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お世話になります。私たちはよく二分法を使います。
たとえば、
「見えるものと見えないもの」
「動くものと動かないもの」
「変わるものと変わらないもの」
「生きているものと生きていないもの」
つまり、「AとAでないもの」と言う分け方です。
これは一見、Aを指示する為に、Aその物を指示せず、
Aでない物によって、Aを指示しています。

また、「事物」「ことがら・と・もの」
この場合、「もの」でないものは「ことがら」なのか、
「もの」「ことがら」以外のものが有るのかと尋ねたくなります。

さてさて、「もの・物とは何でしょうか」
「もの・者」に関しては、此処では立ち入りません。
「生き物」はあっても「生き者」と表現しませんから。

宜しくお願いします。

A 回答 (6件)

基本的には、「もの」は人の認識の対象で、「こと」は「もの」の有り様だと思います。



ただし、名を持ち現実に存在するものについては、以下のように考えました。
諸行無常、この世に常なるものはきっと無いだろうと思います。とどまらないことは、変化であり、流れである。
では、なぜその「流れ」が名を持つ「もの」になるかというと。ある「もの」の名が妥当であるかどうかという基準に幅があるからです。りんごを土の上に置き放置しておくと、腐敗していくにつれて、色や形や匂いが変わって行き、やがて土に還っていきます。いつまでが「りんご」で、いつからが「土」であるかというのは言い得ません。しかし、置いてからしばらくは、はっきりと「りんご」と認識できるでしょう。性質(色、形、匂いなど)が変化し続けるものを「りんご」と認識できるのは、りんごであるかどうかを判断する基準に幅があるからです。ですから、名を持ち現実に存在するものは、幅のある基準に当てはまった「流れ」だと思います。
さて、「流れ」は、「こと」であるか「もの」であるか。おそらく、どちらでもありません。言葉というのは、何らかの抽象を必要とします。それは、対象がもつ要素を際立たせ固定化することに他なりません。「流れ」は固定化したとたんに「流れ」ではなくなってしまう。ですから、私が「流れ」で示そうとしているものは「流れ」でもありません。それは、我々の目の前にあり、「こと」でも「もの」でもないものです。

また、「もの」の「物らしさ」には人の認識能力が関係していると思います。人がその生滅を認識(想像)しやすいもの、視界の中に納まるもの(見えるもの)、手で触りやすいもの(紙、机、コップなど)ほど、「物」らしい。一方、人よりも遥かに長い間存在すると思われるもの、その全体が見渡せないもの(見えないもの)、触れないもの(宇宙、空、星など)は、物質的には「物」ですが。日常の言語感覚では「物」らしくない。ただし、生き物はこれらと少し違います。人は自らも持っている命を、生き物にも見出すからです、原初的にはある種の同属意識があったはずです(人間に近しいものほど)。このことは、宇宙、空、星が「物」らしくないことにも関係します。かつて(一部では現在も)、人はそれらを自分や動物に似せて神格化し、信仰していたからです。また、そういう神話的な思考の中では「物」でさえ魂をもつことがあります(針供養など)。それゆえ、「物」という言葉の内実だけでも、科学的な思考が広まった現代では昔の人とは隔たりがあるはずです。かつて、人と物、人と動物の距離はもっと近かったでしょう。それが現代に近づくにつれて地球(自然)は物に成り下がり、物からは魂が抜けました。このような経緯があるので、はっきりとした「物」の境界はないと思います。

当方素人なので、一般的ではないと思います(特に2つめ)。一つでもibidemさんの参考となれば幸いです。
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この回答へのお礼

これは驚き、桃の花(笑。

なるほど、運動と言う形式ですね、
一つ目は運動の変化、物質の流れですかね
二つ目は、擬人化と物象化の相反する運動でしょうか。
興味深いご回答を頂き、参考になります、有難うございました。

お礼日時:2006/06/17 13:57

  私達はこの世にある全てについて、「ものごと」といふ言ひ方をします。

そして「もの」と「こと」に分けても考へるやうです。
  「そんなことが判らないのか」と言つたり、「こんなものが落ちてゐました」と言ひます。現代の概念では、「もの」は空間を占めてゐる存在を多く指すやうです。一方「こと」は、物と物や、物と事、あるいは、事と事との「繋がり方、ありかた」などを指すやうです。
  「もの」は、物質には限らず、人にも使ひ、「人を物體化する」やうです。「私は、かういふ者です」と言ふ時は、自分を相手と對等の人ではなく、「物並みの存在」としてゐます。「あんな者の言ふ事を聽くな」と言ふ時の「者」も同樣でせう。畜生の猫などを指して「生き物」と言ふ場合、それは飼ひ猫の氣持とか、飼ひ猫と飼ひ主の關係などではなく、「活きている物體としての存在」を指します。この場合「者」といふ漢字をあてはめないのは、「者」は「人をもの呼ばはりするときに使ふ」からです。
  私には判らないことですが、事柄を主に語るのにも拘わらず、「ものがたり」といふ言ひ方があることです。物語の内容を「かたりもの」と言ひますが、この場合の「もの」は、「ことがら」ではないものの、物質的な存在ではないことは確かです。
  あるいは「もの」は、空間を占める存在に限らず、何らかの意味で對象化したもので、「こと」に屬しないものかも知れません。例へば「言葉で抽象化したものは、繪で示すことが難しい」といふ文章において、ここでの「もの」は空間を占める存在ではありえないからです。
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この回答へのお礼

うん~なるほど、
天の声に、思わず唸って、絶句。

「もの・物」と「もの・者」は同じ、このご意見は、前のご回答者様も指摘されましたが、
表意文字としての「物」と「者」が同じとは、興味深いご回答です。

此処は一つ、外国語に詳しい方に、「物」・「事」と「物」・「者」の表現が
どんな按配なのか、別のカテに質問したくなりますね。

もう少し此処で待ちましょう、有意義かつ楽しい回答有難うございます。

お礼日時:2006/06/15 18:44

「もの」とは自己同一的な「何か」を指示する語とでもいいましょうか。


「何か」というのは感覚的・非感覚的を問わず単語や名前、概念などで示される対象や存在者ですね。例えば感覚的なもので言えば机や家や人、非感覚的なものであれば神というもの、戦争というもの、価値というもの、といった具合です。自己同一的という意味は、例えば林檎は皮や芯や種に分解できますが分解されたそれらは林檎ではありませんね。林檎は林檎でそれ以上分解できない「もの」です。
以上のような理由から「もの」は「者」でありまた「物」でもあるんです。
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この回答へのお礼

なるほど、一理ありますね。ただ
質問のタイトルは「AとAではないA」
と言う訳の判らない表現なのですが、違和感が無いのが不思議。

「戦争というもの」これも少し不思議ですね。
有難うございました。

お礼日時:2006/06/13 17:41

#1です。



>人間や他人のことを「もの・物」と表現したり扱ったりしないですね、
「もの・物」は「もの・者」でないもの、と言う例の否定形になるのでしょうか。

哲学の問題ではなく、日本語の問題ですね。
確かに、他人のことを「もの・物」というのは、失礼だと思います。
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この回答へのお礼

アドバイス有難うございます。
確かに、日本語の問題かもしれませんね。
哲学としては、ES細胞はものなのか、情報は事柄なのか?
ものとものでない物の境界を、1)の前提に逆らって、
色々なお考えをお聞きしたかったのですが、
ES細胞とかは例えで、他にも「もの」の境界でうろうろするものがあるのではと言ったところです。

有難うございました。

お礼日時:2006/06/11 10:30

空間・概念・神・社会


これらが私に考えられる"もの"でも"こと"でもない「もの」です。
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この回答へのお礼

具体的なご回答、有難うございます。
質問の「ものでないもの」自体、問題をはらんでいますが、
みんな人間が、考え出したもの、と言う表現も可能ですね。

お礼日時:2006/06/10 15:30

ご質問に関しては、以下の2点が関連してくると思います。



(1)「もの」や「こと」には、厳密な定義がない。その意味には、幅があり、重なり合っている部分が有る。
(2)「もの」や「こと」という言葉に対応する何らかの実体、すなわち、「この世界の構成要素やその有り様」については、だれも正確にはわかっていない。

従って、正確な回答にはなりませんが、アバウトな考えとして、取り合えず、以下のように考えてみました。

「もの」は、狭義の意味では、「物質」の意味と考えられ、広義の意味では、ありとあらゆる知覚と認識の対象と考えられます。一般に、「物」と漢字で書くときは、狭義の「物質」のイメージに近く、「もの」と平仮名で書くときは、広義の意味で使われているように思います。

また、「こと」は、「もの」の「有り様」ではないかと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答有難うございます。
簡潔にまとめられましたね、議論を深める為に少し突っ込む不作法を許し下さい。

>ありとあらゆる知覚と認識の対象と考えられます。
人間や他人のことを「もの・物」と表現したり扱ったりしないですね、
「もの・物」は「もの・者」でないもの、と言う例の否定形になるのでしょうか。

さてさて、皆様のお知恵を拝借して、言葉の曖昧さを吟味したいものです。

お礼日時:2006/06/10 15:03

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