質問

質問者:noname#1775 感動したスポーツシーンを教えて下さい
困り度:
  • 暇なときに回答をください
感動したスポーツシーンを教えて下さい
【coyoteの質問 #125】
 スポーツというのは、日常に刺激をもたらしてくれます。
 皆さんの魂を揺さぶったスポーツのゲームやシーンを
 教えて下さい。
 いっぱいあるでしょうから、絞ってみて下さい。
 ぼくは3つにします。沢山あるんですけどf(^^;)。

[ボクシング]……大場政夫 VS チャチャイ・チャオノイ
 5度目の防衛戦で、1Rにチャチャイからの右ロングフックで、
 大場はダウン。その時に右足首を捻挫してしまいましたが、
 逆転でKO勝ち。
 右手が伸びきっても、まだストレートを繰り出そうとする
 大場に感動してしまいました。
 30年も前の試合でしょうか(*^_^*)?

[高校野球]……簑島 VS 星稜
 20年ほど前の夏の甲子園。
 延長18回に簑島がサヨナラで勝った試合ですが、
 16回表に、星稜がタイムリーで1点を勝ち越したんですが、
 その裏に、ファールフライを星陵の選手が転倒して落球。
 命拾いをした打者が同点のホームランで
 再度試合を振り出しにしたシーン。
 ああ、甲子園(*^_^*)。
 
[大学野球]……K大学 VS M大学
 一昨年です。
 10年ぶりの、母校K大とW大優勝決定戦の前にあったM大とのゲーム。
 3戦あった優勝決定戦では、1勝1敗でW大とタイの後、
 決定戦最終試合でW大に勝って優勝しましたが、
 優勝決定戦前のM大との試合では、
 15季連続で勝ち点を落としていたにも関わらず、
 延長15回で勝った試合は燃えました。

 皆さんの心に残っているスポーツシーンは?
 書き切れないので、みなさんのご回答を楽しみにしてます。
質問投稿日時:2002/01/21 21:53
質問番号:202823
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回答

 

回答者:yumesawa はじめまして。はじめてメールさせて頂きます。            個人的に感動したスポーツシーンは枚挙に暇なく、その多くは既にこのコーナーで紹介されてますので、まだこのページに出てないネタですと、92年7月の大相撲名古屋場所ですか、水戸泉が優勝した時ですかねえ。それまで彼は、とことん運に見放されてきて「彼に神はいないのか」とずっと思ってました。そこにこの優勝。「ああ、ちゃんと神様は見てくれてるんだなあ」と、瞳からは涙は出ませんでしたが、心の中ではもう涙ポロポロでした。  それから、その瞬間ではなく、のちにF1の中嶋悟引退特集番組をみて知ったのですが、何年かは忘れてしまったのですが鈴鹿グランプリのレースの直前、確か彼は母親を失くされたと記憶してます。そして本番レースのスタート時、発進しかけた彼の車がピタリと止まってしまったのです。数秒が経ち、それでも動かぬマシン。もうダメか、と思ったその時、突然マシンが発進したのです。結局このレースは完走できたと記憶してます(順位まではちょっと・・)。これはもう「母が走らせてくれた」以外の何ものでもございませんよね。彼本人の口からそういうコメントがあったかどうかは定かではありませんが・・・
 
 あと、補足みたいな感じになりますが、マラソンの中山が森下に「先に行け」のシーンは、福岡ではなく、91年の別大マラソンだと思います。このとき森下のマークしたタイムは日本人の初マラソンでの歴代最高記録として未だに残ってます。ちなみにこの時は五輪選考会ではなく、同年8月に東京で行われた世界陸上(谷口が金!)の選考会でした。ただこのとき森下はマラソン代表ではなく、1万m代表で出ました。翌92年2月の東京マラソンが五輪選考レースで、まるで1年前のVTRを見てるかの如く終盤に森下が中山を振り切り森下1位、中山2位でアベック五輪出場を果たしてます。

 今まで様々なスポーツ名場面がこのぺージで紹介されてますが、その中に
あの猪木vsアリ戦が入ってないのはちょっと意外ですね。これを今に置きかえると、ヒクソン・グレイシーvsアレクサンダー・カレリンみたいな全世界が驚愕するマッチメイクだったと思うのです。自分はこの世紀の一戦をリアルタイムで知らない世代なのでアレなんですけど、やっぱりあの一戦は周囲で言われてる通り「世紀の大凡戦」だったのでしょうか?
                           (文中敬称略)
回答日時:2002/03/06 02:16
回答番号:No.59
この回答へのお礼 yumesawaさん、滑り込みセーフです(*^_^*)。
実は、昨日、この質問を閉じようと思っていたところでした。
ご回答をありがとうございます。

[水戸泉]
 10年も前だったんですねえ。
 この時の優勝パレードで、水戸泉の旗を当時大関だった小錦が持っていましたね。
 大関が平幕の旗を持つのは、異例でしたが、
 小錦は、「兄弟子だった水戸泉関を追い越したけど、今までお世話になった恩返しをしたい」
 というような事を言ったのには感動致しました。

[中嶋悟]
 91年の事でしたねえ。このエピソードは知りませんでした。
 何だか奇跡のようでもありますね。
 この年は、千代の富士も引退し、本多宗一郎が亡くなった年。
 補足でも書いていただいてますが、色んな事がありましたねえ。

[補足]
 なるほど。こういう事だったんですね。
 当時を思わず偲んでしまいました(*^_^*)。

[猪木vsアリ戦]
 どうなんでしょうねえ。しかし、当時は物凄く盛り上がった分、
 結末の呆気なさに唖然としたのは間違いないですね。
 こんなビッグマッチなのに、勝者がいないというのは、
 やはり納得がいかないですねえ。
 あの猪木の戦いぶりにも、ぼくはちょっとがっかりしてしまいました。
 猪木ファンの方、申し訳ないです。

回答

 

回答者:takesama トラキチの私なので、やっぱり85年の日本一の
ことが一番印象に残っています。
その中でも・・・

・掛布の同点ホームラン
セ・リーグの優勝を決めた神宮球場でのことですが、
掛布のレフトポールに当たるホームランで同点に追いつき
引き分けで優勝が決まりました。
「さっすが、掛布!!」と、歓喜しました。

・長崎の満塁ホームラン
日本一を決めた西武球場のことですが、1回表に飛び出した
このホームランで日本一を確信しました。
でも、当時中学生だったのですが、日本シリーズは昼間に
行っていました。クラスの半分以上は学生服にラジオを
隠し、授業中に聞いていたのですが(もちろん私もその内の一人)
このホームランが出たとき、ある一人が「よっしゃー!!」
と飛び上がってしまいました。お蔭様で、ラジオ所持者はラジオを没収。
その没収ををかいくぐった同級生に経過を聞くという羽目になってしまいました。
ちょっと、横道にそれてしまいました・・・。

ところで、すでにツッコミが入っているかもしれませんが、
85年の優勝時にキーオ、湯舟は在籍しておりません。
当時の外人投手は、日本一になった試合で先発完投したゲイル投手です。
また、湯舟投手は、90年代に入団したと記憶しております。
回答日時:2002/02/25 12:20
回答番号:No.58
この回答へのお礼 takesamaさん、ありがとうございます。遅くなって申し訳ないです。

[掛布の同点ホームラン]
 うーん、このホームランは覚えてないんですが、
 優勝が決まったホームランという事なら、狂喜しますよねえ。
 
[長崎の満塁ホームラン]
 覚えています(*^_^*)。神風が吹いたと言われる西武でのホームラン。
 西武の高橋でしたか、すぐノックアウトしましたね。
 阪神は、ゲイルが投げていたんですねえ。
 すっかり忘れていました。

 授業中のラジオを聞きながらの応援。思い出に残るでしょう。
 阪神ファンとすれば、あの感動を再現して欲しいと思いますよね。
 ぼくは、何処の球団のファンでもないのですが、
 贔屓のチームが優勝した時のファンの喜びを見るのは気持ちがいい物です(*^_^*)。

回答

 

回答者:nozomi500 またまたやってしまった・・・、指摘される前に。
ピカボ・ストリートは長野オリンピックでした。(ひょっとしてリレハンメルに出ていたかもしれないけど、私はみていない)

プロ野球の話題で思いだしたこと。
横浜大洋の遠藤投手が、巨人のクロマティを三振に討ち取ったあと、指で頭をつんつんして、(それまでいつもクロマティが、打つたびにアタマの違いだよ、というように自慢するポーズ)リベンジした試合。

巨人-ヤクルト戦で、篠塚の打球がポールぎりぎりのところにはいった、いわゆる「ドームラン」事件。スロービデオで再生したときの、解説のカネやん「いやー、ほんとに微妙なところですねー」誰が見たってファウルだよ。

広島-阪神戦で、2アウト満塁から衣笠がバントで決勝点。
「平安高校の野球はこんなのあたりまえですよ」と笑っていた。たしかこの年に2000試合連続出場、だったかな?
回答日時:2002/02/23 23:47
回答番号:No.57
この回答へのお礼 nozomi500さん、ありがとうございます。

[遠藤投手]
 よくやってましたねえ(*^_^*)。
 テレビでも何度となく、放映されてましたから、焼き付いてますよね。

[巨人-ヤクルト戦]
 おお、こんな事もありましたねえ。まあ、面白い解説ですねえ(*^_^*)。
 しかし、ドームランというのは、巨人ファンにとっては、
 面白くない言葉でしょうねえ。

[広島-阪神戦]
 この試合はまるっきり覚えていません(*^_^*)。
 さすが平安高校の出身という感じのエピソードですねえ。
 記録としては2200幾らかの連続出場でしたが、
 これって今でも世界記録なんでしょうか?
 

回答

 

回答者:good_speed 他の回答を全部は目を通していないので既出かもしれませんが…。
私の場合は、8年位前でしょうか、広島対巨人戦での前田選手のプレイが感動して心に残っております。その日センターを守っていた前田選手の前方にライナー性の打球が飛んできて彼は全力で前進してダイブしたのですが、僅か及ばずに打球は後方に抜けてしまいタイムリーとなり逆転(確か)されてしまいました。そして次の打席に彼は見事ライトスタンドに逆転ホームランを叩き込んだのです。ダイヤモンドを回っている時の前田選手の涙を私はずっと忘れることはないでしょう。近年はアキレス腱の手術で思うように試合に出れない状況が続いていますが、もう一花、二花咲かせてくれることを信じているファンは沢山いるはずです。頑張って欲しいものです。
回答日時:2002/02/23 17:25
回答番号:No.56
この回答へのお礼 good_speedさん、ありがとうございます。

8年前の話でしたか。
バッターは、巨人の川相で、結局ランニングホームランしたんじゃなかったですか?
そして、その後のホームラン。
泣いていたんですねえ。うなだれてダイヤモンドを回っていましたが。

現在、「アキレス腱の手術で思うように試合に出れない状況」とは知りませんでした。
これからも頑張って欲しい選手ですよね。

回答

 

回答者:nozomi500 バルセロナの聖火の矢は、聖火台の上空を通過していった(カメラの角度で当たったように見えたが)みたいですよ。
たぶん、狙う方も、台に当たって落ちたらごまかしがきかないから、ちょっと「上」を狙ったはず。ガスはそこまで届いていたかどうか知らないけど。

冬季五輪を思い出すと、リレハンメルのピカボ・ストリートのダウンヒル。しかし、彼女が優勝したのはスーパー大回転だったかな?
同じくリレハンメルの里谷。初めてみるモーグルで、当時高校生の彼女が、滑り終わった時点では2位か3位にいた。「これはすごい!」思わずTVに叫びました。小声で。同じく、寺尾のショートトラック。
しかし、今回活躍を期待されていた選手って、リレハンメルから頑張っているんだ。

リレハンメルだったかな、アルペン(回転か大回転か)元チャンピオンのトンバが、不本意な滑りで優勝を諦めていたのに、あとからすべる上位選手が次々にバランスを崩したりコースアウトしたり、で、これはひょっとしたらトンバにもチャンスが・・・、と私も思ったのですが、そううまくは行かず、最後にはちゃんと実力者が(名前を覚えていない)タイムをまとめて優勝。
あのときのトンバの暗・明・暗の顔が印象にあります。

バルセロナ五輪のマラソン代表を決める福岡国際マラソン。
先頭にならぶ中山と森下。40km手前で、中山が森下に「先にいけ」とサインを送って、そのままスパートした森下優勝。そのままオリンピックでも銀。
それまで中山竹通って、なんかえらそうな態度が、宗兄弟と比べても気に障ったのですが、このあと、彼はずいぶん森下選手に入れ込んでいました。大産大の監督として頑張っているのかな?
回答日時:2002/02/20 23:04
回答番号:No.55
この回答へのお礼 nozomi500さん、またまたありがとうございます。

[バルセロナの聖火の矢]
 通過しちゃったんですねえ。
 それにしても、上手い具合に矢を放ちましたよね。
 あれだけでも感動物でした(*^_^*)。

[ピカボ・ストリート]
 うーん、この選手は知りませんでした。
 しかし、里谷も寺尾もリレハンメルからの活躍でしたか。
 かなり長期間活躍しているんですねえ。
 この事も知りませんでした(*^_^*)。

[トンバ]
 トンバは、オリンピックの時もそうですが、
 夜は夜で、チャンピオンぶりを発揮してましたねえ。
 写真週刊誌に狼藉ぶりをすっぱ抜かれてましたから、
 ここでも「暗・明・暗の顔」があったのかも知れません。

[福岡国際マラソン]
 銀獲得の森下選手にこんな秘話がありましたか。
 当時、見聞したのかも知れませんが、覚えてないですねえ。
 一昨年くらいまでは、大産大の監督としての姿は見てましたねえ。
 しかし、あの凄惨な事件は決着したんでしょうか?
 

回答

 

回答者:shino911 kawarivさんの補足欄での、coyoteさんの思い出シーン、
懐かしく拝読させていただき、感動がよみがえってきました。

すべて記憶にある訳ではないですが…

【ウェイトリフティング・砂岡選手】
“ハンサムな力持ち”として話題になりましたね。
女性ファンが多く、やっかんだ男性もいたといいますから、
「銅」でよかったのかも…(* *;)

【88年の近鉄バファローズ】
最終の二試合は確かダブルヘッダーではなかったですかね。
テレビ中継がなく、ラジオにかじりついてました。
VTRで見た時の大石選手の呆然とした表情が印象に残っています。

【バルセロナ五輪の聖火】
そ、そんな、coyoteさん、感動に水を差すような…(*_*)
でも実は私も密かにそうじゃないかと……おっと、何てことを…(@_@)

【柔道の古賀】
古賀選手といえば、やはりバルセロナ五輪の、怪我を押しての金メダルが印象的です。
決勝は微妙な判定でしたが、旗が上がった瞬間の、天を仰いだ表情が忘れられません。

【高野は世界の8位か】
この時の実況は、工藤三郎アナウンサー。
奥さんの「私が金メダルあげます」は有名になりましたね。
工藤アナといえば、確か、長野五輪の原田のジャンプでの、
「立て! 立て! 立ってくれ!!」の時の実況もしてましたね。
このフレーズ、別の意味で男性陣の間で流行りませんでした?(*^_^*)


なんか、「回答に対するお礼」の疑似体験みたいになりましたが(^_^)
やはり、すべての話題に対してコメントが付けられません。
改めて“質問王”coyoteさんの偉大さに敬服いたします。

修行を積んで、私も早くこのような質問ができるようになりたいです。
(お天姉さんもお立てになったことですし… ^ ^;)
回答日時:2002/02/18 16:48
回答番号:No.54
この回答へのお礼 shino911さん、いつもありがとうございます。

[ウェイトリフティング・砂岡選手]
 玉三郎とか言われてましたよね。
 もう一度見たいシーンですよ。
 アナウンサーにも煽られてしまいましたけど(*^_^*)。

[88年の近鉄バファローズ]
 そうそう。ダブルヘッダーです。
 1試合目は見てないんですが、
 2試合目を時々『ニュースステーション』で放映していたので、
 ニュースそっちのけで見てました。

[バルセロナ五輪の聖火]
 あれは、保険みたいな物で、実際には着火したんだと思いますよ。
 (*^_^*)。フォローになりましたか?

[柔道の古賀]
 バルセロナでは、膝の靱帯を損傷したんですよねえ。
 天を仰いで咆吼してましたね。
 しかし、古賀は柔道の真髄を見せつけてくれました。

[高野は世界の8位か]
 あ。工藤アナウンサーでしたか。よくご存知で。
 しかし、上手いはずですねえ。舌を巻きます。
 「立て!……」では、思わず股間を覗いたそうですが、
 無論、そんなはしたない事はぼくはしていません。
 やるものですか。いいえ、やっていません。

 しかし、ぼくは、目指しているのは、「キング・オブ・質問 & コメント」で、
 実際の質問王は別にいらっしゃいます。
 何とぼくの6倍の質問を立ち上げてます(*^_^*)。
 だから、「コメント王」を目指そうかなあ。

 あ、「美杉純」の件はありがとうございました。
 間違った情報を書いてしまいました。失礼を致しました。

回答

 

回答者:noname#4746 2回目の登場です(^^)。

 nozomi500 さんも coyote さんも結構なラグビー狂のようで・・・。実は私も・・・(^^)。

 NO.51で nozomi500 さんが仰っている「明治VS同志社」は、93年度の大学選手権ですね(だから正確には94年の正月)。この試合で強烈に印象に残っているのは、明治トライ後のゴール、それもほぼ正面を同志社の選手が腕でチャージし、見事に阻止したこと。あのシーンは未だに忘れられません。私には、日本ラグビーの歴史に残る1シーンです。
 この試合、PGを狙えば同志社は勝てたかもしれません。歴史に「れば」「たら」は禁物ですが、同志社ファンはそう言いたくなるほど悔しい試合だったのでは。選手たちはサバサバしてたようですが。


 話は変わって。
 小嶺監督についても少しマニアックな話をば(笑)。

 小嶺監督は、国見高校の前には島原商業校の監督でした。そこでも全国選手権の常連だったのですが、ベスト8まで到達した翌年、小嶺監督は国見高校に移りました。その年、島原商は、全国選手権で帝京と1-1で引き分けて両校優勝。
 翌年、全国選手権の地区予選で、小嶺監督率いる国見高校は平戸と対戦。このとき、国見のFWはあの高木選手。平戸GKはあの前川選手。勝利の女神は、平戸に微笑みました。
 その翌年からの国見の活躍は、先にとうとうと自慢した(←お前が自慢してどーする!?)とおりです。
 でも、下のようなHPもあるんですね。知らなかった・・・。

 他にもスポーツで感動したシーンは、阪神淡路大震災直後の豪州オープンで沢松が伊達に勝ったとき、ユーリアルバチャコフが初タイトル挑戦時にチャンピオンに美しいまでのライトクロスカウンターを決めたときなど、数え上げればキリないです(笑)、本当に。
 でも、私にとってNO.1は、やはり1997年11月、日本VSイラン戦で岡野がVゴールを決め、日本ワールドカップ初出場を自力で手にしたときですね。深夜に大声を張り上げながら祝杯をあげ、翌日スポーツ新聞を3紙買いました(笑)。まだ持ってます(笑)。

●追伸
 たった1度、それも数ヶ月前にご一緒しただけなのに、私ごときを覚えていらっしゃったとは驚きでした。私も、またどこかでご一緒できる日を楽しみにしております。
 
回答日時:2002/02/13 23:07
回答番号:No.53
参考URL: http://203.174.72.113/osaru0928/105/zatuwa105.htm
この回答への補足 kawarivさんの補足欄をお借りして、ぼくも思い出した感動のシーンを。

ロサンゼルスオリンピック。82.5kg級日本代表の砂岡。
砂岡は、ジャーク2本目を失敗したところで順位は2位。
そして、3本目。砂岡は、自身が持つ記録に挑戦。
挙がらなければ銅。挙げれば金。
挑戦せず無難にこなせば銀。
しかし、金メダルをねらう砂岡は銀を捨てました。
結果は失敗し、銅メダルになりましたが、この心意気に感動。

千代の富士の54連勝をストップした大ノ国との一番。
終わったかあ、という千代の富士の苦笑。
あの顔が忘れられません。

1988年。優勝が決まるというロッテ-近鉄最終戦。
8回にブライアントが勝ち越しホームランを打った時、
隣に居たオグリビーに思わず抱きついた中西太。
いい人だあ、中西太。
優勝がないと決まったのに、10回裏を守らなければならなかった近鉄ナイン。
守備を見ながら涙ぐんでしまいました。

バルセロナ五輪の開会式。
最後の聖火に着火するパラリンピックのアーチェリーの選手が、
聖火のついた矢を放ち、見事に命中させた時は感動。
届く少し前に、着火したとも言われてますが(*^_^*)。

アトランタオリンピック。女子体操。
名前は忘れましたが、アメリカの最終演技者。
前の演技で片足を怪我した状態での跳馬。
彼女は決死の覚悟で助走から跳躍し、そして片足で着地。
アメリカは団体金メダル。凄かったなあ。

長野オリンピック。アイスホッケー。
チェコはヤーガーとハシェクなどを擁し、二人の超人的な活躍により、
アメリカ、カナダを打ち砕き、決勝も宿命のロシアを破っての見事な金メダル。
感動しました。

ソウルオリンピック。陸上男子800m決勝。
前回王者のクルス、アウイタなどが混じる中、
前半の400mを世界記録を上回るペースで通過したんですが、
ケニアのエレングは、それにはついていかずに、
前半を最下位で通過して、最後の200mで豪快なごぼう抜き。
もの凄い試合でした。

1990年の全日本柔道選手権大会。
無差別級で勝ち上がっていった古賀の決勝。
小川の足車で負けましたが、80kgの体重差を乗り越えた勝負への執念。
実に爽快でした。

1991年世界陸上東京大会。高野進の400m決勝。
結果はともかく、決勝に残ったという事がもの凄く印象的でした。
バルセロナオリンピックでは、アナウンサーが、
「高野。高野は世界の8位か」と言っていました。
このフレーズも印象深く頭に残っています。

何だか回答者のようになってきました(*^_^*)。
まだ沢山あるんですよね。
今のソルトレークシティ・オリンピックも見逃せません。
ショートトラックは特に力が入ってしまいます。

という事で、もう暫くこの質問を開いておきますね。
この回答へのお礼 kawarivさん、再度のご回答、ありがとうございます。

[明治VS同志社]
 こういう試合でしたか。よく覚えてらっしゃいますねえ。
 考えてみましたら、この年は日本に居なかったんです。
 だから、見てなかったんですねえ。って言い訳を書いておこうっと(*^_^*)。
 
[小嶺監督]
 へー、この実績は知りませんでした。
 さすが国見高校ファ……いや、マニア……、ん?フリークです。
 島原商業に居たんですねえ。あの時の監督でしたか。
 うーん、やっぱり、昔からただの名古屋章じゃないですねえ。

 参考サイトにも行って来ました。面白いサイトがあるんですねえ。

[沢松]
 おおお、この試合がありました。
 ぼくは、この試合はオーストラリアで観ていたんですが、
 後の報道で、沢松の自宅全壊を知りました。
 あの時の活躍ぶりは、神戸の人にも希望を与えたのではないでしょうか?

[ユーリアルバチャコフ]
 ユーリ海老原ですね。この試合は新聞報道で読んだだけなんですが、
 旧ソ連のボクサーが日本のボクシングジムに所属していた理由が
 分からなくて、そういう意味では印象に残っています(*^_^*)。

[日本VSイラン戦]
 このゲームは、もう何度も見ましたねえ(*^_^*)。
 やっぱり中田は天才ではないか、と思います。
 最後に中田がシュートをしましたが、岡野が目に入っていたから、
 キーパーがパンチングで弾くしかない場所に、シュートを打って、
 岡野にこぼれたボールをシュートさせたような感じなんですが、
 実際はどうなんでしょうねえ(*^_^*)。

 ぼくも翌朝新聞紙を買いに行きましたが、完売でしたf(^^;)。
 遅かれし~~~~。しかし、一喜一憂した長い長い試合でした。
 まだ時々ビデオで見てます(*^_^*)。

 ※「私ごとき」などではありませんよ(*^_^*)。
  逆風吹き荒れる回答群の中でのサポート。
  ぼくには非常に心強く、忘れる事の出来ないご回答でした。
  kawarivさんのあのご回答で、ぼくは勇気づけられました。
  大袈裟かとお思いかも知れませんが、本当に感謝してます。
  kawarivさんにとりましては、360余りある回答の中の一つかも知れませんが、
  ぼくにとっては、鮮やかな印象が残っています。

  kawarivさんのあの時のご回答に感銘を受けたのは、
  ぼくだけでなく、他にもいらっしゃいますよ(*^_^*)。
  
  機会がありましたら、もう一度お礼を申し上げたかったので、
  今回、こういう機会が訪れたのも僥倖です。
  改めて御礼申し上げます。ありがとうございました<(_ _)>。
  これからもよろしくお願い致します。

  いいデジカメが手に入って良かったですね(*^_^*)。

回答

 

回答者:tips たびたび、こんにちは。

>しかし、tipsさん、自転車なら42km楽勝?

はい。だいたい平日は、自転車通勤をしていまして、
週末になると、50-60キロはしっています。

50-60キロといっても、
おもに、公園にいったり、生地やさんに生地をみにいくとか
おばあちゃんのうちへいくとか、ささいな用事なんですが。

自転車で四国からしまなみ海道を移動したときに
一日で130キロ走ったことが
ありますが、そのときは、死ぬかと思いました。
ぐったりしました。



追伸1。
ドリップ→ドリッパー
おしえていただき、ありがとうございます。

追伸2。
人の履物をふところであたためる人の話を
しってる?って
職場の人にきいたら、みんなこえをそろえて
●●のことでしょ。といいました。
あたりまえの常識でしょぉー!といわれました。
●●さんは、有名人らしいです。
※そのとき聞いた名前をもう名前忘れてしまいましたので
●●で、代用しておきます。すみません。
回答日時:2002/02/10 22:07
回答番号:No.52
この回答へのお礼 tipsさん、ありがとうございます。

もの凄いですねえ。
「週末になると、50-60キロ」!!
これはぼくが感動してしまいます。

まして、「一日で130キロ」の走行というとどういう距離なんでしょう?
東京からだと鬼怒川温泉に行ってしまい、
鹿児島からだと屋久島に辿り着いてしまいます。
tipsさん、恐るべし。

[人の履物をふところであたためる人の話]
 人物名など大した意味はないです。
 そういう事があったという事でいいんです。
 知識の量など、五十歩百歩ですし、他の人が知らない事をtipsさんが
 よく知っているという事も沢山あるでしょう。
 幾ら一生懸命知識を蓄積しても、図書館に行けば、すぐに追いつかれます(*^_^*)。
 tipsさん流の覚え方でいいんです(*^_^*)。それが個性ですから。
 

回答

 

回答者:nozomi500 おお、またやってしまってたか。リコーでなくサンヨー・・・。
そのときの「サンヨー」ってチーム名「三洋」でしたね、たしか。
大東OBのラトウがいたっけ。

大学ラグビーで、平尾などの抜けたあと低迷した同志社が、久々に全国大会で勝ちすすみ(準決勝だったかな?)王者・明治と対戦。最後まで「トライ」にこだわって負けた試合がありました。

シドニーオリンピック女子ソフトボール決勝。増渕さんが好投していたので、「勝利の方程式」どおりに高山さんをだすタイミングがおくれて逆転負けした試合。
回答日時:2002/02/06 22:09
回答番号:No.51
この回答へのお礼 nozomi500さん、ありがとうございます。

[同志社]
 うーん、どの試合か思い出せませんf(^^;)。
 平尾が同志社に居た頃、ぼくの母校は非常に強くて、
 タイガージャージ復活!と言われていましたが、
 やはり同志社には勝てなかったですねえ。

[女子ソフトボール決勝]
 オリンピックが終わった後、しばらくして、この宇津木監督と話をしたんですが、
 高山は昔、柔道をやっていた事もあって、その時に痛めた膝が
 どうも芳しくなかった事もあり、逡巡があったとか言ってました。
 しかし、打ちやすいのは高山の方らしいんですが。
 ともあれ、銀メダルはよくやりましたねー。

回答

 

回答者:tips coyoteさん、こんにちは。

自分は、名古屋国際女子マラソンで、高橋尚子選手が
はしっているすがたをみて、感動しました。

自分は、走るのは苦手なので
尊敬してみていました。

自分の足で、長い距離を移動できるなんて
すばらしいとおもいます。

自分は、自転車で42キロはしるのは、楽勝なんですが。
回答日時:2002/02/06 18:45
回答番号:No.50
この回答へのお礼 tipsさん、ありがとうございます。

シドニーオリンピック前に優勝した時ですね。
これが最後のチャンスで、それを物にして、
シドニーオリンピックで金メダル。
出来る事じゃないですよねえ。

ぼくも自分の足で、42kmも移動出来ません。
移動している人の邪魔は出来るんですが……。

しかし、tipsさん、自転車なら42km楽勝?
凄いなあ。後ろに乗せてください(*^_^*)。

回答

 

回答者:noname#4746 [プロレス]
 1985年の暮れ、タッグマッチとはいえ、藤波が猪木から初めてフォールを奪ったとき。

[テニス]
 国別対抗戦「フェド杯」で、伊達公子が足を痛めながらもグラフを死闘の末敗ったとき。

[ラグビー]
 名勝負が多すぎて書ききれませんが、私には「スクールウォーズ」が最高ですね(あ、反則かこれは^^;)。
 余談ですが、ウィリアムスが独走したのは、神戸製鋼のV3がかかっていた年の決勝戦で、相手はサンヨーでした。宮地監督(当時)の呆然とした顔が印象的でした。
 翌年、このカードを楽しみにして見てたのですが、気負いすぎからか、サンヨーは次々に反則を犯し、その度にPGを決められて点差が開く一方。「自滅」という言葉があてはまるような展開でした。

[モータースポーツ]
 F1で、今は亡きアイルトン・セナ選手がそれまでどうしても1位になれなかった母国ブラジルグランプリで優勝し、感極まって泣き叫びながらウィニングランしてたとき。

 と書き出していけばきりがないのですが、一番言いたいのは、[高校サッカー]!

 私は国見高校のファンで、初出場からずーっと注目しています。
 全国高校サッカー選手権では、初出場にも関わらず決勝に進出。相手は、静岡県代表の東海大一。このとき、ボール支配率は国見高校が圧倒的に勝っていたものの、東海大一にいた留学生のアデミールサントス選手(後に清水エスパルスへ。現在では、清水市で料理店を営んでらっしゃるとのこと)1人にしてやられました。
 翌年の決勝戦は、高校生の全国区トーナメント大会では珍しい同一カード。国見高校は、スコアこそ1-0だったものの、このときも圧倒的なボール支配率を誇り見事に優勝。「田んぼを売って金をつくり、自らがマイクロバスを運転して選手を遠征に連れて行った」小嶺監督が胴上げされたときは、私も泣いていました。
 このとき、国見には永井選手(現ヴェルディ)が在籍してました。

 それから、1990-1991年の大会、1992-1993年の大会、昨年度、今年度と合計5回優勝し、その間、塚本選手(アビスパのGK:今もアビスパにいるのか?)、三浦淳宏選手(現ヴェルディ)、都筑選手(ガンバ大阪)等を輩出しています。

 ちなみに、中田英寿選手をはじめて代表クラスに招集したのは、「九州の片田舎、しかも、赴任前は全くの無名だった」高校を全国クラスにまで育成した手腕を買われてユース代表(確か当時はまだそう言っていたと思います)の監督となった小嶺さんでした。現在は、校長先生になってらっしゃいます。

*静岡県代表高校ファンの皆様、カチンとくる部分があるかとは思いますが、何卒ご容赦願います。
回答日時:2002/02/04 13:49
回答番号:No.49
この回答へのお礼 ご無沙汰しています、kawarivさん。ご回答をありがとうございます。

[プロレス]
 藤波が指を3本出した時ですね?
 誰よりも藤波が驚いてましたねー。
 「やったやったー」を連発してましたから、相当嬉しかったんでしょう(*^_^*)。

[テニス]
 おお、大金星でしたねえ。日本がベスト4になった時ですよね?
 この辺りが女子テニスのピークだったんでしょうか?
 巻き返して欲しいなあ。

[ラグビー]
 「スクールウォーズ」ですか(*^_^*)。じゃ、川浜高校ですね?
 イソップが亡くなった時には……ってやめときましょう(*^_^*)。

 あ。「神戸製鋼VSサンヨー」だったんですね?ふぃ~~~~っ。
 これは確かに緊迫した試合でした。

[モータースポーツ]
 懐かしいですねえ。セナがマクラーレン・ホンダの時でしたね。
 この年、本多宗一郎も確か亡くなったんですよね。
 雨に強いと言われたセナですが、この時も雨じゃなかったですか? 

[高校サッカー]
 「アデミールサントス選手1人にしてやられました。」
 バナナシュートでしょう?
 あの当時、フリーキックであんなバナナシュートを決める高校生なんか居なかったですよね?
 しかし、この人は「清水市で料理店を営んでらっしゃる」んですか。
 うーん、感慨深いですねえ。

 国見高校は「5回優勝し」てるんですか?凄いです。
 九州に小峯あり、と言われただけ事はあります。
 小峯監督も「校長先生」ですか?そうでしたか。
 これだけの人ですし、県民栄誉賞か何かも貰ってましたし、
 相当な人ですよねえ。蔦監督を彷彿としますが。

 でも、さすが「国見高校のファン」です。
 情報量が違います。感心してしまいました(*^_^*)。

 ※余分な話しになりますが、いつぞやはありがとうございました。
  非常に嬉しかったです。私情を交えてしまいましたが、
  個別の御礼という事で、大目に見て下さい。

回答

 

回答者:Yoshi-P coyoteさん、お久しぶりです。

私もスポーツ観戦が大好きです。このご質問、ずっと回答したかったんですけど、ちゃんと裏づけをとってからと思っていろいろ調べていました。
先ほどやっと見つかりました。(記憶とはちょっと違っていたんですけど。^^;)

関東大学対抗ラグビーです。

昨年12月の早明戦も劇的な結末で早稲田が11年ぶりに対抗戦グループを制しましたが、その11年前の優勝の時はもっと劇的でした。
平成2年(1990年)の早明戦は全勝対決でした。
早稲田の堀越、今泉、明治の吉田が4年生だった頃です。

残り2分で明治が24対12点でリードしていてもうだめか(私、何故か母校でもないのに早稲田ファンです。ごめんなさい。)と思っていたところ、ようやく早稲田が1トライ1ゴールを返して6点差としました(当時は1トライ4点でした)。

でももうロスタイムに入ってしまい、ラストプレーと思われた明治のキックオフ。これをキャッチした早稲田は左展開でライン参加した今泉が60メートルを独走してトライ、ゴールも決まって、同点! その直後にノーサイドとなり、両校優勝!(私は早稲田が勝ったと記憶違いをしていました。^^;)

こんな奇跡があるのかと、すごく感動しました。

大学選手権では逆に明治の吉田に逆転トライを決められて13対16で負けちゃったようですけど。(負けた時のことはほとんど覚えていませんでした。^^;)

でも、ラグビーって一挙に(今は)7点入るから、こういう劇的なゲームが多いですよね。

●余談
よそのQ&Aでcoyoteさんの追っかけを勧めてしまってごめんなさい。m(_ _)m
しかし、いくつものご質問にたくさん回答をもらってちゃんとすべて丁寧にお礼をされていて、よく他の人のQ&Aやユーザ情報をご覧になる時間があるものだと、正直言って不思議に思っています。(@_@)
もしかしてcoyoteさんの1日は48時間ぐらいあるんじゃありません?(←ンなわけないですよね。(笑))
回答日時:2002/02/03 00:39
回答番号:No.48
この回答へのお礼 Yoshi-Pさん、ご無沙汰してました。ありがとうございます。

[関東大学対抗ラグビー]
 おお、11年も前の試合だったんですねえ。
 そうそう。今、このご回答を読んで、名前も思い出した次第です。
 今泉でしたねえ。今泉清。

 みんな明治の勝利を疑ってなかったですよねー。
 しかし、もの凄い独走でした(*^_^*)。

 大学選手権決勝の吉田のトライは見事だったでしょう?
 うまく一回転して、トライしたのは覚えてますねえ。
 いやあ、懐かしいです。

 [余談]
 いやあ、宣伝ありがとうございます(*^_^*)。
 しかし、ぼくが如何に暇な人間かというのがバレてますf(^^;)。
 お恥ずかしい次第です。
 

回答

 

回答者:clef coyoteさん、こんばんは!

僕はテニスが好きなので
【2001年のウインブルドン】
イワニセビッチの優勝です。ワイルドカードで出場し、雨に助けられ、やっと手にしたタイトルは本当に感動モノでした。その当時、ちょうど就職活動していたのですが、それを見て俺も頑張らなくてはと奮起しました(結果、満足の行く会社に内定を頂きました[^∇^])。いつ「悪いイワニセビッチ」がでてくるかハラハラしましたが、何とかそれを抑えて優勝のポイントを決めた瞬間は涙、涙でした(笑)

【今年のオーストラリアンオープン女子決勝】

ヒンギス残念!!の一言です。でも、カプリアティも粘って手に入れた勝利だしとても良い試合だったと思います。その後のインタビューの様子が悔しそうだったけど、潔くてヒンギスもスポーツ選手として成長したな~と感じました。カプリアティも謙虚で見ていて気持ちよかったです。


coyoteさんの返事が大変そうなので二つにしておきま~す。頑張ってくださいね。
coyoteさんの返事と他の方の回答を読むのが楽しみです。   クレフ
回答日時:2002/02/01 01:49
回答番号:No.47
この回答へのお礼 clefさん、ありがとうございます。

[2001年のウインブルドン]
 相手がラフターの時ですねえ。
 この時、肩を怪我してましたよね?
 で、自慢のサーブの調子が悪くて、結構、当たりまくってましたね。
 ラケットも投げまくってましたが、執念での優勝でしたねえ。
 これって初優勝でしたか?
 何だか、ユーゴから独立したクロアチアの意地を見た思いでした。

 
[今年のオーストラリアンオープン女子決勝]
 これはぼくは見逃してしまったんですf(^^;)。
 カプリアティは、天才少女と言われていた割に、
 優勝してなかったですから(四大大会で)、
 今回の優勝の喜びは一入だったんじゃないでしょうか。
 
 いやあ、ご回答のご配慮痛み入ります。
 他の方のご回答も楽しいですよね。いろいろ思い出してしまいます。

 タイの旅行情報がいっぱい入るといいですね(*^_^*)。

回答

 

回答者:igmp もう出しゃばるのはやめようかと思ったのですが、ついついついつい(^_^;)(^_^;)(^_^;)(^_^;)。

#45でgunmanさんが書かれた、フェアプレー精神のお話で思い出しました。
聞いた話なんですが、一昨年のイングランドのプレミアリーグでこんな出来事があったそうです。

1-1でむかえたロスタイム。あるフォワードの選手がシュートしようとしたとき、相手のキーパー
が怪我で倒れていることに気づき、そのフォワードは直ぐにプレーをやめて、主審にたんかを
運ぶよう頼みました。みんな何が起こったのか分からず、スタジアムはシーンとなったけれど、
直ぐに大きな拍手が沸き起こったそうです。
選手もサポーターもフェアプレー精神の大切さを知っていたんですね。


以上、今では少年サッカーでも行われているフェアプレー精神一口メモでした。

ところでcoyoteさん、本当に50を越える勢いになってきましたねー。
回答日時:2002/01/30 22:54
回答番号:No.46
この回答へのお礼 igmpさん、ありがとうございます。

へー、こんなゲームがあったんですねえ。
「シュートしようとしたとき」だったんですか?
うーん、惜しいような、しかしフェアなプレイ。
これに感動しないで、何に感動するかというくらいのものです。

しかも同点のロスタイムという緊迫したシチュエーションでの出来事。
このチームはお株が上がりましたねえ。
って、こんな事を考えるようでは、まだ俗人f(^^;)。

ええと、本当ですねえ。予想的中ではないですか?
ぼくはここまで伸びるとは思わなかったんですが。
でも、まだいっぱいあるはずなんですけどねえ(*^_^*)。

回答

 

回答者:noname#1667 原田の「ふ~な~き~」出ましたね。それでは、柔ちゃんの金。これも既出ですか。
では、Qちゃん。意外にも出てきていませんか?
オリンピック前に、再三TVで取り上げられて、可愛いからだろうけど、プレッシャーが大きくてかわいそうに、と思っていましたが、そんなプレッシャーをものともせず、金を取ってしまいました。すごい。
解説の増田明美さんも、興奮を抑え、的確な解説で、好感を持ちました。

【1990年のワールドカップ】
古い話しですが、カメルーンが初めて活躍した年です。
フランス-イタリア戦(自信なし)で、相手チームに負傷者が出たので、自軍が攻めていたにも拘らず、わざと外へボールを出して、スローインにしました。その間、負傷者は、ピッチの外へ出ることができ、スローインをしたチームは、相手チームにボールを投げました。これぞ、紳士のスポーツ。両軍のすばらしさに、感動でした。

イレギュラーネタですが、アメリカ本土の野球。
私はあまり野球が好きではないのですが、サンフランシスコに行ったときに、ジャイアンツの試合を見ました。球場の大きさ、選手入場の手拍子やウェーブなどの一体感。何もかもが、新鮮で、感動でした。

蛇足
coyoteさんが、シドニーに行かれたのは、とあるサイトで拝見しました。いいなぁ・・・
回答日時:2002/01/30 17:03
回答番号:No.45
この回答へのお礼 gunmanさん、ありがとうございますね。

[Qちゃん]
 ぼくは、シドニーに行っていながら、このマラソンを見逃してしまいました。
 前日の深酒がたたって、寝過ごしてしまいました(*^_^*)。
 でも、日本に帰って、彼女のビデオを7万回くらい観ましたから、
 満足満足(*^_^*)。

[フランス-イタリア戦]
 今でこそ、どこのチームでもやっていますが、
 まさかこの時のスローインが草分けという訳じゃないですよね?
 分かりませんが。
 しかし、直接こういうシーンを観ると感激しますよね(*^_^*)。

[アメリカ本土の野球]
 おお、いいですねえ。
 ♪Take me to the ball game……♪って聴きました?
 羨ましいなー。やっぱり本場ですからねー。
 ぼくも行ってみたいですよ。

 あ。オリンピックのサイトを観られてしまいましたかf(^^;)。はは。

回答

 

回答者:nozomi500 28で、男子バレーミュンヘン五輪「日本-ブルガリア」戦で、「島岡・深尾などの若手をあきらめて」と書いたのですが、記憶を紐解いていくと、たしか、マッチポイントから、ブロックで決勝点をあげたのは島岡選手だったかな。ブロックがきまって相手コートにボールが落ちたのをみて、転んだままで喜んでいた・・。
それにくらべると、決勝の「東ドイツ」は、相手ボールの返球がコートの後ろに落ちて幕切れだった。

しかし、どっちの試合も、「ラリーポイント」だったら負けていただろうなあ。
回答日時:2002/01/30 09:21
回答番号:No.44
この回答へのお礼 nozomi500さん、ありがとうございます。

うーん、この辺りの詳細は全然覚えてないですねえ。
ズラタノフとかズラタナフとか言う選手が居ましたね。
うーん、決勝の敗戦もこんな感じで負けちゃったんですね。

「どっちの試合も、……負けていただろうなあ」
逆転が難しいという話のあるルールがありますが、
実際はどうなんでしょうねえ?
サービス権の取り合いっていうのも、結構面白かったんですが(*^_^*)。

回答

 

回答者:noname#1913 野球ネタで。

契約更改もすんで年が明けたのに
いきなりオリックスにトレードに出された
阪神の野田。

  2ー1
  3ー2

などで、負けが続いていたが
夏、やっと勝利投手になったとき
マウンド上で、ガッツポーズをしていたのを
思い出すなあ。

僕は、優勝が決まったのかと思いましたよ。
嬉しかっただろうなあ。ははは。

我慢して使い続けた土井監督の心労も
報われたというものでしょうねえ。

そうそう、長谷川も同じように
なかなか結果が出せずにいたなあ。夏まで。

僕は、土井監督の気持ちを考えると
じーんと来る物がありますねえ。

イチローを使わなかったと言われていましたが
僕は、彼は、名将といってもいいと思いますねえ。



  ●ははははは。

  この回答を、6回ほど読み返しましたよ。
  些細な変換間違いを
  指摘されては敵いませんからねえ。
回答日時:2002/01/28 22:21
回答番号:No.43
この回答へのお礼 lonewolfさん、いつもありがとうございます。

[野田]
 オリックスに入って活躍してましたね?
 阪神も何で放出したんでしょうねえ?
 でも、最初移籍の時にダイエーに行きたいと言ってましたが、
 オリックスで正解だったかも知れませんよね。

 野田はいつでしたかねえ?
 日本新記録の奪三振記録18か19(多分(*^_^*))というのを打ち立てましたよねえ。
 オリックス時代の優勝した年かなあ?
 引退が残念ですね。
 
 長谷川もエンゼルスで頑張っているじゃないですか?
 まだ移籍してないですよね?

[土井監督]
 そうでしょう。イチローの初年度は2割も打てなかったし、
 18才か19才ですからねー。
 やはり、監督と選手というのも相性なのかも知れません。
 我慢して投手を使うというのも大変ですよ。
 責任は投手ではなく、監督ですからねえ。

 ぼくなんかも変換ミス、記憶ミスだらけです。
 細かい事は気にしないで、楽しくやっていきたいですね(*^_^*)。
 

回答

 

回答者:noname#1744 こんにちは。
みなさんの回答もたくさんありますね(^0^)
私もたくさんあるのですがピックアップして(^m^)
極端に個人的な意見がありますが、すみません。


【ダイエーホークスの優勝】
書かれていましたが私も同じくこの優勝シーンに
涙した一人なので書かせていただきます。
99年の優勝の時は小久保、城島の男泣きに、
2000年は藤井の代わりに胴上げに加わったハリーに、
さめざめと感動でした。
今年こそはまた同じ・・・いや、さらに感動の優勝シーンを
見たいと思います!!


【初めてのプロ野球】
プロ野球繋がりです。
去年、愛するホークスの試合を観に東京ドームに行きました。
実は野球の試合を生で観るのは初めてだったんです(*^-^*)
ドームは広いし、選手は思っていたより大きいし、
投げるボールも速い。
おまけに城島のHRも観れました。
とにかく、とにかく、感動しました!!
あまりに感動したので自慢したくなったぐらいです。
試合を実際に観戦することは、何にも代えがたい感動がありました。
また観に行きたいでーす(^-^)v


【ロベルト・バッジオのPK】
94年のワールドカップ決勝。VSブラジル。
0-0でPK戦にもつれこんだ試合でした。
ブラジルは1人、イタリアは2人外して、
バッジオはイタリア5人目のキッカーで登場しました。
外せばブラジルが優勝。
バッジオの蹴ったボールは真中。ゴールの上へ飛んでいってしまいました。
泣くでもなく、その場に倒れこむでもなく、
外した直後にうつむいてしまったバッジオ。
ちょうどカメラは彼の背後から映していたんですが、
イタリアサッカー界の苦労人の後姿は痛々しかったです。
イタリアサッカーファンの私としては思い出したくないシーンですが
W杯がくると必ず思い出して泣きそうになります。
今年もイタリアチームはバッジオを出すかどうか!?なんて
騒いでいますが、是非!是非!復活してあの時のリベンジを
果たして欲しいです!
回答日時:2002/01/28 18:12
回答番号:No.42
この回答へのお礼 missbutterflyさんもご無沙汰ですね。ありがとうございます。

[ダイエーホークスの優勝]
 贔屓の球団や選手が優勝すれば嬉しいものです。
 やはり、感情が入ってしまいますからねえ。
 今年も是非優勝して、一緒に泣いて下さい。

[初めてのプロ野球]
 初のライブでしたか?
 うーん、見応えは充分だったでしょう?
 プロはやっぱりスピードが違いますよね。
 それに、初めて観戦した試合で、城島のホームランが観られた
 というのは僥倖でしたね?
 で、この試合はダイエーが勝ったんでしょうか?

[ロベルト・バッジオのPK]
 バッジオが外した試合だったんですねえ。
 この世紀の一戦に。
 「外した直後にうつむいてしまったバッジオ」
 というのが何ともリアルです。
 がっかりですねえ……。
 彼にとってはこのミスキックがまだトラウマになっているんでしょうか?
 是非、ブラジルに一矢報いて欲しいですね。

回答

 

回答者:matilda こんにちは。
相変わらずcoyoteさんの質問は賑わってますねぇ。

考えるとたくさん出てきそうなネタなのですが、まずは・・・

『シンクロナイズドスイミング』
'88のソウル五輪で小谷実可子さんと田中京さんがデュエットで銅メダルを取りました。
当時シンクロについてほとんど知識がなかった私は、プールで泳ぎながらあんなに色々なことを表現できるなんて・・・と偉く感動したことを覚えています。
そして、確かその年に、新聞がカラーになったのですが、銅メダル獲得の翌日の新聞に二人が抱き合って喜ぶカラー写真が掲載されました。それを見てさらに、「キレイ!カッコいい!」と感動しました。

もう一つはまだ記憶に新しい昨年福岡で開催された世界水泳でのシンクロです。
日本はチームで金メダルを獲得しました。その演技はもちろん感動的だったのですが、普段滅多に選手を誉めることなく、シドニー五輪の結果にも不服そうだった井村コーチが満面の笑みで拍手をして選手を誉めたことと、選手全員が満足そうな表情だったことが特に印象に残っています。
回答日時:2002/01/28 17:05
回答番号:No.41
この回答へのお礼 matildaさん、何だかご無沙汰しておりますね。ありがとうございます。

[シンクロナイズドスイミング]
 あ、ソウルオリンピックなんですねえ。
 こんなに前だったとは。
 ぼくは、残念ながら、「小谷実可子」しか覚えてないんですf(^^;)。
 新聞がカラー写真になったのは、この年だったんですねえ。
 うーん、まったく記憶が消えています(*^_^*)。

[世界水泳でのシンクロ]
 これは、ぼくは見てないんですが、井村コーチに褒められたら、
 選手も嬉しいでしょう。
 シドニーオリンピックのドキュメントとかを見ましたが、
 もう鬼コーチでしたからねえ。
 しかし、世界大会で金メダルとは凄いですね。
 オリンピックでも日本の時代が来そうです(*^_^*)。

回答

 

回答者:nozomi500 私もひまだなあ。
「栃東優勝」のニュースからの記憶。
お父さんの「先代栃東」が優勝したのがやはり初場所。このとき、10勝4敗の栃東は千秋楽に9勝5敗の大関・清国と対戦。負ければ清国に並ばれるだけでなく、10勝力士が7人並びかねない状況だったので、協会はほっとしたでしょう。(ヤジウマとしてはそういう優勝決定戦も見たかった?)

「藤ノ川」は、伊勢ノ海親方になりましたね。彼もおしいところで優勝を逃したのですが、優勝した清国も、ケガに泣いてその後優勝していない(新大関で優勝・横綱も近い、といわれていたけど)から、お互い様(そういうモンじゃないだろう)かな。
(※清国って、みなさん印象にのこっているんだ)
「北の富士」の「かばい手」も実況でみていましたが、あれは貴ノ花の「投げ」が有効じゃなかったかと・・。
白熱の試合の一方で、「琴桜-大麒麟」など「無気力相撲」もいわれました。琴桜がのちに横綱昇進したことを思うと、清国は不運だったなあ。
千代の富士が貴花田に敗れて引退決意、というのは有名な話ですが、じつは、千代の富士が最後に戦って敗れたのは、貴闘力でした。(北の湖の最後の相手が多賀竜、ってのも印象的になあ・・。せめて千代の富士だったら。)

「箱根駅伝」で、早稲田の櫛部くんがフラフラしながら次走者にタスキをつないだのは、アンデルセン以上に熱が入りました。団体競技ですね。

野球で、広島カープ初優勝の年。日本シリーズでエース・外木場が力投したんだけれど引き分けになった試合。

スケートで、リレハンメル五輪、女子5000m。山本宏美選手が小幅のピッチをきざんで3位にはいりました。「女王」グンダ・ニーマン(ドイツ)が優勝を逃して2位。本心のところは悔しかったのかもしれないけど、2人のメダリストの手を取って観客の声援にこたえていました。山本さんも重病を克服してのオリンピックでしたね。

ところで阪神の「湯舟」の字がちがってません?
回答日時:2002/01/28 10:17
回答番号:No.40
この回答へのお礼 nozomi500さん、連発ですねえ。ありがとうございます。

[先代栃東]
 へー、そうでしたか。同じ初場所。
 うーん、感慨深いですねえ。

[藤ノ川]
 お。やっぱり伊勢ノ海親方でしたか(*^_^*)。
 この力士は優勝してないんですねえ。
 ぼくは一度優勝しているもんだと思ってました。
 いい加減な記憶ですf(^^;)。

[箱根駅伝]
 権太坂で歩いた時でしたか?いつの事でしたかねえ?
 うーん、10年くらい前ですか?

[広島カープ初優勝]
 これは全然記憶から飛んでますねえf(^^;)。

[山本宏美選手]
 頑張りましたよねー。5000mではこの人が最初のメダリストでしたか?
 
[湯舟]
 ありゃ、まあ変換ミスでしょう。
 ミスは逃しませんねー。

回答

 

回答者:shino911 何度もシツコクてすみません(^ ^;)

>nozomi500さん
鷲羽山は現出羽の海親方だったんですね。私としたことが基本を外しておりました。
ありがとうございました。
小兵力士といえば、「藤の川」という、よくあれでお相撲さんになれたなあというくらい小柄な力士がいました。おぼろげな記憶ですが、清国が優勝した場所で、優勝決定戦の相手がこの藤の川だった時があったような…(←かなりいい加減な記憶)

ハイマンについてちょっと調べましたところ、彼女は82年に発足したダイエー女子バレー部へ入部。86年1月13日、第19回日本リーグでダイエーは88連勝中の日立と対戦。その試合中に彼女はベンチで突然倒れ、そのまま帰らぬ人となったようです。
彼女の死因はマルファン症候群(多くは遺伝によるもので血管や骨格などに異常のでる結合組織の病気)による大動脈解離だったということです。

【身びいきネタ】
昔、現オリックスが「阪急ブレーブス」だった頃、山森雅文という外野手がいました。
彼は熊本工業出身で、2年生の時甲子園にレギュラーで出て、ベスト8まで進みました。
卒業後、ドラフト指名で阪急に入団。三年目くらいで一軍に上がり、試合にも出るようになりました。
で、今から20年近く前、相手チームは忘れましたが、彼がレフトを守っていた時、ホームラン制の打球が飛んで来ました。普通だったら完全にスタンド入りする打球でしたが、彼はなんと、フェンスの一番上までよじ登り、体を大きく伸ばして打球をダイレクトキャッチするという超ファインプレーをやってのけました。
彼のこのプレーはアメリカでも絶賛され、野球博物館(日本ではなくアメリカの、というところが凄い)で今もその写真が展示されているそうです。
私の中では、野球人としては川上哲治に次ぐ郷土の誇りです。
回答日時:2002/01/27 17:56
回答番号:No.39
この回答へのお礼 shino911さん、ありがとうございます。

[藤の川]
 伊勢ノ海親方ですよねえ。高見山に勝った一番を覚えていますねえ。
 細かい事は忘れたんですが。

[ハイマン]
 そうそう。試合中に運ばれて行きましたよねえ。
 うーん、突然の事ですからねえ。
 言葉もありません。

[山森雅文]
 おお、このプレー覚えてます。
 あれはホームランでしたねえ。
 相手もどこか忘れてしまいましたが、覚えてます。
 阪急の福本も同じようなプレーをしてましたねえ。
 阪急の伝統なんでしょうか?

回答

 

回答者:nozomi500 やっぱり出てきました。相撲ねた。
鷲羽山(現・出羽の海親方)-高見山(現・東関親方)戦で、つられた鷲羽山の体は完全に「土俵の外」にあったのに、下に降ろす時に、鷲羽山の足は土俵の中。一瞬気の抜けたところを回り込まれて、高見山はおしい星を落としました。
これ以後、北の湖が「すでに土俵を割っている相手を更に押す」のを非難する人は間違いだ、と思いました。
張りあい、といえば、「麒麟児-富士桜」ですね。お客さんもそれしか期待していないから、組みにいこうもんなら、ブーイングまちがいない。
「長谷川」ねえ、うまくいけば大関になれたかもしれなかったですね。

No.34で、アメリカのエースアタッカーは「ハイマン」。日本の実業団(ダイエーだったか?)で活躍中になくなったのでしたっけ?
女子バレーで、「江上」さん時代の私の好みは「森田」さんですね。

あと、ゴルフで、中島常幸が、全英オープンでバンカーにつかまって「11」(?)たたいた試合。彼がこの試合に出ず、国内とアメリカだけでたたかっていたら、いまごろジャンボ尾崎も目じゃない成績を上げられているだろう・・かな。あれ以後、彼のスタイルが変わって、勝利数がへっちゃった。
回答日時:2002/01/27 11:02
回答番号:No.38
この回答へのお礼 nozomi500さん、たびたびありがとうございます。

[鷲羽山-高見山戦]
 へー、こんな一番があったんですねえ。
 まったく油断も隙もないですね。さすが鷲羽山。

[麒麟児-富士桜]
 ああ、張り手合戦で盛り上がってましたよねー。
 ところで、細かいようですが、「富士櫻」では(*^_^*)?
 
[中島常幸]
 あーあー、あの名前と同じトミーズバンカーに捕まった時ですか?
 へー、これ以降スタイルが変わったんですねえ。
 知りませんでした(*^_^*)。

回答

 

回答者:pfm No.#11で回答したpfmです。最後に「プロレス、サッカーに続くかも」としたのですが反応がなかったのでやめようかなと思ったものですが、拒否されたわけでもないのでやって来ました(^。^) でも相撲にしてもプロレスにしても試合そのものはあまり覚えてないのよね~
「相撲」
まずは小錦と千代の富士との初対決。うーん、今観ても千代の富士簡単に飛ばされ過ぎ!!いくら筋肉の鎧を身にまとっても元々の身体が小さいとダメですね。
http://www.sumo.or.jp/museum/retsuden/ozeki/koni …
そして貴花田と千代の富士の唯一の対決。この頃にはさすがに千代の富士の力の衰えを感じますね。なんか自分の千代の富士嫌いを再確認してしまいました(^^ゞ 
しかしこんなもんあるとは知りませんでした↑↓。
http://www.sumo.or.jp/museum/retsuden/shobu/requ …
「プロレス」
これは相撲以上に試合内容を覚えていない(-_-メ)印象的なのは試合の前後だったりするのがプロレスらしいところです。当時単なるガキだったぼくにとってはプロレスとは土曜日夕方のの全日本プロレスでした。その日は学校で疲れたのかうとうとしながら観ていた世界最強タッグ決定リーグ戦、対戦相手は忘れましたがブルーザー・ブロディとジミー・スヌーカーが闘っていたはずです。テレビから聞こえてきたのはスタン・ハンセンの名前、「そんなわけはない、ハンセンは新日本だろ」ぼくはまだ夢の中にいたと勘違いしていましたが、そこにはたしかにハンセンの姿がありました。思えばこれがハンセン・ブロディの最強コンビの誕生でした。
「サッカー」
サッカーと言えばジョホールバルという人も多いでしょうが、個人的にはドーハとマイアミです。どうやらぼくは何かが欠けているチームの方が思い入れが強いようです。93年のチームは右サイドに、96年のチームはフォワードに弱点がありました。
1993/10/21 ドーハ。このときのラモスの「ウソ、入ったの?」という表情と中山の「なんだよも~」という表情は忘れられません。思えば先制ゴールも取ったし、ぼくらにも絶対に大丈夫だと言う根拠のない自信があったように記憶していますが、いけないことですね。5年後のW杯でもそれは変わりなかったことが敗因の一つだったかもしれません。
1996/8/21 マイアミ。これは徐々に興奮してきました。「いいのかブラジルこのままで」と思いながら観ていました。リバウドやロベルト・カルロスもいたんですよ。日本にとってラッキーだったのはかの怪物ロナウド(当時ロナウジーニョ)をスタメン起用しなかったことでしょう。でもこのチームの弱点はFWの得点力不足で結局FWの得点はなし。また今から思うと勝負のためにはやはりオーバーエイジが必要だったはずで、年齢の近かった名波、岡野、森島あたりがいたらもう少し上に行けたかも(中田の出番は減ったでしょうけど)。でも優勝チームと3位のチーム(つまり組み合わせとしてはこれ以上厳しいものはない)の組でしたから仕方なかったかもしれません。
回答日時:2002/01/27 04:15
回答番号:No.37
参考URL: http://www.sumo.or.jp/museum/retsuden/ozeki/konishiki.html
この回答へのお礼 pfmさん、失礼致しました。ちゃんとお礼の中に反応すべきでした。
ご勘弁のほどを<(_ _)>。

[相撲]
 「小錦と千代の富士」「貴花田と千代の富士」
 こんな画像が見られるんですねえ。びっくり。
 ぼくは、千代の富士は好きだったんですよ(*^_^*)。
 
[プロレス]
 プロレスはあまり詳しくないんですが、「ハンセン・ブロディ」って、
 馬場・鶴田組と戦ってましたよね?
 ハンセンのウエスタン・ラリアートがどかんどかん炸裂してました。
 そのくらいしか覚えてません(*^_^*)

[サッカー]
 「ドーハの悲劇」と「マイアミの奇跡」ですね。
 ぼくは、ドーハの方に思い入れがありますねー。
 そうそう。「中山の『なんだよも~』という表情には、
 感情移入してしまって、深夜に呆然としてしまいました。
 イラク戦の前にあった韓国戦で3-0で勝った時は、
 もう間違いないと思ったんですが……。
 しかし、深夜に一喜一憂した試合でした。

回答

 

回答者:shino911 誰も書かないから次あたり書こうかと思ってましたが、
やっと出ましたねえ。そう、日本人ならやっぱり大相撲!

私の最も印象的な一番は、昭和47年の初場所、8日目の北の富士VS貴乃花(もちろん先代)戦です。
北の富士は土俵際外掛けを浴びせ、貴ノ花は大きく反り返り、 北の富士は貴乃花の体が潰れると踏んでか右手をポンと土俵に着き、 次いで貴乃花の体が潰れました。行司軍配は貴乃花に上がりますが、すぐに物言いがつきます。審判の間では、先に土俵に着いた北の富士の手が「かばい手」か「着き手」かで意見が分かれ、延々5分間の協議の末、結局北の富士の勝ちとなりました。行事の木村庄之助は差し違えで出場停止を言い渡され、場所後、辞表を出しました。
この場所は、今場所活躍した栃東関のお父さん、先代栃東が平幕優勝を果たしました。
あと、個人的に好きだったのが、鷲羽山(わしゅうやま)という小兵力士がいて、なんと初日から7連敗の後8連勝して勝ち越しを決めるというスゴイことをやってました。昭和50年前後くらいだったと思います。
清国とは、またチョー懐かしいのが出ましたね。長谷川なんてのもいましたね(あれ、これ前に別の回答に書いたような…)


では、おまけの変化球ネタを。

【珍名あれこれ】
ロシアや北欧の選手には、名前が、日本語的に読むと結構面白いのがありますよね。
たけしのギャグで「 コマネチ」と並ぶ、ロシアの体操選手「ディチャーチン」(^ ^;)、それから、バルセロナ五輪の時に、やはりロシアの「リュウキン」という、思わず赤と白のまだら模様を連想してしまいそうな選手がいました。

最近一番ウケたのが、原田の大泣きに日本中が感動した98年の長野冬季オリンピック、同じスキージャンプで、フィンランドの「アホネン」という、坂田利夫が出てきそうな選手がいました。
これでファーストネームが「ワテワ」だったら、吉本興業が黙ってなかっただろうなぁ…(^_^)

名前といえば、昔の高校野球の審判に「だるま」さんという方がいました。確か「達間」と書いて「だるま」と読む方だったと記憶してます。アナウンサーが「球審は、だるまさんです」と言うのを聞いていつも笑ってました。
また、同じ高校野球の審判で、苗字が「西大立目(にしおおだちめ)」さんという方がいました。苗字だけで私の姓・名より文字数が多いんです。これで下の名前が「彦三郎左右衛門之助」とかだったら、さぞ右手が疲れることでしょうねぇ (*^_^*)
回答日時:2002/01/26 21:38
回答番号:No.36
この回答へのお礼 shino911さん、お忙しい中、ありがとうございます。

[北の富士VS貴乃花]
 ああ、ありましたねえ。この一番は、ここまで細かく覚えていないんですが、
 貴乃花の身体が異常に柔らかいなあ、と思った一番でした。
 そうでしたか。「差し違え」だったんですねえ。
 貴乃花といえば、この一番と小結だか前頭筆頭で大鵬を破った一番が
 ぼくには印象的です。
 で、「栃東が平幕優勝」でしたか。
 何だか歴史を感じますねえ(*^_^*)。

 鷲羽山居ましたねえ。
 一度、若い力士に張り手を食らって、もの凄い勢いで激怒してましたが、
 相手は誰だったんでしょう(*^_^*)?
 
 清國。おお、懐かしい。
 右四つが強くて、突っ張りをやられると、何故かへろへろでした。

 [珍名あれこれ]
 うーん、色んな名前がありますねえ。
 この中では、「だるまさん」しか記憶にないですf(^^;)。
 ちょっと感動したスポーツシーンから離れるので、
 ここのコメントはこの辺で(*^_^*)。
 というか、知らないので展開出来ないんですがf(^^;)。

回答

 

回答者:noname#1422 やっぱりこっちにきてしまいます。

大相撲。

千代大海と武双山の張り手合戦。凄かったです。土俵を降りたら仲良しだそうですが、どうも信じられません。お互い「このやろ!」って顔してどつきあってましたからねえ。これもたしか流血の惨事でしたよね。勝ったのは…えっと、武双山に一票!
ちょっと余談。
好きだったのは先代貴乃花、現二子山親方です。クンロク大関などと悪口を言われてましたが、体格のハンデがありながら土俵際で爪先立ってこらえてアンコ型の力士をうっちゃる姿は悲愴感もアリで感動ものでした。ライバルとされていた輪島とは五分の星ではなかったでしょうか。
相撲取りの肌は美しい、というのはよく聞く話ですが、双ツ竜という力士の尻はたるんでいてデキモノだらけでとても汚かったなあ、というのが印象に残っています。そのうえ北の湖以上にデカかったし。彼が勝った場合、「ああ、相手の力士は身体が触れるのがイヤだったんだろうなあ、仕方ないよ、うん。」と同情して見てました。大鵬だとか清国などというのは綺麗なお相撲さんでしたねえ。荒勢というお相撲さんは、がぶり寄りという得意技がとてもエッチに見えて、親と一緒だとどうも正視できなかったです。

当代貴乃花。ずっと欠場してますが、最後の武蔵丸との相撲は凄かったですねえ。いつも冷静すぎてつまんなく見えていた貴乃花の、あの気合いのはいった表情!あの瞬間の為に日頃のクールさがあったのなら許す、というくらい感動しました。おおいに見直したので、このまま引退なんて事にならない事を願っております。

最後に、
[バース、掛布、岡田]
>これって、阪神が優勝した年でしたか?
当然です。そんな時でもなければこんな事が起こるわけがないのであります。ちなみに一番は真弓。我が福岡県は柳川のスターなのであります。湯船君もいたのであります。子持ちの新人だったのであります。池田や中西やキーオや山本和之くんなどがいて、佐野や北村や吉竹がいて、木戸もいたうえにショートは名手平田なのだから優勝しないわけがないのであります。

バレーの広瀬は広瀬美代子さん。ユニチカの選手だったようです。ちょっと調べてみたら案外大人気!これを知らないのはマズイかもしれんですよ、coyoteさん。しかし、体操に野球にアイスホッケー、coyoteさんってほんとに凄いなあ。落書きも、チョーうまいし。いじいじ。

それから、nozomi500さん、仲間です。記憶違い仲間。私よりははるかにしっかりしておられる事は認めざるを得ませんが、まあ、プライドを捨てて私の仲間になって下されば嬉しいです。わはは。nozomi500さんの石井りえ、 shino911 さんのセッターの小川、なんてのを思い出せないところが私の悲しいところです。知ってるはずなんだけどなあ。野村美枝子はサウスポー、というのには賛成!ちなみに私もサウスポーです。…関係ない?
回答日時:2002/01/26 18:53
回答番号:No.35
この回答へのお礼 okanouenobakaさん、ご回答重ねてお礼申し上げますよ。

えーと、相撲の世界に来てしまいましたか(*^_^*)。
では、ちょっと私見を。

相撲をスポーツの領域に入れるのは、少し抵抗があるんですね。
スポーツではない。と断言出来るような根拠がそんなに強い訳ではありませんが、

・儀式性が強い
・他のスポーツには類のない襲名性
・ルールの問題(基本的に同門では戦わないとか)
・スタイルの異質性
・徒弟制度(部屋の入らないとプロになれないとか)

こういう点が他のスポーツと違うなあ、と思って、ぼくは書かなかったのですが、
でも、盛り上がるので、ぼくも参加しちゃいます(*^_^*)。

「千代大海と武双山の張り手合戦」は壮絶でしたねえ。
豪快なビンタですからねえ。もっと仲良くしてもらいたいものです(*^_^*)。

「先代貴乃花」が千代の富士に負けて、引退を決めたという一番と
「当代貴乃花」が千代の富士に勝って、引導を渡した一番は、
よく比較されていましたが、千代の富士の(ああ、負けちゃったなあ)
という顔が非常に印象的でした(*^_^*)。

「綺麗なお相撲さん」の仲間には、若三杉も入れて欲しいです(*^_^*)。

「荒勢」は、参院選にも出馬してましたが、うまくがぶり寄れたんでしょうか?

あ。阪神が優勝した年だったんですねf(^^;)。
大変失礼致しました<(_ _)>。陳謝陳謝。
大変なメンバー揃いですね。夢よ、もう一度。というところでしょうか?

で、広瀬はユニチカでしたかf(^^;)。
いやあ、いい加減な事ばっかり書いてます。
落書きに向いているんでしょうか(*^_^*)?
記憶違い仲間に入れて下さい。

回答

 

回答者:shino911 新しい御質問の方も賑わってることだし、こちらの方はそろそろお終いかな、
と思ってこれを最後にしようかと思ってたんですが、
もしまだOKなのでしたら、ネタ小出しにしようかしらん(^_^)

で、ちょっと横レスお許し下さい。

>tenten7さん
「ロウヘイ」は「郎平」ですね。中国語読みは「ラオピン」。なんか麻雀の役みたいですが(* *)。80年代中頃に活躍した中国の女子バレーのエースアタッカーでした。郎平と聞いて思い出すのが、同時期に活躍したアメリカの長身選手で、若くして亡くなった「ハンマン」という選手です。「クロケット」と並んで当時のアメリカ女子バレーのエースでした。

>okanouenobakaさん、nozomi500さん
中山律子、懐かしいですね~。「さ・わ・や・か・律子さん~」というシャンプーのCM、今でも焼き付いてます。

で、おそれ多くもcoyoteさんにツッコミを。
広瀬と同時期に活躍したのは「江田」ではなく「江上」ですね。
当時、友人たちの間では「広瀬ファン」「三屋ファン」「江上ファン」の三派に分かれていました。
私は、う~ん、セッターの小川かな(*_*)


きっと誰か書くだろうと思ってましたが、やはり出ましたねえ。ミュンヘン五輪の男子バレー。
準決勝のブルガリア戦はホントに奇跡の大逆転勝利でしたね。
試合後、190センチを超える大男たちの大泣きする姿が印象的でした。
おっと、涙といえば「鬼の目にも涙」と言われた、64年の東京五輪の女子バレー「東洋の魔女」を率いた、鬼の大松こと大松博文監督を忘れてはならないでしょう。
しかし、日本男子バレーはミュンヘンを頂点として、その後凋落の一途をたどっているのが残念でなりません。

お礼がホントに大変でしょうが、もしまだOKであれば、お望み(?)の変化球ネタで、次回お伺いします。
回答日時:2002/01/26 14:42
回答番号:No.34
この回答へのお礼 shino911さん、一般投稿、補足といろいろありがとうございます。
助かってますよ(*^_^*)。

えーと、ここはまだ受け付けますよ。
あ。中山律子はシャンプーのCMでしたかf(^^;)。

それと、「江上」でしたか。そうでしたそうでした。
訂正ありがとうございました。
しかし、小川の顔は浮かんで来ないですねえ。

男子バレーは、どんどん世界から置いて行かれているような気がしているんですが、
何とかこのミュンヘン時代のような感動をお願いしたいものです(*^_^*)。

という事で、お礼は少々遅くなるかも知れませんが、
受付はしてますので、よろしくお願いしますね。

回答

 

回答者:nozomi500 どわーっ!
やっぱり女子マラソンは、東ドイツの選手でした?(優勝したのがイワノワだったっけ・・、これもいいかげんな記憶)
okanouenobaka様には、よけいな間違いを教えちゃって申し訳ありません。
しかし、東ドイツといやあ、ドーピング大国だったといわれているのですが、レース本番に生理、なんて、人間臭い選手もいたんですね。そういう意味で感慨深い・・。

中山律子さんもはやりましたね。(とちゅう「りつ子」とひらがなにしていた時期ありました)並木さんの「パーフェクト」のゲームもTVでみました。7か8フレームめぐらいで、最後に1本(2本だったかも)残った、と見えたのが、カメラが並木さんのがっかりした(?)表情を映している間に倒れて、(あわてて、たおれたピンのほうにカメラが向いている間に、並木さんの顔がどう変わったかがみたかったなあ)、「ツキ」を感じさせる場面でした。野村さんはサウスポーでしたかね。あと、美人ボウラーといわれた石井りえさんとか。
回答日時:2002/01/26 11:32
回答番号:No.33
この回答へのお礼 nozomi500さん、ありがとうございます。

いやあ、記憶違いがあるくらいが「人間臭」くていいですよ(*^_^*)。

中山律子は、名前をひらがなにもしていたんですか。
よくご存知ですねえ(*^_^*)。
この「パーフェクト」のゲーム模様も、石井りえさんも覚えてないです。
しかし、よくご存知です。恐いくらい(*^_^*)。

回答

 

回答者:noname#1422 もうひとつの難問への回答を考えていたら頭がプスプスいって煙が出てきました。パーマがかかって有り難い事です。明日の朝にはパパイヤ鈴木あたまになっている事と思われます。

くっそー、はがいー。

で、またお茶を濁しにやってまいりました。現実逃避ともいいます。いいおっさんがこんな夜中まで何をやっているのでしょうか。

いまはKー1で盛り上がってますが、私の子供の頃にはキックボクシングというのが大人気でした。スーパースターは沢村忠。真空跳び膝蹴りというのが必殺技で、いつ出すの?と必死でテレビにかじりついてました。チャチャイ・クチャイクチャイみたいな名前の本場のボクサーを相手にしない圧倒的な強さに惚れ惚れしていたのですが、ある日、アゴをほんのすこしかすめただけのようなヘロヘロパンチで沢村はヘロヘロのしおしおになってギャグのようにダウンしてしまいました。唖然…。カリスマのようなヒーローの超かっこわるい姿に受けたショックは大きかったですねー。キックボクシング熱は一気に醒めて、その後ロッキー藤丸というギャグ満載(闘志の表現であり、当人はフザけてなどいないのだけれど)のボクサーが登場するまではテレビ中継にも熱中できなくなってしまいました。ロッキー藤丸のスピリットは確実に辰吉丈一朗に受け継がれていると思います。

ボーリングも昔猛烈に流行りましたよね。中山律子さんが大人気!実力派は須田かよ子と並木なんとかさん。恵美子だったかなあ。で、アイドルが野村美枝子さん。可愛いかったなあ。まちがえて一回くらいパンツが見えるんじゃなかろうか、と、これ以上ない集中力でもって投球動作を見つめた結果、勉強した事はキュロットスカートの存在。てめー、半ズボンのクセしてミニスカートのふりしてんじゃねー!と怒り心頭だったのは言うまでもありません。

・・・ん?昔話はおよびでない?こりゃまた失礼いたしました、っときたもーんだ。
回答日時:2002/01/26 02:06
回答番号:No.32
この回答へのお礼 okanouenobakaさん、ありがとうございます。

okanouenobakaさんともあろう方がどうしたんですか?
難問なんて言わないで、どんどん来て下さいよ(*^_^*)。

[沢村忠]
 おおっ!満州生まれのキックの鬼!我らがヒーローでしたねー♪
 この人の名前が出てくるとは思いませんでした。
 うーん、目の付け所が違います。
 この人自身が歌っていた『キックのあけぼの』が好きでした。
 ♪鬼が~リング~で、見た……♪(このくらいならいいでしょ?)
 うーん、久しぶりに頭の中で沢村が歌を歌ってます(*^_^*)。
 本当に久しぶり~~~~。

 ロッキー藤丸。居ました居ました。リング上で宙返りをしてましたね。
 ぼくは、富山勝治を思い出します。
 「富山ぁ~勝ぅ~治ぃ~」とリングアナウンサーがコールした時の恐い顔恐い顔。
 
[野村美枝子さん]
 ぼくが覚えているのは、中山律子と並木恵美子ですが、
 この「野村美枝子さん」は思い出せませんf(^^;)。
 中山律子は♪律子さん~ 律子さん~ なっかっやっまっ律子さん~♪
 でしたが、これ何のCMでした?シャンプーかなあ?

回答

 

回答者:noname#1768 coyoteさん、今晩は~♪

あ!igmpさんに、先を越されてるー!悔しいよん"(ノ_・、)"

なんてね~♪(*^m^*)

他のネタで勝負だ~♪(いつから勝負事になったの?うふん♪)

【鈴木大地】

バーコフを手玉に取ったあの作戦。や~ん♪しびれちゃう。でも、今は何だかオカマさんのようになっちゃって。ちょっと拍子抜け~♪

【名前が出てこにゃい・・・】

ロウヘイって、アナウンスされていたような記憶が・・・。やあん、うろ覚え。中国の女子バレーの選手です。子供の頃に見たんだけど、「この人、すごーーーい!!!」って、ただそれしか憶えていないの。えへっ♪

【F・ジョイナー】

ファッションもそうだけど、凄い人だったんだな~♪って、今も思います。だって、まだ、記録は破られてないんでしょ?31才の若さで、お亡くなりになられて、本当に残念でした。

やあん。しんみりしちゃった。

そうそう、みなさまのご回答を拝見させていただいていて、また1つ間違いを訂正できたわ~♪ということがあったの。

nozomi500さんのご回答の中の1つ
> ロス五輪、柔道。
> 「山下-ラシュワン」(決勝戦)

私、ずっと、この試合は準決勝だったと思い込んでいて、しかも、相手の名前を覚えていなかったの(エジプトの人としか・・・えへへ~♪)。わお♪そうだったのか~♪って、何だか、ニコニコしてしまいました。nozomi500さん、どうもありがとう♪

ではでは♪

チャオ♪
回答日時:2002/01/26 00:54
回答番号:No.31
この回答へのお礼 tenten7さん、いつもありがとうございます(*^_^*)。

[鈴木大地]
 このバサロは、チャレンジでしたねえ。
 バーコフもポリャンスキーもあのバサロには歯が立たなかったですねえ。
 余談ですが、鈴木大地の体脂肪は5%ですよ。5%。
 憧れてしまいますf(^^;)。
 で、「今は何だかオカマさんのようになっちゃって」るんですか?
 へー、一度見てみたいですね。遠くから(*^_^*)。
 バサロな感じで、全身をくねらせて歩いているんでしょうか?

[郎平]
 shino911さんから、解説があったので助かりました(*^_^*)。
 バレーのネットの高さは、2m40cmくらいありますが(オリンピックのは?)、
 郎平がスパイクを打とうとすると、腹くらいまでネットから
 出ている感じでしたねえ。凄い選手(*^_^*)。
 絶妙の人選です。さすが~。
 
 
[F・ジョイナー]
 そうそう。「記録は破られてない」と思いますし、記録の樹立もそうですが、
 走っている時に勝利を確信して微笑んでましたねえ。
 余裕(*^_^*)。全力で走っていたら、10秒も切ったのでは?
 なあんて思いましたけどねえ。
 しかし、彼女の陰に隠れて、いつも負けていたマーリーン・オッティが
 思い出されます(*^_^*)。

 「1つ間違いを訂正できたわ~♪」
 そうですよねえ。ぼくは訂正しっぱなし(*^_^*)。 
 プラス何も知らない事ばかり。
 「湯船」の話も失礼致しましたf(^^;)。

 オリンピック編でも、いい人選してきますねえ。

回答

 

回答者:igmp 3回目です(^_^;)(^_^;)(^_^;)。

いやー、相変わらず賑わってますねぇ。
うっ、3回目で回答No.が30?? ひょっとしてひょっとして・・・

さて、今までオリンピックネタばかりだったので、気分を変えて、今回もオリンピック。
#24のtenten7さんの最後の言葉が気になって、先を越されないうちにと(なことないか)。


【アトランタオリンピックの男子サッカー日本代表】
日本のサッカーがあのメキシコ大会以来、28年ぶりにオリンピックに出場!
これ最高に嬉しかったです。私の青春時代はいつもいつも惜しいところでその出場権を
逃し続けていましたから。
そんな日本代表が今じゃW杯出場、しかも今年は地元で! 夢みたいです。

で、本戦での感動は何と言っても、対ブラジル戦1-0での歴史的勝利!! 感動しました。

確かこの試合は平日の午前中に行なわれたかと思いますが、私はたまたま所用があり、
会社を休みました。前半の途中くらいまではテレビで見て、その後出かけたのですが、
移動中の電車の中のラジオであの伊東輝悦の劇的ゴール&勝利の瞬間のホイッスルを
聞きました。思わず「やったー!!!」と大声で叫びたかったし、同じ車両にいる人達全員
にこの感激を伝えてあげたかったのでしたが、さすがに・・・(^^;。

しかし、予選2勝1敗でなんでなんで決勝トーナメントに行けなかったの???
回答日時:2002/01/26 00:31
回答番号:No.30
この回答へのお礼 igmpさん、どうもありがとうございます。

この先、まだ感動のスポーツシーンが登場するんでしょうか(*^_^*)?
まだ沢山あるんですけどねー。
tenten7さんの機先を制したでしょうか(*^_^*)?

[アトランタオリンピックの男子サッカー日本代表]
 「28年ぶりにオリンピックに出場!」だったんですねぇ。
 これは、しかしよく守ったと思います。
 MFの服部が元気でしたねえ。
 溜飲が下がった試合です(*^_^*)。

 そうそう。城が持ち込んだボールを落ち着いて、
 伊東がさばいてゴールを決めたんですよね。
 興奮しました(*^_^*)。

回答

 

回答者:shino911 横からちょっと口出してスミマセン。

レース中に生理になっちゃったのは、85年の東京国際女子マラソンでの、
旧東ドイツのビルギット・ワインホルトという選手です。
彼女は最後までレースを諦めず、2位でゴールインしました。
当時はまだ東ドイツがスポーツ大国としてその厳然たる力を誇っていた時代で、彼女たちにとって国際大会で棄権することは同時に、生活を捨てることを意味したといいます。
あの時、新聞社では、翌日の新聞にその写真を載せるか否かで議論になったそうですが、結局、写真を掲載した新聞はなかったように記憶しております。

ショーターの野○ソは、73年の琵琶湖マラソンで、その時困ったのがテレビ中継のカメラです。その間、仕方なく第2中継車に画面を切り替え、アナウンサーが「さあ、一体何があったんでしょう?」なんて マヌケなコメントをしてました (*_*)
回答日時:2002/01/25 09:43
回答番号:No.29
この回答へのお礼 shino911さん、補足を沢山ありがとうございました。

全部ぼくが知らない事でしたので、大助かりでした(*^_^*)。
また助けて下さいねー、って、助けてもらってますね。
この後もf(^^;)。

回答

 

回答者:nozomi500 あてにならない記憶をひもといて。
「パンツ・・」は、旧ソ連の「イワノワ」だったか、「ツフロ」だったか、そのへん・・?
足が痙攣したのを、胸のゼッケンについていた安全ピンを抜いて「ハリ治療」でたちなおったのがツフロ選手だったかな・・?当時のソ連(EUN?)は、強豪選手が多かったので、名前を覚えていないのですね。その割にメジャーなチャンピオンがエゴロワしかいない。

ミュンヘンオリンピック男子バレーは、金メダルをとった決勝(東ドイツ戦)より、その前、準決勝のブルガリア戦でしたね。5セットマッチのうち2セットを連取され、3セットめも5点ほどリードされている。
ここで松平監督は、予選リーグで活躍していた島岡・深尾とかの若手、森田・横田とかの中堅をあきらめ、「試合に出ないキャプテン」といわれた中村選手と、「栄光のエース・ナンバー1」南選手を投入。猫田選手とあわせて、ベテランの意地で3セット連取して決勝に進みました。もしこれで3セットめをとられてストレート負けしてたら、3位決定戦で、(やはり準決勝で不覚をとっていた)当時世界王者のソ連にあたって、「メダルなし」に終わった可能性が高かったですね。
回答日時:2002/01/25 08:51
回答番号:No.28
この回答へのお礼 nozomi500さん、たびたびありがとうございます。

「ハリ治療」の選手は名前を忘れてましたf(^^;)。
旧ソ連の選手だったんですねえ。

[ミュンヘンオリンピック男子バレー]
 これは、深夜に観ていたんですが、ぼくは2セットを取られた後、
 (こりゃ、負けだあ)と寝てしまったんですね。
 奇跡の大逆転を知ったのは、翌朝。
 貴重なスポーツの伝説を一つ見落としてしまったんです。
 ああ、悲哀。

回答

 

回答者:noname#1422 どわ! 間違いだらけの記憶辿り。by 一大事有曽根。

私はこういうのは全く自信無しなのです。たぶんおっしゃる通りだと思います。ガサツな回答で申しわけありません。nozomi500さん、御指摘頂きまして感謝です。故意にやっているのではなくてそもそも記憶がいい加減なのです。今後とも宜しくお願いします。

みなさん、大変失礼しました。あ、またか、って思ってましたか?恐縮ですー。
回答日時:2002/01/24 23:18
回答番号:No.27
この回答へのお礼 okanouenobakaさん、ぼくも間違えまくってます(*^_^*)。

記憶違いの回答の方が、訂正・追加してくれる方がいて、
回答欄が活発になるというものです(*^_^*)。

回答

 

回答者:nozomi500 たびたび。
ショーターが野○ソ(滋賀は田舎だから、コース途中の橋を渡って土手の下で)をしたのは「びわ湖毎日マラソン」じゃなかったですか?ミュンヘン五輪で優勝した翌年かその次か、そのあたり。80年代に、やはりびわ湖でトイレ(ちゃんと)に行った選手がいました。ダイエーの泉選手だっけ?

レース中にパンツを染めたのは、旧ソ連の選手じゃなかったかと・・。
回答日時:2002/01/24 22:58
回答番号:No.26
この回答へのお礼 nozomi500さん、ありがとうございます。

えーと、この辺りの疑惑はshino911さんの登場で解決したようですね。

「ダイエーの泉選手」の事はちょっと覚えてないですf(^^;)。

回答

 

回答者:noname#1422 嬉しい時にはcoyoteさん、という事で、半人前の前科者、0.5人力の丘の上の馬鹿です。

なんに限らずアマチュアスポーツは感動の宝庫で、私は負けたほうの選手の嗚咽を見逃さないイヤラしいタイプの人間です。高校野球なんかだと、サヨナラエラーなんかやっちゃった選手の号泣を見ては涙を溢れさせております。仲間に慰められてさらに泣き崩れているのを見ると私は鼻水まで垂らします。彼の今後の人生でどのへんまでこの事が古傷として残るのだろう、というところまで考えて、さらに涙します。地区大会から見逃せないのであります。

そういうわけで、アマチュアではキリがないのでプロ限定で。(…実は詳細を覚えていないだけ、具体的な事が何も書けまへん)

やっぱダイエーの城島健司くんでしょう。ほぼ真上に上がった小フライでピッチャーと激突、城島は顔面強打でテレビの画面でも大量の血が滴り落ちているのがわかりました。
ありゃあ~、この大事な時期に城島が抜けてしまうのはイタイなあ~、なんて思って見ていると、なんと彼は絆創膏を貼って出てきました。ぶつかったピッチャーの肩を叩いて何か言ってましたが、あとから聞いたところによると、あれは先輩ピッチャーに対して「気にしないで下さい、この試合、勝ちましょう」みたいな事だったとか。
あのガッツ、吉永が出ていってしまうのも判るような気がします。あいつにはかなわんぞ、ということで。最初は人気取りの客寄せパンダかと思った起用でしたが、今では少なくともガッツについては球界一だと思います。選手生命だとか大事をとってだとか言う職業としての野球の世界ではなくて、観客が惹き込まれる情熱的なプロ根性。いやあ、凄いものを見ました。

それからマラソン。かつて谷口浩美選手は「コケちゃいました~」なんつって頑張りましたが、私の記憶の奥底にはもっと凄い選手がいます。
たしか福岡国際マラソンだったような気がするのですが、ショーターっていう人。フランクだかフランツ、ショーターだったと思います。
この人、ディフェンディングチャンピオンでその時も優勝候補ではあったのですが、なんと途中で寄り道したのに優勝してしまいました。なんでも、途中でお腹の具合が悪くなってしまったんですと。つまり野グソ。そーんな事しておいて平然とテレビのアップに耐え続け、勝ってしまうのだから凄すぎます。笑いながら感動した昔の思い出です。

もうひとり、女子のマラソン選手で、たしかドイツの綺麗な人でした。白いパンツ(ブルマっていうのかな)でトップグループを走っていたのですが、不運な事にレース中に生理になってしまって、しだいにパンツが赤く染まってきてしまったのです。見ているほうが気の毒でなんとも言えない雰囲気になったのですが、彼女、完走しました。下衆な事を口にして観戦していたテレビ桟敷の私達を黙らせ、感動させるのに十分なパフォーマンスでした。ゴール直後にバスタオルに巻かれた彼女は少しうつむいたのですが、あのシーンは忘れられません。彼女がプロランナーなのかどうかは知識がありませんが、彼女の荘厳さに打たれ、自分の俗さを恥じた体験でした。

雑記憶。
男子バレーのオリンピック。ミュンヘンだったっけかな。セッター猫田、ドライブサーブの森田、腰にチューブを巻いて強行出場の横田、と、田のつく人がいっぱいいたチームの試合には感動しました。あれ、金メダルでしたっけ?大古とかも出てた気がします。塚原の月面宙返りがピタリと決まったのもスカッと感動しました。去年のロシアのガモア選手のデカさにも驚きました。デカイのに可愛いのはカルチャーショックでしたよ。スキージャンプの日の丸飛行隊。笠谷、今野、青地、だったかな。70メートル級は表彰台独占。かっこよかったあ。笠谷幸雄選手は黒沢年男よりかっこいいと思いました。90メートル級は笠谷がコンディションを待ちきれずにスタートして失敗ジャンプ。一観客ではありますが、あのアセリは一ヶ月程も後悔したものです。バース、掛布、岡田のバックスクリーン3連発は当時都合良く阪神ファンだった私を狂喜させました。あ、女子バレーで広瀬というレシーブのエキスパートがいたのですが、私は試合そっちのけで彼女の動きの可愛らしさを追いかけてました。基本的に女子バレーは昔から好きです。好きな理由には不純なものも含まれているような気もします。というと新体操やフィギアスケートはもっと好きそうなものですが、実は私は審判の主観が得点を決めるようなものがあまり好きではないのであります。採点基準には厳格で細かい客観的なものがあるのでしょうが、それでも芸術は芸術であってスポーツとは別のものだと思ってしまいます。

…あ、長いですか?じゃ、このへんで許してあげます。
回答日時:2002/01/24 22:43
回答番号:No.25
この回答へのお礼 楽しい時には、okanouenobakaさん。周りの楽しい雰囲気を倍増させる
盛り上げ隊長ようこそ(*^_^*)。

[城島健司]
 凄いエピソードですよねえ。豪快じゃないですか。
 あんなエルボースマッシュをくらっても、本塁を守っていたんですから、
 大した男ですよねえ。
 
 高校通算70本塁打は伊達じゃないです。
 ちなみに、ぼくの高校通算本塁打は2本ですf(^^;)。
 
[ショーター]
 nozomi500さんとshino911さんから解説していただいたので、
 ぼくの出番はなし(*^_^*)。
 実は、ぼくも福岡国際マラソンだと思ってました。
 琵琶湖毎日マラソンだったという事は、沿道で振っていた
 毎日新聞の旗を使ったんですねえ(*^_^*)。
 しかし、このロスタイムでも、優勝しましたからねー。
 さすが(*^_^*)。

[ビルギット・ワインホルト]
 ここは、shino911さんの助け船という事で(*^_^*)。
 ぼくは、この選手の事は覚えてましたが、何処の国かも
 名前も忘れていました。
 shino911さんによりますと、「2位でゴールイン」したんですねえ。
 うーん、よく諦めなかったものです。
 「生活を捨てることを意味し」てたんですねえ。
 男だとこういう事はなかっただろう事を考え合わせると、
 敬服してしまいます。

[男子バレーのオリンピック]
 ここも、nozomi500さんが充分なエピソードを書いて下さってるので、
 ぼくの出番はなし(*^_^*)。
 『ミュンヘンへの道』を見て、バレーを始めた人も居るんじゃないでしょうか?

[塚原]
 月面宙返りというのは、回転の中に捻りを加えるというトランポリンの技術で、
 後方と前方の宙返りにそれぞれ捻りを加えて連続した技という事は周知の事。
 ぼくは中学校の時は、体操部だったんですが、この半分も出来ませんでした。
 恐るべし、ムーンサルト。

[ガモア選手]
 バレーの2mくらいある選手でしたか?
 あれは反則ですよね(*^_^*)。

[日の丸飛行隊]
 といいますか、「黒沢年男」が「笠谷幸雄」なんです。
 間違いありません。ええ、そうですとも。

[バース、掛布、岡田]
 おお、打順通り。ありましたねえ。こんな事が。
 槇原の面目丸つぶれでしたねえ。
 これって、阪神が優勝した年でしたか?

[女子バレーの広瀬]
 うううむ。随分、昔の人じゃないですか(*^_^*)?
 江田?三屋?そういう人とプレーしてましたか?
 日立の人かなあ?うーん、降参<(_ _)>。

 はー、長かった。
 許していただき、ありがとうございます。

回答

 

回答者:noname#1768 あ♪usa-rxさんだ。すごく久しぶりに名前を見る感じ♪でも、usa-rxさんもだけど、【丘の上】からこの質問を眺めていらっしゃる、大好きなあのお方もダイエーファンなのよね~♪ちょっと、言いにくいにゃお。許してね~?大目に見てね?

ご挨拶が遅れました。coyoteさん、今晩は~♪

スポーツ、私はうんち(運動音痴よん♪)なので、いつも見てるだけー。逃げ足は早かったんだけどな~♪(*^m^*) そんな、見るだけの私が、感動・感激した胸キュンシーンを。

まず、野球編。だって、いっぱいあるんだもん。いいでしょ?分けて回答しても。

【キヨ】

番長?ううん♪永遠の野球少年よん♪いつも、涙涙の胸キュンシーンを思い出すけど、2000年の、オールスターゲーム。ファン投票で選ばれなかったキヨ。(どうしてかしら?あんなにいっぱい葉書を出したのに。)監督推薦で、星野監督に選んで貰ったときは、ほっとしました。やっぱり、見る目があるのね~ん♪山崎とMVPを争ったとき、「やっぱり、清原でしょう。」と、にこやかにインタビューにお答え下さった星野監督には、ビックバンもかくやとばかりの、溢れる後光が射していました(けして後頭部ハ○と言っているわけじゃないのよん♪)。るんるん♪西武時代から、オールスター後には、活躍するキヨだったんだ悶ねー♪

【湯船】

1992年6月14日。忘れていませんわん♪忘れるものですか!もう、ドキドキしながら見てました。『ノーヒットノーラン』確か、2年目か3年目だった新庄が、すごく活躍してくれたの♪ああ!抜けちゃったーーー!!っていう当たりを、孟ダッシュで取ってくれて、アウトを1つ増やしてくれたんだったわ♪「あ、いかれたな。」っていうふうに、振り返った湯船が「わお。」っていう感じに、ニヤニヤ笑った顔を、今でもはっきり思い出せます。やん♪可愛いわん♪相手は広島。6ー0で迎えた9回2アウト。バッターは、正田。2遊間(2塁ベース際)へのヒット性の当たり。和田の超超超ファインプレー(篠塚だったら、普通にアウト)が出たんだけれど・・・。正田選手の気持ちも、わかるのよねー。でも、審判のコールは、「アウト。」和田のあの気迫だもん。アウトにとってもおかしくないよね♪抗議しようとする正田。振り返って監督を捜す正田。その正田の目に映ったのは・・・。帰ろうとしている山本監督の後ろ姿でした。ちゃんちゃん♪山本監督の脳裏に、『お前、お互いさんやんけ。or洒落もわからへんのか?』という言葉が、あったのかなかったのか。ね♪

【下柳】

ああ、ごめんちゃいねー。でも、書いちゃう。

2000年8月26日。古巣ダイエー相手に初完封♪感動しちゃった~♪もう、メロメロ~♪(これ以上の、言葉が出てこないの♪)

えへっ♪プロ野球編でした♪

次は、オリンピック編を書いちゃおうっと♪

チャオ♪
回答日時:2002/01/24 22:10
回答番号:No.24
この回答へのお礼 逃げ足の早い(*^_^*)tenten7さん、いつも楽しいご回答をありがとうございます。

「……いいでしょ?分けて回答しても。」
 結構です(*^_^*)。分けていっぱい書いちゃって下さい。

[キヨ]
 この時のオールスターは、どの試合か忘れましたが、
 初っぱなにバックスクリーンにホームランを打つわ、
 タイムリーも打つわの大活躍だったでしょう。
 パ・リーグは、イチローだけが奮起してたくらいで。
 清原にMVPは間違いないですよね。
 そうそう。清原は「永遠の野球少年」だ問ね♪←(*^_^*)。

 「だんじり祭りの岸和田で生まれた、男の意地を見せます!」
 こう言っていた清原の活躍をまだまだ見たいですね。
 ぼくにとって清原は哀愁ある男なんです。
 こんな野球選手いませんよ。カッコイイ~~~~(*^_^*)。

[湯船]
 こういう試合でしたかあ(*^_^*)。
 ぼくは、この試合は覚えてないんです。
 でも、印象としては、湯船が出ると阪神はいつも負けていたような、
 そういう記憶しかないんですねえ。
 湯船が抑えてもなかなか阪神打線が火を噴かなかったような……。

 「ニヤニヤ笑った顔」。そうそう、これです。
 湯船の真骨頂は。ピンチになればなるほど、ニヤニヤするんですねえ。
 肝っ玉が据わっているんでしょう(*^_^*)。
 
 しかし、こうやってこのご回答を読んでいますと、
 湯船への愛情溢れる思いが伝わってきますねえ。
 
[下柳]
 この試合は、この日にNHKで観たんです。土曜日でしたし、
 何の気無しに観ていたんですが、良かったですねえ、下柳。
 解説は、藤田元司だったんですが、下柳を褒めちぎってました。
 「いろんな事をやらされたけど、先発が一番いい。状況判断もいいし」
 みたいな事を言っていたのを聞いて、思わず(なるほどなあ)
 と思ったものでした。
 何せ、プロ入り初完封でしたよね?tenten7さんの感動もよく分かります(*^_^*)。
 球界の侍・下柳の活躍を期待してます。

 tenten7さんは、球団より選手重視なんですねえ(*^_^*)。
 そういうところが、またいいです。

 オリンピック編を楽しみにしてますね。

回答

 

回答者:shino911 三たびお邪魔します。


【最強の4人娘、感動をありがとう】
coyoteさんが現地で観戦された、一昨年のシドニー・オリンピックで、私が最も感動したのは、
競泳女子400mメドレーリレーです。

日本チームは、第1泳者:中村(背泳)、第2泳者:田中(平泳ぎ)、第3泳者:大西(バタ)、アンカー:源(フリー)の布陣で決勝レースに駒を進めました。
第1泳者の中村真衣は、100m背泳の銀メダリスト。「絶対、一番で田中さんにつなぐからね!」と決勝レース前、チームメイトに誓います。ところが、いざスタートしてみると、中村にいつもの泳ぎのキレが見られません。結局中村は5位で田中にタッチ。しかし、田中・大西の力泳で一つ順位を上げ、アンカー源が飛び込んだ時は、わずかの差で4位。源も必死に追い上げますが、50mのターン後も、体半分の差がなかなか縮まりません。「あぁ、メダル獲得ならずか…」誰もがそう思った瞬間のラスト10メートル、まるで奇跡が起きたように、源の体がぐいぐい前へ出ます。そして2人がほとんど同時にゴール。咄嗟に電光掲示板を見た4人の顔は、その瞬間、歓喜の表情に… 泣きじゃくる中村選手…

実は、中村は自分が泳ぎ終わった後、第2・第3泳者が泳いでる間、アンカーの源に、わんわん泣きじゃくりながら「ごめんね、ごめんね、絶対1位でって言ったのに…」それを聞いて源は中村にこう言います。
「真衣、あんたの今残ってる力を全部私にちょうだい!!」
と言って中村の手を強く握りしめました。
乗り移った中村選手の力が、源のラスト10メートルの奇跡を呼び、日本に銅メダルをもたらしました。

五輪後、テレビでこの逸話を聞いた時、熱いものがこみ上げてくるのを止めることができませんでした。


【郷土の代表、あと一歩で涙】
高校野球でもう一つ、私が100倍悔しい思いをした試合。
平成9年の夏の甲子園決勝。私の郷里、熊本代表の熊本工業VS愛媛の松山商業。

最初のクライマックスは3対2で迎えた9回裏。1点差を追う熊本工はなんと、ツーアウト・ランナーなしから1年生の澤村が左翼ラッキーゾーンへホームランを放ち、試合は振り出しで延長戦に突入。
10回の裏、熊本工の攻撃、再び試合は最大の山場を迎えます。熊本工はワンナウト満塁から強攻策、バッターの打ったボールは高々とライト上空へ舞い上がり三塁走者はタッチアップ。この瞬間、熊本県民は誰もが「やった!優勝だ!」と思ったに違いありません。ところがライトからの返球はダイレクトでキャッチャーへ。滑り込んだ土煙の中で主審の右手が上がりタッチアウトの宣告。結局試合は11回表、松山商が3点を奪って優勝を決めました。まさに手に汗握る好試合でした。

私の#12の回答の試合もこの試合も松山商業絡み、
そしてcoyoteさんが愛媛県の高校のご出身ということで、
何か浅からぬ因縁を感じるというのは考え過ぎでしょうか…(*^_^*)
回答日時:2002/01/24 21:57
回答番号:No.23
この回答へのお礼 shino911さん、たびたびありがとうございます。

[最強の4人娘、感動をありがとう]
 うーん、この試合にスポットを当ててくれましたか。
 正直言いまして、すっかり忘れていましたが、これを読んで、
 試合が頭で再現されると共に、エピソードも読ませていただいたので、
 試合とエピソードがフラッシュバック致しました。
 筆力に舌を巻いてしまいました。 
 こけだけ読んでも、充分感動が伝わってきました。

[郷土の代表、あと一歩で涙]
 そうそうそうそう。この試合、覚えています。
 この奇跡のようなバックホームをした選手が、11回に先頭打者になって、
 右翼越え(だったかなあ?)の2塁打を打って、優勝へ踏み出したんですが、
 この時、頭上を越された選手がホームランを打った「1年生の澤村」なんですね。
 うーん、人生いろいろ(*^_^*)。因縁もお互いありますねえ。

回答

 

回答者:usa-rx 【吉村復活】
巨人ファンではありませんが、悲運の事故で引退か、復帰絶望と言われた吉村選手の復帰打席。
「バッター斎藤に代わりまして吉村」アナウンスが流れ球場は大歓声に湧いた。1989年9月2日、吉村は帰ってきた。誰もが吉村の復帰を待ち焦がれていた。結果はセカンドゴロ。しかし吉村は走った。『吉村が走った!』テレビに釘付けの我が家全員が叫んだ。一打出れば同点のチャンスだったが、もうそんなことどうでもよかった。とにかく吉村は帰ってきたのだから。

【ダイエーホークス優勝】
我がホークスは福岡に拠点を移して以来、低迷を続け世界の王に生卵をぶつけるなどという暴挙が出ました。が!そんなダイエーがリーグ優勝した時には本当に泣きました。優勝の喜びはもちろん、敬愛する故根本前監督の遺影が高々と揚げられた映像が映ったからです。
そして翌年、同じくリーグ優勝を決め集まるナインの中にハリーホークのぬいぐるみが。『なんでハリーが?』という疑問はぬいぐるみの背中の15番を見て氷解しました。「藤井だ!」闘病生活を続けていた故藤井投手も優勝の輪の中にいたのです。ナインの想いが伝わった瞬間でした。
回答日時:2002/01/24 18:18
回答番号:No.22
この回答へのお礼 おお、usa-rxさん、やっとおいで下さいました。
どうもありがとうございます。

[吉村復活]
 そうでしたそうでした。地獄から帰還した男・吉村。
 復活の最初の打席はこれでしたか。すっかり忘れてましたf(^^;)。
 ぼくは、この翌年だったと思いますが、ヤクルトとの延長戦で
 吉村がサヨナラホームランを打ったシーンが忘れられません。
 ブレースを付けての打撃でしたが、大変だったようですねえ。

[ダイエーホークス優勝]
 これは、ダイエーファンなら、感動の優勝ですよねえ。
 「王に生卵をぶつけるなどという」事があったんですか。
 
 そうそう。藤井投手。若くして亡くなりましたよね。
 若田部が告別式で泣きながら、弔辞を読んでいました。
 でも、藤井の背番号を付けたハリーも胴上げの輪の中に居た、
 というのはいい話ですよね。
 

回答

 

回答者:noname#1913 さて、帰る前に。

また僕ですか。僕ばかりですねえ。
まあ、お約束の3つ目ですから、お許しを。

1989年、全仏で優勝したマイケル・チャン。
凄いやつだと、本気で思いましたねえ。

あの小さな身体のどこに
あれだけの体力と気力を秘めていたんでしょう。
しかも、17才。
いやいや、恐れ入りました。

攻撃的でいて緻密な、思わずにやりとしてしまう
いいプレーをする選手でした。

ん。もう引退したのか?
回答日時:2002/01/24 17:06
回答番号:No.21
この回答へのお礼 lonewolfさん、三連発ですね。ありがとうございます。

見ましたねえ。エドバーグに一歩も譲らず、フルセットのデッドヒート。
走るのも速いわ、自在に打ち分けるわ、驚愕の17才でしたね。
この年は、女子も17才のサンチェスがグラフ(だったと思いますが)を
下して優勝してましたねえ。

正に17才旋風。
で、引退しちゃったんですか?

lonewolfさんは、スポーツ名勝負の渋好みですね(*^_^*)。
また、よかったら投稿して下さい。

回答

 

回答者:noname#1913 ははは。

立て続けに、僕ばかり投稿してますねえ。
まあ、こんな日もありますか。

思い出したのが、リレハンメルのダン・ジャンセン。
最後の最後、本当の最後で、やっと金を取った男。
しかも、世界新記録。

 『 おいおい、またかよ。』

と、あの時、落胆したやつは多いだろう。

しかし、あの粘り。恐れ入りました。
回答日時:2002/01/24 16:30
回答番号:No.20
この回答へのお礼 lonewolfさん、再びありがとうございます。

おお、ダン・ジャンセン。懐かしいです。
リレハンメルで、金メダルを取った後のビクトリーランでは、
場内の照明は落とされて、スポットライトを浴びながら、
積年の悲運を霧散するかのように、悠々と1周していましたねえ。
亡くなったお姉さんの娘さん(?)を抱きながら。

金メダルへの執念と意地を見た思いです。

回答

 

回答者:noname#1913 取りあえず、1つだけ。

去年だったかな。
社会人ラグビーの決勝。
サントリーVS神戸製鋼。

永友の悔し涙には、胸が震えたなあ。

と、いう事で。
回答日時:2002/01/24 13:16
回答番号:No.19
この回答へのお礼 lonewolfさん、ありがとうございます。

この試合は、サントリーを応援していたぼくにとっても、無念のスコアレスドロー。
ロスタイムに入ってからの右中間PGのチャンスを外した永友。
これが入ったら、単独優勝だったんですから、落莫とするでしょう。

ああ、無情でした。勝負の世界は厳しいです。
思い出すなあ……。

回答

 

回答者:igmp 2回目です(^_^;)(^_^;)。
今回は感動&懐かし&個人的なお話を(勿論ノンフィクションですよ)。


今をさかのぼること30年、私が小学1年生、すみませんノンフィクションでした、
中学生の時に、日本で初めての冬季オリンピックが札幌で開催されました。
三波春男のこんにちわ~♪じゃない、トワ・エ・モワの虹と~♪が懐かしいですね。

この時igmp少年が恋してしまった「氷上の妖精」と呼ばれ一世を風靡した天使がいました。
そうです。「Peace&Love!」の落書きを選手村に残したフィギュアスケーターの
当時19歳ジャネット・リンちゃんです(現在はリンオバちゃんですが(^_^;)。

ご存知かと思いますが、感動のシーンは勿論、あの尻もちろん(^^;。
世界中がハッとしたあの瞬間、ペロっと舌を出しながらあのファニーなスマイルで立ち上がり、
今まで通りよどみなく滑り続けたシーンにはジーンときました。
しかも何となんと審査員のオバちゃんの1人が、転倒したにもかかわらず満点(芸術点)を
付けたと言うからまた驚き&感動でした。


その後のigmp少年ときたら写真集は買うわ、是非是非その感動のお礼をしたいなぁと、
堪能な英語力(???)を駆使してファンレターを出してしまうわと、すっかりリンちゃんの
とりこなってしまいました。

でで、その後再び感動の瞬間が・・・
なな、何ーと、リンちゃんから返事が来たのです!!!
きっと私の感動の英語表現にリンちゃんも感動したのでしょう、印刷文でしたが(^愛^;。
でもでも、宛先は手書きだったんですよ(本人の直筆かどうかは分かりませんが)。


本サイトにもPeace&Love・・・(^愛じぃ^)
回答日時:2002/01/24 00:28
回答番号:No.18
この回答へのお礼 igmpさん、ありがとうございます。

出ましたねー。
「札幌オリンピック」とくれば、「虹と雪のバラード」、
「氷上(銀盤)の妖精」、そして、日の丸飛行隊の三点セットです。

ジャネット・リン。可愛かったですね。額に靡くブロンドが印象的でした。
演技では銅メダルでしたが、笑顔では金メダルと言われたジャネット・リン。

凄いエピソードではないですか。
写真集に、ファンレター。おまけに返事。
羨ましい~~~~。いいなあ。その宛名は本人の手書きです。
間違いないです。ええ、ええ。あー、悔しい。

ぼくが中学校の時に出したファンレターというと、
截拳道の創始者、ブルース・リーくらいです。
しかも故人でしたしf(^^;)。

ジャネット・リンは、“Peace & Love”。
ジョン・レノン&オノ・ヨーコは、“Love & Peace”。

回答

 

回答者:shino911 御質問中に「絞ってみて下さい」とありますので、なるべく乱れ撃ちはしないようにしますが… (*^_^*)、
2回目、御免下さい。

【マラソン】
マラソンは昔から「オリンピックの花」と言われ、そのオリンピックの本番でも、幾多の名勝負がありますが、私が最も印象深いマラソンレースは、1983年の12月に行われた、翌年のロス・オリンピック代表選考会を兼ねた、福岡国際マラソンです。

レースは後半、瀬古利彦選手と、ジュマ・イカンガー選手の一騎打ちの様相を呈します。瀬古は、レース序盤から、周りの選手の状態を見て「今日の敵はイカンガーだけだ」と確信したそうです。さすが稀代のマラソン巧者。
2人の並走は40キロを過ぎてもなお続き、ついに2人並んでスタジアムに入ってきました。バックストレートに入ってイカンガーが引き離しにかかりますが、瀬古はぴったりくっ付いて離れません。そして最後の第4コーナーを回ってラスト100メートルの直線、瀬古が真骨頂のロケットスパートを見せ、あっという間にイカンガーを引き離し、そのまま優勝のゴールテープを切りました。

あんなに興奮したマラソンは他にありません。あの時期が瀬古選手の絶頂期だったように思います。
ただ、本番のオリンピックでは残念な結果に終わってしまいましたが…。


【解説者の絶叫】
「今まで生きてきたなかで、一番幸せです」というセリフが印象的だった、当時14才の岩崎恭子ちゃんのバルセロナ五輪(1992年)での金メダル。競泳女子200メートル平泳ぎ決勝。
金メダル候補だったアメリカのアニタ・ノールが序盤からぐいぐい飛ばす中、岩崎は前半押さえ気味でレースを進めます。そして150mのターン後、岩崎は一気にピッチを上げ猛然とノールを追い上げます。そしてラスト10メートル、実況の島村俊治アナウンサーの声に力が入ります。
「日本の岩崎にチャンスがある! 岩崎にチャンスがある! 
 もうメダルは間違いない! 並んだ、並んだ! 逆転した! タッチは!?」
次の瞬間、解説者の高橋繁弘氏が、立場を忘れ「やったーーー!!!」とマイクの前で絶叫します。

しばらくして落ち着きを取り戻した放送席では、島村アナが笑いながら、
「いやぁ、高橋さん、ほとんど解説になりませんねえ」「すいません、興奮しちゃって…」と高橋氏。
とってもヒューマニティー溢れる感動でした。
回答日時:2002/01/23 09:16
回答番号:No.17
この回答へのお礼 shino911さん、再度の登場ありがとうございます。

[マラソン]
 タンザニアの黒豹・イカンガーですねえ。
 覚えてますねー、このデッドヒート。
 福岡国際マラソンの名勝負ですね。
 しかし、1983年の事だったんですかあ。
 うーん、目が遠くなってしまいますねえ。

 この時期、ぼくは原宿に住んでまして、気分転換にと思い、
 千駄ヶ谷にある銭湯にたまに行ってたんですが、
 神宮を走っていた瀬古やヱスビーの選手とよくかち合いました。
 
[解説者の絶叫]
 やはり、水泳はこの島村俊治アナウンサーでしょう。
 ゴール寸前に来ると気合が違います。
 ソウルオリンピックでも、
 「大地来た!大地来た!鈴木大地来た!後半強いのはポリャンスキーだ」
 と絶叫してましたからねえ。
 これで、ポリャンスキーを覚えました(*^_^*)。

 この人は、長野オリンピックで、スピードスケート男子500mで
 清水宏保の実況もやってますし、
 「江夏の21球」のラジオ中継もやってましたね。
 好きなアナウンサーです(*^_^*)。

回答

良回答10pt

回答者:nozomi500 14の回答で、
パウエルの世界記録って、もう、10年になるんだなあ・・・。
「その前」の記録を持っていた、ビーモン。
’68メキシコ五輪で、当時最新鋭の測定装置の設定距離を越えちゃったもんで、係が巻尺を持ち出して計測していました。20年以上破られなかった記録はこれぐらい。

あとメキシコの印象で、走り高跳びの「背面跳び」(選手名忘れちゃったけど、たしか、優勝はできなかったはず)。

プロ野球で、'73年
当時阪神の江夏投手が九回まで「ノーヒットノーラン」で抑えていたのに、延長に入っても味方が点を取ってくれない。へたをしたら「幻の記録」になりかねない展開で、延長11回、自らサヨナラホームランで決着をつける。(このころから、阪神って勝負弱かったんだなあ)
回答日時:2002/01/23 08:57
回答番号:No.16
この回答へのお礼 nozomi500さん、どうもありがとうございます。

[ビーモン]
 もの凄い記録ですよねえ。
 8m90cmという記録もさることながら、「20年以上破られなかった記録」
 というのも、記録の一つにしたいですねえ。
 鳥人です(*^_^*)。

[背面跳び]
 フォスベリーですね?フォズの魔法使いとか呼ばれてましたよね?
 背面跳びをフォスベリー・フロップとかいいますもんね。
 しかし、優勝しなかったんですか。惜しいですよねー。
 この背面跳びで打ち立てたソトマイヨールの2m45cmという記録が
 破れる事なんてあるんでしょうかねえ?

[江夏投手]
 おお、ありました。73年でしたか。随分、昔ですねえ。
 しかも、延長戦だったんですね。忘れてました(*^_^*)。
 相手は中日だったと思うんですが、阪神も中日も不甲斐ないですねえ。
 おっと、中日・阪神ファンの方申し訳ないです。

回答

 

回答者:better-life coyoteさん、こんにちは。
感動のスポーツシーン・・・・・・あるものですね~。
皆さんのお話で、感動が蘇ってきました。

coyoteさんのおっしゃる、大場政夫の試合・・・覚えてますよ。
『男とは、こうあるべき』と、教えられた試合でした。
壮絶な人生の最後を迎えた事が、とても残念でなりません。

高校野球といえば、shino911さんと同じで、『三沢対松山商業』です。
当時、私は野球少年でしたので、涙なくして見ることは出来ませんでした。

さてさて私の感動したシーンはと、探してみたら・・・ありました!

今から30数年前、小学6年生の時の『クラス対抗水泳大会』。
たかが4クラスの対抗だったんですが、それはそれは燃えましたね。
事実上2組(私は4組)との一騎打ちだったのですが、僅か数ポイント差で、
遅れを取っていました。
最後の対抗リレーで、しかもアンカー勝負でタッチの差で1着となり
僅差での見事な逆転優勝となりました。
みんなが飛び跳ねて喜んだ様子が、昨日のことのように思い出されます。

学区の関係で、卒業後は私だけ別の中学へ進んだ為、ホントに良い思い出となりました。

こんな回答でもよろしかったでしょうか?
(ちなみに当然アンカーは私です♪)
回答日時:2002/01/23 06:16
回答番号:No.15
この回答へのお礼 おおおおっ、better-lifeさん、懐かしゅうございます。
またよろしくお願い致します。

「大場政夫の試合」も「三沢対松山商業」もいいですよね?

さて、better-lifeさんは体験篇ですね。
「クラス対抗水泳大会」。こういう試合は白熱するんですよねえ。
しかも、アンカー勝負ときたら、文字通り手に汗握るゲーム。
破顔一笑する生徒全員の顔が目に浮かびます。
ギャラリーではなく、プレイヤー自身だった事が、
感動をより深いものにしたでしょう。

30年前の事でありながら、色あせる事なく、鮮やかに蘇るのも
体験した人でしか分からないかも知れませんねえ。

ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

回答

 

回答者:sabbathiowa 世代によって色々な回答がありますね。

わたしは「劇的瞬間」に絞って3つほど。

まずは昨年のプロ野球・近鉄V決定試合
北川選手の逆転サヨナラ満塁ホームラン。
鳥肌が立ちました。

つぎに10年ほど前ですがですがボクシング
東京ドームでマイクタイソンが
ジェームスダグラスにプロ初ダウンを喫し
そのままKO負け。そういえばゲスト解説は長嶋茂雄でした。

最後はこれも10年ほど前、陸上
世界陸上東京大会で
走り幅跳び・マイクパウエルが
最後の最後に逆転の世界新記録。
あの集中力はすごかった。

他にも思い出せそうですが、この3つがベスト「劇的瞬間」です。
回答日時:2002/01/22 20:15
回答番号:No.14
この回答へのお礼 ありがとうございます、sabbathiowaさん。

[北川選手]
 びっくりしましたよねえ。あんな漫画のような事が現実にあるんですね。
 しかし、史上初の代打逆転満塁ホームランで決めた12年ぶりのリーグ優勝なのに、
 あのホームランの査定は10万円だったというのは、ちょっと可哀想(*^_^*)。

[マイクタイソン]
 タイソンの圧倒的有利の中での勝利でしたね。
 実は、この試合は観てないんですね。 
 翌日か何かの新聞で読んで、びっくりしたものです。
 長嶋茂雄が解説だったんですか(*^_^*)?

[マイクパウエル]
 カール・ルイスとの一騎打ちですね。
 打倒ルイスの旗印の下、見事競り勝ったパウエルには、快哉を叫びました。

回答

 

回答者:noname#1583 柔道の田村亮子選手が、オリンピックで金メダルを獲った瞬間ですっ。
本当にキレイで可愛いと思ってしまいました。(^。^)
普段メディアで見かける彼女は決して美人ではない(失礼!)のですが、試合中、そして勝った瞬間は最高に素敵で惚れ惚れしてしまいました~。
CMなんかで見せている野暮ったい(ごめんなさいっ!)笑顔とは全然違って、もう、これ以上の美人はいない!! と思えてしまうくらいの魅力的な笑顔でした。忘れられません。(^○^)
回答日時:2002/01/22 11:37
回答番号:No.13
この回答へのお礼 ayaeさん、ありがとうございます。

ロシアのブロレトバに一本勝ちした決勝ですねえ。
ぼくは、女子柔道は普段見る事がなく、
こういうオリンピックでしか目にする事がないのですが、
シドニーまでの田村の悲運ぶり(バルセロナ、アトランタで銀)を
テレビによって学習してましたから、この時の優勝は、狂喜しました。

この試合の数日後、シドニーに行って、篠原の決勝を見たのですが、
ちょうど、この田村も観戦に来ていまして、周りはもの凄い人だかりでした。

回答

 

回答者:shino911 只今戻りました(^ ^;)。 #2では取り乱しまして失礼致しました。

いや、しかし、自分で質問を立てようかと思ってたくらい、熱望していた話題なんです。
改めて、ありがとうございます。

沢山あり過ぎて、絞るのが大変でしたが、とりあえず野球関係を2つ。

【プロ野球】
1979年の日本シリーズ、広島VS近鉄の、第七戦9回裏。
そう、あの有名な「江夏の21球」です!!

両チーム3勝3敗で迎えた第七戦。スコアは4対3。1点差を追う近鉄9回裏の攻撃。
先頭バッター羽田がセンター前ヒット、代走の藤瀬がすかさず二盗。
キャッチャーの送球がそれてセンターへ抜け、藤瀬は三塁へ。ノーアウト三塁。近鉄絶好の同点のチャンス。
ここで広島ベンチがとった作戦は、満塁策。
次の打者佐々木が三振でワンアウトとなり、いよいよ問題のシーン、石渡がバッターボックスに入ります。
その2球目、スクイズが外され、走り込んできた三塁ランナーの藤瀬はタッチアウト。
ツーアウトとなり、そして石渡も三振で、広島は日本一に輝きました。
決まった瞬間、江夏が飛び上がってキャッチャーに抱きついたシーンが、今でも焼き付いて離れません。

数あるプロ野球の名勝負の中で、私にとってのNo.1の試合です。


【高校野球】
箕島VS 星陵も確かに球史に残る名勝負ですが、私は、昭和44年の夏の甲子園の決勝、
そう、あの延長18回0対0、翌日再試合となった、三沢VS松山商業です。
三沢の太田投手は、なんと27回を一人で投げ抜いたんですねえ。
残念ながら三沢は敗れましたが、まさに「死闘」と呼ぶに相応しい試合でした。
再試合の9回表が終わった瞬間の、「太田、ついに投げ終わりました!」
と叫んだアナウンサーの声を今も覚えています。

ではまた、後ほど別ネタでお伺いします(^_^)。
回答日時:2002/01/22 10:03
回答番号:No.12
この回答へのお礼 shino911さん、ありがとうございます。

いやあ、かえってご迷惑をかけてしまいましたか(*^_^*)?
そんな事を仰らずに、この質問の行方を見守っていてください。

[プロ野球]
 名勝負の横綱ですね(*^_^*)。
 自らが招いた無死満塁を21球で、近鉄を封じ、広島を30年ぶりに
 優勝させたこの試合。正に江夏伝説。
 1点差まで詰め寄って、日本一になれなかった西本監督は、
 痛恨の思いだったでしょう。

[高校野球]
 これも高校野球界名勝負の最右翼ですね。
 東北勢初の決勝進出、という出来事がまた偉業ですね。
 青森県高校野球を語る時、三沢前、三沢後と二分出来るのかも知れません。

 余談ですが、ぼくは愛媛県の元高校球児でして、
 準々決勝は、この松山商業でした。
 最後の打者はぼく。
 「打った。ショートゴロ。ショートからセカンドへ転送。
 ランナー、フォースアウト。セカンドからファーストへ……、
 アウトォォォォ。ダブルプレイッ!試合終了ッ。ウウゥゥゥゥ~~~~♪」
 というのがラジオのアナウンスでした。
 
 別ネタお待ちしていますよ(*^_^*)。

回答

良回答20pt

回答者:pfm プロ野球
近鉄の10.19も忘れられないのですが、スワローズ・ファンなので野村監督の初優勝の年にいくつか印象的なゲームがありました。

その1:甲子園での延長15回引き分け。
このときは9回の裏に確か八木か誰かがセンターに大飛球を打って、ラジオで聞いていたのですがアナウンサーが「ホームラン」といったのでそのままラジオを切ったのですが、数時間後にニュースで延長と知ってビックリ!これはラバーに当たって入ったと言うことでエンタイトルになって延長に入ったのでした。プロ野球ニュースが野球中継になったのを覚えています。最終回のランナー1,2塁でオマリーが打席に入るとバッテリーが勝負しようとしたところ野村監督が怒りながら出てきて満塁にしたことが印象的でした。

その2:同じく阪神戦のサヨナラ劇
これはもう記憶があやふやなのですが、阪神は仲田だったかな。3.4点差で負けていて、徐々に追いつくのですが、試合をテレビ朝日で中継していたのでニュースステーションに入ったらこちらも中継になりました。最後のサヨナラ打は背のちっこい荒井でした。彼はそのシーズンの巨人戦にバンドのサインを見逃して野村監督に頭を小突かれていました。そんな彼が最後に決めるなんて良く出来た話でした。

それから近年の高校野球では松坂のPL戦や決勝戦のノーヒット・ノーランもいいのですが、彼が先発しなかった準決勝の(明徳義塾だったかな)逆転劇も忘れられません。8回か9回に松坂が出てきてピッシャ!と押さえてサヨナラにつなげたのが印象的でした。その時は昼時で携帯ラジオで聞いていたのですが、最後の方は銀行のテレビに見入っていたっけ。

もしかして、サッカー、プロレスに続くかもしれません。
回答日時:2002/01/22 02:07
回答番号:No.11
この回答へのお礼 pfmさん、ありがとうございます。

[その1]
 覚えています(*^_^*)。八木でしたね。
 この時の審判は平光でしたが、面目丸つぶれでしたね。
 ホームランが抗議でふいになるんですから、怒り心頭ですよねえ。

[その2] 
 すみません。これは全然覚えがないですf(^^;)。
 見たかったですねえ。
 「ニュースステーション」に食い込んで、ニュースを報道しながらのゲームというのは、
 1988年10月にあった近鉄・ロッテの最終戦でした。
 悲願に賭けた近鉄の敗戦には、呆然として声も出なかったです。
 あ。余計な事を書いてしまいました<(_ _)>。

[準決勝]
 よくぞ書いてくれました(*^_^*)!!!
 4-6で迎えた9回裏、横浜は6-6の同点にした後、更に2死満塁。
 明徳義塾の寺本が投げた球をセンター前ヒットでサヨナラ。
 松阪にかけよる寺本は涙ボロボロの鼻水ずるずる。
 松阪がウイニングボールを渡したんですよねえ。
 嗚呼、泣けてきます。寺本ぉ~、よくやったぁ!
 いやあ、いい試合を思い出させてくれました。
 ありがとうございます。

回答

 

回答者:hana-furu ええっと、何オリンピックか忘れてしまいましたが、
フィギアスケートで伊藤みどりがトリプルアクセル?(三回転半ジャンプ)
をオリンピック、で初めて決めた時!
赤紫に銀のキラキラをつけた衣装が印象的でしたね。
カタリーナ・ビット(東ドイツ)があまりにも美しい美貌の持ち主のため、
(後に女優に転身していたた記憶がある)
いつも芸術点で劣っていたのが(他の試合でも)、なんか差別的な感じがして
観ていて悔しかったです。
でも、伊藤みどりのあのジャンプを飛んでガッツポーズをした姿を見たときは
感動!しました。よかった。よかった。と・・。

あと、最近の日本シンクロナイズトスイミング女子チーム。
何の大会だったか忘れましたが、これもやっぱりロシアに芸術点で
劣るらしいのですが、でも、どっからみても、日本NO.1って思いました。
何で、あんなにきれいな円が描けるのか!上から撮った映像をみても、
すごくきれいな動きをしていたので、感動と感心していた覚えがあります。

あとは、去年のシドニーオリンピックの柔道。疑惑(疑惑じゃなく、ポイントをミスっただけだけど)の判定。名前、篠原でしたっけ?あれは、本人の言い分は別にして、悲しかったです(っあ、感動ではなかったですね)。
柔ちゃんに関しては、純粋にカンドー。

生放送バンザイです。

でも、オリンピックに偏っていまいました・・・。
きっと、他にもあるハズなのにい。
回答日時:2002/01/22 01:28
回答番号:No.10
この回答へのお礼 hana-furuさん、ありがとうございます。

[伊藤みどり]
 彼女はすごいです。カナダでは、フライング・ウーマンと呼ばれてましたし、
 やはりあのジャンプ力は凄まじいです。
 この時、伊藤みどりは、技術点で6.0を二つか三つ出して、
 ギネスブックに載ったんじゃなかったですか?
 この「三回転半ジャンプ」を決めたのは、この伊藤みどりと、
 あの悪名高い(*^_^*)トーニャ・ハーディングくらいでしょう。
 芸術点は劣るかも知れませんが、あの時に見せたガッツポーズは、
 審査員の胸も熱くさせてくれたでしょう。

 カタリーナ・ビットは、仰る通り映画にも出てましたし、
 自分で作った宝石か何かのブランドを身にまとって、
 ヌードも撮ってましたねえ。
 色々とやるものです(*^_^*)。

[日本シンクロナイズトスイミング女子チーム]
 この間のシドニーオリンピックでも、残念でしたよねえ。
 もう少しだったのに!悔しい~~~~。
 女性が活躍したオリンピックでしたよね。

[篠原]
 惜しかったです。ぼくは、現地でこの試合を観ましたが、
 篠原が投げた瞬間、勝ったと思い、撮っていたビデオの存在を忘れ、
 バンザイをしたので、肝心な部分がフレームアウトしてました(*^_^*)。

回答

 

回答者:mamekome 質問の回答から外れるかもしれませんが・・・。

巨人を希望していて(個人的な見方としては)裏切られ、西武に入団した清原選手が、後の日本シリーズであと1アウト(2アウトだった?)で巨人に勝てる!というときにファーストで流した涙が忘れられません。私も一緒に泣いてましたもの。

あの時の工藤投手が声かけた姿も印象深いです。あの時の西武のチームカラー、大好きでした。

なあんで、巨人に行っちゃったのかなー。清原。やっぱりそれだけ巨人が清原にとって憧れだったってことなのかな・・。(巨人ファンのかたすみません・・・。)

あとは甲子園。やっぱり、一生懸命って素晴らしい!と思います。「熱闘!甲子園」を見るのが大好きです。
回答日時:2002/01/22 01:04
回答番号:No.9
この回答へのお礼 mamekomeさん、ありがとうございます。

[番長の涙]
 2アウト走者なし、という場面で、泣いてましたねえ。
 あれだけ巨人に行きたかった清原が、打倒・巨人に燃えて、
 巨人を見返してやる、と痛切に願って、その願いが叶うまで、
 あとアウトカウントが一つ。
 泣けますよねー。

回答

 

回答者:noname#2712 辰吉VS薬師寺のボクシングの試合!!
TVでしたが、観終わった後、泣いてました。。。

4年前の冬季オリンピックのジャンプ陣の活躍!!
原田さん、あんたは最高っす(^^)

西部の松坂の甲子園での試合。特に横浜VSPL学園は久々に
熱くなった、最高の試合だったと思います!

蛇足ですが。。。私も星陵VS蓑島の死闘は記憶に残ってます。
まさしく死闘でしたね!!
あれこそ甲子園での、名勝負中の名勝負ではないでしょうか?
ああ。。。もう1回見てみたいもんです(^^;)
回答日時:2002/01/22 00:21
回答番号:No.8
この回答へのお礼 kunkun-2さん、ありがとうございます。

[辰吉VS薬師寺]
 ぼくはこの試合は、当時日本に居なくて見てなかったんですが、
 壮絶だったようですねえ。見たかったーー。

[冬季オリンピックのジャンプ陣]
 長野オリンピックですね。まだ記憶に新しいです。
 リレハンメルの悪夢を振り払った原田のジャンプ。
 泣けましたねえ。

[横浜VSPL学園]
 この試合は凄かったですねえ。
 やっぱり、PLが先制点で3点を叩き出したのは、
 PLの控えのキャプテン・平石のおかげでしょう。
 彼が横浜のキャッチャー・小山のサインを盗んでいたのが
 大きかったでしょうねえ。

[星陵VS箕島]
 やっぱりそうでしょう。「横浜VSPL学園」では奇蹟は起こってませんが、
 「星陵VS箕島」では、奇蹟(ホームラン)が2度も起こってます。
 凄いですよね(*^_^*)?

回答

 

回答者:k-fon うーーん、いっぱいあって迷ってしまいます。\(__\)(/_!)/

とりあえずすぐに頭に浮かんだのを書いておきます。

15年ほど前の鈴鹿8時間耐久レースで、ヨシムラの高吉が最後に転倒してしまったレースです。
と言っても、何人の人に分かってもらえるかは???ですが・・・
回答日時:2002/01/22 00:06
回答番号:No.7
この回答へのお礼 k-fonさん、ありがとうございます。

うーん、「鈴鹿8時間耐久レース」ですかf(^^;)?
これって、ヤマハの何とかいう(済みません。覚えてないので)
外国人の選手と競り合ったレースでしたか?それとも平?
何とも頼りない質問者です<(_ _)>。

8耐は、随分前に、台風が来て、6耐になったレースがありましたねえ。
あまり関係なかったですねf(^^;)。

回答

 

回答者:kei-ike 僕は昨年のシアトルマリナーズの開幕戦を挙げます。年末にBSで再放送されたので御覧になった方も多いと思います。
前半は4点ビハインドでとても勝てる流れでなかったのが,粘って2点差まで迫ったところで,イチローの初安打。それから試合の流れが明らかにマリナーズに。
しかしホームランで派手に点を取るのではなく,四球,犠牲フライを織り交ぜながらのつなぎに徹した攻撃の妙。特にエドガー・マルティネスのタイムリーは狙いどおりに打った見事なヒットでした。
昨シーズンのマリナーズの持ち味が早くも発揮された開幕戦にしてベストゲームといっていい試合だと思います。
回答日時:2002/01/21 23:58
回答番号:No.6
この回答へのお礼 kei-ikeさん、ありがとうございます。

いい試合でしたね。
イチローも2安打でしたか?
マルチネスとオルルド(でしたっけ?)の連続タイムリーが
何とも見事でした。

久しぶりに見たイチローの送りバントが印象的でした。
「ベストゲーム」でしたよねー(*^_^*)。

回答

 

回答者:igmp お疲れ~、coyoteさん。

まずは、愛じぃの予感。
この質問、回答数が下手(?)をすれば50を越えること間違いなしです。
なんせ、この私が5回は回答する予定ですから(冗談、本気にしないでねぇ~)。
お礼が大変ですが、頑張って下さい。これ、決して操作じゃありませんよ♪

で、感動したスポーツシーンと言うことで、昨日街角で見た少年サッカーの試合、
と言うのもありですか??? これがありだと10回は・・・スミマセン。


本題ですが、取り急ぎ絞りに絞ったものを一つ。
それは、忘れもしない1984年ロサンゼルスオリンピックの女子マラソン。
そうです、あのアンデルセン選手が脱水症状+αでフラフラになりながらも見事
ゴールした感動のシーン。 最後の最後まで目標に向かって自力でゴールする
彼女の気力には、これぞ「ネバーギブアップ!」の精神。 泣きました。

オリンピック、いや、スポーツ史に残る感動のシーンだと思います。
回答日時:2002/01/21 23:40
回答番号:No.5
この回答へのお礼 igmpさん、ありがとうございます。連発のご回答を期待してますよ。

「少年サッカーの試合」でも結構ですよ。聞かせて下さい(*^_^*)。

アンデルセン。いやあ、胸打ちましたねー。
マラソンランナーのプライドと本能が彼女を完走させたんでしょうか?
当時39才のアンデルセンは、最後のトラックを1周するのに
5分以上かかっていますから
スタジアムに入ってからの旅路は長かった事でしょう。

世界が震撼した驚愕のフォルムでした。

回答

 

回答者:kuboshin coyoteさんの趣味とはちょっと違うかなーなんて気もしますが。

数年前のテニスの全英選手権(いわゆる、ウィンブルドン)の女子シングル決勝です。

チェコの、ヤナ・ノボトナ選手が優勝した試合です。相手が定かではないのですが、たぶんヒンギス選手だったような・・・。
ノボトナ選手は、力がありながら精神的に弱いと言われていました。事実以前にもウィンブルドンの決勝で、女王グラフを、絶体絶命にまで追い込み、あと少しでチャンピオンシップを手にするところまでいきながら、自らプレッシャーによって崩れ、準優勝に終わっていました。

私は、グラフ選手も好きなのですが、その時の彼女の涙が印象的でした。そして、再びのチャンス。彼女は年齢的にも30歳近かったはずなので、もしかしたら最後のチャンスだったかも知れません。

その時の彼女は、最後まで自分をコントロールし、きちんと自分のプレーをやり抜きました。そして、優勝が決まった瞬間、天をあおいでコートにひざまづき、顔を両手でおおって啜り泣いたのでした。いかにすごいことをやり遂げたのかと、どのくらい大きなプレッシャーの中で戦って来たのかが胸にせまって来て、その瞬間が今でも忘れられません。

あとテニスなら、マルティナ・ナブラチロワ選手の試合です。どれも素晴らしいものだと思います。

もう一つと言うなら、月並みですが、サッカーの日本代表が、1998年のワールドカップ出場を決めた瞬間です。(岡野選手のゴールで)

箕島対星綾の試合は、私も今でも覚えています。本当に「ああ、甲子園」ですね。色々な素晴らしいシーンを、改めて思い出すことが出来て、うれしかったです。では。
回答日時:2002/01/21 23:29
回答番号:No.4
この回答へのお礼 kuboshinさん、ありがとうございます。

えーと、ぼくもはっきり覚えていませんが、
ノボトナの相手は、フランスのトージアではなかったですか?
ベテラン同士の対決だったように思うんですが。
違っていたらすみません(*^_^*)。

トージアも何回も挑戦して、結局フランスの夢は叶わなかった、
とかそんな話があったように思います。他の大会かなあ?

マルチナ・ヒンギスは、マルチナ・ナブラチロワに因んで命名されたようですが、
ヒンギスは鉄の女になれるでしょうかねえ(*^_^*)?
ナブラチロワは、女子テニス界というより、スポーツ界の大立て者ですよね。

岡野のゴールですねえ。
テレビでも「よく詰めてました」と言ってましたが、
あそこでシュートを打った中田に拍手したいです。
でも、あの試合は、飛び上がりました(*^_^*)。

回答

 

回答者:nozomi500 ロス五輪、柔道。
「山下-ラシュワン」(決勝戦)
足を傷めた山下に対して、ラシュワン選手はいためたほうの足を一切せめず、結果山下が優勝。

ラグビー:神戸製鋼-リコー(10年ほどまえかな?)
ロスタイム、プレーがとまればリコーの優勝で神戸製鋼の連覇がとまる、というときに、ウィリアムス(だったかな?)が、トライをきめて同点。ゴールキックで逆転優勝。(このまえの高校ラグビーでもにたような試合がありました)

リレハンメルオリンピック:ジャンプ団体。原田の失敗ジャンプでほとんど手にしていた金メダルが銀になった。

ところで、「箕島」高校ですよね。あの試合は、延長で星陵は2回勝ち越したのに、そのたびに同点ホームランで追いつかれ力尽きた、というやつですね。たしか、早稲田実業の荒木大輔がヒーローになった年でしたか。
回答日時:2002/01/21 23:24
回答番号:No.3
この回答へのお礼 nozomi500さん、ありがとうございます。

[山下-ラシュワン]
 いい試合でしたねえ。
 ラシュワンが山下を支えて、表彰台に上げた姿が目に焼き付いています。
 この栄光の銀メダルによって、母国エジプトで、ラシュワンは、
 国民栄誉賞を受賞したと聞いております。

[神戸製鋼-リコー]
 うーん……、これは思い出せません。
 幾ら、考えても神戸製綱と三洋の試合ばかりf(^^;)。
 しかし、これを読んだだけでも白熱した雰囲気が伝わってきます。

[ジャンプ団体]
 泣けましたねー。
 この時、斉藤が原田のジャンプを見て、「あ。落ちた」と言っていました。
 マイクは声を拾っていませんでしたが、口はこう言ってました。
 忘れられないシーンですよね。

 そうそうそうそう。すみません。
 「箕島」です。失礼致しました<(_ _)>。
 こういう名勝負をビデオで販売したら、売れると思うんですけどねえ。
 そうでしたか。荒木大輔の頃だったんですねえ……。しみじみ。

回答

 

回答者:noname#2353 これにはたくさんの投稿があるでしょうね。ぼくは,大場政夫の名前が目にとまり投稿しました。ぼくもこの試合には感動しました。この試合が記憶にあるということは同年代でしょうか。私はボクシングが大好きで,今まで一番感動したのは,当時,バンタム級と並んで,強豪ぞろいだったライト級で,圧倒的不利だったガッツ石松が,名チャンピオンのゴンザレスをKOしたときです。今から25年前のことですが,今でも思わず飛び上がったのを覚えています。「やればできる」「がんばれば奇跡がおきる」ことを目の前で見せつけられました。そのときのカセットテープ今でももっています。感動のシーンといっても書ききれないので,これだけにしておきます。
回答日時:2002/01/21 22:23
回答番号:No.1
この回答へのお礼 yo_shiさん、ありがとうございます。

覚えていますよ(*^_^*)。
レフェリーが何だか相手贔屓でしたねえ。
でも、2回か3回連続して、ダウンを取ったんじゃなかったですか?

この時、コーナーポストに上って、喜びのポーズとして両手挙げてましたが、
翌日の新聞に、これが「ガッツポーズ」だみたいな事を書いてあって、
笑った事を覚えています。

ガッツ石松という人も誤解を受けやすい人ですが、
現役の時は、やはり凄かったですね。
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