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以前にも似たような質問があったかもしれませんが気になったので質問させてもらいます。

ときどき自分は生きていることを不思議に感じることがあります。そう考えていくと、なぜこの世が存在しているのかというところにたどり着きます。

物理的に言うとビッグバンが起きて…ということになるのでしょうが、哲学的な観点から言うとどんなことになるのかが知りたいです。

神や宗教など様々な観点からどんなことでもいいので何か知っている方は教えてください!
回答よろしくお願いします!!

A 回答 (12件中1~10件)

人間は他の動物に比べ


物事を抽象的に考える能力が優れていると考えられています。

自分や、自分がいるこの世界を
見たまま、感じたままに受け止めるのはなく
なぜ?と、思考によって捉えなおそうとするのは
まさに抽象概念が発達した人間ならではの振る舞いなのでしょう。

そんな人間ならではの特徴が生んだのが
宗教や哲学や科学(物理学や数学など)なのだと思います。
> なぜこの世が存在しているのか
それは、最も根本的でありながら、ある意味、究極の問いですよね。

> 哲学的な観点から言うとどんなことになるのかが知りたいです。
結論から言うと「分からない」というのが主流になるかと思います。
実も蓋もないない回答ですね。
なぜ「分からない」ということになったのか?を説明すると
これは哲学の歩みを1歩づつ辿っていくことになっちゃうのかなぁ
と、思います>この場ではなかなか厳しいものがある。

> 自分がいるから自分が存在している世界を認識できるのですね。
そうですね、その通りだと思います。
しかし、一方で
> 自分が死んでも今生きている世界はずっと残っている
そうですね、それも多分間違いないことだと思います。
でも、死んだら、自分はこの世界を認識できなくなるでしょう。
●自分がいるから世界を認識できる。
●つまり自分が死んだら、世界は認識できない。
●でも、自分が死んでも、世界は在り続ける。
●世界が在っても、自分が認識できなければ分からない。
●つまり、人間は認識できることしか分からない。
●でも、人間の認識が世界の全てではない。
●よって、人間は「全て」を把握できない。
今、哲学は、この辺りで逡巡しています。

我々が認識しているこの世は、この世の全てではありません。
しかし、我々は我々の認識を通じてしか、この世を見ることが出来ません。
我々にはまだ認識できない領域があります。
その領域は、我々の認識が通用しないところかも知れません。
自分の認識の「限界」を自覚し「節度」を保とうと考えるのが
哲学が辿り着いた、現代の知性なのかなと思います。

OKWaveに回答するときも
自分の認識の「限界」を自覚した「節度」ある回答になっているか?
いつもドキドキしちゃいます。
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この回答へのお礼

長文の回答ありがとうございます!
人間は抽象的に物事を考えられるからいろんなことを考えるのでしょうね。
●自分がいるから世界を認識できる。
●つまり自分が死んだら、世界は認識できない。
●でも、自分が死んでも、世界は在り続ける。
●世界が在っても、自分が認識できなければ分からない。

までは自分は理解していました。

●つまり、人間は認識できることしか分からない。

この1文には大きな意味があるような気がします。あの世とこの世があるなら自分がいる方の世界しか認識できないというのは事実だと思います。あの世が存在することを証明するのはほとんど不可能だと思うし、あの世が存在したとしても人間があの世を科学的に証明できない限り信じないとするならば、あの世はこの世の人間にとって永遠に存在しないのかもしれないですね。
参考になりました!!^^

お礼日時:2006/11/18 14:01

ある程度、この世を生きてきて様々な経験や体験をした頃に「自分は何の為に生きているのだろう?」「何故、この世があるのだろう?」


「死んだら、どうなるのだろう?」という疑問が本能的に芽生える時期があります。

特に「霊能力」が無い人。今まで「比科学的」な事は否定派だった人が、その事に目覚めると凄く探求したくなります。衝動的に。

「スピリチュアルブーム」とも言われている現時代ではありますが、流行など関係なしに捉えて
「江原啓之さん」の書籍をまず読んでみる事をお勧めします。やはり江原さんの書籍は読みやすく分かりやすいように
「霊」に対する説明をしていると思いますよ。

ただ、「占い」などの分野とは全く違いますので、その日その日を誤魔化しながら生きていく様な事は書いていません。
精神的に「ポジティブ」な精神で自分に厳しく出来る人しか江原さんの書籍は受け入れられないと思います。
「江原さんの書籍」というのは結局、他の「霊」の書籍と同じです。
例えば、「シルバーバーチの霊訓」や「丹波哲郎、大川隆法、スウェーデン・ヴルク、エドガー・ケイシー、日蓮、空海、荘子、孔子、イエスキリスト」
など、言っている事は似ています。宗教によって、それぞれ「神」に対する見方が違ったり「天国・地獄」「天罰」等と言った
「言い方」をしたりする人物もいるだけで、ほとんど同じ事を言ってます。

江原さんの書籍には「天国・地獄・天罰」は「一切無い」といっています。
また、現在の日本人には受け入れやすく分かりやすい内容にしているからお勧めです。また江原さんは新興宗教とかでは全く無いので安心です。

江原さんの書籍を読んで認識する人が増えれば「優しくなる人が必ず増える」と思いますし、「自殺者も減る」と思います。
「何故、生きているのか?」をキチンと認識できるからです。

◆江原さんと同じ様な事を言っている「シルバーバーチ」を読んでみてください。(江原さんが、この内容をパクったとも言われてます)
http://www5e.biglobe.ne.jp/~spbook/spb-kataru.htm

もし、江原さんの書籍を読んでも心に響かず、それでも否定的な事しか言えない人というのは「物質的利己主義な人」ですね。
「金・物」に執着していて人を踏み台にして「打算」でしか物事を考えられない人だと思います。
人生経験が未熟で、経験が少なく「人の痛み」を知らない人。「自分さえ良ければ良い人」だと思います。
「人生なんて奇麗事じゃ生きて行けない。」なんて、いつまでも言っている人だと私は思いますね。


>物理的に言うとビッグバンが起きて…
この事は、「霊的心理」を、ある程度、勉強した後にぶち当たる「宇宙の疑問」「ビックバンは本当にあったのか?」などを探求したくなりますよね。
「アカシック・レコード」をご存知でしょうか?
下記にURL貼っときますので時間があるときにでも読んでください。

肯定・否定は自由です。何か「感動」が湧けば良いと思います。

参考URL:http://homepage1.nifty.com/akashic/index.html
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この回答へのお礼

江原さんの本を読むと少し答えが見えてくるかもしれないですね。時間があるときに読んでみたいと思います。

>「アカシック・レコード」をご存知でしょうか?

知っています。過去から未来までの歴史が記された記録のことですね。そのことに関してはエドガー・ケイシーが有名ですね。僕は宗教や神といったことは信じないタイプでしたが、アカシックレコードを知ってから世界の見方が変わったかもしれません。
エドガー・ケイシーはそのアカシックレコードを科学的に読めるようになる時代が来ると言っていたから、いずれはそんな時代もくるのかな~と思ったりもします。どのくらい先のことかはわからないけど。

長文の回答とリンクの添付ありがとうございました!!
参考になりました!!

お礼日時:2006/11/19 12:56

直接の回答になっているかどうかわかりませんが、ちょっと感じたことを書かせていただきました。



「なぜこの世があるのか?」という質問は、「この世がない」という状態があり得ることを想定されているのだと思いますが、「この世がない」ということが、そもそも原理的に「あり得るのか」が私には疑問です。

と言うのは、一般に「この世」というと、先ず、宇宙や地球や人類等の物質的側面を思い浮かべるように思いますが、「物質」というのは、一体何なんでしょうか? 突き詰めると、それは、数学的論理で構成された構造に過ぎないと思います。要するに、論理的な概念です。三角形とか、1,2,3などの数字と同じものです。であれば、1,2,3という数字や、三角形というような概念が「存在しない」ということは、あり得るのでしょうか? それは、消すことは不可能なような気がします。
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この回答へのお礼

自分も質問者さんのおっしゃることを考えたことがあります。宇宙は一般的な「ビッグバン論」と「宇宙定常論」というのがあるらしいです。「宇宙定常論」は宇宙はもともとあるものであるとされる考え方です。しかし、科学者の間では「ビッグバン論」が主流だそうです。
自分も宇宙の果てに空間がないという状態を自分は想像できません。「この世がない」というのも想像できません。
「ビッグバン論」と「宇宙定常論」の2つの説があり、「宇宙定常論」が正しければこの問題は解決するかもしれないですね。
回答ありがとうございます!参考になりました!!

お礼日時:2006/11/18 14:07

霊界があるという前提の話です。



この現世は物質界。また人間は一人一人孤立というか分断されています。従って、不可避的に人間関係というものが存在します。

霊界では物質は存在しないので、金銭を求めるための労働がありません。また、同じ霊格、同じたましいの年齢の人とだけ交わることになるので、争いも存在しません。要するに、天国ですね。あちらの世界は。お金のために苦労することもなければ、人間関係の苦労もないのです。好きなことをして時間を過ごせば良いのです。

それに対して、現世はあまりに制限的な世界です。この世界が何のためにあるのか?要するに苦しみが何故あるのか?

それは魂を鍛えるためです。鋼も強く打たれなければ、輝きが生まれません。それと同じで、この世はこれほど苦労、困難、誤解、偏見、お金のための労働の苦しみによって、初めて鍛えられるのです。そうして、少しでも霊格、たましいの年齢を上げ、魂を磨き、自分を成長させる、そのためにこの世があるのです。

参照は、シルバーバーチの霊訓、江原さんの本などです。
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この回答へのお礼

僕は昔は霊界なんかはないと思っていたのですが、最近はあるのかもしれないと思っています。江原さんの本を読むと少し違った世界が見えてくるかもしれないですね。
回答ありがとうございます!参考になりました!!

お礼日時:2006/11/18 13:53

こんにちは。



この私たちが生きている世界が,
誰かの手によって作られたものかもしれない,
とすればどうですか?
それは大きな大きな大巨人。
宇宙がポケットに入るほどの者。

例えば近い未来にある男が,研究室で,
科学的技術を駆使し,
少し大きめのフラスコの中に,
『宇宙』を創造しえることができたとする。
それは創造者によっての宇宙。

こういう話をするとあぁまた科学者がどうのこうの,
なんて思うかもしれないがそうではない。
これは哲学やファンタジーや科学といったものが,
カテゴリーを取り去って考えられた,
多くの推測の中の一つである。
ですから,ある種『物理的に言うとビッグバンが起きて…』
というのも哲学である。いうなれば科学定説的な哲学。

だから,哲学は一人一人のなかにあって,
色んな哲学がある。
私としては質問者さんの哲学が知りたいのですが
それは逆質問になりますのでいたしませんが。
「生きていることを不思議に感じる」
という考えを持った質問者さんはすでに,
「なぜこの世が存在しているのか」
という答えを言っているようなものなのです。
デカルトが言いました「我思う、ゆえに我あり」なんてね。
同じなんです言ってることは。

私は,私が死ねばこの世がなくなると思っています。
この世の中に私がいて,
その私の頭の中(脳が認知して)にこの世の中があって,
この世の中に私がいる。
矛盾しているように感じるだろうがそういうもので,
人間の脳がこの世の存在に疑問を抱くから,
世界は脳の中にあるってことになる。
動物は「なんで世界が存在するか」なんて考えもしなければ,
そんなもの関係がないし,
己なんてものに固執しないで,
自然に生き抜くことに魂を燃やしてるでしょう。
これは,
人間と動物どっちが優秀かなんて問題ではなく,
考えるということを与えられた人間はそれを止めどなく考えなければならない,という無限の叡智があり,
対照的に動物たちは考えなんてものではない本能を爆発させる美しさが,そこにある。
やはり人間としての私は,
私が存在しているからこの世があると考えていて,
ビッブバンなんてものがこの世を作ってはいないんだと,
自分を奮い立たしている。
私の存在が先か,
この世の存在が先かは分からないが,
多分同時に生まれたのだろう。
そう思う。


なんだか回答になっているか分かりませんが,
少しでも参考にしてくれれば幸いです^^
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この回答へのお礼

長文の回答ありがとうございます!いや~いろんな考え方の人がいるんですね。貴重な意見ありがとうございます。
ものすごく大きな巨人がこの世界を作ったとするとのもアリですね。
せめてこの世界を壊さないようにしてもらいたいのですが (^^;)

生きていると感じるからこの世が存在するというのは理解できます。しかし僕の哲学(?)ではこの世が存在するから自分が存在し、生きていると感じていると思います。

自分が死んでも今自分がいる世界は消えないと思うし、違う世界にいくのかな~なんて思ったりもします。考えれば考えるほどわからなくなってきますね。→(ゆえに我あり)かな。
参考になりました^^

お礼日時:2006/11/17 21:23

やっぱり宇宙って無限なのかな? って思う時があります。


無限の世界ならどんな事でも確率が≒0でなければ起こりますから。
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この回答へのお礼

宇宙も不思議ですよね。
僕ら人間も奇跡的に誕生した生命なんですね。
ちっぽけな存在だなと感じることもあります。
回答ありがとうございます!
参考になりました!!

お礼日時:2006/11/17 21:10

この世界観ですか?



ルネ・デカルト
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D% …

我思う、ゆえに我あり
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E6%80%9D% …

もしくはこの世界観ですか?
宗教
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%97%E6%95%99


思索にふけるのは良い事です。その上で自分の思うように世界を見れば良いと私は考えます。自分以外の人間が世界をどう見ていようが、自分には今見えているように見えるのだから仕方がないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます!!
リンク先ののような知識も知りたかったので助かりました。
自分が見ているものが世界ですね。
参考になりました!!

お礼日時:2006/11/17 21:07

貴方が言う「生きていることを不思議に感じる」と言う意味がよく分かりません。


私が「生きている」と感じるのは、自分の生命が何か危険に直面した時ぐらいでしょう。私の経験では過去に二度くらいしかありません。その時に、「生きていることを不思議に感じる」と言う思いは分かります。
ですから普段、実感として不思議に感じる事はありません。

>なぜこの世があるのか?
貴方は「あの世」を知っているのですか。
ほとんどの人々は「あの世」を知らないはずです。生きている人は誰も行った事がないのですから。
「あの世」らしいことは普段でも耳にする事があるでしょうが、実感としてはないはずです。
ただし、「この世」に生きている貴方は、毎日生きていることを実感しています。
実感している貴方は、見たことも、実感した事もない「あの世」を思い浮かべながら、貴方が立っているフィールドを眺めて、このフィールドが「この世」かと思うはずです。
貴方の二本足は、「この世」の大地にしっかりと立っているのです。
この大地の温もりを感じなくなった時、生きていることの不思議さを改めて感じるかもしれません。

回答になっているかどうか自信がありませんが、思うままに書いてみました。
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この回答へのお礼

>貴方が言う「生きていることを不思議に感じる」と言う意味がよく分かりません。

伝えるのが難しいですが、そのように感じる瞬間があります。ほんとにときどきですが。自分で手を動かしたり考えたりする意思が存在するということに不思議な感覚を覚えてしまいます。

>貴方は「あの世」を知っているのですか。

質問の仕方が悪かったですね。僕が言う「この世」とは今自分が存在している世界のことです。
天国や地獄といった「あの世」とは関係ないです。

回答ありがとうございました!!

お礼日時:2006/11/15 23:03

本当に不思議ですよね。


ただ、最初に述べておきたいことは、この世の誕生も生命の誕生も科学的な一現象にすぎないということです。
どちらも、ある非常に特殊な条件下において、何らかの化学反応によって偶然に現われたと考えるのが科学的だろうと思います。
そして、それが消滅という形を取らず今まで推移してきた以上、そこに何らかの意志が働いていると考えるのが論理的でもあります。
しかし、それはあくまで科学的で合理的な、「為るべくしてそう為る」というような意味での意志です。

時には、「誰かの意志」などと人格的要素を信じたがる方もいらっしゃいますが、それは誤りでしょう。
誤りなのは間違いないわけですからその正否に言及するよりも、
なぜそのように信じたがるのかということを考えるほうが有意義かもしれません。
結局、思考からの逃避ということになるのでしょうね。
自分が生きているのではなく生かされているのだ、ということですから、何をするにもその「人格的な意志」の導きを必要とする形を取ります。
しかし、ここに根本的な矛盾が存在しているわけですが、
その「人格的な意志」は人間によって考案されたものに他ならない、という事実です。
まさか、神が言葉を発したと本気で信じているわけではないでしょうから。

神や宗教も一概に否定するわけではありませんが、
我々ひとりひとりの目指すべき道を決めるのは自分自身以外の何ものでもありません。
思考の方便として神や宗教の考え方に接して参考程度にするのは良いでしょうが、
いくら行き詰ったとしても、あたかも人格を持った絶対的な存在が何らかの意志を発揮しているなどという誤った認識を持つことによってその苦しさから逃れようとするのは、自らの人間としての可能性を永遠に放棄することになるでしょうから注意が必要でしょう。
閑話休題。

そういうわけで、「なぜこの世があるのか」を考えるのも面白いのですが、
自分がこの世にあるということは多くの意志が集積された結果です。
少なくとも、あなたのお父さんとお母さんの意志と、そしてお二人の人生で得てきたものが遺伝子としてあなたに受け継がれているわけです。
そのご両親にもそれぞれご両親がいらっしゃり・・・・、と考えた場合、
(自らが認識できる)この世と自分との関係性について思考することに哲学的意義があるような気もしてきます。
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この回答へのお礼

長文のご回答ありがとうございます!
自分自身は「世界は誰かの意志によって作られた」という意見と「科学的な現象によって世界は作られた」という意見の中立派なのでいろいろな方の意見がもらえて参考になります。
確かに「神が作った」と考えるのは思考の逃避なのかもしれません。人間は思考の限界がきたときに「神」という存在を作り出しているのかもしれないですね。
参考になりました!!

お礼日時:2006/11/15 22:56

人間の認識の有無にかかわらず存在するものは存在しますね。


宇宙も惑星も地球も重力も人間さえもそうなんですよね。すべてが合目的に存在していると考えれば、偶然にそのようなことが起きるわけがないですね。野原に偶然に材料が降ってきて家が建ったなどという光景は未だに遭遇したことないですね。そういうことがあれば、偶然にビッグバンが起きて、などということも信じることができますが、ちょっと無理があるね。やはり作りたいそうしたいという誰かの考えがあって出来ていくものですね。そう考えるとこの世界を造ったお方がいるんでしょうね。地球も合目的に造られたというのであれば、やはり人間を含む生物を生かしめるためなんでしょうね。造ったかたは、金魚蜂で金魚を飼うように見ているのかもしれませんね。金魚が一生懸命美しく生きていれば、飼い主は嬉しいですね。人間も世界もそのようなものなのかもしれません。当然金魚だって、人間のようになぜ俺は、金魚なんだと考えるのもいるかもしれませんね。
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この回答へのお礼

自分が死んでも今生きている世界はずっと残っていると僕も思います。
この世界を誰かが作ったのかのかもしれませんね。金魚なんかもそんなことも考えたこともあるのかな~^^;
回答ありがとうございます!
参考になりました!!

お礼日時:2006/11/15 22:50

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