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中国皇帝の廟号は多くは初代が太祖、高祖、世祖など○祖、二代が太宗、以下○宗・・・です。初代以外で明の成祖永楽帝、清の成祖順治帝、聖祖康熙帝は廟号に祖がつくのはなぜでしょう

A 回答 (3件)

「祖」の廟号は「王朝を確立したり、しっかり立て直したりした、創業者に匹敵する業績」とされた皇帝につくようです。

明の永楽帝、清の順治帝・康熙帝はNo1さん、No2さんの言うように王朝を建てたのと同じような業績とされました。

他には、自身が創業者(初代皇帝)だが遡って帝号をおくったために太祖でなくなる場合(魏の太祖曹操と世祖曹丕、晋の高祖司馬懿・太祖司馬昭と世祖司馬炎、元の太祖チンギスハンと世祖フビライなど)、実質的には創業者だが名目的には後継者である場合(東漢の世祖光武帝)もあります。

また、第三代なのに「太祖」がいる南朝宋(初代は高祖、第四代に世祖)なんかもあります。
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この回答へのお礼

なるほどの回答ありがとうございます。
日本のことですが、先日、史跡になっている加賀前田家の墓地を訪問したが、一番高い場所にあったのは、藩祖前田利家ではなく、兄の利久の墓でした。創業者が親や兄を名目上の初代にしている例でしょうか。

お礼日時:2006/07/08 10:34

Wikipediaの「諡号(しごう)」の説明に以下のようにありました。



『清の初代ヌルハチは太祖高皇帝、初めて中原を支配した三代目順治帝は世祖章皇帝、その子で賢君の誉れ高かった康熙帝は聖祖仁皇帝とされ、稀に見る一代三祖となっている。』

ヌルハチは大清と名乗る以前の金(アイシン、後金)の創始者ですし、まだ中国は支配していない(皇帝ではなく、まだハーン)けれど、大清帝国の基礎を築いたので「太祖」。

順治帝は長城を越えて北京を陥落させて、初めて中国本土を支配した(しかし明の残党が南部に残っていた)から「成祖」。

康煕帝は三藩の乱や鄭氏台湾など、反清勢力を一掃した(実質的に全中国を支配した)ので「聖祖」です。

ややこしいですね。

この回答への補足

日本の将軍いうと室町初代足利尊氏が「太祖」3代足利義満は南北朝統一したので「成祖」に相当するような業績ですね

補足日時:2006/07/08 10:35
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この回答へのお礼

まちがって補足のところにお礼記載してまいました。

お礼日時:2006/07/08 10:43

永楽帝については、正当の皇帝から帝位を奪って即位したということがあげられるでしょう。

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この回答へのお礼

明の2代って簒奪されて、皇帝から削られていたのですね。ありがとうございます。

お礼日時:2006/07/08 10:45

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