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今3次元空間に居るのは確かですが、時間軸が空間と直行するものなら、時間にも幅があるということですか?

時間軸に位置や幅があるなら、「過去~未来の物体」が同一に同時に存在しているのでしょうか?

私も死に損なってる現状で、相当な時間軸の幅があるのかもと思い、4次元的には、実際より大きな体積の私もいることになりますか?

申し訳ありません。質問者も詳しく尋ねられる理論が判らないぐらいのレベルで、わかりずらいと思いますが、なんとか解釈をお願いします。何かヒントでもお願いします。それと簡素な日本語で常用漢字でお答えを頂けたら幸いです。もし、無理でも、言葉の意味から調べますが、数学・物理は全然ダメです。

A 回答 (9件)

このたびはワールド組合員に認定していただきありがとうございます。



>「過去~未来の物体」が同一に同時に存在しているのでしょうか?

時間の幅の概念がよくわからないですが、実は、我々の世界は
過去も未来も現在も同時に存在しているのではないか?
もしくは存在してても良いのではないかなどと思うときがあります。

どういうものかというと時間の流れを川の流れにたとえるのです。
上流を過去、今いる川のほとりを現在、それより下流を未来とします。
川は上流から下流へ流れて行きますが、しかし一方、上流も下流も同時に存在しないと川になりません。 

だから、タイムマシンで過去へ行く事も有で、しかも行った先(過去)でなにか事件を起こしても過去へ出発した現在には何の影響も無いのではないかと思うのです。それは、過去(上流)大爆発を起こしたとしてもその余波が、現在に及ぶころには我々は未来に進んでる訳で、その余波は我々には影響は出ない。 

これは空間と時間軸が直行するというよりは直行する2本の時間軸があると考える事かも知れません。y軸に上流(過去)、今いる岸辺(現在)、下流(未来)をとり、
x軸をその川(時間)を流す時間の軸とするのです。

まぁ私の妄想なんですけどね。
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この回答へのお礼

8942さんありがとうございます。

>上流を過去、今いる川のほとりを現在、それより下流を未来とします。
川は上流から下流へ流れて行きますが、しかし一方、上流も下流も同時に存在しないと川になりません。 

「人生は川の流れ」という例えありますね。
下流に行くほど川の流れは深く静かに、
石は丸くなる。

過去も現在も未来も同時に存在するものの
時間軸(川)は別の要素で変化しながら
直行しているのですね…。
いや違う?でも何がどう違うのか、もわからない。

うーん、やはりワールドです!!
すごいワールドをお持ちで羨ましいです。(一般的に名誉とは違うのですが)
何か気付きを与えてくれるワールドありがとうございます!。

お礼日時:2006/08/27 22:08

4次元以上の世界から見れば過去未来の物体は同時に存在していると思いますね


>4次元的には、実際より大きな体積の私もいることになりますか?
いると思いますね。
3次元までを2次元と見なして縦の軸に4次元をとれば自ずと未来の自分が出てくるわけです。ならば現在の自分より未来の自分の方が体積が大きいということになると思いますよw
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この回答へのお礼

tenntennsevengooさん、
こんなところまで辿り着いていただき感謝します。
放置でもないのですが締めきりが苦手なものでして。
回答をありがとうございます。

普通時間の姿は見えないのに
予知能力とか前生が見える能力があれば、
それは時間の幅が見える能力がもたらされた人なのかな?とも思います。

私の未来は過去の記憶や経験値が増えていても
体積は減らす方向で努力中です。

時間が縦軸だと先祖は未来の後輩、子孫は未来の先輩という
後輩を踏み台にして大きく飛躍して欲しいなって思います。
今まだ未熟な先輩らの邪魔にならないようにしたいなと思います。

お礼日時:2007/03/12 16:16

時間軸の変化量Δtは仮にスキャンすると3次元構造をもっています。


しかし、自らが時間軸の上にあるわけなので時間変化にともなう
物体が同時に存在することはありえません。
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この回答へのお礼

ANASTASIAKさんありがとうございます。簡潔にして深そうな・・この質問は物理なのか哲学かわからなかったのですが、「仮にスキャンする」という発想は物理的でありながら哲学的な思考実験ですね(多分)。

スキャンは非破壊検査?一瞬を切り取る、ってう~ん…時間は物質でない、でも物体、物質に影響して変化させる、それを超高速スキャンする…。

今は過去の結果で、同時に未来の原因で、物体が原因として未来へ移動するスピードには一瞬であっても追いつかず、結果になってしまった過去のみがスキャンに写り同時に存在するのはあり得ない。自ら時間と共に時空を移動しているので体感速度は無い。

これ以上考えが知力的に無理にしてもおかしくてもです、
人間の想像力は光より早く未来に進むから誰もが物理的には凄いではないですか。その個人差に別次元の要素がある人とない人とあるかも。

回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/02 14:15

>今3次元空間に居るのは確かですが、時間軸が空間と直行するものなら、時間にも幅があるということですか?



我々が本当に3次元空間に居るのかどうか、私は大いに疑問を持っています。例えば、我々の周囲の物や我々の身体は3次元空間に存在しているように見えますが、でも、我々の「心」はどこにあるのでしょうか? 脳の中にあるという人もいますが、未だかって脳を切り開いて「心」を引きずり出して見せた人はいません。3次元空間に「心」を置く場所はないと思います。逆に「心」が「3次元空間」を創りだしているのだと思います。

また、時間についてですが、「過去」とうものが物理的に存在するのかどうか、私はやはり非常に疑問に思っています。と言うのは、憶測を用いず、直接確認できる事実だけから判断すれば、「過去」は「記憶」の中にしか存在ないからです。未だかって、「過去」を目の前に引きずり出してきて「これが過去だぞ」と見せてくれた人はいません。「過去」も結局は「心」の中にしか存在しないのではないかと思います。

従って、3次元空間も時間も、すべては、「心」の中の出来事ではないのかというのが、私の結論です。

では、3次元空間や時間という考え方は間違っているのかというと、そうではなく、それは、「すごく便利な考え方」だということです。この世界(我々の心に映っているこの世界)の現象は、3次元空間や時間という数学的概念で整理すると、非常にうまく説明できるからです。ただ、それはあくまで説明の方便であって、我々の存在そのものは時空間の概念の外にあるのではないかと思います。

>時間軸に位置や幅があるなら、「過去~未来の物体」が同一に同時に存在しているのでしょうか?

3次元空間のある一点には、同時に2つのものを置くことができません。例えば、今、机の上にリンゴが置いてあったとすると、その同じ場所にナシを置くことはできません。お互いに「ぶつかって」しまうからです。しかし、リンゴを取り除いた後なら、同じ場所にナシを置くことができます。何故、同じ場所に2つのものが置けるのか? これを説明するには、3次元以外に、もう一つの次元(時間)を考えると説明できます。リンゴとナシは、異なった時間なら、互いに「ぶつかる」ことなく、同じ場所を占めることができると説明できます。従って、「3次元空間+時間」という数学的説明方法では、物体が同じ場所に同時に存在することはできないということになります。

しかし、「心」の現実世界(数学的世界は頭で考え出した世界ですから、心に映る世界の方が現実世界です)では、過去、現在、未来は全部一緒くたになっています。過去的なもの、現在的なもの、未来的なものが統合されています。例えば、目の前にリンゴあると認めるときでも、リンゴに関する「記憶」があって初めて可能です。もし、「リンゴ」に関する記憶がなければ、目の前にあるリンゴを背景のテーブルと分離する事さえできないからです。従って、心の世界では、「過去~未来の物体」が同時に存在していると言えると思います。

>私も死に損なってる現状で、相当な時間軸の幅があるのかもと思い、4次元的には、実際より大きな体積の私もいることになりますか?

「私(の心)」は、時空間の外にあると思います。逆に「私(の心)」の中に時空間の概念があるのだと思います。

この回答への補足

先ほどkobareroさんの質問でのお礼を拝見しました。
>>物質の全ては点又は線の二次元の存在であり分離してはいないもの。
>そうですよね。そして、その考え方を延長すると、次元という考え方そのものが必要なくなるように思います。

成る程、そうですね、そういや自分から実在は2次元とも言ってた(恥)
次元も神様や因果応酬のような人間だけの概念なのだとしたら、次元があるのは意識だけの現実で。この先科学が進歩して画期的な構想や検証が取れたら、概念の世界がどうなるのか楽しみでもあり、未来を想像する楽しみが減って退屈になったら、苦労しなくなってしまうのも幸福感が薄れそうだし、惜しい気持ちもありますね。

補足日時:2007/02/02 14:42
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この回答へのお礼

kobareroさん、立ち寄って頂きありがとうございます。理系の人の脳の次元も不思議です。これが現実の私の脳という実感を持ててしまいます。頑張って理解に勤めようとするほど、何が言いたいとかズレそうですが、お気に為さらず。いつもお世話になります。

確かに、物質でない心(意識)の場所の特定は想像でしか出来ませんよね。物質というより脳内現象?記憶も予見も。言ってて自分でも意味が汲み取れませんが(苦笑)か難しそうです(数学で心の説明も出来なさそう←これおも憶測ですが)

>、「過去」は「記憶」の中にしか存在ないからです。未だかって、「過去」を目の前に引きずり出してきて「これが過去だぞ」と見せてくれた人はいません。「過去」も結局は「心」の中にしか存在しないのではないかと思います。

太陽や星の光りは遠いので、その光りは過去の物質を見せていて、ついでに今を照らしている。これは心の次元とは無関係にある現象と思うのだけれど、不思議です。やはり、

>(数学的世界は頭で考え出した世界ですから、心に映る世界の方が現実世界です)では、過去、現在、未来は全部一緒くたになっています。過去的なもの、現在的なもの、未来的なものが統合されています。

>、「3次元空間+時間」という数学的説明方法では、物体が同じ場所に同時に存在することはできないということになります。

心には今の場所がない時間がない、脳及び時空感の外にあるのに、現実を心の中で統合しているものなのですね。

えっと、私の理解のし方も実に適当です(苦笑)

過去や未来を想像する人間は肉体の次元と意識の次元が違う2元合一体生物?
確かに個人的に私の体積は過去から増加しています(笑)でも過去~未来の私というものは同等のパラレルがあって、同次元に同時に存在は出来ないが、どっかの次元には体積は少なめで別人格のような私だって存在するかもしれません????
いやそんな私が存在していても羨ましいが、私的に嬉しくなったりしない・・・。

お礼というより又独り言のような?でも回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/02/02 13:07

面白い方ですね。

今頃よいですか?
最初の質問のほかに、1の補足にも質問が4つあるのですね。
時間に幅はないと思います。点や線にも幅はありません。
切ったり、貼ったり、並べたり、順番変えたり、削ったり、伸ばしたり、積んだり、崩したり、計ったり、測ったり、量ったり、
そういうことができるのは3次元の特徴ですよ。

(1)は、私もそういうことでよろしいと思います。ただし時間軸は3次元の概念でしょう。ですから、この目の前を、物質は高速で私たちを含めてみんないっしょに移動しているというのが、アインシュタインの相対性理論かと思っていましたが。3次元では止まっているように見えるんだと。

(2)高次な物質はきっと止まっていたのだとしても、私たちがとまっていられないので、みえなくなっちゃうんでしょうね。

(3)これは本当に物理の問題か? でもそういうことにしよう。
短命は、短いという概念で3次元的表現になっていますが、高次元的には存在の質はかわらないものだとしたらどうなのでしょう? 
あるいは、生の始まりと終わりが近い人と、生の始まりと終わりが遠い人の比較と思えばどうなのでしょう?
あるいは、その人のエネルギーの総和量だけが問題なのだとしたら。
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この回答へのお礼

amaguappaさん、お褒め頂き(いや?)回答ありがとうございます。

>時間に幅はないと思います。点や線にも幅はありません。
やっはりそうだったのかと思いました。そうするとタイムマシンが移動出来る幅もなくなりますね。よくわかりませんが。どうなんでしょうね。高次元の遊星人だと自分が止まればいいので簡単な理論なのかもというのは面白いです。


>生の始まりと終わりが近い人と、生の始まりと終わりが遠い人の比較と思えばどうなのでしょう?
あるいは、その人のエネルギーの総和量だけが問題なのだとしたら。

(3)について実は今考えていたことにシンクロしたのですが(形而上学的?に)では

立派に生きた大人より
自立もしていない未熟な子供の方が人間の器がデカイのではないか??
ということです。

人生の終わり、死において人生の器がこの世に浮き彫りになるなら、その人が「どう生き、何を残してくれていたか」という能動的な人生の総和と、「どれほど人に惜しまれ愛されたか」という受動的な人生の総和があるというのです。いくら大金持ちになっても有名人でも、存在の儚さに、儚ければ儚いほど、損な死に方であればある程、受動的に死後に胸を痛めた人に大切にされはしない。儚さ故にどうして、生きていようが死のうがどうでもいい私がこの世で無事なのかと思います。私のエネルギーの総和のピーク(人生のピーク)は3歳だったのですが(爆)、それからエネルギーは能動的にも受動的にも下降の一途です!しかし、神様は子供を授けてくれたので、子供を言い訳に存在を許されているような感じですね。

ボチボチやってけますから大丈夫ですけどね。
お礼の道が反れて纏まりませんが、回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/01/27 21:16

>#2のお礼文頭でですよ



そういう意味でしたか。
幅ってのは『ある制約の中で動ける余地』
長さってのは『二点間の隔たり』って感じですかね。
国語的な意味で言うとほとんど同じかもしれません・・・・。

幅があるっていう事は繋がっている事が前提でないといえません。
対して長さってのは隔たりさえあれば単位は違えど表現は可能です・・・・って事が言いたかっただけでたいした意味はないです。

『3.5次元共有世界と交信』はともかく、現在の地点での変化は一方方向しか流れ得ないこの世界においては重要です。がんばって『一日一笑』してください。

ちなみに私の目標は『一日一勝』です。言い換えれば『今日は昨日の我に勝つ!』ってとこですか・・・・
日々成長を目指し失敗していくそんな日々もまた日常です・・・・(泣)
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この回答へのお礼

miniture_minさん丁寧な説明をありがとうございます。何となく分かるような気がします。

>幅があるっていう事は繋がっている事が前提でないといえません。
>対して長さってのは隔たりさえあれば単位は違えど表現は可能です。

要はタンスの幅と、タンスの置き場所の長辺みたいな?ですよね。

>変化は一方方向しか流れ得ない。

アインシュタインが言った「時間の矢」ですね。光速が時間のものさしなら、光を鏡で反射させると跳ね返るのですが、この世界は実は歪んだ鏡面でいて3.5次元を呈して見えるけれど、有限の球体の鏡の中身にいる世界であるので、えっと…その…だから…(泣)

ちょっとクグってみたり勉強しましたが、全然!理解できませんでした。宇宙って色んな形と次元で想像されていますね。

次元については哲学で問うべきかどうか一応検討したのですが、物理のカテは流れが早いですね。もう誰も見てやしないだろうってことで(笑)私も前まえからminiture_minさんはかなり面白い方だと思ってました(笑)。『一日一勝』で泣かないで下さいってば(笑)自分が負けてないと思えば、勝つまで負けません!! そうです!勝てないと思えば、やっぱり勝てないものですし(泣)

失敗は勇者の証。失敗は醍醐味であり、甘美を知れた勇者が着る上着の裏地である/ミコ ―と思います~~。

お礼日時:2005/11/22 19:05

>訂正です「×時間と幅」


    「○長さと幅」でした。

どれの事ですか?

>でも死んだら不自由な物質世界の次元を脱して(?)自由に行き来できるかもしれませんよね

どっかの宗教の『物質世界に捉えられた魂はこの世を逃れることで非物質世界である天国に到達できる』って考えに似てますね・・・・
あるいは某ゲームのバテンカイトスとか・・・

4次元とは、未来から過去までを通して一個の存在として認知できる空間だと思っていればいいと思います。
実際、私たちはそんな事は不可能なのでここは4次元ではなく3.5次元ってとこですね。
3次元プラス進行方向のみの片方のみの時間で3.5次元です。

なんとなく面白そうな方ですね・・・これからも頑張って下さい(何をだろう?)
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この回答へのお礼

miniture_minさん。再度感謝です。科学が解明できた部分は、もしかしてそれは質的にも量的にもまだ全体のごく僅かにしかなっていないのかも?(よくいう私)

科学が示す死の理解は、細胞死とかアポトーシスとか生命現象だけで、科学が未だ制御不可能な死に対して、宗教は分からないものにも触ろうとしているから興味があるのですね。というか信仰欲?はかなり薄いが無神論者で哲学的部分の抽出を望んでいるのですが。ゲームもドクターマリオ以降のものは詳しくないです(汗)。

物理もマクロやミクロになってくると哲学っぽくなりますね。って全然詳しくないですが(大汗)

>3次元プラス進行方向のみの片方のみの時間で3.5次元です。

時間をさかのぼることが出来れば立派に4次元なのですね、惜しいです(何が?)。その0.5次元の差って大きいですよね。

私なんてminiture_minさんより一杯×2です、物理の質問してしまうなんて!

賢くない、というか不器用ですが、「一日一笑」は軽く頑張り中。笑うことって、今と未来を肯定していく、3.5次元共有世界と交信しているって感じしますよ。心身ともの健康にも美容にもよろしいのですし。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ 

>>訂正です「×時間と幅」
     「○長さと幅」でした。

>どれの事ですか?

#2のお礼文頭でですよ。誤字脱字、文脈の乱れ、意味不明な表現は何度読み直しても後から出てくるのが不思議です。そういう自身(私)が不思議です(爆)

お礼日時:2005/11/22 06:39

幅というか長さはありますね。


2分とか5分とかという長さがあると認められるのですから、時間軸上にある特定の位置というのも認められるでしょう。

>私も死に損なってる現状で、相当な時間軸の幅があるのかもと思い、4次元的には、実際より大きな体積の私もいることになりますか?

死に損なっている現状というのがいまいち理解しにくいのですが、4次元的にと言う事は、過去から未来全てを通してと言う意味ですね。実際の体積というのが現在の体積のことを示すとすればですが、生まれてから死ぬまでにあなたが今以上に太ればいると言うことになります。

余談ですが、相対性理論では時間を空間と同様に扱う時空という概念もある。これはある意味4次元空間であるが、時間軸は他の3つの空間軸とは性質が異なるので、単純に空間の次元がひとつ上がって4次元になったものではないです。

この回答への補足

訂正です「×時間と幅」
    「○長さと幅」でした。

補足日時:2005/11/16 03:07
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この回答へのお礼

miniture_minさん。時間と幅の区別って以外と難しそうです(汗)。

40♀です。死に損なっているとは、自殺願望がありながら、生きる願望もあるということです。自分でも変だと思います。一応心身とも健康で不自由はしていないのですけれど、頭が…ちょっと(笑)

>現在の体積のことを示すとすれば…今以上に太ればいると
縦にはもう伸びないのですが、横には成長をし続けています(苦笑)

>時間軸は他の3つの空間軸とは性質が異なるので、単純に空間の次元がひとつ上がって4次元になったものではないです。

アインシュタインの舌を出しておちゃらけた顔が好きなので、相対性理論を発明したことは知っているのですが、彼の頭の中までは死んでも理解できないと確信しております。ふぅ~。でも死んだら不自由な物質世界の次元を脱して(?)自由に行き来できるかもしれませんよね?でも死んだら意識する空間もないはずで(ポカン)

と、とにかくありがとうございます。ネガティブな相談ではなかったのですが。

お礼日時:2005/11/16 03:04

絵は、二次元で意味ある存在ですが、しかしこの世にある以上、意味がなくとも厚みがあります。



たしかに、おっしゃるように私たちも間違いなく4次元(以上?)の世界に存在しているわけですから、どの程度かはともかく時間に対して厚みは持っているはずです。

ただ、その厚みに意味を見いだすか?という話、つまり私たちの意識はべったり3次元じゃん!ってことのなれば、その厚みは全く持って意味を成さないでしょう、絵画の絵の具の厚みと同様に。

ちなみに、量子論でも究極モノを物質としてみるとどうしても確率的にしか論じられない、って話は、ようは時間的な厚みを無理に3次元に落とし込むときに生じることだと解釈しております。

この回答への補足

◇質問の補足◇
まず、自分(私)の知能・知識が足りないからといって、回答を下さる方の善意を限定することなく、いくら複雑でも個性的な説明でも【頑張って理解に努める!】と我侭な考えを改めました(知能指数80!、ついでに神様や宇宙人や幽霊がいてもいなくてもどっちでも良い。という中間思考?者です)。ここでちょっと考え直してみたことがあります。

(1)「時間軸の幅」=アインシュタインは未来・現在・過去の時間が同時に存在していて、過去から未来へ一方通行に流れる時間軸を物体が光速で駆けぬけているのだと解釈しました。時間が進むのではなく、物質が光速で時間軸上を進んでいることになりますか?

(2)4次元以上の構築要素がある高次なせ界に行ける物質があると、3次元の我々にはその位置、方向が認知できず、姿を消したように見えます。高次な宇宙人が突然現れたり消えたり、ワープするのは高次なところへ行ってしまうからでしょうか?消えてしまった高次を低次が理解することは無理なのですが、その間に、高次な物質はどんな状態で何をしていたのでしょう?

(3)時間の厚みでいうと、体積・質量的にはほぼ同等の人間でも、長生きで有名になれた人より、短命であったが多くの人に感銘を与え思想を尊ばれた人の方が時間軸上で厚みがあるようにも思います。でもそれが何故なのか説明できません。何が原因でそう思うのでしょうか?

おそらく回答者様のよい理解者になれず、馬鹿な聞き役にしかなれませんがそれでもよろしければ、何でも良いので多くのお言葉を頂きたいと、これが我侭ですが、有る気持ちです。

お礼は即日!です。よろしくお願いします。

補足日時:2005/11/17 12:09
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この回答へのお礼

suretsu1248さん。確かに絵には厚みがあると思います。土台や絵の具以外にも。新進奇抜な芸術も意味があるものですが、骨董品のような作者や主人の思いがこめられているようなものは時間軸上に厚みが凄くあると思います。でもそれを感じても見えないものなのが不思議でもあり、主観を越えるものではないのでしょうか?人生は短し4次元の芸術は長し…なんて。

「時間的な厚み」物理というより芸術のエッセーを読ませて頂いたようです。ありがとうございます。

お礼日時:2005/11/16 02:48

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