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源平の戦いのころ。
東軍(源氏)は、武人である領主やその一族郎党から構成されていたのですね。
他方の西軍(平家)の武人は、領主などだったのですか?

A 回答 (3件)

源氏と同じです。

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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
源氏も平家も同じなのですね。

お礼日時:2023/01/13 17:17

当時の地方の社会は東西とも、ザックリといえば



国司   下級貴族
随身   国司の家臣や雇われた実務の専門家
在庁官人 国衙の幹部職員 土着した国司や随身、古代豪族の子孫
荘官、郡司 土着した国司や随身、古代豪族の子孫
下級荘官、名主 荘官や郡司の一族、中小の古代豪族子孫、有力農民
農民 実際に農地を耕作する人

という階層に分かれていました。在庁官人や荘官、郡司クラスが本来の原理主義的な意味での「武士」で、下級荘官や名主は武装していても武士に従う「郎党」です。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
武士の定義は<在庁官人や荘官、郡司クラスが本来の原理主義的な意味での「武士」>なのでですね。

お礼日時:2023/01/13 17:14

坂東にも西国にも、それぞれ源氏一族と平氏一族が住んで居て、


住み分けをしてはいません。
従って、兵隊の構成要因は同じです。

源氏同志、平氏同志で争いもしてました。
平将門を討ったのは平貞盛です、貞盛の五代後が平清盛です。
木曾義仲の父源義賢は源頼朝の兄源義平に討たれています。
軍事力を持たない、後白河法皇は、武家同志が相争う事を巧みに
利用した策略家の怪物なのです。
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この回答へのお礼

早速の御回答ありがとうございます。
源氏も平家も混在なのですね。

お礼日時:2023/01/13 17:10

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