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【coyoteの質問 #125】
 スポーツというのは、日常に刺激をもたらしてくれます。
 皆さんの魂を揺さぶったスポーツのゲームやシーンを
 教えて下さい。
 いっぱいあるでしょうから、絞ってみて下さい。
 ぼくは3つにします。沢山あるんですけどf(^^;)。

[ボクシング]……大場政夫 VS チャチャイ・チャオノイ
 5度目の防衛戦で、1Rにチャチャイからの右ロングフックで、
 大場はダウン。その時に右足首を捻挫してしまいましたが、
 逆転でKO勝ち。
 右手が伸びきっても、まだストレートを繰り出そうとする
 大場に感動してしまいました。
 30年も前の試合でしょうか(*^_^*)?

[高校野球]……簑島 VS 星稜
 20年ほど前の夏の甲子園。
 延長18回に簑島がサヨナラで勝った試合ですが、
 16回表に、星稜がタイムリーで1点を勝ち越したんですが、
 その裏に、ファールフライを星陵の選手が転倒して落球。
 命拾いをした打者が同点のホームランで
 再度試合を振り出しにしたシーン。
 ああ、甲子園(*^_^*)。
 
[大学野球]……K大学 VS M大学
 一昨年です。
 10年ぶりの、母校K大とW大優勝決定戦の前にあったM大とのゲーム。
 3戦あった優勝決定戦では、1勝1敗でW大とタイの後、
 決定戦最終試合でW大に勝って優勝しましたが、
 優勝決定戦前のM大との試合では、
 15季連続で勝ち点を落としていたにも関わらず、
 延長15回で勝った試合は燃えました。

 皆さんの心に残っているスポーツシーンは?
 書き切れないので、みなさんのご回答を楽しみにしてます。

A 回答 (58件中41~50件)

ははは。



立て続けに、僕ばかり投稿してますねえ。
まあ、こんな日もありますか。

思い出したのが、リレハンメルのダン・ジャンセン。
最後の最後、本当の最後で、やっと金を取った男。
しかも、世界新記録。

 『 おいおい、またかよ。』

と、あの時、落胆したやつは多いだろう。

しかし、あの粘り。恐れ入りました。
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この回答へのお礼

lonewolfさん、再びありがとうございます。

おお、ダン・ジャンセン。懐かしいです。
リレハンメルで、金メダルを取った後のビクトリーランでは、
場内の照明は落とされて、スポットライトを浴びながら、
積年の悲運を霧散するかのように、悠々と1周していましたねえ。
亡くなったお姉さんの娘さん(?)を抱きながら。

金メダルへの執念と意地を見た思いです。

お礼日時:2002/01/24 17:20

取りあえず、1つだけ。



去年だったかな。
社会人ラグビーの決勝。
サントリーVS神戸製鋼。

永友の悔し涙には、胸が震えたなあ。

と、いう事で。
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この回答へのお礼

lonewolfさん、ありがとうございます。

この試合は、サントリーを応援していたぼくにとっても、無念のスコアレスドロー。
ロスタイムに入ってからの右中間PGのチャンスを外した永友。
これが入ったら、単独優勝だったんですから、落莫とするでしょう。

ああ、無情でした。勝負の世界は厳しいです。
思い出すなあ……。

お礼日時:2002/01/24 16:07

2回目です(^_^;)(^_^;)。


今回は感動&懐かし&個人的なお話を(勿論ノンフィクションですよ)。


今をさかのぼること30年、私が小学1年生、すみませんノンフィクションでした、
中学生の時に、日本で初めての冬季オリンピックが札幌で開催されました。
三波春男のこんにちわ~♪じゃない、トワ・エ・モワの虹と~♪が懐かしいですね。

この時igmp少年が恋してしまった「氷上の妖精」と呼ばれ一世を風靡した天使がいました。
そうです。「Peace&Love!」の落書きを選手村に残したフィギュアスケーターの
当時19歳ジャネット・リンちゃんです(現在はリンオバちゃんですが(^_^;)。

ご存知かと思いますが、感動のシーンは勿論、あの尻もちろん(^^;。
世界中がハッとしたあの瞬間、ペロっと舌を出しながらあのファニーなスマイルで立ち上がり、
今まで通りよどみなく滑り続けたシーンにはジーンときました。
しかも何となんと審査員のオバちゃんの1人が、転倒したにもかかわらず満点(芸術点)を
付けたと言うからまた驚き&感動でした。


その後のigmp少年ときたら写真集は買うわ、是非是非その感動のお礼をしたいなぁと、
堪能な英語力(???)を駆使してファンレターを出してしまうわと、すっかりリンちゃんの
とりこなってしまいました。

でで、その後再び感動の瞬間が・・・
なな、何ーと、リンちゃんから返事が来たのです!!!
きっと私の感動の英語表現にリンちゃんも感動したのでしょう、印刷文でしたが(^愛^;。
でもでも、宛先は手書きだったんですよ(本人の直筆かどうかは分かりませんが)。


本サイトにもPeace&Love・・・(^愛じぃ^)
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この回答へのお礼

igmpさん、ありがとうございます。

出ましたねー。
「札幌オリンピック」とくれば、「虹と雪のバラード」、
「氷上(銀盤)の妖精」、そして、日の丸飛行隊の三点セットです。

ジャネット・リン。可愛かったですね。額に靡くブロンドが印象的でした。
演技では銅メダルでしたが、笑顔では金メダルと言われたジャネット・リン。

凄いエピソードではないですか。
写真集に、ファンレター。おまけに返事。
羨ましい~~~~。いいなあ。その宛名は本人の手書きです。
間違いないです。ええ、ええ。あー、悔しい。

ぼくが中学校の時に出したファンレターというと、
截拳道の創始者、ブルース・リーくらいです。
しかも故人でしたしf(^^;)。

ジャネット・リンは、“Peace & Love”。
ジョン・レノン&オノ・ヨーコは、“Love & Peace”。

お礼日時:2002/01/24 15:48

御質問中に「絞ってみて下さい」とありますので、なるべく乱れ撃ちはしないようにしますが… (*^_^*)、


2回目、御免下さい。

【マラソン】
マラソンは昔から「オリンピックの花」と言われ、そのオリンピックの本番でも、幾多の名勝負がありますが、私が最も印象深いマラソンレースは、1983年の12月に行われた、翌年のロス・オリンピック代表選考会を兼ねた、福岡国際マラソンです。

レースは後半、瀬古利彦選手と、ジュマ・イカンガー選手の一騎打ちの様相を呈します。瀬古は、レース序盤から、周りの選手の状態を見て「今日の敵はイカンガーだけだ」と確信したそうです。さすが稀代のマラソン巧者。
2人の並走は40キロを過ぎてもなお続き、ついに2人並んでスタジアムに入ってきました。バックストレートに入ってイカンガーが引き離しにかかりますが、瀬古はぴったりくっ付いて離れません。そして最後の第4コーナーを回ってラスト100メートルの直線、瀬古が真骨頂のロケットスパートを見せ、あっという間にイカンガーを引き離し、そのまま優勝のゴールテープを切りました。

あんなに興奮したマラソンは他にありません。あの時期が瀬古選手の絶頂期だったように思います。
ただ、本番のオリンピックでは残念な結果に終わってしまいましたが…。


【解説者の絶叫】
「今まで生きてきたなかで、一番幸せです」というセリフが印象的だった、当時14才の岩崎恭子ちゃんのバルセロナ五輪(1992年)での金メダル。競泳女子200メートル平泳ぎ決勝。
金メダル候補だったアメリカのアニタ・ノールが序盤からぐいぐい飛ばす中、岩崎は前半押さえ気味でレースを進めます。そして150mのターン後、岩崎は一気にピッチを上げ猛然とノールを追い上げます。そしてラスト10メートル、実況の島村俊治アナウンサーの声に力が入ります。
「日本の岩崎にチャンスがある! 岩崎にチャンスがある! 
 もうメダルは間違いない! 並んだ、並んだ! 逆転した! タッチは!?」
次の瞬間、解説者の高橋繁弘氏が、立場を忘れ「やったーーー!!!」とマイクの前で絶叫します。

しばらくして落ち着きを取り戻した放送席では、島村アナが笑いながら、
「いやぁ、高橋さん、ほとんど解説になりませんねえ」「すいません、興奮しちゃって…」と高橋氏。
とってもヒューマニティー溢れる感動でした。
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この回答へのお礼

shino911さん、再度の登場ありがとうございます。

[マラソン]
 タンザニアの黒豹・イカンガーですねえ。
 覚えてますねー、このデッドヒート。
 福岡国際マラソンの名勝負ですね。
 しかし、1983年の事だったんですかあ。
 うーん、目が遠くなってしまいますねえ。

 この時期、ぼくは原宿に住んでまして、気分転換にと思い、
 千駄ヶ谷にある銭湯にたまに行ってたんですが、
 神宮を走っていた瀬古やヱスビーの選手とよくかち合いました。
 
[解説者の絶叫]
 やはり、水泳はこの島村俊治アナウンサーでしょう。
 ゴール寸前に来ると気合が違います。
 ソウルオリンピックでも、
 「大地来た!大地来た!鈴木大地来た!後半強いのはポリャンスキーだ」
 と絶叫してましたからねえ。
 これで、ポリャンスキーを覚えました(*^_^*)。

 この人は、長野オリンピックで、スピードスケート男子500mで
 清水宏保の実況もやってますし、
 「江夏の21球」のラジオ中継もやってましたね。
 好きなアナウンサーです(*^_^*)。

お礼日時:2002/01/24 02:45

14の回答で、


パウエルの世界記録って、もう、10年になるんだなあ・・・。
「その前」の記録を持っていた、ビーモン。
’68メキシコ五輪で、当時最新鋭の測定装置の設定距離を越えちゃったもんで、係が巻尺を持ち出して計測していました。20年以上破られなかった記録はこれぐらい。

あとメキシコの印象で、走り高跳びの「背面跳び」(選手名忘れちゃったけど、たしか、優勝はできなかったはず)。

プロ野球で、'73年
当時阪神の江夏投手が九回まで「ノーヒットノーラン」で抑えていたのに、延長に入っても味方が点を取ってくれない。へたをしたら「幻の記録」になりかねない展開で、延長11回、自らサヨナラホームランで決着をつける。(このころから、阪神って勝負弱かったんだなあ)
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この回答へのお礼

nozomi500さん、どうもありがとうございます。

[ビーモン]
 もの凄い記録ですよねえ。
 8m90cmという記録もさることながら、「20年以上破られなかった記録」
 というのも、記録の一つにしたいですねえ。
 鳥人です(*^_^*)。

[背面跳び]
 フォスベリーですね?フォズの魔法使いとか呼ばれてましたよね?
 背面跳びをフォスベリー・フロップとかいいますもんね。
 しかし、優勝しなかったんですか。惜しいですよねー。
 この背面跳びで打ち立てたソトマイヨールの2m45cmという記録が
 破れる事なんてあるんでしょうかねえ?

[江夏投手]
 おお、ありました。73年でしたか。随分、昔ですねえ。
 しかも、延長戦だったんですね。忘れてました(*^_^*)。
 相手は中日だったと思うんですが、阪神も中日も不甲斐ないですねえ。
 おっと、中日・阪神ファンの方申し訳ないです。

お礼日時:2002/01/23 17:45

coyoteさん、こんにちは。


感動のスポーツシーン・・・・・・あるものですね~。
皆さんのお話で、感動が蘇ってきました。

coyoteさんのおっしゃる、大場政夫の試合・・・覚えてますよ。
『男とは、こうあるべき』と、教えられた試合でした。
壮絶な人生の最後を迎えた事が、とても残念でなりません。

高校野球といえば、shino911さんと同じで、『三沢対松山商業』です。
当時、私は野球少年でしたので、涙なくして見ることは出来ませんでした。

さてさて私の感動したシーンはと、探してみたら・・・ありました!

今から30数年前、小学6年生の時の『クラス対抗水泳大会』。
たかが4クラスの対抗だったんですが、それはそれは燃えましたね。
事実上2組(私は4組)との一騎打ちだったのですが、僅か数ポイント差で、
遅れを取っていました。
最後の対抗リレーで、しかもアンカー勝負でタッチの差で1着となり
僅差での見事な逆転優勝となりました。
みんなが飛び跳ねて喜んだ様子が、昨日のことのように思い出されます。

学区の関係で、卒業後は私だけ別の中学へ進んだ為、ホントに良い思い出となりました。

こんな回答でもよろしかったでしょうか?
(ちなみに当然アンカーは私です♪)
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この回答へのお礼

おおおおっ、better-lifeさん、懐かしゅうございます。
またよろしくお願い致します。

「大場政夫の試合」も「三沢対松山商業」もいいですよね?

さて、better-lifeさんは体験篇ですね。
「クラス対抗水泳大会」。こういう試合は白熱するんですよねえ。
しかも、アンカー勝負ときたら、文字通り手に汗握るゲーム。
破顔一笑する生徒全員の顔が目に浮かびます。
ギャラリーではなく、プレイヤー自身だった事が、
感動をより深いものにしたでしょう。

30年前の事でありながら、色あせる事なく、鮮やかに蘇るのも
体験した人でしか分からないかも知れませんねえ。

ありがとうございました。今後ともよろしくお願い致します。

お礼日時:2002/01/23 17:30

世代によって色々な回答がありますね。



わたしは「劇的瞬間」に絞って3つほど。

まずは昨年のプロ野球・近鉄V決定試合
北川選手の逆転サヨナラ満塁ホームラン。
鳥肌が立ちました。

つぎに10年ほど前ですがですがボクシング
東京ドームでマイクタイソンが
ジェームスダグラスにプロ初ダウンを喫し
そのままKO負け。そういえばゲスト解説は長嶋茂雄でした。

最後はこれも10年ほど前、陸上
世界陸上東京大会で
走り幅跳び・マイクパウエルが
最後の最後に逆転の世界新記録。
あの集中力はすごかった。

他にも思い出せそうですが、この3つがベスト「劇的瞬間」です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます、sabbathiowaさん。

[北川選手]
 びっくりしましたよねえ。あんな漫画のような事が現実にあるんですね。
 しかし、史上初の代打逆転満塁ホームランで決めた12年ぶりのリーグ優勝なのに、
 あのホームランの査定は10万円だったというのは、ちょっと可哀想(*^_^*)。

[マイクタイソン]
 タイソンの圧倒的有利の中での勝利でしたね。
 実は、この試合は観てないんですね。 
 翌日か何かの新聞で読んで、びっくりしたものです。
 長嶋茂雄が解説だったんですか(*^_^*)?

[マイクパウエル]
 カール・ルイスとの一騎打ちですね。
 打倒ルイスの旗印の下、見事競り勝ったパウエルには、快哉を叫びました。

お礼日時:2002/01/23 16:50

柔道の田村亮子選手が、オリンピックで金メダルを獲った瞬間ですっ。


本当にキレイで可愛いと思ってしまいました。(^。^)
普段メディアで見かける彼女は決して美人ではない(失礼!)のですが、試合中、そして勝った瞬間は最高に素敵で惚れ惚れしてしまいました~。
CMなんかで見せている野暮ったい(ごめんなさいっ!)笑顔とは全然違って、もう、これ以上の美人はいない!! と思えてしまうくらいの魅力的な笑顔でした。忘れられません。(^○^)
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この回答へのお礼

ayaeさん、ありがとうございます。

ロシアのブロレトバに一本勝ちした決勝ですねえ。
ぼくは、女子柔道は普段見る事がなく、
こういうオリンピックでしか目にする事がないのですが、
シドニーまでの田村の悲運ぶり(バルセロナ、アトランタで銀)を
テレビによって学習してましたから、この時の優勝は、狂喜しました。

この試合の数日後、シドニーに行って、篠原の決勝を見たのですが、
ちょうど、この田村も観戦に来ていまして、周りはもの凄い人だかりでした。

お礼日時:2002/01/23 16:01

只今戻りました(^ ^;)。

#2では取り乱しまして失礼致しました。

いや、しかし、自分で質問を立てようかと思ってたくらい、熱望していた話題なんです。
改めて、ありがとうございます。

沢山あり過ぎて、絞るのが大変でしたが、とりあえず野球関係を2つ。

【プロ野球】
1979年の日本シリーズ、広島VS近鉄の、第七戦9回裏。
そう、あの有名な「江夏の21球」です!!

両チーム3勝3敗で迎えた第七戦。スコアは4対3。1点差を追う近鉄9回裏の攻撃。
先頭バッター羽田がセンター前ヒット、代走の藤瀬がすかさず二盗。
キャッチャーの送球がそれてセンターへ抜け、藤瀬は三塁へ。ノーアウト三塁。近鉄絶好の同点のチャンス。
ここで広島ベンチがとった作戦は、満塁策。
次の打者佐々木が三振でワンアウトとなり、いよいよ問題のシーン、石渡がバッターボックスに入ります。
その2球目、スクイズが外され、走り込んできた三塁ランナーの藤瀬はタッチアウト。
ツーアウトとなり、そして石渡も三振で、広島は日本一に輝きました。
決まった瞬間、江夏が飛び上がってキャッチャーに抱きついたシーンが、今でも焼き付いて離れません。

数あるプロ野球の名勝負の中で、私にとってのNo.1の試合です。


【高校野球】
箕島VS 星陵も確かに球史に残る名勝負ですが、私は、昭和44年の夏の甲子園の決勝、
そう、あの延長18回0対0、翌日再試合となった、三沢VS松山商業です。
三沢の太田投手は、なんと27回を一人で投げ抜いたんですねえ。
残念ながら三沢は敗れましたが、まさに「死闘」と呼ぶに相応しい試合でした。
再試合の9回表が終わった瞬間の、「太田、ついに投げ終わりました!」
と叫んだアナウンサーの声を今も覚えています。

ではまた、後ほど別ネタでお伺いします(^_^)。
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この回答へのお礼

shino911さん、ありがとうございます。

いやあ、かえってご迷惑をかけてしまいましたか(*^_^*)?
そんな事を仰らずに、この質問の行方を見守っていてください。

[プロ野球]
 名勝負の横綱ですね(*^_^*)。
 自らが招いた無死満塁を21球で、近鉄を封じ、広島を30年ぶりに
 優勝させたこの試合。正に江夏伝説。
 1点差まで詰め寄って、日本一になれなかった西本監督は、
 痛恨の思いだったでしょう。

[高校野球]
 これも高校野球界名勝負の最右翼ですね。
 東北勢初の決勝進出、という出来事がまた偉業ですね。
 青森県高校野球を語る時、三沢前、三沢後と二分出来るのかも知れません。

 余談ですが、ぼくは愛媛県の元高校球児でして、
 準々決勝は、この松山商業でした。
 最後の打者はぼく。
 「打った。ショートゴロ。ショートからセカンドへ転送。
 ランナー、フォースアウト。セカンドからファーストへ……、
 アウトォォォォ。ダブルプレイッ!試合終了ッ。ウウゥゥゥゥ~~~~♪」
 というのがラジオのアナウンスでした。
 
 別ネタお待ちしていますよ(*^_^*)。

お礼日時:2002/01/23 15:21

ええっと、何オリンピックか忘れてしまいましたが、


フィギアスケートで伊藤みどりがトリプルアクセル?(三回転半ジャンプ)
をオリンピック、で初めて決めた時!
赤紫に銀のキラキラをつけた衣装が印象的でしたね。
カタリーナ・ビット(東ドイツ)があまりにも美しい美貌の持ち主のため、
(後に女優に転身していたた記憶がある)
いつも芸術点で劣っていたのが(他の試合でも)、なんか差別的な感じがして
観ていて悔しかったです。
でも、伊藤みどりのあのジャンプを飛んでガッツポーズをした姿を見たときは
感動!しました。よかった。よかった。と・・。

あと、最近の日本シンクロナイズトスイミング女子チーム。
何の大会だったか忘れましたが、これもやっぱりロシアに芸術点で
劣るらしいのですが、でも、どっからみても、日本NO.1って思いました。
何で、あんなにきれいな円が描けるのか!上から撮った映像をみても、
すごくきれいな動きをしていたので、感動と感心していた覚えがあります。

あとは、去年のシドニーオリンピックの柔道。疑惑(疑惑じゃなく、ポイントをミスっただけだけど)の判定。名前、篠原でしたっけ?あれは、本人の言い分は別にして、悲しかったです(っあ、感動ではなかったですね)。
柔ちゃんに関しては、純粋にカンドー。

生放送バンザイです。

でも、オリンピックに偏っていまいました・・・。
きっと、他にもあるハズなのにい。
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この回答へのお礼

hana-furuさん、ありがとうございます。

[伊藤みどり]
 彼女はすごいです。カナダでは、フライング・ウーマンと呼ばれてましたし、
 やはりあのジャンプ力は凄まじいです。
 この時、伊藤みどりは、技術点で6.0を二つか三つ出して、
 ギネスブックに載ったんじゃなかったですか?
 この「三回転半ジャンプ」を決めたのは、この伊藤みどりと、
 あの悪名高い(*^_^*)トーニャ・ハーディングくらいでしょう。
 芸術点は劣るかも知れませんが、あの時に見せたガッツポーズは、
 審査員の胸も熱くさせてくれたでしょう。

 カタリーナ・ビットは、仰る通り映画にも出てましたし、
 自分で作った宝石か何かのブランドを身にまとって、
 ヌードも撮ってましたねえ。
 色々とやるものです(*^_^*)。

[日本シンクロナイズトスイミング女子チーム]
 この間のシドニーオリンピックでも、残念でしたよねえ。
 もう少しだったのに!悔しい~~~~。
 女性が活躍したオリンピックでしたよね。

[篠原]
 惜しかったです。ぼくは、現地でこの試合を観ましたが、
 篠原が投げた瞬間、勝ったと思い、撮っていたビデオの存在を忘れ、
 バンザイをしたので、肝心な部分がフレームアウトしてました(*^_^*)。

お礼日時:2002/01/23 00:53

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