牛、豚、鶏、どれか一つ食べられなくなるとしたら?

団塊の世代の人もそろそろ日本を動かしてきた現役から
引退間近になってきましたね。寂しいですね。
そんなあなた方も学生の頃はさぞやにぎやかだったと思います。

1960頃からマスコミなどによく出るようになり、
1968~69の安田講堂をピークにちょうど皆さんが学生運動の最後の活動をしてきたかたが多くいらっしゃると思います。

そこで質問です。
ぶっちゃけ、全学連や全共闘にはいって本気で
世の中変えようと思ってた人ってどのくらいいるんでしょうか?
ひょっとしたらクラブ活動みたいなもんで特に主義主張もなく、自分たちの団体がなにを要求しているかもわからず
ただ参加して楽しんでる人もいたのではないでしょうか。

そこのところ本音でお聞かせ願えませんか?

本気だった人、
可愛い子がいたからただ参加してた人、
いろいろな意見を聞かせていただけるとありがたいです。

もう一つ、
学生運動は東大を始め公立大学の学生が多く
私立では早稲田、明治、法政 同志社 立命館 日大 東洋などなどだったように記憶してますが
どういうわけか 慶應、立教などは封鎖事件などはなかったですよね?というかそんな学生運動なんかバカッ臭くて
やらないといった風潮でしたよね。
やっぱりおぼっちゃまで、「金持ち喧嘩せず」だったのでしょうかね?

貧乏だった方々、どう思います?

A 回答 (3件)

私自身は東大入試が中止になって、京大に行って彼らと対峙した側ですが、「世の中を変えなければいけない」と考えてはいましたね。


今の若い人と同様に、「現在が悪い」と言う事には沢山知識の在庫があり、現状是認を行う者には容赦なく罵声を浴びせていました。
勿論「ではどうする」と言った事には、マルクスレーニン主義といった出来合いの思想を使用する事しかできず、その点の指摘を行うと、「主体的にどう考えるかが問題」といった哲学論にはまり込み、しかもそれ自体もしっかり自分で肉付けできていない人が多かったと思います。
ただ運動の当初には「若い人がそう考えるのも無理は無い」といった「批判面の正当化」があり、それを「解決策に至るまでの人民の支持」と勘違いした彼らが、身内の論議のよって「純化」してしまった経緯があります。
全く感覚的な物言いですが、「物事を変えていかなければならない」と思っていた人は9割、「変えるためにはまず破壊が必要」と言う人が3割、「革命」を信じていた人は5%以下といったところでは無いでしょうか。
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この回答へのお礼

なるほど、よくよく拝見すると、結局のところかぶれてただけで、これといって自分の判断基準のないまま徒党を組んで希望をいっていただけのことなんですね。

本当に世の中変えたかったら、きちんと手順を踏んで行けば良かったのに・・。
つまり、立候補して選挙で通って政治家になれば良かったじゃないですか。国会で法律作って世の中変える以外に
日本では方法ないですよね。

なれなければ立候補者の考えは国民の希望するところではないということになるわけですよね。
やはり、学生運動なんていっくら東大京大いってても
所詮ハタチそこそこの考えが甘い若造のやりそうなことですね。
ご回答どうもありがとうございました。

お礼日時:2006/03/29 15:29

安田講堂の攻防戦は、全くの演出です。


事実、安田講堂は、既に、落ちていました。
それを機動隊は、わざわざ、馬鹿学生共を中に入れて華々しく演出したに過ぎません。
実にくだらない全くの茶番劇です。

*****

我が大学でも、封鎖の動きは事前に察知していました。
社会党の青年組織である社青同が指令を出していました。
1960年の安保闘争で冒険主義的行動に走った連中の最後のあがきです。
表面上は封鎖して学園を制圧しているかのようでしたが、実態は違います。
授業があっている教室には出入りすることも出来ず、ただ、バリケードの上で吠えていただけです。
もちろん、彼らの守護神は機動隊です。
ですから、我々は、機動隊がどのように彼らを扇動し助けるのかの情報を収集せねばなりませんでした。
権力の犬とは、正に、彼らのことです。

*****

「まだ、第1班は動くな!」
「封鎖学生を思い切り暴れさせよ!」
「目的は、彼らではない!」
「奴らが、排除に動いた時、奴らを逮捕せよ!」
「我々の狙いは、封鎖学生でない!奴らである!」

この無線を傍受していたのは私です。
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この回答へのお礼

ほー、真に迫ってますね。そんな裏攻防もあったんですね。そういうドラマは後に真実として発表されればいいんですがね。興味深く拝見しました。ありがとうございました。

お礼日時:2006/03/27 18:24

全共闘運動に参加していた人達は、それなりに


真剣でしたね。覚めた眼でみれば、馬鹿らしい
行為でしたが....
中国の文化革命の影響ですね。
なんでも既成の権威をぶっつぶす、それ一筋で
建設的なものは何もなかったですね。
朝日ジャーナルという雑誌が、全共闘の提灯持ちで
おだて上げていました。
当時は、朝日ジャーナルを小脇に抱えて、彼らの
戦いに共感できるなんてポーズを取るのが
かっこよかったんですよ。
ゲバルトばかりで、学園は荒廃の一途をたどりました。一種の熱病の流行ですね。
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この回答へのお礼

なるほど、やはり中にいた人のお話はマスコミなどでは出てこないモノですね。貴重な経験談ありがとうございます。

お礼日時:2006/03/27 13:40

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