戦国時代、三好氏の最後について
戦国時代、畿内と四国東部において覇権の握った三好氏のことについてお聞きします。
台頭してきた信長に敵対し、信長包囲網の一翼を握っていたはずなんですが、いつの間にか歴史の舞台から消えてしまったように思います。信長に滅ぼされた、などとも聞かないし。近畿は信長に抑えられてしまったようですが、四国東部はどうなったのでしょうか?長曽我部氏と争ったりしたのでしょうか?三好氏は結局滅びたのでしょうか?
三好清海入道は真田十勇士の一人になった、とか聞いたことはあるのですが…。
回答(3件)
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No.3ベストアンサー20pt
下記のURLを参考までに。
大筋はNo1の方が仰る通りですね。三好氏の家臣団は信長系列に組み入れられていったようです。これらの転向組で有名所は、荒木村重辺りでしょうか(池田氏の家臣だったので、三好氏にとっては陪臣ですが)。阿波については、長宗我部氏に奪われた後、三好康長(笑岩)が信長の後ろ盾を得て奪回を試み結構善戦したようですが、本能寺の変が起こった為に失敗に帰したようです。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
ウィキペディアでばっちり分かりました!加えて、三好康長が淡路を長宗我部氏から取り戻そうとしてたんですね、この辺りもよく調べると面白そうですね!!
真田十勇士の
三好清海入道(兄)と三好為三入道(弟)は
出羽国亀田城の領主の血筋ということで
三好三人衆の後裔とはいっても、
畿内で台頭した戦国三好氏とは直接は関係ありませんし、
そもそもこれは立川文庫の講壇で、
要するに登場人物はすべてフィクションです。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
三好清海が真田十勇士というのはフィクションでしたか!?一つ知識が深まりました。
No.1ベストアンサー10pt
三好氏は、
最大勢力を誇った頃の当主・三好長慶の病没後、
家臣だった松永久秀に下克上をくらって
近畿の覇権を失いました。
その後、残る淡路の勢力を長我部氏に攻め滅ぼされ、
滅亡してしまいました。
ちなみに、下克上した松永久秀は、
攻め上ってきた信長にあっさり降伏した後、
再三謀反を起こしては失敗し、
信長に追い詰められた挙句
ついには自害して果てました。
この回答へのお礼
ご回答ありがとうございます。
淡路はやっぱり長我部氏に取られたのですか。
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