A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
No2さんの回答はそのとおりなのでちょっと補足・・・私の回答は濃姫限定ではなかったので・・・
濃姫なのですが、確実な足跡が不明なのです。
本能寺の変のさいに一緒に死んだとも、父道三が死亡後離縁して美濃に帰ったとも、本能寺の後も生きていて10数年後死亡とも、はてまたとついですぐ死亡ともいわれています。
つまり記録としては濃姫が出歩いていたかは不明です(資料がなく、そもそも足跡が不明な人ですから・・・)。
その会話などは、あくまで大河ドラマの創作ですね。
ただ、他の大名の妻とかは、それなり自由ではあったと思います。
No.2
- 回答日時:
戦国時代は#1さんが書かれた通りですが、信長に関しては妻がふらっと外出することは考えにくいです。
1582年に安土城の女中たちが信長の留守中に、桑実寺に参拝に訪れたことを信長が咎めて、女中たちと擁護した桑実寺の僧侶たちを殺害するという事件が起きました。
信長は女性に優しい心配りをする反面、秩序を乱すことを嫌う性癖があり、自分に仕える女性たちが勝手に外出すると、こうなってしまうようです。
No.1
- 回答日時:
まず・・・戦国時代と江戸期~近代までは、女性の扱い方に大きな隔たりがあります。
まず、離縁について。戦国までは離縁は女性に対しても権利として認められていました。
鎌倉時代までさかのぼれば、しっかりと文章化されています。
さらには、女性の城主まで存在していました。
有名なのは美濃岩村城の尾張御前。織田信長の伯母でした。
ほかには立花闇千代。7歳で城主になった彼女の場合は、彼女の家を継ぐべき男子兄弟に恵まれなかったため、かの有名な豪遊無双の士、立花宗茂を婿養子の夫としていますが、不仲により離縁しています。
合戦についても女性がかかわっている例はあります。
出羽の鬼姫として恐れられた伊達政宗の母であり、最上義光の妹である最上義。彼女は両人が対峙したさいにその陣の間に御輿で乗り入れました。そして数ヶ月居座ってついに両者を和解に持ち込んだといわれています。
また、竜造寺千世。1570年の今山での戦は彼女の一声で夜討が決定、大勝したといいます。
次いで政治。秀頼の生母である淀(浅井茶々)が政治のかなり強い部分を握っていたことはしられていますね。
このとき彼女の妹は使者として表舞台で活躍、秀頼の母である姉の説得に当たっています。
他にも、城主である夫不在時は妻が政務を取り仕切っていたというのはよく資料で残されています。
さらには上杉謙信女性説までありますし・・・まあこれは俗説ですが、義経を女として書いているマンガなんかよりはよっぽどましな説です。
http://www.interq.or.jp/asia/kakka/sacc/cg/list/ …
こういったふうに、社会参画という面で言うと、実際は現代以上に開放的であった戦国時代です。
女性が一人で他の人の妻に会いに行くというのも、なんら不思議ではないと思います。
まあ、その反面、政略結婚といった一面もあり、現代の感覚ではこちらが強くなっているのかと思います。
参考URLには、戦国において鬼姫とまで言われた義姫を乗せておきます・・・
参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/義姫
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