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どこまで本当の話なんでしょうか?
もちろん実在したのも五輪の書を書いたのも知っていますし、
絵や彫刻など意外に多芸でいろいろなものを残してるのも知っています。
でも多芸だからこそ
自分の価値を吊り上げるためにいろいろ吹聴して回ったんじゃないの?
という気がしてなりません。
その時代は禄の無い浪人があふれかえっていましたから
侍として召抱えられるためにはある程度大風呂敷を広げるものだと思います。
疑問に思っているのは
1.二刀流なんて日本刀で果たして可能なのか?
もちろん人並み外れた腕力があってこそだとは思いますが
人並みはずれた腕力があるなら小次郎のように長い剣を振るうほうがはるかに効率的なはず
2.その小次郎も武蔵と戦った以外はほとんど何の記録も残っていなかったと思います。この人って本当に実在したの?
武蔵は実在していたのは分かっているし、まるっきり剣が立たないなんてことはありえないのも分かっています。
でも「二刀流」「佐々木小次郎」に関しては武蔵のうそなんじゃないの?と思っています。
歴史と剣術に詳しい人よろしくお願いします。

A 回答 (9件)

作州には宮本武蔵という人がたくさんいて剣術の得意な宮本武蔵(二刀流)、絵が得意な宮本武蔵…など


それを混同してしまったのではないかという説があります。
もしかすると佐々木小次郎と決闘したのも別の宮本武蔵かもしれない、ということです。
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宮本武蔵は自分を兵法家と思っており、それで売り込んでいました。

大将として軍を指揮したかったのでしょう。あの時代に、侍にとって最も役に立つ重要な武器は弓矢であり、ついで槍でした。刀での接近戦では合戦において余り勝敗を分けません。そんな時代に「剣の道で生きていこう」なんてありえません。将としては茶の道にも通じているとかの方が剣術が強いことより重要でした
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小倉碑文による限り、「佐々木小次郎」のモデルとなった「岩流」なる人物は、実在したと思います。

但し、実名・年令・経歴とも不詳です。もちろん、ツバメ返しなどという技は、小説・ドラマの中だけのものでしょう。

さて、武蔵の二刀流のことです。武蔵自身が「可能だ」と言っておりますので、ご紹介します。

五輪書をよく読むと、武蔵は、「太刀を片手にて取りならはせん爲」に二刀を持たせると言っております。つまり片手で太刀を振るえるようにするために、あえて練習のために、二刀を持つものだということのようです。少し読みにくいかもしれませんが、五輪書(地の巻)から引用します。

まず、なぜ片手で太刀を扱うかについて、こう語ります。
≪太刀を兩手にて持ちてあしき事は、第一馬上にて惡し。沼、ふけ、石原、嶮しき道、人ごみに惡し。左に弓鑓を持ち、其外何れの道具を持ても、皆片手にて太刀を使ふものなれば、兩手にて太刀を構ふる事、實の道にあらず。≫

つまり、戦場においては通常、片手で太刀を扱うのであって、両手で太刀を構えるのは本当ではないと言うのです。確かに戦場では走り回ることが多く、その場合は、必然的に片手斬りになるのかなと思います。

さらに、片手で打ち倒したら、
『兩手にても打留るべし。手間の入る事にても有るべからず。』
と、止めを刺すことも教えています。まさに実戦です。

で、これらに続けて、二刀にする理由を
≪先づ片手にて太刀を振りならはせん爲に、二刀として、太刀を片手にて振り覺ゆる道なり。≫
と延べ、真意は「片手一刀」にあることを明らかにしています。

そして、片手一刀は、最初は難しいけれど「可能だ」と言っているのがこの部分です。
≪人毎に初て取る時は、太刀重くして振まはしがたきものなれども、其は太刀に限らず、萬初て取付る時は、弓も彎きがたし、長刀も振りがたし。何れも其道具々々に慣れては、弓も力つよくなり、太刀も振りつけぬれば、道の力を得て、ふりよくなるなり。太刀の道と云ふ事、早く振るにあらず。≫

なお、道場の稽古で二刀の方のお相手をさせていただいたことがありますが、非常にやりにくかったことを覚えています。もちろん私が弱いせいですが、同じ実力ならば、二刀のほうが強いんじゃないかと今でも思っています。
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#5さんの情報は少々面倒な話になりますが、全日本学生剣道連盟主催の試合となります。


理由は昭和初期は竹刀の規定がなく、軽量の竹刀を振り回して引き分け狙いをしたり、ちょこんと当てるだけの試合をする学生が現れ、凡そ剣道の試合とはいえない状況となり、昭和5年に京大主催の大会で二刀を禁止をし、昭和9年に竹刀の規定が決められましたが、この時点ではまだ二刀流の禁止はありませんでした。
昭和18年に攻撃性が薄いということで、学連により学生にのみ禁止され、平成までこの禁止は続きます。(現在は社会人同様使えます)
しかしながら禁止はあくまで学生に限られ、全日本剣道連盟主催の社会人の競技会に関しては度々二刀流の剣士も登場しており、全面的に禁止された訳ではありません。
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二刀流ですが、戦前までは剣道でもやってよい技前でした。

昭和8年だったと思うのですが、二刀流使いばかりが勝つので二刀流は卑怯な技とされて剣道では使用禁止になった経緯があります。最近、かまわないことになったと思います。
 刀を諸手持ちを基本とするのは剣道だけです。私の学ぶ流派も含め友人の所属する剣術は全て片手剣術です。状況によっては鞘を左手に持って攻撃したりします。
 長い刀は大振りになり易く、障害物に引っかかる可能性があり意外と使えないものですよ。
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佐々木小次郎の得意技ですが、岸流秘伝書に「一心一刀」と「虎切(こせつ)」という業が得意だったとあり


「一心一刀」は

>大太刀を正面に拝み打ちするように構え、一旦平地まで打ち込んですぐに屈む。
>相手が太刀を打ち込んできたら、これを受けて担ぎ上げて切る

という技で、「虎切」は太刀を左右に振る技らしいとまでは判っていますが、はっきりしません。
岸流秘伝書(鈴木家所蔵)にはこれ以外に「風車」「峰の松」という秘太刀もありますが、こうしたものは口伝で伝えるので、今となっては名前とヒントしか残っていません。

宮本武蔵は脳下垂体の異状による「巨人症」という説もあります。
この病気は、プロレスラーのジャイアント馬場さんもそうですけど、体が大きくなり特に指などの手足や額、下顎、鼻、唇、舌などが肥大し、若いときは怪力になり、運動神経も発達しますが、中年以降は急激に衰え、性機能の衰え、糖尿病、高血圧、心不全などになりやすくなります。
世に残る武蔵の自画像は怪異な点や女性に余り興味が無いなど、特徴を見るとどうもこの病気ではないかと思われ、それ故に小次郎との決闘以降は、余り剣を振るわなくなったのではないかと予想します。
また、絵などの筆運びから左利きという説もあり、二刀流というのは、左手でも剣が振るえたということかも知れません。
左利きの方が右に矯正されると、両手が使えるということはよくあり、野球の王監督もゴルフは右で打ちますし(あの年代はレフティのクラブが無い時代に覚えたので)、左右投げという投手もいますから、武蔵も両手が使え、しかも馬場さん同様の怪力ですから、やれないことはないと思います。
実際にやったかどうかは判りませんが、例えば小太刀を左手で投げて、相手が振り払う隙に一気に切り込むとか、鍔迫り合いのときに小太刀で相手を刺すとか、乱戦で訳が判らなくなって両手で振り回すとかはあってもおかしくないような気もします。
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>でも多芸だからこそ自分の価値を吊り上げるためにいろいろ吹聴して


>回ったんじゃないの?という気がしてなりません。

いや、当時の武芸者ってそんなものです。
武蔵だけでなく、たいていの武芸者は大名仕官が目標であったと思われます。
そのためには、多少どころか大げさなパフォーマンスも必要だったの
でしょう。


次に二刀一流の話についてですが、武蔵自身は、二刀で決闘したことは、
ほとんどないようです。
巌流島の決闘のように、たいてい一刀です。
では、なぜ二刀流かというと、膂力を鍛えるために普段は二刀で鍛錬
したという話を、その手の本で読んだ記憶があります。

佐々木小次郎についても、本当に実在したかどうかよくわからないみたいです。


宮本武蔵が後世に名を残したのは、やはり『五輪書』の存在が大きいかと
思います。単に剣術の話だけではなく、如何にして勝負に勝つかという
哲学的な側面もあり、とかく胡散臭い話が多い当時の剣客たちと比べると、
り一段上の境地にいたことは間違いないかと思います。
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本によると実際あやふやなところが多数あります。


吉岡清十郎との決闘も
・武蔵が勝った
・引き分け
・武蔵が負けた
の三通りがあり、大河ドラマでは武蔵が勝っていた。
二刀流の件に関しては
一つの刀は短刀でもう一つは普通らしいです。
だって馬に乗っている人は片手で振ってますもんね。
二刀流には不可能な事は無いと思います。
武蔵の父「新免無二」も二刀流だったそうです。
詳しくは下を参照して下さい。
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この回答へのお礼

参考ページは面白いですが話が脱線しまくっていて読むのに骨が折れそうです。
>だって馬に乗っている人は片手で振ってますもんね。
ああ!そう言われてみたらとは思いましたがそれもなんだかおかしいぞとネットで調べたらまた新たな時代劇に植え付けられた捏造が(笑)
http://www.page.sannet.ne.jp/abe_t/sengoku_coium …
昔の人は馬上で剣を振るったりはしてないみたいですね。
もし馬上なら槍の方が効率的な気もするし。
なんだか疑い出すときりがないですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/19 22:16

佐々木小次郎は、名前も年齢も不詳の剣豪で、はっきりしません。


佐々木という姓にしても、「小倉碑文」に「岩流」として登場し、「武公伝」では「岩流(巌流)小次郎」、「二天記」の終盤でやっと佐々木となっており、流派も「がんりゅう」が岸柳、巌柳などまちまち、幼名も久三郎、いみなを吉高と書いたものもありますけど、真贋不明、恐らく日本で一番有名な謎の剣士かと思います。
年齢は決闘のとき「この時18歳」と記してありますが、書き間違いではないかと言われています。
出身地も
1.越前浄教寺村(福井県)
2.近江観音寺(滋賀県)--佐々木源氏の末裔説
3.出羽最上(山形県)--母親の出身地説
4.周防岩国(山口県)--吉川英二氏の設定
5.他にも豊前(福岡県)、長門(山口県)、肥後熊本(熊本県)など
剣歴も富田勢源の弟子とされていますけど、年代的に合わない点もあり、鐘巻自斉の弟子という説もあります。
各地に小次郎の銅像が記念碑として残っていますが、回ってみるとなかなか面白いですよ。
つまり、佐々木小次郎という剣士は実在しても、名前も年齢も経歴も、そして有名な「燕返し」さへはっきりしない謎の人物です。
多分あの世で自分が長身白皙の美青年に思われ、頭をかいてるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

No.2さんの参考リンク先を見ると佐々木小次郎はやっぱり実在しないみたいですね。
諸説あるのも記念碑が数々あるのも知っていますが
これも「言ったもん勝ち」な感じじゃないかなあと言う気がします。

燕返しもお話しとしてはすごいけれど実際の刀の重さ(しかも小次郎のは普通より長かったはず)で一度振った刀をパッと翻すなんて可能なのか?
仮に可能としても実用的なのか?と思ってしまいます。

お礼日時:2006/01/19 22:07

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