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こんにちは。
平安時代、天皇の元に入内した女性はたくさんいます。
入内の件で教えていただきたいことがあります。

政略的要素があったと思いますが、どの程度の身分の人々が、娘を入内させたのでしょう。低い身分ではどのくらいから、高い身分ではどのくらいまで、なのでしょうか。

ご存じのかた、どうかよろしくお願いします。

A 回答 (3件)

入内と言うからにはあくまでも中宮、女御などの地位での入内です。


もちろん摂関家などからの妨害もありますが、入内には女房をそろえたり多額の費用がかかるので有力者でなければ入内させるのは無理です。
また入内の儀式にかかる費用も多額で負担できません。
そのために平安以後の時代には極まれなときを除いては中宮や女御はおらず、もともとは女官である典侍、内侍などが実質的な天皇の配偶者でした。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなりました…すみません。
費用が大きく関わっていたとは思いもせず、びっくりしました。入内の費用って女性側持ちなんですね。
つまり、身分の低い親の娘が入内した場合、その家が資産家だったと…勉強になります。
入内は、まず中宮・女御などの身分をもらってからするんですか。イメージとして、女御の中で選ばれた女性(親の権力だとか天皇の寵愛の程度などで)が中宮になるのだとばかり思ってました。
分かりやすいご回答、どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/01/20 11:18

村上天皇以前まではいわゆる藤原氏主流以外の娘でも入内はしています。

参議以上がメインですが右大弁や伊予守の娘でも更衣になっています。
ただそれ以降は藤原氏の主流の娘以外は入内しなくなり、それにともなって更衣がいなくなります。
それまで「更衣」として入内していたクラスの娘は「女官」として内裏に勤め始めます。そして平安後期になると「女官」が正式な妃ではなく「おてつき」として子供を産む様になります。

下記のサイトは非常に便利だと思いますよ。参考にしてください。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/hpsuiren/koukyu/kouky …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
詳しい説明、非常に分かりやすかったです。
後半になると藤原氏主流になるというのも初めて知りました。「更衣」がいなくなって、お手つきになった女官が「側室」と呼ばれるようになるんですね。
参考ページも拝見しました。后妃について、事細かに記されていて…結構文献が残っているということにも驚きました。参考にさせていただきます!
ところで、伊予守や右大弁は、どうやって娘の入内にこぎつけたのでしょうか。娘が入内となるとかなり出世できそうですし、情報操作などしてがんばったのでしょうか…。

ここで質問をして申し訳ありません。
もしよろしければ、ご教授願えますか?
回答してくださり、どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/01/18 09:20

例外もありますが、正式に入内するのはすくなくとも公卿、参議・中納言・従三位以上くらいのクラスでしょう。

もちろんそういう地位にいても誰でもが娘を入内させることが出来るわけではありませんが。
高いほうは摂政・関白です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
それなりの地位がなければ、入内は難しいのですね。
誰もが娘を入内させられないとのことですが、入内させた参議や中納言クラスの人たちは、どうやって娘の入内にこぎつけたのでしょうか。
娘の噂を立てさせたり、大臣たちに取り入ったりしたのでしょうか。
摂政や大納言たちが圧力などをかけそうですよね…。

ここで質問をして申し訳ありません。
もしよろしければ、ご教授願えますか?
回答してくださり、どうもありがとうございました!

お礼日時:2006/01/18 09:11

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