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ホントにつまらない質問&無知ですみません。
毎日いろいろな法律的な問題が発生する昨今でイマイチわからない問題なのですが、よく聞く法律用語で「情状酌量」と言う言葉を耳にします。よく聞く例で「情状酌量により減刑・・・」と。。。

どういう意味なのでしょうか?

江戸時代(私は当然生まれていないので、当然TV時代劇の中の世界なのですが・・・)の「遠山の金さん」や「大岡越前」の名奉行の裁きの要素(人間的な)が、現代社会に於いても存在(この表現も正しいか解らないのですが・・)するという解釈なのでしょうか?

日本は法治国家ですが、この場合「法」は「絶対」(的)なモノと私は認識しています。ここに「情状」なる、いかにも「人間クサイ」ファクターは「法学」的な見地から如何なるアプローチがされているのでしょうか?又はこんな事はあまり考察対象にならないのでしょうか?

裁判員制度が数年後にはスタートするようですが、「裁判官」の、ある意味「主観」に拠るところが多いよな気がする要素に思えてなりません。欧米にも「情状酌量」なるモノ(システムでは無いので・・)は
存在するのでしょうか?

「法」を真剣に考え出すとこんな「支離滅裂」な質問になってしまいました。。。

わかって頂ける部分で結構です。ご教授頂ければ幸いです。

A 回答 (6件)

>ある意味とても「危険」な権限を持つ裁判所の「量刑」というものが、


>俗にいう「判例」などというもので簡単に処理はされてはいないか?
>という部分もとても気になります。

それは割とそのとおりと言っていいと思います。
(「簡単に」といっていいのかどうかわかりませんが…)

ただ、今まで日本がこういうシステムでやってこれた背景には、なんだかんだ言っても
司法(裁判所)に対する信頼と、その信頼に応えてきた司法、ってのがあると思いますよ。

裁判に対する批判はそれなりにあるけど、
それは(過剰といっても良いほどの)強い信頼の裏返しともいえるわけでして。
…本当に裁判官を信用できないなら、裁判官を信用しないシステムを最初から作るでしょう。
でも現実には、裁判員制度ですらこれだけ議論になるわけだから…。

ところで、

>「人間感情」という部分(限り無く主観的な部分)を「客観的」なモノとして裁くか

人間感情は必ずしも全く客観化できないわけじゃないという考え方もあることは知っておいて損はないと思います。
…でないと社会学なんて学問はあり得ない…。心理学もある意味人間感情の客観化でしょうし…。
法律学の世界でも「一般人の感覚」をよりどころにする場合は少なからずあります。
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この回答へのお礼

度重なる回答ありがとうございます。
おっしゃる通りですね。
少なくとも、三権のうち司法に対する信頼は絶大ですね。
行政・立法なんて「信頼」の二文字にも値しないでしょうし~。
我々一般人からするとやはり司法は「最後の砦」と言う感がします。
本来、行政は兎も角、「立法府」である国会に対して信頼を置くのが
普通だと思うのですが、どうもこの国はオカシイ。。。(この部分に限っては・・・)

>人間感情は必ずしも全く客観化できないわけじゃないという考え方もあることは知っておいて損はないと思います。

ごもっともです。私は元来理系人間でして、「法=絶対」と言う事は
「割り切れない」事は絶対無いと今まで考えていましたが、当然「法」は人間が作るもので、当然人間が運用するもので、当然人間的な解釈・
裁きがあるのだな~とここ2日間考えさせられました。
当然「危険部位」は残ってはいますが、「監視」するのも我々個々の国民の義務でもあると解釈すると、これってある意味凄く「民主的」な国家の在り方でもあるのかも知れないですね。
ありがとうございます。

お礼日時:2006/05/24 22:50

情状を酌量する,斟酌するということにつきましては,他の回答者の方のご回答でよいと思います。



こういう議論はなぜ刑罰を付するのか,刑罰とは何か,という根本的な問題まで至ってしまうので,深入りするつもりはありませんが,誤解をして欲しくないので指摘しておきたいこととしまして,

No.4さまのご回答の中に,執行猶予や執行をしないことについての記載がありますが,
執行猶予付の刑というのは刑法の刑罰のところに定めがあります。
また,刑の執行の手続については,刑事訴訟法の最後の方に定めがあります。
つまり,執行猶予というのは,懲役刑などの刑を定めて,執行の手続としてこれを猶予するという理解ではありません。
執行猶予付の刑というように実体的に理解しなければなりません。
そして,罰金にするのかとか,執行猶予付の懲役刑にするのかとか,実刑にするのかとか,何年にするのかというのは,刑種の選定と量定の判断という実体的な量刑判断であり,この権限は裁判所にあるわけです。
三権分立のもと,量刑の判断は当然に司法権の専権ですから,法務大臣などの行政側におうかがいをたてる必要はありません。
もちろん,どういうときに執行猶予付の刑を課すことができるか,どういうときに執行猶予が取り消されて実際に刑務所に行かなければならないかということも刑法は定めてあります。
また,手続としての刑の執行をしない(裁量的執行停止)という権限は,法務大臣ではなく,検察官にあります。
どのようなときに裁量的に執行の停止ができるかというのも,もちろん刑事訴訟法に定めてあります(出産前後など)。

また,被告人の人権を軽視するということは,国を全面的に信頼するということです。
国が間違いを犯さない,間違った捜査権限の発動や,刑罰権の発動がないと全面的に信じることです。
自分が法に触れることをしなければ,絶対に国(捜査機関)から疑いをかけられないであろうと国を信じることです(国から疑いをかけられても,これを晴らすちゃんとした手続がなくてもよいということですから)。
この国はほんの60年前には国から不当な国民への弾圧が繰り返されていた国です。
強大な捜査権限(押収,逮捕,勾留など)や刑罰権をもつ国を簡単には信じられません。
もちろん,被告人の人権を重視するから,被害者の人権を軽視してもよいということではありません。
両方重視して保護していかなければならないということです。

また,No.4さまは滋賀の裁判所の判決を指摘されています。
原文をご覧になられたのですか?
どのような犯罪だったのかご存知なのですか?
本当に掃除をしなかったら実刑になっていたといえる事例なのでしょうか。
その裁判所が,掃除をしたから執行猶予にしたということはありえないと思います。
それも一つの事情にすぎません。
あらゆる事情,もちろん犯罪行為自体の内容を最重要視して量刑の判断を行っているはずです。
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この回答へのお礼

詳しい回答ありがとうございました。
「執行猶予付の刑」と言う概念がある事をはじめて知りました。
>・・・この権限は裁判所にあるわけです。
>・・・あらゆる事情,もちろん犯罪行為自体の内容を最重要視して量刑の判断を行っているはずです。

裁判所はある種、絶対的な権限を「量刑」として行使していると考えてよろしいのでしょうか?
私のような素人から見るとどうもその辺りの「権限」がはっきりとした
「カタチ」として見えてこないのですが。。。
ある意味とても「危険」な権限を持つ裁判所の「量刑」というものが、
俗にいう「判例」などというもので簡単に処理はされてはいないか?
という部分もとても気になります。
素人ながらに勉強してみます。ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/24 15:03

量刑に差がでるのは、やむを得ないと思いますね


やむにやまれずでの殺人と一方的な殺人とでは
量刑は当然、異なるはずです
質問者さまの発言と同感ですが
わたしも、日本の刑法の理念っておかしいな
と思いますね
その第一が「執行猶予」
なんでもって、刑法でせっかく定めていることを
執行を猶予するのか?なぜそんなことができるのか?
執行猶予するようならそもそも法が無いのと
同じじゃないの、という根本的な疑問ですね
ここのところを、法学者さんたちはどう考えているのか
ぜひとも聞いてもらいたいものです
そもそも、法を執行しないという権限は
「法務大臣」(もしくは総理大臣)だけしか
所有していませんよね
本来なら裁判所は執行猶予判決を出したい
場合には、法務大臣に対して「超法規的処置願い」
というべきものを出さないと、理屈に
あわないじゃないんですかね
日本の政府全体が、そのへんのところを
理解できていないのですから、質問者さまのように
「法体系としてどうなの???」というような疑問が
出てくるだと思います
刑法自体は明治初期に江藤新平が、「日本は文明国」
というために「人権思想」を色濃くにじませた
ものを創作したわけで、被告の人権を守る反面
被害者への配慮がほとんどありません
このへんの100年来の矛盾が出てきているということに
なります
----------------------------------------------
別の事例としては
滋賀裁判所で、「被告は毎日、町内道路の清掃をしている
反省の情が見られるので執行猶予とする」
というような、とんでもない判決が過去に出ました
いったいぜんたい、この裁判長は刑法と自分の立場という
ものをどう認識しているのかと耳を疑いましたね
質問者さまの言うように「大岡越前もどき」の裁判官が
多く存在するのは事実ですね
しかしながら、三権分立の現在では「大岡越前」は
不要ですし、そんな判決をするようなら越権行為です
司法は「罪の重さを評価し裁く」のみであります
ついでながら教育・更生は行政の仕事です
裁判のときに「これからは真人間になりなさい」など
裁判長が被告へ呼びかけたりしますが
(これも大岡越前の影響か???)
これは司法の仕事ではありません
極論すれば「越権行為です」
--------------------------------------------------
わたしの結論を言えば、
情状酌量は必要(被告にもそれなりの理由があるとき)
反省の情の評価は不要(罪を裁くことだけが必要)
執行猶予は原則としてだめ(よほどの理由があるときのみ)
心身こう弱者の減刑も不要(何人も罪は償うべき)
裁判官制度は大賛成(あほうな裁判官まかせにはできない)

です
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>わたしの結論を言えば、
情状酌量は必要(被告にもそれなりの理由があるとき)
反省の情の評価は不要(罪を裁くことだけが必要)
執行猶予は原則としてだめ(よほどの理由があるときのみ)
心身こう弱者の減刑も不要(何人も罪は償うべき)
裁判官制度は大賛成(あほうな裁判官まかせにはできない)

私も全て同感です。。。

「ヒト」としての「大岡越前もどき」の「裁判官」には私は大変惹かれますし、感動すらおぼえます。
しかし、「法」を「司る」立場の「人間」ならばハナシは別でしょ!
と思ってこの質問を投じました。
その「人間感情」という部分(限り無く主観的な部分)をどう「法」の
前で「客観的」なモノとして裁くか、と言う部分が一番(かな?)大事
な部分で、最も考察されなければいけない部分だと思うのは、私のような「素人考え」でしょうか?
いろいろ勉強してみます。ありがとうございました。

お礼日時:2006/05/24 14:28

法は絶対でもその量刑についてはご質問者の認識の通りです。



栃木実父殺し事件というのがあります。
極悪非道な父親(娘を14才から強姦し子供を作らせ、拘束し、自分の物とし続けた)をついに耐えられなくなり殺した事件で懲役2年6ヶ月、執行猶予3年となりました。

一方で同じ栃木では母子を自分の欲望のままに母を殺して死姦し、赤ん坊を首を絞めて殺した人物がいます。

量刑において同列に扱いますか。それが正義と感じますか?

なので量刑に差があるのは人間感情として全うな話です。
ただあえて言うと、「刑罰」は基本的に改心させ、更正させるために与える物という考えもあります。その意味では先の例の前者はもう二度と殺人はする訳もないし、後者は相当な反省を求めないとまた繰り返すのは間違いないでしょう。

でもこれは後からつけた理屈のようなもので、一番根底にあるのは人間くさい話と思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>でもこれは後からつけた理屈のようなもので、一番根底にあるのは人間くさい話と思います。
この考え方に私も同感です。
>なので量刑に差があるのは人間感情として全うな話です。
「人間感情」ですか。。。「法」に於いて一番難しいトコロですね~。
(ここまで行くと「法」の範疇を超えてるのかも?)
「法」というモノを持ってきて「公平にジャッジ」する時に
「人間感情」はある時は「社会正義」になり、ある時は「危険」なモノに変わるかも知れないですね。。。
参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/05/24 14:15

「情状酌量」なんて言葉は刑法の分野でしか使わないので、話を刑法に限定します。



>どういう意味なのでしょうか?

文字通り情状を酌量する、という意味です。
…って、これじゃ分からないから質問しているんですよね。

>この場合「法」は「絶対」(的)なモノと私は認識しています。

少なくとも刑罰に関しては法律の存在は絶対的なものです。

ただ、その法による定めに一定の幅を持たせていて、
その幅の中からどこを選択するかは裁判官の裁量に任されています。
この選択の作業の中で様々な情状を酌むわけです。
(軽くする方向だけでなく、重くする方向のものも含みます)

つまり、刑を決める手順を思いっきり端折って箇条書きすると、
(1) 法律によって範囲限定。ここには情状の入り込む余地はない
(2) (1)によって決まった範囲の中から刑を選択。ここで情状を考える。
…というわけです。(本当は8項あるところ2項にまるめちゃった!)

たとえば、盗みをすれば窃盗罪で1月以上10年以下の懲役ですが、
(実際は累犯加重やら併合罪やら加わってもっと複雑ですが)
「1月~10年」のどこにするかを決めるときに情状を考慮するわけです。
(ここでも、最低刑でもまだ重いってときには酌量減軽って制度もありますが)
…だから、軽くする方向とは限りません。重くする方向もあります。

>「法学」的な見地から如何なるアプローチがされているのでしょうか?

いろんなアプローチがありますが、1つ有力なのは、
「適切な刑を決める基準のすべてを法律に書き出すのは不可能」
「考え得る事情をすべて法律で分類するのも不可能」
ってことでしょう。
(でもこれ、法学というより刑事学的なアプローチかも)

>欧米にも「情状酌量」なるモノ

欧米といっても、アメリカやイギリスなどの英米法と
フランスやドイツなどの大陸法ではまるで制度は異なりますが…
いずれにしても刑をガチガチに法定しているって国は存在しないと思います。
(日本ほど裁量に頼る部分が大きくはないかもしれないけど)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
「適切な刑を決める基準のすべてを法律に書き出すのは不可能」
「考え得る事情をすべて法律で分類するのも不可能」
・・・ですよね。
最終的には「人間臭さ」が根底にあるのは面白いですね。
法律=ガチガチに難しいモノ と考えがちですが(当然簡単ではないのですが)この「人間臭い」トコロを勉強するのは面白い学問でもあるわけですね~。所詮「法」は神や仏が作ったモノではないですからね~。
大変参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2006/05/24 13:54

>欧米にも「情状酌量」なるモノ(システムでは無いので・・)は



情状酌量はヨーロッパ、米国のシステムというか制度です。
江戸時代やそれ以前は日本も厳罰主義でした。
しかし、近代化とともに、「厳罰主義」から「犯罪者更正」という流になり、とくに終戦後その流がつよくなりました。

しかし、いまでもイスラム圏などは「情状酌量」のない厳罰主義です。

「情状酌量」は「裁判官」の「主観」というより、過去の判例が優先されます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
欧州・米国にもあるんですね~。
あちらの方の人種の方々は「システマティック」な考え方を
されると思ってましたので「そんなんないだろう~」と考えてました。
イスラム圏の方々は「法」の前に「宗教」が先に来るのかな?
素人ながら多少の勉強をしてみようと思います。

お礼日時:2006/05/24 13:38

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