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(1)徳川将軍は大きく分けて増上寺と寛永寺に埋葬されていますが、埋葬先決定の基準(?)はどのようなもので、埋葬先を決めたのは誰ですか?
(2)増上寺では徳川宗家の意向で改葬が行われ、かなり規模を縮小した墓所に改葬されましたが、寛永寺では改葬は行われていない理由は何ですか?

A 回答 (2件)

もともと徳川家の宗旨は浄土宗ですから増上寺が本来の菩提寺ですが、天海僧正の政治力で寛永寺を創建して徳川家の菩提寺に加えました。


埋葬先決定の基準は特にないようでどちらにも偏らないように時の将軍あるいは老中あたりが決めたのではないでしょうか。
増上寺で改葬が行なわれたのは財政難で徳川家の墓所の土地を売ってしまったからでしょう。(土地を買ったのは西武だったとおもいます。墓所にあった灯篭の一部は所沢にあるとか。)
寛永寺の方は徳川家の墓所の土地までは売る必要がなかったからそのままなのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。
増上寺=徳川家の菩提寺なわけですが、増上寺の財政難→土地売却の必要→徳川家の了承→改葬・土地売却、と考えて良いでしょうか?
見ていただいていたら再回答をいただければ。

お礼日時:2005/11/23 13:01

増上寺はもともと今の千代田区平河町にありましたが、徳川家康の関東煎りのときに家康の依頼で徳川家の菩提寺になり、慶長3年に現在地に移りました。


徳川家の霊廟は太平洋戦争末期の東京大空襲焼けずに残っていましたが、西部グループが徳川家の墓地部分を増上寺から買い取ったために、遺体は改葬されてましたが宝塔や灯篭は一部だけが残されて、あとは西部グループがあちらこちらに持って行ってしまったようです。(秀忠廟の一部は狭山に現存しているようです。)
>増上寺の財政難→土地売却の必要→徳川家の了承→改葬・土地売却
売却のいきさつははっきりとはわかりませんが、戦前ならばともかく戦後派徳川家も財政的に負担できる状態ではなくそういう流れになったのでしょう。
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この回答へのお礼

再回答いただきありがとうございました。
増上寺から土地売却の話がでて、徳川家も購入はできず改葬したということかと想像しました。
寛永寺の徳川家墓地は、ほとんど手付かずでしょうから増上寺に埋葬された将軍や夫人らはちょっとかわいそう…?ですね。

お礼日時:2005/11/24 12:19

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