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 真田太平記を読んで、その中に豊臣秀吉は源氏ではないので征夷大将軍にはなれなかったとありました。 源氏ではないというのは、源平時代の源氏の子孫ではなかった?もしくは源氏側ではなかったという事でしょうか? 誰か教えてください。

A 回答 (3件)

 そもそも源氏とは、天皇の子孫が臣籍降下して得る姓です。

これは、嵯峨天皇(50人もの子がいた)の子が源の姓を賜って臣籍降下(皇室のリストラですね)に始まります。
 源氏といえば、清和天皇の子孫である清和源氏が有名ですが、本来、清和源氏は、数ある源氏のうちでも格が低い存在でした。ところが、源頼朝が征夷大将軍になったために、その格式が高まったのです。
 徳川家康は、系図を偽造し、自分が清和源氏である新田氏の末裔であることを自称しています。祖先を新田氏としたのは、清和源氏足利氏のことを考えてのことです。新田氏は、足利氏の祖先の兄に始まる家系です。
 さて、豊臣秀吉ですが、征夷大将軍を狙ったことがあります。この地位を得るために、足利15代将軍義昭の養子となることを画策したのですが、義昭に断られて失敗します。そのため、近衛家の養子として、すなわち藤原秀吉として関白の地位を得ますが、その翌年、天皇から豊臣の姓を賜ります。これは、天皇から新たな姓を賜ったということでは箔がつく話ではありますが、「あんな百姓出身の奴に由緒正しい藤原を名乗らせてたまるものか」という公家たちの反発も反映していると考えられます。
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この回答へのお礼

早速ご返答頂きましてありがとうございました。
今までは低い身分からの出世が多い幕末時代の小説ばかり読んでいたのでとても勉強になりました。

お礼日時:2006/06/02 21:39

室町時代末期から江戸時代にかけては「征夷大将軍に就くには源氏でなければならない」という暗黙の了解が「出来ていました」。



ただし、実際には初代の坂上田村麻呂を始め、鎌倉時代、江戸時代にも「源氏ではない将軍」はいました。ですので「源氏でなければ将軍になれない」というのは都市伝説です。
しかし、都市伝説とはいえ、何百年も(大げさですか?)言われ続けると真実味をもつらしく、徳川家康は将軍に就く為に家系図を偽造し「あたかも自分が源氏の流れを汲むもの」であるかのようにしています。

源氏・平氏というのは「家系」です。清和天皇の子孫の武家を源氏、桓武天皇の子孫を平氏といいます。源平時代に於いて頼朝を支えた北条氏は「平氏」ですので「どちら側」と言うことはありません。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。 最初の投稿だったのでポイントを
つけさせて頂くつもりがミスでついていませんでした。  すいません・・・

お礼日時:2006/06/02 21:59

事実かどうかは別として


源氏は清和天皇の子孫であるので「清和源氏」
平氏は桓武天皇の子孫であるので「桓武平氏」
いう呼び名があります
数ある武士・豪族の中でもとびぬけて
血統が良かったということになりますね
ですから、源氏か平氏の子孫でなければ
将軍になれなかったということだと思います
豊臣秀吉は農民の出であったので
「源氏」「平氏」の子孫だと主張できず
将軍になれなかったので
豊臣家という「公家」家を新設させて
公家の最高位である関白という位をもらいました
徳川家康は(たぶん強引に)「平氏の子孫」だと
言い張って、天皇に将軍になることを承知させました
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。 最初の投稿ということもあり
ポイントをつけたつもりがミスでつけられていませんでした。すいません・・・

お礼日時:2006/06/02 22:01

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