民も大陸に渡る場合等、必要性が認められれば購入可能だったそうです。

8mmJAPはアメリカでの通称で、かつてはノルマ社がコレクター向けに製造販売していました。正式名称は、8mm南部式実包といいます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
300円の支度金があれば、洋服が高価であった当時でも一通りのものが買えたように思います。夏冬の軍服、軍靴、軍刀、そして拳銃など。
海軍の話ですが「儀式の際に着る仁丹服は月賦で買った」そうなので、任官時の支度金では間に合わなかったのかもしれません。飾りが多くて相当高そうですし。
拳銃は銃砲店で買ったり任官祝いとして貰ったりしたのでしょうが、ありとあらゆるものがあったのでしょうね。下士官が持つ軍の兵器である14年式拳銃や94式拳銃の「8mm南部式実包」が、将校の持つ各種の輸入拳銃に使えるわけがありませんので、将校は出征時に用意した拳銃弾を将校行李に入れて大事に持ち歩いたのでしょうか。実際、将校が拳銃を実際に発射するのは「戦地で護衛兵がいない場合に不意に襲撃された時」「戦況が最悪となり、敵に包囲されて周りの兵が次々に倒れている時」など、「自決を覚悟する時」でしょうから、出征時に用意した程度で間に合ったのでしょうか。

「逆に、統一性が無かったために取り扱いの教育が徹底できず、直属将校の当番兵による手入れ中の暴発事故が絶えなかったようです」
説明書も何もなく、上官の拳銃を手入れするわけですから当番兵も大変ですよね。事故が起きるのも当たり前です。

お礼日時:2007/07/17 22:01

日本製に南部式拳銃があり、14年式として制式に採用されていましたが下士官には軍が支給しましたが将校は支給されず自由購入でした。


この拳銃は口径8ミリでしたから輸入拳銃と同口径なので弾薬も自己負担でした。  この為所有もまちまちでした。

南部式拳銃には種々問題点があり価格が輸入拳銃に比して高かったのも普及の妨げになりました。  また暴発の危険性が構造上あった事も理由の一つかもしれません。

将校は本来指揮にあたるのが任務であり戦闘する事は軍刀によれという方針でした。 
この点は外国の将校特に米軍と異なる点です。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
将校が私費購入する輸入拳銃は32口径(約8ミリ)のものが多かったようですね。ただ、それらに使われる実包と、14年式や94式用の8mm南部式実包は全く別物ですよね?
結局、「自分が買った拳銃用の実包をある程度の数用意して出征した。軍からの補給はなく、その必要もなかった」ということになるのでしょうか。

お礼日時:2007/07/17 22:08

下士官や兵には南部十四年式拳銃、九四式拳銃に使用された拳銃は


8mmの弾丸で、8mmJAP弾という名称が与えられています。

将校は自前で弾丸を買います。
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この回答へのお礼

早々の再回答、ありがとうございます。

下士官兵に拳銃が支給されていたというのは、歩兵以外の場合ですか?砲兵は基本的に大砲以外の武器を持たず、接近戦の場合は手製の槍で敵わぬ抵抗を試みた、と言う話もありますが。歩兵の兵隊が歩兵銃を与えられていたのは当然ですが、他の兵種では下士官兵が拳銃を支給されることもあったのでしょうか?

「歩兵以外の下士官兵の武装」について、この機会にお教え頂ければ幸甚です。

「将校は自前で弾丸を買います」
なるほど。軍が補給品として準備している8mmJAP弾を使用する拳銃を自費購入し、弾薬は軍から自費で買っていたわけですね。

お礼日時:2007/07/15 12:22

第二次世界大戦中、将校の拳銃が統一された軍隊は何処にもありません。

将校の仕事は兵隊を指揮することであり、敵と戦うことではありません。各国が使用した拳銃は次の物といわれています。
   日本
32ACP系…ブローニング1910、コルト32など
   ドイツ
9mmルガー系…ルガーP08、ワルサーP38
7.65mm…ワルサーPP、マウザーHRC
   米国
45ACP系…コルト1911A1
38SP系…S&Wリボルバー、コルトリボルバー
   英国
9mmルガー系…ブローニング1935
455…エンフィールドリボルバー

 将校用拳銃としては日本はブローニング系が主ですので、統一されていたに近いと思います。他の国は支給される拳銃自身が口径バラバラだったりします。日本の支給拳銃は8mmJAPで統一されています。
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この回答へのお礼

さっそくのご回答ありがとうございます。

各国軍とも、さまざまな拳銃を将校が「使用」(支給?購入?)していたわけですね。
「第二次世界大戦中、将校の拳銃が統一された軍隊は何処にもありません」ということですが、「歩兵の小銃のように弾薬を大量に消費するものではないので、規格を一種類に統一する必要がなかった」という理解でよろしいでしょうか。それはその通りと思います。

「日本の支給拳銃は8mmJAPで統一されています」
私は「帝国陸軍将校の拳銃は自分で購入するものだった」と考えていたのですが「軍から支給されていた」のでしょうか?「8mmJAP」とは何でしょう?弾薬の規格でしょうか?

そういえば、ルソン島の戦を生き残って陸軍大尉として終戦を迎えた山本七平氏の著作を読むと、軍刀の話はあっても拳銃の話はありません。拳銃はそもそも持たずに出征したのか、役に立たないのでジャングル戦に移行した時にさっさと捨てたのでしょうか。

お礼日時:2007/07/15 11:35

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