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タイトルどおりです。ローマ帝国とゲルマン民族の関係を調べています。どんなことでも良いので、何かご存知でしたらご教授願います。

A 回答 (3件)

シーザー、BC59年ごろからガリア地方に総督として赴任するが、現在のフランス地方を中心にガリア人が跋扈し、その東のライン川にはゲルマン人の世界が広がっていた。


この時、ガリア人のヘルベティ族がシーザーに襲いかかり、辛くもこれを退けると、今度はゲルマンのスエヴィ族が襲い掛かり、これを破ると共に、ローマは初めてライン川を越えてゲルマンに侵攻した。

トラヤヌス帝、ゲルマン総督から帝位を継いだ。
帝位を推戴されてからも2年間ゲルマンに留まり、ライン-ドナウの防衛線を安定させてから、ローマに帰還し、即位。


マルクス・アウレリウス帝、5賢帝の最後の一人だが、ドナウ川防衛のため、再三ゲルマン人と戦い、ウィーンの近くで病没。
彼の功績を称え「マルコマンニ戦勝記念碑」が建てられ、今に残る。
映画グラデュエータのモデルにもなっていますね。

ユリアヌス帝、背徳者とキリスト教徒からは嫌われているが、哲学的な皇帝で、ガリアに進入したゲルマン族を討ち、帝国につかの間の安定をもたらした。

ゲルマン族は国家という意識が無く、「フランク=自由」と言うように、気ままに暮らしていたが、外敵に対しては一致団結して、一族に中で一番指導力のあるものを「総統」として戦います。
その為、数世紀に渡ってローマはゲルマンに悩まされ、衰退していきますね。
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 西洋史に関する根源的なテーマなので、過去無数の学術書・名著が出ています。



 日本人に読みやすく、体系的で決定版といえるものがあります。

 塩野七生「ローマ人の物語」
 かなり有名な本で、途中までは文庫本にもなっています。(続刊中です。)

http://iwao.pekori.to/shiono/roma/index.html
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おおざっぱすぎて思わず笑ってしまいました。

ハードコアな掲示板だったらぐぐってからモノを聞けと煽られること間違いなしですね。
URLを貼っておきますからまずはご一読ください。それと、あなたの質問を読んだ者を代表して一言。

「人に聞く前に自分で調べましょう」

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB% …
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